拾陸 馬ケ嶽城の戦い-中編-
馬ケ嶽城・本丸。
城内は慌ただしく、まさしく狂乱状態だった。
「まさか、今日攻めてくるとは!?」
太ましい体格をした男が近侍たちに甲冑を装着させて貰っているが、太い身体のためか着るに手間取っていた。
男は、この馬ケ嶽城の大将であり、此度の戦の要因となった“|佐野弾正親基《さの だんじょう ちかもと》”。
「敵方(戸次軍)の動向は、しかと捕捉していたのだろう! それがどうして、奴等が攻めてきているのだ!?」
声を荒げて、家臣たちに怒鳴りつける。
「エイ。斥候から松江にて駐留していると……それが、まさか一夜で、ここに攻めてくるとは……」
「だから、斥候や物見たちはどうしていたのだ! こんな攻めてくるまで気付かなかったのか!!」
「夜の暗い内に行軍しており、発ったことに気付くのが遅れたと……。また朝霧で視界が悪く……」
「言い訳など聞きたくはないわ!!」
激しい怒りをぶつけるように、身につけようとしていた籠手を近侍に投げつけた。
「佐野殿、少しは落ち着け。どう騒いでも覆水盆に返らずだ。今を、どう乗り切るか、行動をしなければならぬ」
声をかけたのは、もう一人の大将・|間田豊前守重安《はざまだ ぶぜんのかみ しげやす》。
間田の方は既に鎧を身に着けていた。
「解っとるわ! ならば、どうするのだ!」
「まずは兵を備えなければ、どうにもならんだろう。将々たちを持ち場につかせて指揮を取らせるのだ」
「奇襲に兵卒共が各々で勝手に戦っておるわ!」
間田は軽く息を吐く。
「武器と兵を集めたのならば、さっさと練兵をさせとけば良かっただろうに。こうもまとわりがないとはな。兵糧の消耗をケチるから」
「それはお主も賛同したことではないか!」
「……押問答はよそう。なんとしてでも、狼藉なる輩共を追い払い、立て籠もり耐え凌げば、勝機を見出すことができるであろう」
「間田、周防国(現・山口県)へ早馬を出して、援軍を乞うのはどうか?」
「難しい相談だな。此度の戦支度は若殿様(大内義隆)の下知であり、我らがそれに参与した身。次期当主への箔付けの為、御館様(大内義興)に内密で進めたからな。故に大内家からの援軍の見込みは無いだろう。旗色が悪い状況のままだったのならな」
援軍を呼べない苦境に、佐野は険しい顔を浮かべ歯ぎしりが止まらない。
「今しがた攻め立てている軍勢は如何ほどだ!」
萎縮している側近に怒鳴りつける。傍から見れば八つ当たりだろうが、誰も諫言しない。逆鱗に触れたくないからだ。
少しでも怒りが収まるように側近は丁寧に答える。
「斥候や物見からの報告では、万の軍勢ではないと。少なくとも我が軍よりも少ないとのことです」
そう、敵方(宇佐神宮の軍勢)は自軍五千人よりも少ない兵数だというのは把握していたが、その劣勢の軍勢で、すぐに攻めかかってくるとは思っていなかった。
普通ならば、馬ケ嶽の麓に布陣をして取り囲んで様子を伺い、豊後などからの援軍(大友本軍)の到着を待つものだ。
佐野・間田……いや、正しくは首謀者は、大友軍が馬ケ嶽に侵攻してきたのなら、それを大義名分として大内家(大内義隆)へ援軍要請をして、豊前国へ本格的に武力介入をさせ、ついでに大内家の支配領域の拡大と威光を示す算段であった。
佐野たちの役目は兵を集め、大内家の援軍が来るまで、馬ケ嶽で籠城の時間稼ぎをすれば良いだけのことだった。専守防衛ならば大した訓練は必要無いとして、練兵などを行う手間を省いていたのだ。
佐野たちの目論見は露知らず、戸次親家と大友義鑑が当初から戸次家だけで馬ケ嶽城を攻める戦略が功を奏している結果。まさしく“虚を衝く”戦法。
未だ戸次軍が大友軍からの派遣軍ではなく、宇佐神宮の招集に応じた軍と思わせている。
大友からの援軍でないと思い込んでいるからこそ間田の最初に言った通り、落城をさせぬ為に死守することが要用であった。
「早急に、このごたごたを立て直せねばならぬ……」
「間田様。その役目、某が見事に成し遂げてみせましょう」
「おお、右馬助か」
官職(右馬助)の名で呼ばれた者は、侍大将を務める一人。
筋骨隆々に逞しく鍛え上げられた身体は一際大きかった。
「我が隊は精強揃い。佐野様、間田様方はごゆるりと御支度なさってくだされ。では」
右馬助はその鍛えられた体躯によって歩く度に床を揺らし、退出していく。
配下の中でもっともの腕の立つ武人の背に、佐野は幾分か安堵するのであった。
■□■
「「「ウオオオオオオオッッッッッッーーーー!!!」」」
戸次の軍勢は腹の底から雄叫びをあげつつ、丘を駆け上がっていく。
松岡親之が率いる兵卒(隊)に負けじと、由布惟克が率いる由布隊の騎馬隊は難路な坂道と雖も、巧みに馬を操り、機動力は衰えることなく土塁などを飛び越えていく。
その姿を目にした兵卒たちから「流石は騎猟之児」と称賛する声が漏れ聞こえる。
先頭集団の由布家続(由布惟克の息子)は、手にした三メートルほどの長さがある槍で、立ちはだかる敵兵を突き刺し、または払い叩く。
「うおりゃあああああああああ!!」
“突き”の攻撃範囲は“点”で狭小だ。ましてや相手は動いており、避けるだろう。腕がなければ一突きで相手の命を獲るのは難しい。
また、戦場では一対一の戦いなど稀であり、複数にて攻めかかってくるのが基本戦術だ。
横から払い叩くことで、“線”での攻撃となり敵を捉え易くなるのは明白。
由布家続を始めとする由布隊が持つ槍は、戸次家の槍兵が持つ槍より長柄であり、鉄槍に関わらず僅かに柄がたわんでいた。
由布の槍術は、この“たわみ”が肝要である。
柄の部分は鉄だが中は空洞になっており、その空洞の穴に欅などの堅木を芯棒として挿入していた。
これにより鉄槍にも関わらず、先述の“たわみ”を生み出し、軽量化しつつも強度を高めている。
柄のたわみが鞭のような“しなり”を生み出し、具足(鎧)を破砕するほどの衝撃力を与える。
家続が繰り出す槍の軌道は、蛇が這う如く。
その槍技―由布流槍術・蛇突―
独特な軌道に敵兵たちは一瞬硬直してしまい、身をかわせずに打撃を受けては悶絶してしまう。
痛みで足を止めたところで狙い定めて突き刺した。
家続は騎乗しているものの呼吸が荒くなり、額から汗が滴り落ちる。
「身体が重い。なにより愛槍も重く感じる。だからなのか、蛇突のキレが無い……」
訓練などのいつもの蛇突ならば、具足どころか人骨をも砕き相手を失神させるのだが、先の通り具足を損壊させる程度。
それでも足を止めさせるほどに充分ではあるが、普段の力を発揮できずにいることに納得できなかったのだ。
家続もまた初陣の緊張で身体が硬くなっているのだろう。
「糞ガキがあああああ!!」
多数の敵兵が家続を狙い、一斉に襲いかかる。
馬上で得物長柄(槍)は近接戦闘において有利であるが、多勢に無勢。
そこへ松岡親之が駆けつけては加勢し、手にした薙刀で斬り払った。
「助太刀いたします、家続様」
「松岡殿、かたじけない」
「しかしながら家続様、なかなかの御手前で。由布の槍は蛇の如くと謳われる由縁をしかと受け継いでおりますな。由布家は家続様の代でも益々安泰でしょうな。是非とも今後も若殿(孫次郎)を支えていただければと」
戦いの中でも世辞を飛ばしてくれるものの、返答する余裕を家続は持てなかった。
武功を積んでいる壮年の松岡親之の姿に、いつか己もこのような域に達したいと、大いに奮起するのであった。
「「「ウオオオオオッッッッーーーーー!!」」」
山の頂きより雄叫びが轟き響いてくる。
戸次勢が見上げると、馬ケ嶽城の二ノ丸の城門が開き、武具を身にまとった兵卒たちが、堰を切るように溢れ出した。
「打って出てくるとは、好都合。者共、押し返すぞ!」
戸次軍の井手度壽が迫る敵兵の前に立つと薙刀を振りかぶり、先頭を駆ける馬ケ嶽城の巨体の兵士も同様に薙刀を構える。
二人が衝突するほどに接近するや否や――薙刀を振り下ろす。
「えッ!?」
井手が自身の薙刀を振り下ろす前に、敵兵の薙刀が振り下ろされて、井手は袈裟斬りにて身体が両断された。
「井手殿! うわっ!?」
巨体の兵士は続けざまに近くにいた戸次軍の兵卒たちを切り払った。
「ふん、他愛もない。我こそは、今井右馬助太郎兵衛、也。曲者……いや、臭者共が。この馬ケ嶽に攻め込んできたことを後悔するがよいわ! いざ勝負!」
二ノ丸から出陣してきた五百名ほどの敵兵たちは腕が立つ者ばかりで、戸次軍の勢いを止めたのである。
特に右馬助は、対峙した戸次兵たちを二~三回打ち合っただけで容易に切り伏していく。その光景に別格の兵であると推しはかれた。
だが、相手がどれほど剛の者であったとしても、退く訳がいかない。
由布家続は覚悟を決めて馬を走らせようとするが、松岡親之が薙刀の刃先を家続の前に突き出し、静止させる。
「まだ家続様には荷が重いお相手。ここはお任せを」
松岡親之は軽く息を吸い、吐く。
一呼吸おいてから、馬の腹を蹴り、一気に駆け出す。
「松岡親之が、推して参る!! ウオオオオオオオ!!」
右馬助と相対すると薙刀が激しく打ち合う。
鼓膜を貫くほどの金属音と共に火花が散った。
「ほう、老いぼれの癖に、なかなかの膂力に腕前。だが!」
松岡親之の長年の経験と技よりも、右馬助の力技の方に分があった。
打ち合う中、押し込まれて、松岡親之の薙刀を弾き―――
「貰ったあああああっっっっ!!」
右馬助の薙刀が松岡親之の右腕を切り落とした。
「ぐっ!!」
普段ならば激しい痛みが襲うだろうが、興奮状態であるが故に痛みはなおざりとなり、松岡親之の左手は腰に吊るしていた打刀の柄を握る。
狙いは右馬助が乗る馬。
抜刀した余勢のまま、馬の首を切り上げた。
「なんだと!?」
馬は大きく仰け反り、右馬助はなし崩し的に落馬してしまったのである。
松岡親之もまた勢い余って落馬するも、すぐに体勢を立て直し、右馬助に斬りかかろうとするが――
―ドゴッ!
鈍い音と共に松岡親之の横腹に強烈な衝撃が奔り、真横へとぶっ飛ばされた。
右馬助が膝を着いたまま薙刀を振り払い、柄の部分で打たれたのであった。
「松岡様!」
配下の兵たちが呼びかけるも、松岡親之はピクリとも動かない。
「よくも我の愛馬を……。手向けに貴様ら首を葬ってくれるわ!!」
油断していた訳ではないが、まさか自分の馬が殺害されるとは思っていなかった精神的な衝撃の反動も合わさり、右馬助は鬼の形相となりて、ドスの利いた声で言い放った。




