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一行目探偵  作者: てこ/ひかり
最終幕
36/37

二人三脚殺人事件 後編

「え? いない?」

『はい。ウチの演劇部には、岡絵里なんて名前の子いません』


 電話口の向こうのくぐもった声を聞き、真田は少し眉を釣り上げた。


「確かか? 私はこの間の学芸会で、君達の高校にお邪魔したんだが……」

『それは覚えてます』

「その時私と一緒ちょっと背の低い、子犬みたいな女の子がいなかったか? その子の紹介で私は来たんだ。確か岡君は、君達とも親しげに話していた気がするんだが……」

『いえ……でも』


 受話器の向こうで少し戸惑ったのか、女子生徒は声のトーンを下げた。


『真田先生が、『助手役が欲しい』ってことで台本に『架空の女の子』を入れたのは確かです』

「架空?」

『あくまで台本の中の登場人物で、ってことですよ? 先生がいらした時に急遽その役を入れることが決まったので、その時は演者なしでリハーサルしましたけど……』

「なるほど……分かった。遅くにすまなかったね」


 真田はお礼を述べて通話を切った。落胆を抑えられず、彼は助手席のシートに深くもたれかかった。


「ダメだ……高校の生徒達は、助手君のことを覚えていない。というか、最初からいない感じだ。彼女の存在も台詞も行動も、あの時のことは全て台本の中の出来事だって皆言ってる」

「彼女はそこにいたのかもしれない。でも霊感のある人間ばかりではないから……君が誰もいない空間と会話してるのを見て、台本に組み込んだのかもね」


 ハンドルを切りながら、夜霧が呟いた。夜道はさらに闇の深さを増し、照らされたアルファルト以外は何も見えないほどの暗さだった。


「もう手詰まりかい? 名探偵」

「……まさか。こっちが本命だ」


 運転席に一瞥をくれながら、真田はファイルから【真田探偵助手殺人事件】と名付けられた書類を取り出した。


「私達二人が解いて来た事件……。ほとんど霊感のある私としか会話して来なかった助手君だが、いくつか【例外】はある。あの寺の爺さんの事件はいいとして……」

「私と初めて会った時の事件だね。私にも霊感があるから、彼女は私に話しかけることができた」


 心霊探偵が頷いた。


「今思えば……あの時どうやって私の体内にGPSを埋め込んだのか不思議だったんだ。そうか、念力を使ったんだな……! やられた……その手があったか……!」


 悔しさを滲ませ歯軋りをする真田に、夜霧がハンドルを手放し冷たい目を向けた。まさか自分まで幽霊になるつもりはなく、彼は慌てて本題に戻った。


「【台本通り】もその一つ……。友達と楽しそうにじゃれつく助手君を、私は確かに目撃したんだが……これは違った」

「文字通り台本の中の出来事だったってわけだ」

「彼女の身に何か起こったとすれば、一番怪しいのはこれだ。【真田探偵助手殺人事件】。事件簿には、彼女と『違法使い』を名乗る薬物中毒者との会話記録が残されている」


 真田はそう言って一枚の書類を眺めた。あの時彼は、危機一髪のところで助手の命を救った……はずだった。


「助けたつもりが……実は助けられていなかった……?」

「事件のタイトルも何か意味深だね。オーケイ、あの子の家に急ごう」


 夜霧は頷くと、舌先でペロリと唇を舐め思いっきりアクセルを踏み込んだ。


□□□


 静まり返った住宅街に、ドリフトしながら突っ込んで来た赤いスポーツカーが爆音を響かせ急停止した。助手席にいた男が前につんのめり、危うく新たな殺人事件が発生しそうになった。


「貴様……! もし私が、シートベルトをしてなかったら……!」

「そしたら私が、助手として飼ってやるよ」

「人を犬みたいに言うな」


 憮然とする真田を置いて、夜霧はさっさと車から降りてしまった。肩をさすりながら真田が扉を開けると、目の前に目的の民家が現れた。


「でも……これって……」


 女探偵は首を傾げながら門に近づいて行った。真田もまた、その景色に何か違和感を感じた。以前訪れた時とは何かが違う……表札がない。民家は人が住まなくなって一年以上経っているのだろう。中庭には雑草が生え放題で、家の壁にはところどころ木々が侵食していた。


「空き家、か……」

「本当にここであってる?」

「それは確かだ。私はここで助手君にあった。だが……引っ越したのか?」

「……警察に聞いた方が早いかもね」


 困惑する真田に、夜霧は携帯電話を取り出した。


「もしもし……猪本警部ですか? 夜霧です、夜分遅くに申し訳ございません。ちょっと調べて欲しいことがあるんですが……」


 真田はその場に立ち、じっとその様子を眺めていた。夜霧は彼に目配せした。


「……ええ。麻薬中毒者の、通称『ダンブルマド』と名乗っていた吉田のことです。彼に『殺人前科』はありますか?」

「…………」

「ない?」

「!」

「今の所……ええ、分かりました。ありがとうございます」


 彼女は通話を終えると、ため息をついた。


「どうやら空振りだったみたいだ。『違法使い』は人を殺してない」

「どういうことだ? だが奴が助手君と会話していたのを、私は確かに壁越しに耳にしたぞ。奴にも霊感があったとでも?」

「そもそも助手君が殺されたのなら……君はその現場に駆けつけた時、彼女の死体と霊魂を両方目撃しているはずだ。さすがに死体が転がってたら気づくだろ?」

「嗚呼、そりゃあな」

「『違法使い』は薬物中毒者だった……薬に手を出して、本来見えないものが見えていたとしても不思議じゃない。とにかく彼が何と喋ってたにせよ、死体は上がってない」

「振り出しか。訳がわからなくなって来た……」

真田はしゃがみ込み、頭を抱えた。


 「……ふふ」


 それを見て、夜霧が思わず笑みを零した。真田は怪訝な顔で心霊探偵を見上げた。


「何だ?」

「いや……おかしいなと思って。今まで散々『一行目探偵』としてスピード解決して来た君が、こんなに長いこと頭を悩ませているなんてね」

「フン……笑いたきゃ笑え。この事件だけは、私は何としても解決するつもりだ。たとえ何行かかったとしてもな」

「……悪かったよ。そんなつもりじゃ……」

「…………」


 しゃがみ込んだ真田のそばに歩み寄り、夜霧は彼の肩にそっと手を置いて謝った。真田はしばらく黙ってその手を見つめた。


「待てよ……触れる、か……」

「え?」


 何かに気がついたかのように、真田が静かに呟いた。彼は突然ガバッと立ち上がった。目を丸くする夜霧に、真田は興奮気味に尋ねた。


「探偵だったら、誰だって霊感がある訳じゃないんだろ?」

「そりゃそうだ。普通、霊感なんて持ってる方が稀だ。じゃなきゃ、私ら心霊探偵は廃業だよ」

「分かったぞ! 犯人は探偵だ!」

「!?」


 真田は急いでファイルからある事件簿を取り出した。夜霧が横からその書類を覗き込んだ。


「これって……!?」

「嗚呼。【訪れてみれば殺人事件】。この事件は探偵学校で同期だった新井って奴が起こしたんだが……」


 真田は事件の経緯を夜霧に話して聞かせた。夜霧の目が見開かれ、だんだんとその顔が曇って行った。


「じゃあ……彼女は君に頼まれ、偵察に向かったその時に……?」

「嗚呼。この事件簿によると、彼もまた助手君と会話した記録が残っている。それに……彼は機動隊に取り押さえられる前、助手君を後ろから羽交い締めにして『触れて』いたのを私は目撃した」

「確かに、彼にまで霊感が備わっていたとは思い難いから……」

「彼女はその時点まで生きていたんだ」


 真田が頷いた。


「あの時、犯行現場を見られた新井は逆上して助手君を襲った。だが機動隊にもみくちゃにされて……助手君は私の元に駆け寄って来た……」

「……彼女は襲われた時すでに絶命していて、駆け寄って来たのは肉体から離れた霊魂の方だった?」

「機動隊が大勢いたんだ……もみくちゃになって、それで、入り口は男達でいっぱいになった。私が確認できたのは、床にねじ伏せられた新井の姿だけだ……」

「それで、あの子の死体の方は確認できなかった訳だ」


 夜霧が悲痛な顔で頷いた。


「犯人にとっちゃ、自分の邪魔をしてくる奴を襲うのは当然のことだ……」


 記憶を呼び起こし、真田は愕然とした。


「私が彼女を無防備に、偵察なんか行かせるから……。助手君は……襲われてしまった」


 夜霧が目を伏せた。


「あの子は……君に自分が死んだことを知られたくなかったのかもしれないね」

「どうしてそう思う?」

「君がきっと……後悔するからさ。助手君が死んだのは、自分のせいだと」

「だってそうじゃないか」


 思いつめた表情の真田の目をじっと覗き込み、夜霧はもう一度彼の肩に手を置いた。


「あの子は君にそうなって欲しくなかったんだ。きっとあの子も以前、そうやって罪悪感に苛まれた経験があったんじゃないかな……」

「…………」

「君にはそうなって欲しくなかったんだよ、真田一行目探偵。だから彼女は幽霊として君のそばにいて……自分の死をひた隠しにしていたんだ」


 彼女はそう言って、真田から目を逸らした。真田はしばらく呆然とその場に立ち尽くし、ぼんやりと空を見上げた。夜空に瞬く星も月も、今夜は何故かひどく滲んで見えた……。


□□□


「……車、貸してくれ」

「え?」


 突然真田に声をかけられ、心霊探偵は困惑した表情を見せた。彼はじっと空を見上げたまま、手を伸ばしもう一度夜霧に催促した。


「車だよ。助手君に会いに行かなくっちゃな」

「だったら私も……」


 運転席に乗り込もうとする夜霧を、真田は首を振って制した。


「ダメだ。今回のは……もしかしたらとても危険な事件かもしれないんだ。これ以上誰かを……大切な人を失いたくはない」


 真田はポケットの中の【二百万人】のカードを握りしめた。スポーツカーの前で、夜霧がピタリと動きを止めて真田を見つめた。


「おい、まさか君『会いに行く』って……死ぬつもりかい?」

「…………」

「よせよ。そんなことしたって、あの子に会えるとは限らないぞ。もうこっちにはいなくって、向こうの世界に渡っちゃったかもしれないじゃないか」

「…………」

「おい! 返事をしてくれよ……」


 真剣に怒る夜霧に、真田は無言で近づいた。彼女は少し怯えるように後ずさりした。


「……冗談だろ? そんなことをしても、あの子は喜ばないぞ!」

「……そんなことって、今から私が一体どんなことをすると思ってるんだ?」

「大切な人を失いたくないのは、こっちだって同じだよ。頼む、落ち着いてくれよ……」


 泣き出しそうになる夜霧から、真田は強引に車のキーを奪った。


「きゃあっ!」

「……すまない。だけど、それで助手君が救えるかもしれないって言うんなら……」


 運転席へと乗り込み、真田は車のエンジンを入れた。地面に倒れこむ夜霧を、真田は悲しげに見つめた。


「誰だってそうさ。大切な人は失いたくない……。だけどそれは、『自分にとって』大切な人のことだ。その他大勢の何百万、何千万の話じゃない……」

「真田君、いいから落ち着け。早まるんじゃない!」

「それでも、私にとって大切なのは……あの子の方なんだ」


 まるで自分に言い聞かせるように、真田は何度も言葉を吐き出しそのままアクセルを踏み込んだ。静かな住宅街に、爆音が轟いた。


「真田君!!」


 後に残された夜霧の叫び声が、追いつけるはずもない車の後を追って哀しく響き渡った。


□□□


 やがて明星の月が輝く空の下で、赤いスポーツカーが街を走り抜ける頃。遠い山の中腹から一人の幼い少女が、じっとその様子を眺めていた。


「やれやれ。やっぱり君は、そうなるんだな」


 少女はその車が見えなくなるまでじっと見送ると、それから爆音を掻き鳴らす猫耳のヘッドフォンを外し、少し寂しそうに囁いた。


「……さよなら。また会おう、真田一行目探偵」

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