廿一 咎め
孫次郎は幼き頃の遊び場だった藤北の外れにある一際高い樹に登り、途中で分かれた太い横枝に腰をかけて、先程まで居た藤北館を見つめている。
日は山奥に沈みゆき、辺りが夕焼けに染まるように孫次郎も黄昏れていた。
「戦勝の報だけで充分だろうに。戦死者や負傷者など義兄上に訊けばよかろうもんに‥‥」
いや不貞腐れていた。
御屋形様の下知ではあるが、まだ戦が完全に終結していない中、急ぎ藤北に帰ってきたのに、労いの言葉もなく、あの”仕打ち”に納得がいかなかった。
初めて経験する父の怒声と喰らわされた拳骨。
頭上の未だ痛みが引かぬ膨らんだ箇所をそっと触ると、より激しい痛みが奔った。
病気で寝たきりだったとは微塵も感じさせないほどの重い重い一撃。
それほどに親家の怒りが度を越していたのであろう。
「大将が犠牲者を把握していなかったのは手落ちなのかもしれないが、後でも調べれば良いのではないか。あれほどまでに咎められる所以ではないだろうに‥‥」
視界が滲んでぼやけてしまう。
孫次郎に両眼に涙が浮かんでいた。
それは悔し涙だった。
頭の片隅で親家から少し褒め上げられるかもと淡い期待を抱いていたのも切欠だったのだろう。
初陣を華々しく勝利したのにと、鬱積と悔しさと腹立たしさが心を渦巻き、溢れ出していたのだ。
面と向かって「出ていけ」と言われたのもあり、藤北館に居れる訳も、戻れる訳もなく。このままここで夜を過ごすのも止む得なかった。
「孫次郎ちゃん!」
声がした方へ‥‥下を覗き込むと、幼馴染のお梅の姿があった。
お梅は二歳ほど年上の農民の子であるが、幼い頃より孫次郎の姉たちとも仲が良かったというのもあり、領主の息子である孫次郎を“ちゃん”付けで呼べるほど親しかった。
とはいえ流石に人前では弁えており、「孫次郎ちゃん」と呼ぶのは、こうした二人きりの時だけと気をつけてはいる。
「やっぱりここに居たのね」
「‥‥」
孫次郎はそっぽを向き、無言で返す。
「なに不貞腐れてんのよ?」
「不貞腐れてなんかない」
「親家様に怒られたのが、そんなに辛かったの?」
「そんなんじゃ‥‥」
「あの温和な親家様が、あんなに怒ったの初めて見たわ。なにをしたのよ、孫次郎ちゃん?」
「‥‥知らん」
素っ気なく返答した態度に、孫次郎が酷く落ち込んでいるを察したお梅であった。
(なんだかんだで、小さな頃から一緒に居たからね‥‥)とお梅は胸の内で呟く。
下手に励ましても機嫌を損ねてしまうものだが、孫次郎に会いにきた理由と併せて、少しでも気分が紛れるのであればと、あえて話しかける。
「あ、そうだ。孫次郎ちゃんに訊こうと思っていたのよ。私の兄の与次郎のこと。ほら、孫次郎ちゃんの名前に似ている」
「‥‥それがどうした?」
「与次郎兄は戦死とか大怪我しておらんよね? 本当は安東(家忠)様にお訊きしたかったけど、すごく忙しくてお話しすら出来なくてね。だったら、お暇な孫次郎ちゃんに訊こうと思って、ここに来た訳よ」
沓掛たちの状況を把握していなかったのに、一兵卒の消息など知っている訳がなかった。
「知らん」と無下に言おうとしたが、お梅の性格から、しつこく訊いてきたりして、小煩くなるのが目に見えた。
「‥‥すまぬが、与次郎の仔細は知らん。が、戦に不慣れな者は後軍に集めて、此度の攻城には参加させていない。今は後軍を中心に馬ケ嶽城を警備で滞在していると思う」
「ということは生きている可能性があるってことね。それなら良かったわ‥‥」
お梅は胸を撫で下ろし、安堵の表情を浮かべた。
その様子が孫次郎の心を強く揺さぶった。
「もし、孫次郎ちゃんが“知らん”とか言っていたら、私も親家様みたいに怒っていたところよ」
「‥‥怒って、いた?」
「そうよ。そりゃ、あんなお馬鹿兄自ら覚悟を決めて軍に加わった訳だけど、ただ生きて帰ってくれただけでも儲けもの。手柄を取ってきたのなら万々歳。死んでしまったら、それはそれで仕方ないけど‥‥私たちは孫次郎ちゃんみたいに武士でもない、ただの農民なんだから。討死が誉とか分からない。ただ身内の最期を知りたいというのは家族として当然なんだからね。もし、兄が討ち死にしていたとなら、孫次郎ちゃんから教えて欲しいわ」
ふと父‥親家の姿がお梅に重なって見えた。
(もしかして、父上は‥‥)
「さてと、馬鹿兄が無事なのをお母に教えて安心させんと‥‥えっ!?」
お梅の独り言を漏らしている途中で、孫次郎は枝から飛び降りた。
高所にも関わらず、慣れた感じで無事に着地したのである。
「もう、危ないでしょう!」
「案ずるな。あれぐらいの高さで怪我などせんわ」
孫次郎は話しつつ歩きだす。
「どちらへ?」
「館に戻る」
「そうですか‥‥」
去りゆく孫次郎に向かって、お梅は大声で叫ぶ。
「あ、孫次郎ちゃ‥‥じゃなかった。若様! 此度の初陣での勝ち戦、おめでとうございます!!」
孫次郎は振り返り「うむ!」と返事しただけで、踵を返したのであった。
振り返った時に見えた孫次郎の表情が少しだけ明るくなっていたのを、お梅は見逃さない。
そして、まっすぐ背を伸ばし、藤北館へと歩んでいく孫次郎の背中が一段と大きくなった気がした。
「ついこの間まで私より背が低かったと思ったら。男の子の成長は早いというか。あーあー、孫次郎ちゃんとか気軽に呼べなくなるかな。まあ、それも仕方がないか。ご武運を、若様!」




