廿三 我が息子よ
孫次郎と親家が向き合っての本心の対話が一区切りついたのを見計らったのかのように、賀来治綱が薬湯を手にして戻ってきた。
「おや、御子息殿は戻られていましたか」
そう言いつつ賀来は親家の側に腰を落とし、
「どうぞ、薬湯でございます」
濃い緑色の汁が注がれている茶碗を手渡した。
親家は一口飲むと、少し眉をひそめてしまう。
「これは苦いのう」
「良薬口に苦しと言いましょう。喉に効く薬草や身体が温まる根などを煎じておる。ゆっくりとお飲みくだされ」
「うむ、有り難く‥‥」
言う通りに少しずつ飲んでいく。
その合間に、賀来は孫次郎の方に視線を移し、呼びかける。
「八幡丸殿‥‥それとも孫次郎殿。どちらでお呼びすればよろしかのう?」
首謀者を捉えて弔い合戦は一段落しているので、孫次郎はどちらでも良かったが。
「そういえば、その名を名乗って戦に赴いたそうだな。八幡丸か‥‥」
代わりに親家が口を開いた。
安東家忠から顛末を聞いていたのだろう。
「御子息殿が、由原宮の御神木を見上げていた姿が、お光殿に良く似ており、あの日を鮮明に思い出してしまったよ」
賀来は懐かしそうに孫次郎を見つめると、親家もまた同じように“あの日の光景”が頭に過ぎった。
「そうか‥‥。どれほどの前になるのか。あれは‥‥」
■□■
将軍家跡目争いが終わり、豊後国も落ち着いた頃、大友義長(大友家)の計らいで由布家と婚姻を結び、お光が戸次に嫁いできた。
また戸次親家の妹も由布家に嫁がせており、まるで人質交換のような政略結婚であったが、お光とは仲睦まじく、やがて三人の子宝にも恵まれたが‥‥女児ばかりだった。
親家には兄弟が多数いるので、いざとなれば兄弟の子などから養子を貰えば良いとも提言したが――
「武家の家に嫁いだのであれば、跡継ぎとなる男児を生むのが私の御役目でございます」
豊後の女子は気強く、それに“大神の牙”と讃えられた武辺者の家・由布の出なのもあったからなのか、お光は甲斐甲斐しい妻だった。
やがて待望の男児が生まれたのだが、
「御子は‥‥親家様と私の‥御子は‥‥」
赤子は泣き声をあげずに、儚く水子となり天へと召された。
お光は激しく落胆し、毎日毎晩泣き崩れては生気を失っていき、体調を崩しては臥せてしまった。
それを見かねた御屋形様(大友義長)が気分転換と湯治にと勧めてくれ、別府の浜脇館を供出してくれたのである。
御屋形様の別荘を借用するのは畏れ多かったが、少しでもお光の慰めとなるならばと、お言葉に甘えて、無理にお光を連れて藤北を出立した。
別府に向かう道中、由布家に立ち寄るついでに由原八幡宮に参拝しに行った時であった――
由原八幡宮の日暮門の下で賀来治綱が待ち構えてくれて、親家とお光を手引きしてくれた。
お光は御神木(大楠)の前で足を止め、なにかに心を捉われたかのように見上げた。
「どうしたのだ、お光よ?」
親家が呼びかけたが、お光は大楠を見上げたままで答える。
「御前様‥‥もし、今度また御子を‥‥男児を授かったのなら、子の名前に八幡様の御名前を賜りましょう」
「‥‥何を突然に?」
「‥‥なぜでしょうか。この御神木を見ていたら、また私は子を授かると‥‥その子は男児の気がしたのです」
直感だったのか、天啓だったのか。
由原八幡宮創設の由緒として、八幡大菩薩の初衣(いわゆる産着)が宇佐神宮から飛び渡り、あの大楠の下に舞い落ちたという逸話が知られており、お光も当然知っていただろう。
その伝承の影響を受けたのかも知れないが――久しぶりに見るお光の朗らかな表情を見れば、彼女が望むままに叶えたかった。
「そうか。それならば賀来様に相談して、八幡大神様の御名を命名することをお許し頂こうか」
「ええ、そうしましょう。八幡大神様の御加護、御利益があると思います。きっと武神であられる八幡大神様のように強く逞しく育ってくれることでしょう」
気力を取り戻したお光は親家の手を取り、緩やかな傾斜がかかった参道を自分の足で、しかと進んでいった。
二人の子授祈願が八幡大神様に通じたのか、お光は自分に似たとても眼が大きい男児を授かり、希望の通りその子に『八幡丸』と名付けた。
■□■
「此度の戦の発端となったのは、奇しくも宇佐八幡宮から救援の申し出から。そういう天命‥‥八幡大神様のお導きだったのかもしれないな‥‥」
親家は孫次郎の頭に手を置き、優しく撫でた。
「御前が大した傷を負わず、此度の初陣を勝利に導けたのは八幡大神様の御加護があったのだろうが‥‥よくぞ、やってくれた。戸次孫次郎よ。我が息子よ」
藤北に戻ってきてから初めて父・親家からの称賛の言葉に、孫次郎の大きな眼から思わず涙が流れてしまった。
心の奥底で待ち望んでいた言葉だった。
「きっと御前なら大丈夫だろう。八幡大神様の御加護に、お光に似たその大きな眼ならば、何処までも見渡し、見通し、見守ることが出来るはずだ」
その後も二人は話し合った。
親家が憧れた武将(足利尊氏公)や花押の書き方など、今まで語り合えなかった親子としての何気ない会話。
親家は話せる体力が残っている内にと、多少の無理をしていたかもしれない。
戦の勝利、孫次郎に思いの丈を伝えたことで肩の荷が下りたからなのか、張り詰めていた気持ちが切れ、親家の様体は再び悪化しだした。
会話もままならぬようになり、ただ眠る時間が増えていった。
『わしは恵まれていた‥‥恵まれ過ぎていたと思う。病弱ながらも戸次の当主になってしまったが、御屋形様に、お光やお孝に‥‥。お孝も良い女房であった。孫次郎や娘たちを、ここまで育て上げてくれた。後を頼むぞ‥‥』
孫次郎や家族に見守られながら、親家は安らかに息を引き取った。




