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broke it  作者: あおい
04
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04

■04■


 牧谷里美は、椅子に座り震えている雛子の背中を撫でた。


 雛子は、身動きしない、反応もしない母親にショックを受けているようだ。

 当然だ。こんなの、自分でも耐えられないだろうと里美は思う。


「あの、お茶かジュースでも」と促してみたが、雛子は「いいえ」と拒否した。

 それもそうか。悠長にお茶を飲む心境ではないだろう。


 でもどうすれば、少しでも安心させてあげられるのだろう。

 新郎の凪原は、スタッフの人と相談に行ってしまった。

 もしかするとこのまま、披露宴は終了するのだろうか。


 なんて気の毒なのだろう。

 みんながお祝いしてくれているのに、母親だけが猛烈に反対している。


 しかもこんなタイミングで、あんな理由で。


 なぜこんな事になったのだろう。尚巳が人に恨まれるような人間だとは思えない。

 いくらか生意気な口をきくかも知れないが、まだ十代の男の子だ。中年女性がブチ切れて暴れてしまうほど、悪い子だとは思わない。


 尚巳とこの母親のどちらを信頼するかと聞かれれば、里美は迷う事なく尚巳を選ぶ。

 雛子の母親の事は詳しく知らないが、尚巳の事は知っている。彼は良識のある、ただの大学生だ。その心に多少の悪意を持っていたとしても、あんな風に非難される行いをする人だとは思えない。


 でも確かに彼は時々、怖いような表情をする事があった。

 閉店してから後、水回りを念入りに掃除している事があるのだが、その時の顔が喜びに溢れていると言うか。


 その時、呟いていた言葉を聞いた事がある。

 雑菌に向かって「ジェノサイド、ザマァ」みたいな事を呟いていたのだ。


 確かに彼のおかげか、キッチンは常に綺麗だった。カビどころか雑菌の気配も無い。重曹だのクエン酸だのでいつも磨かれている。


 ――実際、あの時の尚巳くんのカオって怖いんだよね……。


「ねぇ、牧谷さん」


 突然の問いかけに驚きながらも「はいっ?」と反射的に答えた。恥ずかしい事に、少し声が裏返ってしまったような気がする。


「あなた、どうして笑っているの」


「……え?」


 慌てて頬に両手を当てる。

 尚巳の不気味な行動を思い出しているうちに、笑っていたのか自分は?


 ――恥ずっ! 恥ずかしいぃ!


「あっあのごめんなさい、スミマセン! でもあの、これは、その」


 尚巳が掃除をしている姿を思い出して笑っていた、なんて説明するのは恥ずかしかった。

 くだらない。あまりにもくだらない事だから。


「いいの。別に責めてるわけじゃないの。こんな何も無い部屋で笑ってたから、きっと思い出し笑いなんだろうけど、何を考えてたのかな、と思って。やっぱり尚巳くんの事?」


「え……あ、はい」


「わたしはバイトさんとしての彼しか知らないから、あまり思い当たる事は無いのだけれど……面白い子なの? あの子」


「個性的、ではありますよね」


 水回りをニヤニヤしながら掃除する男子。うん。やっぱり数少ないタイプだとは思う。


「気に入ってる?」


「嫌いじゃないですよ。いい人です」


「好き?」


「はっ? それは、まぁ」


「恋人になりたい?」


「それは……どうでしょうね」


「あ。他に好きな人が居るんですね?」


 その言葉を聞いた瞬間、稲妻のような痛みが胸を貫いた。


 そうだ確かに、自分には好きな人が居た。

 当然、尚巳ではない。


 その人の事は少し前に、諦めたのだ。自分ではどうしようもない状況になってしまって、頑張る気力なんて湧いては来なかった。


 里美は、戦う前に負けたのだ。

 告白するチャンスすら無かった。


 だから、好きな人と結婚出来る雛子が羨ましい。心の底から、羨ましい。


 なんて綺麗なドレスを着ているの。どうして自分は、それを着れなかったのだろう。


 羨ましい。羨ましい。羨ましい。


 悔しい。


 妬ましい……。


「ねぇ、話して。その人の事。そして牧谷さんの、これからの事」


「……え?」


「彼が戻って来るまで何か気を紛らわしていないと……わたし、おかしくなってしまいそう、なの」


 あぁ。その気持ちは分かる。

 こんな状況、異常事態だ。


 でもなぜ雛子のために、彼女の気を紛らわすためだけに、自分の失恋した話をしなければならないのだろうか。


 ――どうして?


 幸せなのは雛子の方なのに。

 いくら今が異常事態でも、好きな人と結婚は出来る。披露宴がムチャクチャになってしまったとしても、彼が彼女を愛している事に変わりはない。


 なのに、どうして。

 そんな酷い要求をするのだろうか。


 分かっている。

 彼女は里美が恋を失ったばかりだとは、知らないのだ。

 きっと自分と同じように幸せな女なのだと、単に考えているのだろう。


 雛子の控え室まで来て、落ち込んでいる彼女の隣で笑ったのだ。

 失恋に心を痛めているだなんて、思いもしないのだろう。


 悪いのは、自分の方。


「牧谷さんの彼氏は、どんな方? お仕事は何をされてるんですか。歳下の彼なら、学生さんと言う事もありますね」


 雛子が自分の不安を何とか押さえ込もうと、頑張っているのは分かる。

 声が震えて、息も震えて、体も小さく震えている。


 一生懸命、必死に不安を押し殺そうとしている。


 だけど、こちらの気持ちだって気遣って欲しい。

 皆が皆、幸せな恋をしているとは限らないのに。


 怒りが、腹の奥から吹き上げて来ている。このままでは、感情を雛子に向けてしまいそうだ。


 ――どうして? 幸せな結婚をお祝いに来たのに、祝う気持ちで来たのに、どうしてこんなに残酷な要求を突き付けられなきゃいけないの?


 服を選んで、アクセサリーを選んで、お祝いを包んで。


 笑顔の仮面を付けて。


 時間を割いてまで来たのに。


 こんなの、酷い。

 こんなのって、ない。


 涙が、零れた。


「牧谷さん……?」


 ――私が好きなのは、好きなのは……あなた……の……!

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