01-2
披露宴は時間通りに始まり、プログラムがサクサクとこなされてゆく。
凪原の隣に座る新婦・川嶋雛子……いや、凪原雛子も、いつも以上に愛らしく微笑んでいた。
親族に友人知人。みんなに祝福される結婚は、幸せなのだろう。
尚巳も彼らの幸せを願い、作品を作った。
フルーツカービングは時々ライブハウスでも作っていて、結構客寄せになっている。
元々手先が器用なので、いつの間にか覚えていた技術だ。見よう見まねで始めたのかも知れない。
それともずっと幼い頃、誰かに基礎を教わっていたのだろうか。
が、それも今は、どうでもいい事だ。
自分の技術がこうやって、誰かを喜ばせてあげられるのだから。
それが大切で、それが幸せ。
こうやって安らかで、とても穏やかな気持ちになれる。
作品と自分が紹介され、尚巳は拍手を受けた。褒められたいからやったわけではないし、注目を浴びるのは少し恥ずかしい。
けれどこれで凪原が喜んでくれるのだから、少しくらいは我慢しよう。
マイクを向けられ、鶴と龍について解説を始めた時である。
新婦側の、後方の席から、女の人の声が聞こえて来た。
「あんた……あの、なおみくん?」
――あの?
会場内の視線が、向こうに移動してゆく。
「丘の上幼稚園に通ってた子、じゃないの? 紺野……あぁ、そうよ。紺野! 紺野尚巳、確かにそんな名前だったわ……あんた、あの時の子なんでしょ!」
「お……お母さん」と言ったのは、新婦の雛子である。
――えっ! 新婦の母親かよ!
「あんたがどうして雛子の披露宴に来てるのよ! あぁ、手先が器用なのをこれ見よがしに披露しに来たわけね、なんて嫌味な子かしら! ちょっと隼人さん、あの子とどう言う関係っ?」
怒りの声だ。どう聴いても、そうとしか思えない。
自分があんな中年女性に、いつ、どこで、こんな風に怒らせるような事をしただろう。
記憶を検索しても、すぐには出て来ない。
「僕の趣味である音楽の……えっと、えっ?」
凪原が雛子に視線を向けた。雛子も首を横に振り、全く分からないと意思表示している。
――いつ、どこで……って、あの言い方じゃ、幼稚園で、か?
そんな小さな子の事を、何年も、こんな風に怒り狂っていたとでも言うのか。
客観的に見て、幼い頃の自分がどんな園児だったのか。ハッキリとは分からない。
だが人間と言うものは、今日も明日も明後日もずうっと自分であり、そうそう性格が変化するとは思えない。
女性に対して言いたい事の半分も言わないような自分が、ここまで女の人を怒らせていたのかと思うと、驚きだ。感激するレベルかも知れない。
「申し訳ないけれど、隼人さん。この結婚、少し考え直させてもらってもいいかしら!」
「えっ!」と叫んだのは新郎新婦、そして尚巳の三人、ほぼ同時であった。
「ちょ……お、義母さんっ?」
「ああ、その『お義母さん』と言うのも、もう少し待ってちょうだい」
「こんな場所で何言ってるのよ! いい加減にして!」
新婦が涙を零した。
驚きで一瞬硬直していた親族席の人達が、新婦の母をなだめようと慌てている。
「それではここで、新婦のお色直しへと参りましょう。皆様しばし、ご歓談ください」
それはプログラム通りなのか、機転を利かせたのか。司会の女性がそう言った。
新婦が怒りながら母親とふたりで、会場から出て行く。数人の親族も一緒に。
尚巳は呆然とした。全く、訳がわからない。
「あ、あの……尚巳くん。大丈夫?」
同じテーブルで隣の席に座っている牧谷が、背中をさすってくれた。
「とりあえず座ろ、ね?」
「尚巳くん、大丈夫ぅ~?」と、夏実の声が近寄って来る。だが、意識はそれを理解していない。ただ聞こえているだけだ。
「今はダメよ、夏実っ」
「いやっ! 尚巳くんは夏実の彼氏なのっ! レイジくんなんかよりカッコいいし!」
「夏実っ」
抱き上げられ、連れ去られる気配。そして「ピギャー!」と高音の鳴き声が耳を叩いた。
「あの、牧谷さん。僕ちょっと、お義母さんに話を聞いて来ますから」
凪原の言葉に尚巳はハッとして「あの、俺も」と言った。
「いや、事情がまだ分からないから、きみはまだ来ない方がいいんじゃないかな」
「そうね……いいわ。一緒に出ましょう。そして私と尚巳くんはロビーかどこかでちょっと、落ち着いて情報を整理しましょう。あの凪原さん、何か分かったら教えてもらえますか」
「それは勿論……では、行きましょうか」
三人で会場から出る。
廊下には、次の時間帯を待っているらしいたくさんの人が居た。新婦達が通ったであろう方向を見ている人が、多い。
怒り狂う母親と、それに対して怒る新婦。
他カップルのトラブルを目の当たりにしたのだ。好奇心だってあるだろう。見ないわけがない。
「私達、ティーラウンジの方に行ってます。何か飲みましょ、尚巳くん」
「え……はい」と生返事を返す。
「じゃあ詳しい事情が分かったら、すぐそちらにお知らせしますから!」
凪原が新婦控え室の方へ走って行った。
ふたりで彼の後ろ姿を見送った後、息を吐く。
「あぁ、驚いたわねぇ。歩ける? 尚巳くん」
「すみません、平気です。ただちょっと、驚いて。意味が分からなくて」
「そうね。みんなそうだと思うよ」
ラウンジのソファに座り、紅茶をオーダーしてもらった。
尚巳はため息を吐いて、うつむく。
「丘の上幼稚園、か。尚巳くん、可愛い子供だったんだろうねー」
「性格は今と変わってないと思いますけど」
「折り紙とか得意だったの?」
「それは、多分。他の子よりは、多少は」
「それを怒るって、どうなってるんだろうね。手先が器用なのを見せつけに来たとか言ってたでしょ」
――もしかしてコンプレックス?
だがあの母親が不器用で、園児の尚巳が器用で、何の不都合があるだろうか。
器用さを比べるにしたって、娘である新婦と尚巳は年齢が違うし、子供が負けて悔しい、とかでもないだろう。
接点が、見当たらない。
――飛ばしてみる、か。
尚巳は立ち上がり「ちょっと電話して来ます」と言った。
「え? あの、お茶すぐ来ると思うよ」
「すぐ戻ります、待っててください」
牧谷にそう言い残し、尚巳はラウンジ、そして建物から外へと出る。
外には綺麗な庭園が広がっていた。
芝生に伸びる石畳の道や、ハーブの群生。豊かな樹木の間に設置された、神話ベースの石膏像。
ちょっとした異世界だ。
複数のカップルが西洋風ガーデンのフォトスポットで、撮影を行っている。
そちらにはあまり近寄らないよう壁沿いを歩き、喫煙所も避けて、人気のない場所を探した。
数分も歩くと見つかった。業者が出入りする裏口の傍である。
だが庭からも、出入り口からも、ちょうど死角になる場所だ。
そこで尚巳は、手帳に挟んでいた紙を取り出す。
小さかった白い紙を広げると、切り込みの入った美しい鳥の姿となった。
ばさり。
羽を広げ、紙が立ち上がる。
尚巳は腕を伸ばし、肘を曲げた。
すると鳥の姿をした紙が、当然かのごとく腕に止まったのだ。
猛禽類ほどの身体つきで、尾が地面に着きそうなほどに長い。
白い身体は日差しを受け、白く眩しく、美しい。
丁寧な羽毛の切り込みや、流星のようなに流れる尾。
地面に映るその影からは、本物の気配が立ち上っていた。
「もう時間が無い。この披露宴を混乱させたまま、終わらせるわけにはいかないんだ。行ってくれるかな」
純白の鳥はコクリと頷き、優雅な動作で空に舞い上がる。
彼は見る見る高度を上げ、今ではもう消しゴムほどの大きさになってしまった。
「さて、こっちの感度はどうかな」
尚巳は手帳から、カードを取り出す。
〈星〉のタイトルがついた、一枚のタロットカードである。
少し集中してカードを眺めていると、図面の中の水に、映像が映った。
これはあの鳥が〈見ている〉映像である。
あの場所から見下ろした建物と周辺の庭、そして自分らしき人影が映っている。
「受信もオーケーだな」
この映像を自分の意識で直接、受け取れない事もないのだ。
だが牧谷と一緒に居るとなると、集中して様子を伺うにも限界がある。話しかけないでくれ、と言うわけにもいかないし、仕方ない。
カードと言うワンクッションを挟むのだから、現象に対してのリアクションが多少遅くなるなるだろうが、それは仕方がない。
使える物は何なりと、使っておかないと。
――でも、こんなカード眺めてたらちょっと不自然か……携帯の方がマシかな。転送してみようか。
携帯を広げ、画面を見つめる。
映像が映った。カードとの受信時差は無いようだ。
ただデジタル映像より、水の方が見易い。やはり肉眼にはアナログの方が優しいと言うものだ。
「じゃあピー輔、行って」
ピー輔、と言う名が似合わない麗しの鳥は頷き、その身を細くした。
そして細い細い、針のような意識となって〈隙間〉から、人の意識の中へと入り込む。
人間の心の隅は、意外なほど適当だ。キッチリと閉まっている人などまず居ない。
だから簡単に、他人の意識の影響を受けてしまう。
愛されたり、妬まれたり、様々な気持ちに反応する。自覚はなくても、だ。
他者からの視線を感じる、と言うのもその感覚のひとつである。
相手が生者でも、死者でも関係なかった。時には機械のモーターでさえ、電磁波でさえ、単なる音でさえ、精神に影響を与える。
人の精神は、いい加減なのだ。
柔軟であるし、だから強いとも言えた。
――あのバ……オバサンの心は、どんなモノなんだか……。
一体、何が潜んでいるのだろう。
いや。
一体、どんな〈尚巳〉が居るのだろう。
嫌われている〈自分〉を見なければならないなんて、ちょっと……いや。結構怖い。
自分だって人を嫌う事はある。それも多々、ある。
だから綺麗事を言うつもりはないけれど、怒り狂ってる人をダイレクトに見なければならないなんて。
精神衛生に悪いのは間違いなかった。
だが披露宴をこのままには、しておけない。
自分を招待してくれた凪原と雛子の、大切な思い出の汚点になるなんて、絶対にイヤだ。
だから、披露宴が終わる前に何とかしてしまわなければ。
――さ。準備は出来たし、戻るか。
心配してくれている仕事仲間を、あまり待たせてはいけないから。