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立花道雪遺香~鎮西の片田舎で生まれた没落武士が天下の雄将へと成し遂げる行く末を見届けようと思う~  作者: 和本明子
一章 立花(戸次)道雪の初陣 大永6年(1526年)

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十 八幡丸

 兵卒(へいそつ)たちの戦勝祈願も粗方(あらかた)済み、由原八幡宮に(たくわ)えられていた食糧を(ゆず)って貰い、僅少(きんしょう)ながら武器も借り受けて、戸次軍は出立(しゅったつ)の準備を進めていた。


 孫次郎が愛馬の戸次黒に(えさ)と水を与えていると、大宮司・鑑綱(あきつな)の父・賀来治綱(かく はるつな)が話しかけてきた。

 治綱(はるつな)は高齢でもあるため大宮司の座を子の鑑綱(あきつな)に譲り、隠居した身で退いてはいたが、先の儀式などで補佐に務めていた。


「戸次孫次郎殿、お久しぶりですな」


「お久しぶり? 大宮司のご尊父(そんぷ)殿とお会いしたことがありましたでしょうか?」


「ほほ。覚えていないのも無理からぬこと。あれは確か……貴殿(きでん)が五つの歳の頃と、その前は赤子(あかご)で、お宮参りにいらした時でしたからな」


 治綱は孫次郎の顔を懐かしむように見つめる。


「それにしても、その大きな(まなこ)。ご母堂のお(みつ)殿に、よく似てらっしゃる。お光殿もお目々が大きなお人でしたな」


実母(じつぼ)をご存知なので?」


「ええ、よく存じ上げておりますとも。お光殿は由布の出あり、ここ由原宮は場所柄、古くより由布家の扶助(ふじょ)(ほどこ)していただきましたからな。今のお名前は孫次郎と云うのでしたな。そうそう、お宮参りの時に、あの大楠(おおくす)の御神木の下で貴殿の幼名を“八幡丸(はちまんまる)”と名付けられたのでしたな」


「八幡丸……」


「そう、この由原宮に祀られております武運の神であられる八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)様にあやかり、名付けられました。そのお名前の通りに八幡大菩薩様のようにお強く育ちになられたようで」


 孫次郎の幼名は“八幡丸”と名付けられており、由来は先の通りである。


 そもそも幼名とは平安時代から貴族や武士などの高貴な家柄の子が元服を迎えるまでの幼年の間につけられる仮の名前である。

 赤子が元服を迎えられるまで難しい時代である為、一説に幼名には験担ぎや厄除けの意味合いがあった。それは幼年の時は身体が弱く、邪気を受けやすいものと考えられていたからだ。仮の名前をつけることによって身代わりとなり、守られると信仰されていた慣習である。


 仮の名前であれど、名前に込められた想いは親のみぞ知る。


 八幡大菩薩の御加護のお陰なのか、大病も患わず健やかに育ち、孫次郎が五歳の時に八幡丸の幼名を返上して、今の名前(孫次郎)に改めていた。

(ちなみに紛らわしいが、“孫次郎”は通称としての仮名(けみょう)となる)


 治綱が云う通り、幼少の時、ここ由原宮に訪れて何かの儀式を行った記憶がおぼろげにあったが、孫次郎はその懐かしい思い出をかき消すように閃く。


「そうだ、八幡丸だ! 叔父上、皆の衆、! これより身共(みども)の名は再び“八幡丸(はちまんまる)”と改める! 此度の合戦で勝つまで八幡丸とお呼びくだされ!」


 その発言に一同は唖然としてしまうが、藤北での出陣式の三献の儀(しか)り、先の戦勝祈願(せんしょうきがん)然り、縁起を担ぐのは常套(じょうとう)である。


 武運の神として祀られている八幡大菩薩の御加護(ごかご)を得ようとする魂胆(こんたん)を、すぐさま察した十時惟種(ととき これたね)が、


「これは御前上等(ごぜんじょうとう)!」


 相槌(あいづち)を打つと、周囲に伝わるように大袈裟(おおげさ)に大声で云い放つ。


「皆の者、聞けい! ここにいるのは武運の神、八幡大菩薩様の化身ぞ! 八幡大菩薩様のご利益を授かりて、この(いくさ)の勝利は我等(われら)にあるぞ!」


 戸次一族や藤北(ふじきた)民の兵卒たちは、孫次郎の幼名を八幡丸と知る者が多く()る。

 また、ここ由原八幡宮にて必勝祈願し、八幡大菩薩にあやかった名前だ。場の雰囲気にも促されて、ただ名前を改名しただけだが士気を鼓舞(こぶ)させる理由には充分だった。大いに盛り上がったのであった。


賀来(かく)殿、孫次郎の非礼、申し訳無い……」


 武運の神の名を簡単に改めた突飛な思いつきに、親延(ちかのぶ)が代わりに詫びようとするも、治綱(はるつな)一笑(いっしょう)して押止(おしとど)める。


「いえいえ、何の事はございません。それに、あの名をあやかることは、お光殿からの懇請(こんせい)でしたからのう。この戸次家にとって意義深い一戦にて、八幡丸(はちまんまる)の名で出陣するに大義(たいぎ)がありましょうぞ」


 治綱(はるつな)士卒(しそつ)たちに(あお)り立てられている孫次郎を優しい眼差しで見つめると、その先に鎮座する大楠(おおくす)の下で若き頃の親家とお光の幻影を思い映した。


「そういえば、親家殿の御加減が、それほど悪いとは。近い内にでも親家殿へ祈祷しに(まい)ろうと存じます」


「それはかたじけない。治綱様が祈祷してくださるならば、親家(ちかいえ)の体調も快方に向かうでしょう」


「そう持ち上げないでくだされ。しかし、一番良いのは此度(こたび)(いくさ)勝報(しょうほう)でしょうな」


「ええ、そうですな」


 親延と治綱が対話を交わし終えた頃には、軍勢の準備が整えられていた。


「よし、皆の衆。出立だ!」


 戸次孫次郎―改め―戸次八幡丸(べっき はちまんまる)の号令のもとに行軍が再開したのであった。


 もう後には引けない、命をかけた戦いをする――藤北を()った時から、戸次一門や家臣、(いくさ)()(さん)じてくれた者たちは、その覚悟を決めているものだが、それでも僅かに弱気が胸の内に残っているものだ。


 それ故に神仏へ必勝祈願を行い、気迷(きまよ)いを払拭(ふっしょく)させる。


 勿論(もちろん)、総大将(八幡丸)自らが武運の神の名をあやかり、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)化身(けしん)とみなしているのも加担(かたん)している。


 兵卒たちから漂っていた重苦しい雰囲気と足取りが少しだけ軽くなっているようで、気持ちが高揚しているからなのか、幾分かは士気が上がっているのを肌で感じた。


 孫次郎(八幡丸)を始め、此度(こたび)(いくさ)が初陣である者たちは戦勝祈願や縁起担ぎの意味と意義を少しずつ理解していくであった。

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