拾漆 馬ケ嶽城の戦い-後編-
前軍の大将である松岡親之が倒れたことで、周囲にいた兵士たちの動揺が波のように全体へ伝わる。
右馬助が率いる兵たちも強者揃いにて、戸次兵は先の気勢は殺がれて押し返されていく。
場の空気が重くなり、旗色が悪くなる気配を感じ取った由布惟克が、すぐさま号令を出す。
「由布騎馬隊、一旦下がれ! 由布歩兵隊、五の横一の壁となり、敵方の足を止めよ!」
由布隊の掻楯を持った歩兵は五人一組で横一列になり、後退してきた由布家続を始めとした騎馬兵は歩兵の背後に控える。
他の歩兵隊も同様に段違いで隊列を作り、畳目を編むように幾重の人壁を成していき、瞬く間に陣形を整えた。
また、後方の位置にいた戸次親延も既に従者を周囲に固めて、守備を厚くしていた。
「弓隊! 構え!」
側に居た弓兵たちは矢を番え、いつでも射られる準備をする。
すぐに射たないのは、命中率を高めるため敵兵が近寄ってくるのを待っているからと、その接近を威嚇する為であった。
「しかしながら、突撃してきたら危ういな。八幡ま……るっ!?」
万が一に備えて、戸次軍の総大将である八幡丸を後ろへ退かせようとしたが――八幡丸は前に出た。
八幡丸は大きな眼で先頭に立つ右馬助を見据える。
「あれが、あの隊の侍大将か」
戦局を左右する剛の武士。
つまりは、先導する強者を討ち果たせれば、敵軍は総崩れになるのは必定。
八幡丸は手にしていた金ノ麾を腰巻きに差し、戸次黒に携えていた弓矢を手にして、弓構えた。
狙うは右馬助の素肌を晒している箇所。
だがしかし、普段の弓術鍛錬で使用している星的よりも標的は狭く動き回るがゆえ、命中させるのは至難だが、ここで一矢で仕留めることができれば、否応にも流れは再び戸次軍に傾く。
「ならばこそ、成し遂げてみせよう!」
「お、おい。八幡丸!」
八幡丸の気合に満ちた言葉を漏らすものの、安東家忠が呼び止める。
下手に手を出して、あの敵軍が一斉に襲い掛かってくるのではと案じたからだ。
ましてや、矢が中る可能性も低い。無駄矢を射って危険性が増してしまっては始末に負えない。
だが、八幡丸は聞く耳を持たず。
弓を打起こし、引分けようとした時――
「「「ウオオオオォォォォッッッッッ!!!!!」」」
山頂(二ノ丸)より怒号が轟くと、閉ざされていた二ノ丸の城門が開き、複数の兵士たち飛び出してきた。
新手かと身構えていたが、様子がおかしい。
門から出てきた兵士たちは既に傷つき血を流しており、何かに追われているような。
次に別の集団が姿を現し、馬ケ嶽の兵士たちを追いかけて斬りつけていく。
「あれは!?」
八幡丸たちが目にした集団は、松岡親利と十時惟種が率いていた別働隊であった。
二ノ丸を守備していた敵兵たちは迫りくる戸次本軍に集中していた為に、突如出現した別働隊に虚を衝かれて、混乱に陥っていた。
そして松岡親利が門から出ては見下ろして、現状を伺う。
戸次本隊が馬ケ嶽の敵兵たちに攻め寄せられており、兄・松岡親之隊の損害は大きく隊列が崩されていた。
「兄上は……」
馬ケ嶽兵と戸次兵の人だかりの中から、地面に伏している松岡親之の姿を視認した。
「兄上!? 十時殿、ここはお任せいたします。松岡隊、ついてこれる者は、ついてこい! あの敵手たちを討ち果たす!」
「松岡殿!?」
形勢が芳しくないと察した松岡親利は、近侍の者たち五十名ほど引き連れて駆け下りていく。
突然、現場を任された十時惟種だったが、恨み言一つも漏らさず――
「ふー、死中こそ武士の本懐よ。いざ! いざ! いざ! 御覚悟を!!」
両手に持った刀を構え直し、敵勢へと斬りかかっていった。
■□■
「なんだ、あれは!?」
突として頂上から雪崩れのように駆け下りてくる松岡親利とその隊に、右馬助は吃驚の声を上げた。
「おそらくは敵兵かと」
「見れば解るわ! チッ、抜かったわ。別口の奇襲も頭に入れておくべきだった。しかし、寡兵でも背を打たれては、こちらが不利。それに腕の立つ者の多くをこちらに連れてきているがゆえ、二ノ丸の兵が多くとも心許ない」
予想外からの敵軍の登場に右馬助の兵たちは浮足立ってしまう。
上と下の挟撃とならば、相手に背中を見せての戦いは自分の軍がどれほど精強であろうと無事では済まない。
その好機を由布惟克は逃さない。
由布隊へ進軍の号令をかけようとした時、八幡丸が叫んだ。
「進めや者ども! 時は今だ!」
八幡丸もまた瞬時に状況を汲み、攻め時だと判断をしたのである。
由布惟克は思わず口元を緩ませつつ、
「そら、御大将の下知だ。行くぞ、者ども!」
まず壁として前にいた由布隊が攻めかかり、続けて安東家忠が指揮する隊も行動に移した。
右馬助は歯ぎしりをしながら、踵を返す。
「誰か馬を貸せ! 池田、矢山。殿を頼む。オレは彼奴等(松岡親利の隊)を蹴散らしてくる。」
「「エイ!!」」
右馬助は周囲の部下にそう命じつつ、馬に跨り、先頭に立っては二ノ丸へと馬を走らせた。
立ち止まって迎え討てば、挟撃されて不利となる状況。
ならば、上(別働隊)か下(戸次本隊)のどらちかを突破しなければならない。
下の敵軍(戸次本隊)の総大将を討ち取ったとしても、敵が散開するかどうかも分からない。
必然的に二ノ丸へと戻り、二ノ丸を攻めている敵兵を掃討し、一旦態勢を整えた方が良いと決断したのである。
また別働隊の兵数は寡兵であり、容易にあしらえると思い至ったのだ。
右馬助の“机上の空論”は妥当な思案であっただろう。
だが、一つ見落としていた点があった。
「うああああああッッッッ!!!!」
先程、己の薙刀で打ち倒したはずの松岡親之が立ち塞がり、恐れることなく馬もろとも体当たりをしてきたのだ。
「な、にっ!?」
衝突した衝撃で松岡親之は後方へと吹っ飛び、右馬助は馬と友に体勢を崩されて倒れ込んでしまった。
「ぐっ! 死に損ないが……っ!?」
「てぇっりゃああああぁぁぁぁぁぁぁ!!」
駆け下りてきた松岡親利が兄・親之の身体を飛び越え――手にした打刀で、右馬助の首筋を狙い斬りつけた。
赤い鮮血が天高く吹き上がる。
右馬助は傷口を手で抑えるものの血は止まらず。
「お゛の゛れ゛え゛え゛え゛ええええええええ!!!」
断末魔の叫びをあげつつ、右馬助もまた最期の力を振り絞り、薙刀を振り下ろした。
只では殺られぬ執念の一撃。
松岡親利の左肩より鎧や骨をも断ち切られて、刃は心臓まで達していた。
「その、傷を負って、も……この剛力、御…見事…也……」
二人は力無く崩れ落ちて膝を着き、地に伏した。
親利は意識が失っていく中、体当たりをしてその身で馬の足を止めた兄・親之の姿が見えた。
「あ、兄上……」
か細い声しか出せなかった。
その呼びかけにも親之はぴくりとも動かない。
ふと親利の脳裏に、在りし日の幼き頃……剣術稽古を受けていた戸次親貞(八幡丸の曽祖父)との想い出が過った。
『お主たち一人一人では、まだまだ半人前であるが、兄弟二人ならば一丁前の動きをするのう。もし強者と戦う時は二人でかかれば、大将首をあげるかもしんな。親之、親利、はよ、大きくなれ。そして、ワシを楽にさせてくれ』
「まだ、まだ…半人前で、ござったな……。けど、親貞様に、やっと…顔向け……できます、な……」
満足気な微笑みを浮かべ、親利は静かに息を引き取った。
「松岡様!!」
「右馬助様!!」
各々の部下たちが呼びかけるも反応しない。
それに伴い両陣営の様子に明瞭な差が生まれた。
元より戸次親貞の弔い合戦の体裁を取っていたのもあり、戸次兵卒は仇討ちの心構えであった。それを指示しすかのように身命を賭した松岡兄弟の奮戦によって、兵卒は大いに奮い立たせた。
それとは反対に馬ケ嶽城の兵たちは、隊の支柱でもあった豪勇の士である右馬助が討たれた為に、戦意喪失したのか目に見えて士気が低下していった。
「ば、馬鹿な……。右馬助様が……」
一人が畏縮して、その場から背を向けると、伝播するように続けて他の兵たちも逃げ出したのだった。
八幡丸は逃げゆく敵兵に狙い定めて矢を放つ。
「ここだ! 松岡たちが切り拓いた好機! ここが勝負の分れ目! 罹れや!」
八幡丸はこれまで一番の大声で張り上げると、戸次の兵卒たちも鬨の声をあげては一斉に攻めかかった。
統制を失った馬ケ嶽城の兵たちは連携が取れず、苦戦を強いられた相手だったが次々に討ち取られ、または散り散りとなった。
「このまま二ノ丸に雪崩込むぞ。進めや!」
「ま、待て。八幡丸!!」
八幡丸は馬を走らせて駆け登っていき、安東家忠や近侍たちが後を追いかけていく。
一方で戸次親延は松岡親之、親利の元へと駆け寄った。
下馬しては二人の身体を揺すり呼びかける。
「親之殿! 親利殿!」
二人は黙したまま。
確かに事切れているのを見定めた。
戸次親延の瞳に涙が浮かび、流れる。
藤北へ戸次本家(戸次親家)が移入した時に松岡兄弟もやってきた。
二人が戸次一族の前で真っ先に土下座をし、戸次親貞の討死について謝罪した姿が強く記憶に残っていた。
戸次親貞への贖罪か。長年、戸次家を支えてくれた忠臣であり、此度の戦も先駆けを買って出てくれた。
「親之殿、親利殿……大儀でありました。誠に…誠に…御見事でした。必ずやこの戦、勝利いたしましょう。それまで亡骸を、このままにすることを許されよ」
親延が涙を流しているのを余所に、十時惟安は惟忠、惟次を引き連れて、骸となった右馬助の元へと近寄っていた。
「惟忠、惟次。そやつの首級を取りて、掲げろ。名のある輩を討ち取ったことを知らしめるのだ」
「うえ……」
と、十時惟次は思わず吐き気を催してしまったが、
「畏まりました」
惟忠は眉をひそめながらも骸の元に駆け寄った。
脇差を抜き、右馬助の首元に刃を当てるが、カタカタと震えてしまう。
「人の命を取り合うのだ。このぐらい平然でやってのけろ。これから先、戦に出るということは、こういうことなのだぞ」
「畏まりました。父上」
惟忠は一呼吸を置いてから、目を見開き、柄を握る力を入れたのだった。




