拾捌 馬ケ嶽城の戦い-決着-
戸次軍本隊は開かれた二ノ丸の城門から大挙して押し入った。
既に十時惟種が指揮する別働隊が激しく戦っており、直様に加勢し、場は熾烈さが増す。
突撃してきた新たな戸次兵の勢いに押されて、形勢が傾き始める。
「なんだ!? あの敵衆は!? 今井(右馬助)様や、その隊はどうしたのだ!?」
「あ、あれは!?」
馬ケ嶽兵の一人が指差した先へ他の兵たちも視線を移すと、声を失ってしまう。
敷地内に入ってきた十時惟次が持つ槍の穂先に右馬助の御首級がくくりつけていた。
「そ、そんな……右馬助様が……討たれのか!?」
戸次軍本隊の襲撃によって苦境な状況に陥っている中、右馬助やその隊が討たれたのが知れ渡ると馬ケ嶽兵たちの戦意を大いに挫いた。
「ど、どうしますか?」
「こ、ここは……詰城(本丸)に退いて、佐野様や間田様のご判断を仰ぐしかあるまい。鐘を、鐘を鳴らせい!」
馬ケ嶽の兵数は未だ戸次軍よりも多いが、大半は徴募したのは周囲の民草であった。
戸次軍も藤北の民を徴募してはいるが、それと比較して命を賭す義理はなく、及び腰であった。
元より戦いに不慣れな藤北の民を麓に待機させているので、より差が際立った。
また、右馬助の次位の大将格も、十時惟種に討ち取られていたのもあり、残っている兵たちでは立て直すのは不可だと察した。
退却の鐘が鳴り響き、馬ケ嶽兵たちは後方へと詰城(本丸)へと退いていった。
戸次軍は無理に追い打ちはせず、乱れた態勢を整えると共に一旦現在の状況を把握するように努めた。
「惟種兄!」
十時惟忠たちが血まみれとなった十時惟種を見つけると、急いで駆け寄った。
「遅かったな……叔父貴(十時惟安)……」
十時惟安は惟種の状態を見定める。
「流石にこの多勢の切り合いで無傷では済まぬか。すぐに手当を」
「なーに、大した傷は負ってないよ。ほとんど返り血だ。今、凄く気分が良いんだ……。切り合いの中で相手の動きが、ゆっくりと動いて見えるようになって……これが境地か……」
と言うものの、惟種は背中や腹部を切られており、血が流れ落ちる。
「高揚し過ぎて痛みを感じておらぬな。なにはともあれ手当だ。惟忠!」
「は、はい!」
惟忠は竹筒に入れていた水と酒で血を洗い流し、ヨモギなどの薬草を傷口にあてて、縄や布で縛りつけた。
治療している間に、惟安は十時惟通に呼びかける。
「惟通、十時隊の生存者と怪我人の確認を急げ!」
「すでに惟次(息子)にそう云い伝えている。して、本丸への討入は?」
「それを決めるは戸次の総大将の御役目よ。こちらの状況やこの城の把握が出来次第、攻めかかるだろう。戦は間を空けぬ方が良い。惟種みたく乗っている時が一番良いのだ」
そう言いつつ、戸次本隊(八幡丸)の方へ視線を移した。
由布惟克も十時たちと同様に自軍の状況を確認しては、息子の家続が無事なのを内心安堵するものの、表情には出さない。
そして安東家忠が様々な状態を確認しては戸次親延に報告する。
「佐野や間田といった輩は戦場に出ていないのか?」
「逃げそびれた兵の話しでは、まだ本丸にて控えているとのことです」
「そうか。それはそれで好都合ではあるが……」
此度の戦の真なる目的は、首謀者の捕縛または討ち取るなどして武装解除を為さらなければならない。
「親延様、降伏勧告は?」
「まだこちらの士気は削ぎたくない。一度は攻めかかったからで良い。まずは無傷で動ける者たちは、この城(二ノ丸)の防備と補修を当たらせろ。傷がある者は手当をして後方で待機。戦いに問題がないようであれば、武具を備えて支度を整えておけ」
親延が指示する中、八幡丸は仁王立ちとなり馬ケ嶽城の本丸を睨みつけていた。
今にも突入するような威圧を放っているようだった。
「八幡丸。分かっていると思うが……」
「分かっております。ただ見張っているだけです。ここまで来て、敵方の大将を取り逃がしては恥。しかしながら叔父上、少しでも敵方に動きがあり次第、こちらもすぐに動ける手筈を」
「解っている。百名ほど監視に当てさせる。お前もお前で備えておけよ」
八幡丸は本丸を見つめたまま、「ええ」と言葉少なく返答したのだった。
ここまで来れば、取り逃がしは許されない。
敵方が詰城(本丸)から打って出るかもしれないし、抜け道から脱出するかもしれない。
当然、八幡丸や親延、他の各将たちも警戒しており、油断も隙もない。
■□■
「な…なん、だと……右馬助が……」
馬ケ嶽城の広間にて、佐野は身体を震わしながら家臣からの報告を受けていた。
武者震いではない。恐怖と動揺によるものだ。
震えてはカタカタと甲冑の音が鳴る。それは己の心臓の音が漏れ出しているようだった。
狼狽する佐野の代わりにと、間田が出来る限りの冷静さを取り繕い訊ねる。
「今、こちら(本丸)に駐屯している兵は如何ほどか?」
「エイ。千名ほどでありますが、戦いに慣れた者は……。それに人は居ても、武具の方が足りておりません」
「なんだと? 集めた武具はどうした!?」
「集めた武具は二ノ丸の方に……」
「そうだったか……」と間田は、思わず手で両目を覆い尽くしてしまった。
「兵糧の方は幾月分かの蓄えがありますが……」
やはり主力を担っていた右馬助が討ち取られ、その隊が壊滅してしまったのが痛手であり、場は意気消沈しているのを隠せなかった。
「ろ、籠城だ!! 籠城をし、お、大内殿に救援の要請を!!」
佐野がそう叫ぶも、この場に者達は一向に動く気配は無かった。
「な、何をしている! はよ、早馬の用意を。いや、その前に文を認めなければならぬか。誰ぞ、紙と墨を持てい!!」
馬ケ嶽の兵たちはお手上げな状態であると誰しもが思っていた。
先だっての間田との話し合いで大内義隆が加勢してくれる可能性は低いだろう。
だが、大内の口車に乗せられて軍を興してしまった佐野に取っては引くに引けない心情であった。
藁にもすがる思い……きっと大内義隆が救援に来てくれると妄信するしかなかった。
間田は一息を吐いてから話しかける。
「佐野殿。物見からの報告だが、麓に、まだ敵軍が屯しているようだ」
「なんだと!? なぜ、それを早く云わない!?」
「それも含めて相談しようとしたところだ。麓の兵は少なく見積もっても五百人ほどとのことだ」
馬ケ嶽城を攻めている軍の他に別軍が待機しているという報に、佐野の腰砕けとなり、その場に座りこむ。
敵軍(戸次軍)には余力(増援)があると思い込んでしまったからだ。
間田が言った敵軍は戸次軍ではあるが、戦いが不慣れな者たちで、此度の馬ケ嶽城攻めから外されていた非戦闘部隊であった。
その事を正確に偵察して把握していたのであれば、多少なりとも戦意を挫いたりはしなかっただろう。
しかし、奇襲によって混乱した状況では冷静な判断が出来ず、見誤ってしまったのだ。
「如何する、佐野殿?」
間田が訊ねた。
他の家臣たちも命を賭して戦おうとする者は居らず、臆した不安の眼差しを向けるしかできない。
まだ、敗けてはいない――
籠城にて大内軍が兵を差し向けてくれるまで耐え凌げば、勝機は‥‥いや、勝利だ。
ならばこそ、此度の戦を牽引した己(佐野)自身が奮起を促しかない。
立ち上がろうとした瞬間――
「「「ウオオオオオオオオッッッッ!!」」」
外から空気や建物を震動させるほどの咆哮が響き渡ってきた。
「な、なんだ!?」
「敵方(戸次軍)が攻め入っております!!」
「な、なんとしてでも、し、死守を!!」
そう指示しても、周りの者たちはその場に居座っており、視線を落としていた。
「どうしたのだ!? はよ、せんか!!」
最早、誰もが負け戦と思う戦いに意気込む者は居ない。
「‥‥クソが嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼あああああああォォォォッッッッッ!!」
忿怒と遺憾の濁った感情を吐露する様に、佐野は絶叫したのであった。
「どこで間違えた‥‥どこで見誤った‥‥若殿(大内義隆)の誘いに乗ってしまったのが、全ての起因なのだろうか‥‥」
反対に間田は冷静になり、此度の成り行きに陥った理由を巡らせていた。
■□■
戸次軍は各方面から壁に梯子を掛けたり、木の柵を打ち壊しては、本丸へと攻め寄せる。
守兵は死物狂いで戦うものの、指揮する者が居ない中では無勢であり、柵や塀を乗り越えてくる戸次軍の攻めは猛烈であった。
叫声と悲鳴、剣戟が響き渡る中で、編笠を携えて、上半身裸体となった輩が声高らかに叫んだ。
「やーやー我こそは、和睦の使者である。者共、槍を納めろ、矢を向けるな!!」
戦いの最中で珍妙な格好であったのもあり、戸次兵士たちは思わず躊躇してしまう。
「あれは、肉袒か‥‥」
前線を指揮していた由布惟克が、そう言葉を漏らす。
「肉袒」とは衣服を脱いで上半身を晒すこと。
古代より中華の国では降伏や謝罪の意志を示す行為であり、また“編笠”を掲げているのも同様の意味だった。
「本物の降伏の使者でしょうか?」
由布惟克の側にいた兵卒が訊ねた。
「あえて笠を掲げているのは降伏の意志をより示す為だろう。十中八九、本当の使者だろう。よし、戦いを止めい! 丁重にあの使者殿を迎え入れろ。だが油断大敵。周囲の警戒は怠るなよ」
「御意!」
本物の使者かも知れないが、注目を集めた隙きを突いて、搦め手(城や砦の裏門)などから主犯格(佐野・間田)が逃亡する可能性も十分考慮するべきであった。
次第に戦闘は停止していき、戸次や敵方の兵卒たちは降伏の使者を注視し始めた。
当然、由布惟克などの戦に慣れた者たちは手を止めたとしても、周囲を見張る眼差しは鋭さが増していた。
降伏の使者は、まずは安東家忠の前に連れ出されて降参の旨を申し聞きて手紙を受け取り、家忠は戸次親延と八幡丸に伝えた。
「馬ケ嶽(敵方)が降参を申し出てきたか」
「はい。敵の御大将・佐野、間田の懇請は、此度の戦に関わった一族郎党の助命。その願いを聞き入れれば、すぐに城を明け渡すとのことです」
「勝手に戦支度をしておいて勝手なもんだが、こうも簡単に降参を申し出てくるとは、やはりこの戦は佐野たちが首謀では無いのだろうな‥‥」
豊前を支配するという強い野望があるとしたら、抵抗かまたは形勢を覆すまで籠城したり耐えしのぐものだろうが、本丸(詰城)からの戦意の気配を感じ取れなかった。敵方の大方が諦念していると察しがつく。
ここで降伏を拒絶して無理に戦いを続けたとしても、双方に多大なる犠牲が出るだろうし、長期戦になるならば戸次軍の不利。
穏便を済ませるべきだと親延たちも密かに思い及んだ。
首謀者が佐野・間田でなければ、戸次軍も此度の戦の発起人も然り――
「よし。此度の処遇について、御館様(大友義鑑)に窺い立てよう。誰か、早馬の支度を。ああ、それと紙と硯箱を」
親延が近習にそう伝えると、血気逸る八幡丸が物申してくる。
「叔父上殿、わざわざ御館様に窺い立てるべきのものでしょうか。ここは終局まで戸次軍で城を制圧し、敵方を捉えるなり討ち取り、御館様に伝えるべきなのでは?」
「八幡丸よ、相手の首を取ったり、撫で斬り(皆殺し)にすることが戦の決着ではないぞ。余計な怨恨を残しては此度の戸次と同じように弔い合戦の禍災の種になりえよう。時に穏便に手打ちするのも戦なのだ」
絵巻や軍記物語では、大抵は敵手を討伐して締めくくられているが、現実の戦は敵(首謀者)を討ち取って、めでたしめでたしとお終いになるものではない。
これまで書物などしか戦の結末を知らぬ八幡丸にとって、未知の結が刻まれようとしていた。
戸次士卒の中から無傷で騎馬に長けた者を選び、八幡丸と親延の連名の書状を飛脚として豊後府内の大友義鑑へと走らせた。
道中、様子を伺わせていた角隈石宗の斥候と合流しては、一昼夜休みなく所々で馬を変えては走らせて、戸次軍が辿った道を駆け抜けていった。
■□■
豊後府内・上原館。
大友義鑑、そして同席していた角隈石宗と吉岡長増が、戸次の使者から書状を受け取り、馬ケ嶽城の戦の顛末を知った。
三者三様とも僅か数日で落城させた報に驚嘆してしまった。
「なんともはや‥‥寡兵に関わらず。最善の戦運びをしたのでしょう」
角隈石宗が言葉少なく漏らし、吉岡長増は一驚したや否や黙したまま“次の一手”について考え巡らせた。
「そうか‥‥この短期間の内に、見事に降伏せしめたか‥‥」
大友義鑑は身体を震わせる。
初めて由原宮の賀来が馬ケ嶽城で蜂起の報せを伝えてきてから、一月余りで成し遂げた成果に、昂奮を抑えきれなかった。
「この早い陥落の報せは大内の援軍(介入)は無いと考えていいでしょう。して、御館様。沙汰につきましては如何いたしますか?」
そう吉岡長増が一番危惧した不安を払いつつ、訊ねた。
「うむ。此度の佐野たちが戦支度を始めた所以を吐かせなければならぬ。よって、佐野・間田を詰問のために府内へ連れて参れ。そして此度の戦に加わった家臣、国人衆の子息を人質にするのであれば助命を聞き入れようと戸次たちに伝えよ。また長増は、すぐに吉弘、木付に先軍として宇佐神宮に出兵要請し、田原は後詰でいつでも出軍できるようにと伝えよ」
「御意!」
長増は先ほど内心想定していた内容通りだった為に、すぐに立ち上がりて落ち着きを払い退出していった。
「角隈。それと藤北の親家に此度の旨を報せておいてくれ」
「畏まりました。早急に手配をいたします」
角隈石宗も吉岡長増の後を追うようにその場を後にした。
大友義鑑は徐ろに立ち上がり縁側へと進み出ると、藤北の方角を見据え――
「よう、やったぞ親家。成行きはどうであれ、あの日の“約束”を果たしてくれたな」
満足気に遠く藤北にいる親家に届けるように、空へ言葉を投げかけたのであった。




