拾壱 別府~日出~大神
戸次軍一行は、宇佐八幡宮の使者を加えて、予定通りに別府へと向かっていった。
日が暮れる前に日出まで辿り着きたい為、気持ち的に速歩きで進んでいく。
別府と云えば温泉で有名な地ではあるが、この時の別府は遠く見える山奥より所々から湯煙が立ち昇り、湧き出した源泉は川に流れ込み湯気と腐敗した卵のような(正しくは硫化水素)の臭気が漂っている。
荒野に家屋が点在しており人は住んでいるようだが、遥か昔に鶴見岳が噴火した残骸である大岩が所々に散らばっており耕作地は猫の額ほどしかない。この地に住まう者たちは主に漁業を営んでいた。
寂れているというより栄えていない。この時代では、何処でも見かける景観ではある。
兵卒たちは道すがら汗ばんだ身体も相まって温泉に入りたいと口々に漏らしているが、源泉は沸騰するほどに熱湯であり野湯のまま。この時代、心地よく入れるように露天風呂などが整備されているのは浜脇という地のみ――
「そういえば、道中の浜脇辺りで一際ご立派な館があったな」
「あれが大友様が湯治用に建てられた館…浜脇館だな」
「ほー、流石にこの国の守護大名となると府内とは別に館があるんだな。此度の戦に勝ったら、報奨にあの館で馳走してくれないものか」
「はは、親家様が大友様に頼み込んでくれたらお許しをくれるかもな」
兵卒たちは気分と疲労を紛らわせるために、小さな声で雑談をしつつ足を動かしていく。
別府から日出村の近くに着く頃には、想定通り日が暮れ始めていた。
もう少し先へと進みたかったが、無理をして疲労を蓄積させるのは思わしくない。
角隈石宗の言いつけの通り、本番(馬ケ嶽城での一戦)まで余力を残すように務めることにした。
「よし、ここで野営だ!」
八幡丸の号令に兵卒たちは各自で野宿の準備を始める。
少ない兵糧をあっという間に平らげると、焚き火に当たりて横たわったり、目の前に海(別府湾)が広がっているのもあり、魚釣りでもして腹の足しにしようと考える者もおり、ありわせの材料で道具を作っては釣りをするのもいた。
配給がままならないので食料は各自に任せているのもあり、許容範囲の行為であった。
初陣である八幡丸にとって行軍中での野宿は初めてであるものの、藤北の鎧ヶ岳山にて修行の一環として十時惟忠や惟次たちと野宿をしていたので、屋根が無い硬い地面での寝泊まりに支障はなかったが――
「若(八幡丸)、眠らないのか?」
近くで寝る準備を整えていた十時惟次が話しかけた。
八幡丸は焚き火の明かりに照らされた地面に描いた地図(豊前・豊後)を睨みつつ、今後についての道のりや計策を巡らせていた。
今日は朝早くに藤北を出立してから由原八幡宮での戦勝祈願、そして別府までの移動。
初陣の心理的重圧があり、身体的にも疲れが溜まっているはずではあるが、初陣で高揚しているからなのか、眠気など何処吹く風。
「なんだ、孫次……じゃなかった、八幡丸。まだ起きていたのか」
野営の巡見から戻ってきた安東家忠が呼びかけた。
「義兄上(家忠)殿、見回りは大丈夫だったのですか?」
「ああ、特に何も問題は無かった。だからお前は心配せず、今日の疲れを取るために、もう寝とけ。眠れなくとも瞼を閉じていれば、自ずと寝につくものだぞ」
そう家忠が諭すが、八幡丸は従う素振りを見せない。すると側に居た叔父の親延の口が開く。
「八幡丸、お主はこの軍の総大将であるぞ。もし明日の行軍中に、総大将が欠伸でもしようならば武士の恥。軍の士気にも関わる。常に万全であるこそが総大将の役目ぞ」
「……分かりもうしました」
八幡丸は渋々と無骨に麻の布を布団代わりにして寝っ転がった。
安東家忠は親延の近くに腰を落とし、小声で話しかける。
「親延様、今のところ、脱走した者や体調を崩した者たちは居りませんでした。ただ、兵糧や武具が不足していることに案じている者が多くおります」
「そうか……」
瞭然たる問題に親延は頭を抱える。
なんとか人(兵士)は集めたが、戸次家が蓄えていた兵糧や武具が不足していたのは発つ前から解っていたが、それでも軍立ちしたのは大友義鑑が陰ながら支援するという口約束があり、先の由原八幡宮にて角隈石宗との申し合わせで確約をしていたが、口約束であるが故に不安が募っていた。
「このまま木付(現在の杵築)へ向かっても問題はありませんでしょうか?」
「御館(大友義鑑)様や角隈殿を信じるしかあるまい。武具などが揃ってなければ、そもそも戦にならぬ。予定通り木付に行くしか術があるまい」
「そうですね……」
「して、他には?」
「あとは松岡殿たちでしょうか。その……八幡丸以上に気負っているというか、過ぎているというか。殺気立っているようで松岡殿たちが率いる隊の兵たちが畏怖しておりました」
「松岡の兄弟のことか……。それは仕方あるまいな。松岡兄弟(親之、親利)は、親父(戸次親貞…戸次家十二代目当主)殿の死目を看取ったからのう」
「親貞様の死目を……。ということは、先の戦での?」
「ああ。足利の将軍後継争いによる大内と戦いで、馬ケ嶽城を攻め落とされた戦。その時、松岡兄弟たちは親父殿と共に戦っていた。そして、その敗戦の報せを伝えたのが松岡兄弟だった。特に松岡兄弟は親父(戸次親貞)殿に目に掛けていたのもあるんだろうか、俺たち戸次一族以上に弔う気持ちは強いのだろう」
「そうでしたか。我々も見習うべき姿勢ではありますね」
「だが、冷静になって周りを見るのも重要だぞ、家忠よ」
「重々承知しております」
「それならいい。さて、わしも一眠りをする。火の番は頼んだぞ」
「は、畏まりました」
八幡丸は家忠と親延の話しに聞き耳を立てつつ、満天の星空を眺めていた。
「藤北とは少し星の位置が違く見えるものだな」
星を数えているのではなく、星々を兵達に見立てて、合戦を思い浮かべては戦術を考えていた。
物心ついた時から、武家の子として、武士として戦の為の鍛錬をしてきた。
その成果を今や今かと示したいのだ。
はやる気を落ち着かせるように、深く息を吸った。やがて、うつらうつらと眠りにつく。
こうして八幡丸(孫次郎)の初陣1日目が無事に終わったのであった。
■□■
まだ日は出てはいないが、東の空がうっすらと明るくなっていく。
八幡丸を始め、兵卒たち戸次軍一行は既に起きては出立の準備に取り掛かり、簡単に朝飯(朝餉)を食べ終わると、兵糧の少なさに今日の夕飯(夕餉)を案じつつ、木付に向けて行軍を開始した。
日が出る前に日出を発つのは、短歌の一句のようで小粋だと誰かが言葉を漏らしては、ようやく太陽が海から顔を出し、朝焼けの曙色が戸次軍を彩るように照らす。
日出を離れて暫く進んでいくと、八幡丸達の元へ斥候の兵士が具足を身にまとい馬に乗った見慣れない男を引き連れてきた。
その男は親延の方に視線を向けて、口を開く。
「馬上にて失礼いたします。手前は木付親実様が家来、沓掛尚之と申します。以後、お見知り置きを。貴殿が、この軍の大将であられますか?」
「いや、総大将は黒い馬に乗った、あやつだ。あやつが戸次軍の総大将を務めている戸次八幡丸である」
そう八幡丸の方へ視線で誘導させると、沓掛と名乗った男は幼い八幡丸の姿に戸惑うも、着飾った鎧姿がとても似合っていたのもあり、威風堂々ぶりに大将の風格を感じ取る。
「これは失礼いたしました。改めて名乗らせていただきます。沓掛と申します。諸々の事情はお伺いしており、存じ上げております。では早速、この先、大神村までご案内いたします」
「大神村に?」
「ええ、その大神村に武具と兵糧を運び込んでおります。詳細は道すがらにて、ご説明いたします」
戸次軍は沓掛尚之の案内に従い、行軍を進めていく。
宇佐八幡宮は大友家だけではなく、由原八幡宮のように深い関わりがある他の別宮にも救援を要請していた。
その一つである奈多八幡宮(伝承では天平時代(729年)に宇佐大宮司・宇佐公基により創建)は、木付氏が治める国東郡(国東半島)南端の地域に創祀されている場所柄、木付氏とも関わりがある縁で救援を求めていたが――
「戸次殿と同じく、木付の祖は大友親秀公の子……大友親重公であり、大友同紋衆が故に加勢は禁じるとお達しがございました。しかしながら、宇佐八幡宮からの救援の申し出を木付勢としましても無下にはできません」
沓掛の話しを聞きながら“大神村”に到着すると、武装をした100人程度の兵らしき者たちが屯しているのが見えた。
親延は場所的に敵勢では無いと察しつつ、あえてこの場所に案内した「沓掛殿、あれは?」と委細を訊ねた。
「此度の戦が戸次殿の弔い合戦と聞き存じあげておりますが、元は宇佐八幡宮の沽券に関わる戦いであります。木付として軍を興せませんが、宇佐、奈多の八幡宮の信奉者が各々に集いまして、微力ながらもご加勢に参じました」
「加勢ということは……我らと共に戦っていただけるのですか?」
「ええ、その通りでございます。木付城から許される限りの武具と兵糧を運び出しております。お使いください。食糧は三日分ほどありますでしょうか」
「沓掛殿、かたじけない。この御恩は必ずお返しいたします」
「いえいえ、気になさらないでください。先にも述べました通り、この戦は戸次家だけの戦では非ずでありますから」
短い休憩の後に戸次の軍勢(兵卒たち)は沓掛たちが運び込んだ武具や兵糧を各自に配布していく。武具が足りない者たちは手にした刀や槍を見せびらかし、ある者は今日の食事にありつけると盛り上がっていた。
隊長格の人物から武具は貸し出さているものだから、後で返却しなければならないと注意するものの、聞く耳を持っているのは何人だろうか。
そんな騒がしい軍勢を野次馬の如く見物にやってき大神の村人たちは戸惑っているものの、村長らしき人物が場を宥めていた。
そのお陰か大きな混乱になっておらず、それどころか村人は、
「村長様から宇佐八幡宮様や大神の為のお戦いとお聞きいたしました。お侍様の何かお力になればと」
と言明しては、各々の畑で穫れた作物を兵糧の足しにと寄贈していたのである。
大神村は日出村と木付のほぼ中間にあり、民家は少数でありながら広大な田畑が広がっていた。
その村の名の通り、宇佐八幡宮の創祀に関わったと伝わる“大神比義”の居館が築いた地であると由縁とされ、その縁も在ってか、大神村は宇佐八幡宮に協力的であり、また由布や十時が誠の大神の血族(一族)であるのも一理あった。
兵卒たちが準備しているを眺めつつ、親延はふと疑問を口にした。
「ここへの待合は沓掛殿の算段ですかな?」
当初の予定通りに木付まで向かっていたら、それだけに時間を要しており、武具や食糧も勝手に持ち運ぶのも手間があっただろう。
「いえ。正直に申しますと、角隈殿の使者より戸次殿たちが出陣していると報を受けた時、木付で待つよりは、ここ大神村で合流するのが良いと言付けを頂いておりました」
「角隈殿の……」
「おそらくは戸次殿にご加勢してくださった由布殿や十時殿は、正銘の大神氏流の方が多いですから、ここ大神に縁がある村であるのも何かと都合が良かったのではないでしょうか」
「なるほど……それは然りですな」
こちらの思惑を遥かに超える用意周到さと、まだこちらが想像だにしていない策謀が張り巡らせているのではないかと気がして、心の隅で若干の恐怖を感じてしまう。
「ところで戸次殿、この後の行軍ですが、まずは日暮れまでに立石には辿り着ければと存じます。そして、ここから先は土地勘があります某たちが道案内の先導致しますので、お任せくだされ」
「沓掛殿、何から何までかたじけない。八幡丸にも後から誠意の礼を述べさせていただきます」
「ところで、その、戸次八幡丸様は……。いえ、これは憚られることではありますね」
途中で口ごもる沓掛に親延が促す。
「如何いたしましたか? これから軍を共にするのです。些細な憂いでも支障が来すでしょう。遠慮無く申しつけくだされ」
「……では、御大将であられる八幡丸様は、その名からして幼名と見受けられますが……」
「ああ。あれは確かに幼名ではありますが、此度の戦の為、験を担ぐために、あえて名乗っております。沓掛殿たちもあやつを八幡丸とお呼びくだされ」
「成程、そうでありましたか。てっきり、未だ元服を迎えていないと思いましたよ。そうであれば御加護がありますように、八幡丸様とお呼びいたしましょう」
「ええ、そうしてくだされ。はは……」
親延は一笑しつつ、孫次郎(八幡丸)が元服を挙げていないのは兵卒たちの士気に影響するので、このまま伏せておこうと内心に留めたのであった。
休憩と準備を終えると行軍を再開し、いざ立石へと歩み始めた。




