拾肆 白々明の頃に
宇佐神宮を発った戸次軍一行は、三つの隊(前軍・中軍・後軍)をさらに分隊させ、各小隊を距離を取らせて、暗闇の中を行軍していく。
現在、戸次軍の総数は二千人に達していた。
各小隊に分散させたのは、少ない数に見せることで大軍の威圧を緩和させて、出来る限り騒ぎにならないようにと配慮していた。
宇佐神宮からも討伐軍を編成しており、約三百名ほど加わってくれていたが、手練の者や腕の立つ武人はいなかった。
先の由原宮や奈多宮の他にも、各地にある他の八幡宮(神社)に縁がある神社や宇佐神宮周辺の国人衆(国衆ともいう)にも協力と参戦を呼びかけていた。
宇佐神宮の頼みならばと無下に出来ず、信仰と名誉の為に先の木付方の沓掛尚之のように馳せ参じてくれた者たちはいたが、此度の戦(馬ケ嶽城攻め)は大内家に弓引く行為であるため、大半の国衆達は宇佐神宮と大内家のどちらかに付くかは慎重になっていた。
というよりは大内家と敵対したくない……大内家と宇佐神宮との争いに関わりたくないのが本心であり、多勢は静観しているのであった。
故に国人衆たちは戸次軍の行軍を見てみないフリをしてくれていたのである。
此度の戦(救援の申し出)の発起人として、宇佐神宮の面目を保つために人を掻き集めて討伐軍を編成してくれたのが、先の通りである。
「陣夫(資材を運搬する人)として荷物運びで扱えるだけでも十分か……」
親延がポツリ呟いた。
親延たち戸次軍の各大将は宇佐神宮の兵卒たちを戦力に考量していなかった。
戸次軍として建前的でも此度の戦(出軍)は祖父・戸次親貞の仇討ち(弔い合戦)である。
加勢してくれた由布家、十時家が戸次の為に戦ってくれるかは未知数であった。実際に戦力となるのは半数程度であろうか。
矢面に立つのは結局のところ戸次家の武士たちなのだ。
八幡丸と同じように、親延も手綱を力強く握り、まだ見えぬ馬ケ嶽城がある方角を見据えた。
日が昇り、徐々に明るくなっていく。
“宇佐平野”と呼ばれる平地が広がっており、遠く地平線の彼方先まで見通しが良かった。
戸次軍が進み行く平坦な道は、古より朝廷からの勅使が通った道というのもあり整備されており、大神から立石、宇佐神宮までの道のり(山道)と比べたら、心地よさを感じるほどだ。自然と行軍の歩みも速くなっていく。
既に馬ケ嶽城(敵方)にも、戸次軍の行軍は知れ渡っていてもおかしくないが、道すがら特に大きな騒ぎや問題も起きず、昼過ぎ頃には“松江”(現・豊前松江)へと辿り着いた。
■□■
宇佐神宮側の協力者である松江村の村長の気遣いにより、宿場と食料を提供して貰い、ここで宿営を取ることになった。
村一番大きい村長の家にて、八幡丸を始めとして、叔父の戸次親延、分家片賀瀬の戸次親久。戸次家家臣の内田、森下、堀、安東、松岡兄弟(親之・親利)。
そして十時、由布の客臣に、沓掛などの隊を率いる者たちが集い、円陣で一堂に面していた。
各々険しい表情を浮かべながら質素な食事を口にしつつ、討伐軍に加わっている宇佐神宮の使者より今回の敵将(佐野・間田)の特徴を確認していた。
「此度の兵を集めて宇佐へと侵攻を企む佐野と間田は共に太ましい体格でありますので、一目見れば解るかと」
「他に判断できる特徴は?」
「そうですね、他には……佐野は鼻が大きく、確か間田は……そう、右眉の上に刀傷が付いていたはずです」
馬ケ嶽城の占領は当然として、敵方の大将(首謀者)を捕らえるか、または討取るか。
取り逃がしてしまっては軍を興した意味が無くなってしまう。
ましてや八幡丸たちは敵方(佐野・間田)の顔などは知らない。
似顔絵というものはあっただろうが、すぐさま達者な絵師を手配できるものではないし、人の顔など一々覚えられぬだろう。
誰を討ち取ったかは、よほどの著名人でなければ判別ができない。その為、戦後の後に“首実検”なるものが行われるのだ。
「出来る限り首謀者は生け捕りにして貰いたい。此度の戦を裏で手を引いた者が誰かを吐かせなければならぬ」
「難儀なことを言うのう。相手が襲いかかってきてしまっては、ゆっくりと確認は出来ぬぞ。雑兵と一緒くたに、たたっ斬ってしまくっては手遅れだぞ」
「だったら、佐野や間田の顔を知っている者が、そやつらを見かけたのなら、大声で名指しすれば良かろう」
「ああ、そうだな。その方が良いだろう。という訳で宇佐の方、佐野や間田を知る者を見繕っていただけないか。それらを先軍に加わっていただきたい」
「か、畏まりました」
細かな取り決めが終わると、親延は徐に立ち上がり、全員に呼びかけた。
「さて、各々方。ここまで来れば、馬ケ嶽城までは目と鼻の先。予定通り、ここを深夜未明に発ち、馬ケ嶽には夜明け前に着けば、良い頃合い。そして馬ケ嶽に着き次第、すぐに攻めかかる手筈であることは肝に銘じて貰いたい」
藤北を発つ前から“城攻め(攻城戦)”の方針であり、その為の戦略と戦術を、ここにいる戸次家の中枢が短い期間にも関わらず、熟考を重ねては練りに練っていた。
「も、もし、敵方が天生田の麓で布陣していて、野戦になったのなら……」
ふと宇佐神宮の使者が不安を漏らした。
全てが予想通りに事が進む訳がないと誰もが頭の何処かで案じているだろう。
敵方の兵数は約五千人。
それらが待ち構えていて、数が劣る寡兵の戸次軍に一斉にかかってきたのなら一溜りもないだろう。
「それこそ望むことよ! 我が由布騎馬軍は山も野も関係なく縦横無尽に駆け抜けられるが、やはり野の方が騎馬の足が優れよう。由布の者ならば、野戦で一人で十人分……いや、二十人分の働きをして見せよう」
僅かに漂い始めて不安な空気を吹き飛ばすように、由布惟克が力強く発言した。
馬と弓で狩猟を得意とした「騎猟の児」を承継してきた大神氏族(大神武士団)にとって、野戦こそ本領発揮する場であろう。
少し自慢げに、そして自信に溢れる大仰であった。
「おうおう、何を息巻いているのやら……」
十時惟安がこれ見よがしに周囲に聞こえるように声を漏らすと、由布惟克が睨んだ。
「なんだ? 怖気づいたのなら、十時殿たちは後方で我らと馬の尻を眺めていればいいぞ」
「阿呆ぬかせ。お主達(由布)が“大神の牙”と讃えられていたのは、今は昔。鈍っていなければ良いがな」
「はは。ご忠告、痛み入る。十時も“大神の爪”と讃えられていたが……今はどうか。無理な一騎駆して、あっという間に命を落とさぬようにな。まあ、期待しているよ」
由布惟克と十時惟安は、お互いに視線を合わせずに乾いた声で笑いあった。
お互いの自尊心と矜持が鍔迫合うように。それは戦が近い為に気が高ぶっていたのもあるのだろう。
パンと親延が手を柏手を打ち、自分に視線を向けさせる。
「前もって斥候に様子を伺い行かせている。もし、敵方に何かしら動きがあれば、すぐに報せるようにしておりますが、直近の情報では練兵などは行われていないとのこと。だがしかし、油断大敵。もし、麓に布陣していれば、その時はその時で各々方のご助力をいただければと存じます。眠れぬかも知れぬが、明日に備えて、ゆっくり休んでくだされ」
由布惟克は手にしていた杯を十時惟安に向けた。
「まあ、案じるより団子汁だ。ここであーだこーだとぼやいても、どちらにしても馬ケ嶽に着けば戦となる。なにはともあれ、馬ケ嶽の山頂で祝杯をあげようぞ」
「ああ、そうだな。どんな戦になれど、要は勝てばいいだけのことだ」
十時惟安も杯を由布惟克に向けて、お互いの健闘を祈り、杯に注がれた水を飲み干した。
かくして最後の評定はお開きとなり、各自退出していく。
この場に残っているのは、八幡丸(孫次郎)、戸次親延、戸次親久の戸次家の家長だけ。
「叔父上(親延)殿、これは提案ですが……敵方の様子を逸早く知ることは戦の基本。ならば、身共が一足早く敵情を探りに行くのはどうでしょうか?」
八幡丸の突飛な発案に親延は静かにため息を吐いた。
「なに、たわけなことを申すか。先に申したとおり、既に斥候は差し向けているのだ。軍の総大将が少数で敵地に乗り込むなど、そんな危険を侵す必要無い。そもそも総大将の姿が無かったら、兵卒たちから敵前逃亡したと騒ぎ立つだろう」
「ああ、それもそうか……」
「八幡丸よ、お主は“源義経”公ではないのだぞ。お主だけで行動したからといって、戦に大勢には及ばないもの」
「分かっております。しかしながら、軍の指揮を取るのは総大将の務め。指揮の為の判断材料を多く把握した方が良い思った次第です」
八幡丸もまた、戦が近いために相応に高揚しているのだろう。
初陣だからこそ、浮足が立つのは仕方ない面があるとしても、軍の大将がうかつな行動をしても良いものではない。
「八幡丸、手筈通り斥候が戻り次第、ここを発つ。良いな?」
親延は叱りつけるように、重い口調で言い放った。
「……ええ、承知しておりまする」
渋々と納得する八幡丸。
続けて、親延は親久に話しかける。
「して、親久。“別働隊”については片ケ瀬の者たちは参列せずに、本隊の方に従軍してくれ」
「ということは、あちらは松岡や十時殿たちだけで?」
「ああ。少しでも本軍の兵数を多く見せたい。それに、もし撤退することになったのなら、お主が殿を務めてくれ」
戸次一族と家臣たちは、当然此度の戦い必勝する心構えであるが、もし負け戦になろうとしても背を向けて逃げ出す者は居ないだろう。
だが、加勢してくれた藤北の民や由布や十時たちを出来る限り生存させて故郷に返さなければならないのも、軍を興した役目である。
親久は己の使命を受け入れ、静かに頷いた。
「分家だからこその義務を果たしましょう」
無事に藤北に連れ帰ったとしても、生き残った親久たち戸次一族は切腹する所存である。
「さて、斥候が戻るまで我々も一休みをしようか。孫次…いや、八幡丸。解っていると思うが、ここを抜け出して、単独で馬ケ嶽に向かうなよ」
「承知しております。身共が探りを入れても意味が無いのでしたら、明日の戦に備えて休息をした方が役に立ちましょう」
そう言うや八幡丸は、その場に寝っ転がり眠り始めたのであった。
親延と親久はお互い顔を見合わせ、すぐに考えを改める八幡丸の柔軟な態度に思わず感服してしまう。
「ところで、親延。孫次郎が人を殺めた経験は?」
「藤北は平穏なところ故、咎人は滅多に出なかったからな。試し斬りすら出来ていない」
「そうか……。肝の方は?」
「据わっていると思うが、こればかりは実践をしなければな」
「それまた然り……」
親延と親久は一抹の不安を抱えつつも、自分たちも一眠りすることにしたのだった。
一方、松岡兄弟(親之・親利)は月夜に照らされて、暗闇の先の馬ケ嶽城がある方向を見据えていた。
「ついに、ここまで来たな」
「兄者。この廿五年……無念と後悔は一時も忘れることはありませんでしたな。必ずや親貞様の無念を晴らしましょう」
「ああ……」
松岡たちは馬ケ嶽城にて大内との戦いを知る二人(兄弟)であり、生存者である。それ故、戸次軍の中で誰よりも、この弔い合戦に強い思いを抱いていた。
落城した日の光景が脳裏をよぎり、年月を重ねた壮年の表情に険しさが増していった。
荒々しく掻き立てる胸の内とは裏腹に、夜は静寂に更けていく。
■□■
八幡丸が横になって八刻(約2時間)ほど過ぎた頃――様子を伺いに行かせた斥候が戻ってきた。
馬ケ嶽の麓に兵を構えていないどころか、戦支度もしていないという。
親延たちは直ちに家臣たちに行軍の準備と飯炊きを指示した。
すぐに食事するのではなく、進軍中に歩きながら摂食する為のものである。いわゆる弁当作成だ。
支度が整うと戸次軍は松江を発ち、暗闇の中、進軍を開始する。
道中、築城川(現・城井川)、伊良原川(現・祓川)などの様々な川を渡っていく。
伊良原川を渡る時、後軍の一部の部隊が、八幡丸たちの本隊と離れて別方向へと向かっていった。
東の空が白々明となる頃に犀川(現・今川)を挟んだ先に、薄霧に包まれた小高い山が見えてきた。
「あれが馬ケ嶽か」
藤北を発ってから五日目にして、ようやく八幡丸と戸次軍は馬ケ嶽を目にしたのである。
**************
▼補足情報
戸次軍総勢…2000人
▽内訳
・戸次藤北勢
・戸次片ヶ瀬勢
・十時勢
・由布勢
・木付勢
・宇佐神宮勢
▽軍編成
前軍…前軍大将:戸次親久、前軍侍大将:松岡親之、副将:井手度壽
前軍備え…由布隊:由布惟克、由布家続、
中軍…総大将:戸次孫次郎(八幡丸)、副将:戸次親延
中軍備え…十時隊:十時惟安、十時惟忠、十時惟通、十時惟次、十時惟種*
後軍…後軍大将:内田宗直、後軍侍大将:松岡親利*
後軍備え…木付隊:沓掛尚之
荷駄隊:宇佐神宮勢
※別働隊:松岡親利、十時惟種




