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立花道雪遺香~鎮西の片田舎で生まれた没落武士が天下の雄将へと成し遂げる行く末を見届けようと思う~  作者: 和本明子
一章 立花(戸次)道雪の初陣 大永6年(1526年)

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七 戸次、軍立ち

 孫次郎を大将に任じて三日が経過していた。


 その間、戸次一族や家臣たち総出(そうで)(いくさ)の準備を相応に整えていた。

 各地に散り散りとなった戸次一族が藤北の次に多く移住した片賀瀬(現・大分県竹田市)の一門(いちもん)も到着していた。

 また戸次家に縁ある奉公人や郎党(ろうとう)以外に、藤北や近隣に住まう村にも召集をかけたところ、(いくさ)に馳せ参じてくれる人数は約千名ほど達していた。

 


 藤北館の下方(かほう)にある広場に集まった者たちは、戸次家への恩義や奉公ではなく、戦の報奨や徴税の免除などに釣られているのが多数である。

 また農民たちは(カマ)(クワ)などの農具を手にしているものが多かった。あまつさえ竹槍や木刀(木の棒)を持っている者もいた。


 だが、この時代では普通のことである。


 製造技術や量産体制が整っていない中世時代において、武具は高価で貴重なものであり、ところどころ錆びていたり刃こぼれをしている脇差(刀)一本でも家宝ものの扱いだ。


 自前の刀などの武器を持っている者は、源平合戦や元寇などの古戦で先祖が敵方から略奪したものだったりする。


 戸次家にある予備の具足(防具)や武器を貸し出しているものの、さすがに全員分は有る訳が無く行き渡っていない。

 また急ごしらえの上、武具だけではなく、兵法の練度(れんど)が足りていないのは自明であった。


 戸次家の侍女(じじょ)たちが集まった者に兵糧の干飯(ほしいい)などを配っていた。


「えーこれぽっちかよ? もっとくれよ。兄妹なんだし、なぁお梅」


 お(うめ)は農家出身であるが戸次家に勤める侍女。詳細に言えば小間使いとして雇われていた。

 不満を口にした若者は兄の与次郎(よじろう)。配給の干飯の少なさに不満というより不安が募っての不服の要求だった。


「ここから豊前の馬ケ嶽まで三~四日ぐらいかかるのに、こんだけの量じゃ、一日分もあるかどうか……」


「仕方ないでしょう。急な戦仕度で備蓄していた米をかき集めて、こんだけなのよ。でも聞いたところだと道中で食料を補給してくれるらしいから、そんなに心配しなくてもいいんじゃないの」


「本当か?」


「ところで(おにぃ)、本当に戦に行くの?」


「当然だろう。豊後に生まれ、大神の血を引く男児からには、戦で武功を立てるのが大願! して、ゆくゆくは戸次家の徒士(かち)に取り立てて貰ってこそ(おとこ)よ!」


「はいはい。武功なんか立てるよりも、此度(こたび)の戦は孫次郎ちゃん……おっと、若様の初陣なんだから、その身を若様の盾となって守ってあげなさいよ」


「おいおい、実の兄より戸次様の(こせがれ)の方が心配かよ」


「当然でしょう」と温かさの無い視線と併せて返したのだった。


「で、その倅様は?」


「今、御館(おやかた)の方で、何か武家にとって重要な儀式なことをしているわよ」


「儀式?」


 梅と与次郎は上方にある藤北館へと目を移した。


 ~~~


 藤北館の庭では、重々な鎧を着飾った家臣たちが勢揃いしており、床几(しょうぎ)(折り畳み椅子)に座す親家と孫次郎を注視していた。


 家臣が着ている鎧は、先ほどの農民たちの武具とは雲泥の差で、きちんと手入れがされており(ほころ)びもなく、漆が塗られて深い光沢を放っている。一目で上等な品であると解るほどに。


 特に孫次郎が着ている鎧は戸次家の当主に相応しく、鎧の小札(こざね)板を緋糸威(あかいとおど)しで結び合わせて壮麗に仕立てあげられており、一際目立っていた。


 孫次郎の前面に白木(しらき)折敷(おしき)が置かれており、盆上には少量の打鮑(うちあわび)、かち栗、昆布の計三種と大中小の計九つの(かわらけ)(素焼きの盃)が配膳されていた。


 出陣式-三献(さんこん)()

 いにしえより伝わる戦の戦勝を願う仕来(しきた)り。


 孫次郎は打鮑を食べては小の(かわらけ)を手に取ると、親家がちくちくと少しずつ酒を注ぎ入れ、孫次郎がちょびちょびと飲み干す。

 次にかち栗、最後に昆布も同様の所作で食べては飲んだ。


 藤北は府内(海)より遠く離れた山里のため、海の物(海産物)である打鮑や昆布は非常に貴重なものだ。

 用意された打鮑や昆布は一摘(ひとつま)みほどしかなかった。今年の正月に用意したもので大切に保管していたものだった。


 僅かな量だからという訳ではないが、孫次郎はゆっくりと噛みしめて飲み込んでいく。

 味などは感じなかった。心の臓が徐々に高鳴っていき、高揚していく。当然、酒に酔った訳ではない……はず。


 この儀式は、敵を打ち(打鮑)、勝ち(かち栗)、喜ぶ(こんぶ)という縁起の良い語呂合わせで祝す、云わば験担ぎ。

 いつの時代も威儀(いぎ)がある式は気を引き締めさせる重要な儀なのだ。


 孫次郎は全てを平らげると、小中大の杯を持ち立ち上がった。

 一枚ずつ力一杯に地面に叩きつけて割っていく。


 (かわらけ)を割るという行為は厄除けや厄払いの意味がある。

 だが孫次郎は粉骨砕身の如く全力を尽くし、敵を粉砕するという決意を込めて、叩きつけた。


 一刻(いっこく)でも早く馬ケ嶽城へと参じて敵軍を打とうと気がはやっているからなのか、間髪入れず次々と割っていく。


 全ての杯を割ると、(そば)に控えていた安東家忠が手にしていた長弓を孫次郎に渡した。

 孫次郎は矢を(つが)えず(矢を弓の弦にかけず)に、弦を引き(しぼ)り――放った。

 弦のしなる音が辺りに響き、やがて静寂が訪れる。


 孫次郎は手にした弓を掲げ、「エイエイ!!」と叫ぶと、家臣たちが呼応し一斉に「オッーー!」と(とき)の声をあげた。


 これにて出陣式は(しま)いとなる。


「それでは父上、行って参ります」


「うむ。此度の戦はお主の初陣だからこそ、駆け引きについては叔父上(親延)や内田たちの申すことに従うのだぞ」


「解っております。では、これにて」


 家臣の声が轟く中、親家と孫次郎が短い言葉を交わすと、そそくさと足早に馬繋(うまつな)(じょ)へと向かっていく。


 数多くいる馬の中で、太く(たくま)しい黒毛の馬の前で足を止める孫次郎。

 戸次黒(べっきぐろ)と云う馬で、これほど立派な馬は藤北もとより府内、豊後でも他に居ないと自負していた。


 馬の傍で待っていた近習から白星の(かぶと)を受け取って被り、戸次家に代々伝わる太刀を腰に吊るした(()くとも云う)。


 戸次黒の背に金紋を印した鞍が置かれており、尻繋(しりがい)には舶来品の毛織物に、厚手に束ねた糸の先をばらばらにした(ふさ)を掛けて、馬も孫次郎に負けず劣らずに着飾っていた。


 孫次郎は軽快に鞍へ(また)がり、手綱(たづな)を優しく引くと戸次黒は蹄音が聞こえないほど静かに進みだした。

 家臣たちも馬に乗り、列をなして後を追いかけていく。


 戸次孫次郎、十四歳にして初めての軍立(いくさだ)ちは、(めか)しこんだ(よそおい)いもあり華々しく、一門や家臣、藤北の民に招集された兵たちは色めき立った。


 孫次郎の去りゆく姿を親家は黙くして見守っていると、式に参列していた十時惟安を始めとする十時一族が親家の近くに歩み寄る。


「本日は、お身体の方は良いようだな」


「病の身なれど、出陣式に寝込んでは武家の恥。して、十時惟安殿、十時の方々。此度の参陣、かたじけない」


 藤北より東の地に十時村があり、その名を示す通り十時惟安たち十時が地頭として治める村である。

 藤北と隣接なこともあり十時とは相応な付き合いはあるが、十時の者と血縁者が居ない戸次家の弔い合戦に参戦する義理などない。


 頭を深々と下げる親家の肩に触れて、十時惟安は優しく語りかける。


「頭を上げてくれ、戸次殿……いや、親家殿。言っただろう、お前が困っている時に手を貸してやると。それに、これは戸次家の弔い合戦と聞き及んでいる。戸次家は元を辿れば大神よりの出自。ならば、これは大神の血を引く俺たち十時家の弔い合戦でもある。そういうことにしとこう。我らに任せて、安心して横になって勝報を待ていてくれ」


「その代わり、この戦に勝った後に美味い酒や海や山の(さち)を腹一杯に馳走(ちそう)していただければ。あとは当主みずから酌を注いでくれれば、この上なしですぜ」


 親家との会話に若い青年…十時惟種(ととき これたね)が横入りをしてきた。

 惟通(これみち)と同じく分家筋であり、孫次郎と歳が近い惟忠(これただ)よりも一回り年上というのもあり、良き兄貴分な人物であった。


惟種(これたね)、失礼だぞ。だがしかし、そうあって欲しいな。さて、そろそろ我々も参ります」


「惟安殿、十時(ととき)の方々。ご武運を……」


 惟安の手を取り、今の精一杯の力で強く強く握りしめた。それは軽く手を振るだけで払えそうな握力だったが、その代わり以上に惟安が強く握り返した。

 今度は頭を下げず、惟安と顔を見合わせ――お互いの瞳に涙が浮かんでいた。


 惟安たち十時家の恩義に感慨しただけではないだろう。かけがえのない親友の信頼に胸を打たれたのだ。


 いや、二人は察していたのかもしれない。これが今生の別れになると―――



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