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■01■
会場の敷地に入ると、ホテルマンのような制服を着たスタッフが、駐車場の方に誘導してくれた。
適当な場所に停め、館内へと向かう。
集合予定よりかなり早く到着したのだが、思ったより人が多い。祝日の大安日だ。凪原達だけではなく、複数のカップルが披露宴を行うのだろう。
着飾った親族達や、友人知人のグループがあちこちに見て取れる。
子供から年寄りまで各年代が揃った、どこの式場でも見る風景だった。
「あ、尚巳くーん!」と聞き覚えのある女の子の声がする。
振り向くと、ライブハウスで一緒に仕事をしている牧谷里美であった。尚巳より三つ年上で、大学四年生。
彼女は元々クラシックギターのプレイヤーだったのだが、いつの間にかスタッフとしてバイトに来るようになっていた。
深いマリンブルーに銀糸が織り込まれた、上等そうな布地のドレスを身に纏っている。
クラシック楽器を幼い頃からやっているのだから、家庭は裕福なのだろう。身につけたアクセサリーが控え目なのも、上品さを物語っているように思える。
――どこのブランドだとか、どれくらいの値打ちがあるとか、楓なら見抜くんだろうけど。
見た印象しか尚巳には分からない。けれどまぁ、褒めておくか。
「今日の衣装はとても綺麗ですね」
「そぉ? あはは、いつも安物着てるしね」
「そのドレスを着こなしている今の牧谷さんが、本当の牧谷さんなんでしょう。素敵です」
彼女は頬だけではなく、その白い胸元まで赤くなった。
「やっ、やだもぉ! 尚巳くんに言われても、全然信じられな~いっ」
背中を思い切り叩かれる。
「な、なんでですか」
「だって尚巳くんの方が……その、目立ってるし」
牧谷は周囲をキョロキョロと見回した。それに釣られて視線を流すと、確かに何人もの見知らぬ人達と視線が合った。
「牧谷さんを見てるんですよ」と言うのだが、彼女はムッと口を尖らせて反論する。
「だってこっち見てるの、みんな女の人ばっかりだよ。ほら、あの子なんて幼稚園くらいかな?」
「ドレスを見てるのかも……」
「気休めは止して。もう、控え室行こ!」
彼女に腕を引っ張られ、尚巳は歩いた。
いくつもある部屋のプレートを確認しながら、凪原家と川嶋家を探す。
――今日は本当に、たくさん来てるんだな。
これは時間通りにサクッと始めて、サクッと終われるパターンだ。
今日の二次会に参加する予定は無いし、さっさと帰ろう。ライブハウスでも後日、祝宴の予定があるし、早く帰っても失礼にはならないだろう。
凪原家の部屋を見つけて挨拶をしに入室すると、彼のご家族、そして数人の親戚が居た。
「尚巳く~ん! 来てくれてありがとう!」とドレスアップした凪原に、思い切り抱きしめられた。
男に抱きつかれても、全然嬉しくない。
「あ、あの……本日はお日柄もよく」と、抱きしめられたまま口上を呟く。
「みんなに紹介します! さっきのフルーツカービングを作ってくれた、紺野尚巳さんだよ」
親戚達が「おおっ!」と騒めいた。
「これが魔法の手か!」と、老人に手を握られる。凪原の祖父、だろうか。叔父にしては老けている気がするし。
「尚巳くん、うちの祖父」
「は、初めまして。紺野と申します。いつも隼人さんにはお世話に……」
「隼人の母です。尚巳さん、そんな堅苦しい挨拶は抜きにしましょう。お願いしていない素敵なソープまで頂いて、感激ですわ……本当にありがとうございます」
この中年女性がお母さん。そして。
お姉さんと、その子供達と握手をさせられた。
「坊主、ほれ」と黒糖キャンディを差し出してくれたのが、凪原の曽祖母らしい。
尚巳は「ありがとうございます」と礼を言って、有り難く受け取った。
「そっちの嬢ちゃんも、ほれ」
牧谷も苦笑いでそのキャンディを受け取る。
「ねぇお兄ちゃん。お兄ちゃんがあの鶴とか龍とか作ったの?」
小学校一年生だと言う凪原の姪が、尚巳の袖を引っ張った。
尚巳はしゃがみ、彼女に視線を合わせ「そうだよ」と返事をした。
「そうだ夏実、フルーツが保管してあるさっきの部屋へ、尚巳くんを案内してあげてよ」
凪原が言うと、夏実と言う名の姪は「うんっ」と元気よく返事をした。
「見ておきたいだろ?」と言われ、尚巳も「そうですね」と答える。
「じゃあわたしも一緒に」と牧谷。
「あ、あの牧谷さん」
凪原に呼び止められ、彼女は立ち止まって振り向いた。
「今日はわざわざ来て頂いて、本当にありがとうございます」
「いえ、そんな」
「お店代表として牧谷さんが来てくれて、嬉しいです。僕、牧谷さんのギターのファンだったし! 今度また、聞かせてくださいね!」
ニコニコとご機嫌な笑顔の凪原。確かに彼は、彼女の演奏を、幸せそうな表情で聞いていた。尚巳の記憶の中にもシッカリと残っている。
「ありがとうございます。そのうち、是非」
「はい! 楽しみにしてます!」
――今日、弾いてあげればいい記念になったかも知れないのにな。
商事会社に勤める凪原は人脈が広い。ライブハウスの人間にだけ声をかけているわけでもないのだろう。
――まぁ、店で弾けばいいか。
「ねぇ聞いてよ、お兄ちゃん」
手を繋ぎ、廊下を歩きながら夏実が話しかけて来た。
「今日ね、レイジくんも一緒に来ていいでしょってわたし言ったの」
「誰? レイジくんて誰?」
「一組のレイジくんだよ。彼氏なの」
「そっか。ママがダメって?」
「どうせわたし達も結婚するのに」
「は……はは。えっとね、呼べる人数と言うのがあって、そこには予算と言うものもあって、仕事関係のお付き合いもあって、調整するのって大変なんだよ。親しい人ほど遠慮してもらわないといけない事って、結構あるんだ。隼人さんも考えた末に決定した事だから、我慢してあげて欲しいな。彼だって心苦しいと思うよ」
「う……ん」と、難しそうな声で夏実は唸った。
「じゃあ今日は尚巳くんが、レイジくんの代わりをしてくれる?」
「へっ?」
――い、イヤだ! 子供なんて面倒くさいし、勝手だし、空気読まないし、理性も無いし!
「……俺でいいなら」
――ああ。俺はまた、自分に負けた。どうしてこう、拒絶が出来ないのだろう。
――この子、本当は男の子って事、無い、よな……。男ならゲンコツしてやるのに。
「ほんと?」
「うん……」
――ウソだけど。
「そっちの人」と言いながら夏実は、後ろを見た。そこには一歩遅れて付いて来ている牧谷が居る。
「彼女?」
牧谷は「ち、違うよ」と否定した。
「そうだよね。尚巳くんに比べて地味だもんね。普通だもんね。似合わないし」
「い、いやあのね、夏実ちゃん」
「いいの、尚巳くんっ」
「え?」
「わたしの事は、いいの。気にしないで」
牧谷は遠慮がちに呟いた。
「夏実ちゃん。俺、あまり感心しないなぁ。人の事をそんな風に言うのは、よくないと思うよ」
「悪意なんて無いもん。イジワル言ったわけじゃないんだよ?」
「ん、でもさ。言葉は選ぼうよ。て言うか、口にしなければならないかどうか、一度考えようよ。今、ここに居るのが俺じゃなくてレイジくんだったら、夏実ちゃんは彼に恥をかかせる事になるんだよ?」
「どうして」
夏実はムッとして、口を尖らせた。
尚巳は再び、彼女に合わせてしゃがみ込む。
そして正面から目を、しっかりと見て。
「レイジくんの知り合いにそんな事言ったら、レイジくんが困るとか悲しむとか、考えないの? 夏実ちゃんだってレイジくんが、誰かの事を……夏実ちゃんの大切な人の事を悪く言ったら、イヤでしょ」
「イヤじゃないよ。レイジくんは、わたしの事だけ好きでいればいいんだもん!」
――ダメだコレ。
話が通じない。だからガキは嫌いなのだ。
――レイジくんも、気の毒だぁ。
こんな彼女を連れていたら、トラブルの連続だ。
――て言うか、本当に彼氏なのか?
彼氏だと思い込んでいるだけ……ありえそうな事だ。あぁ、怖い。
再び立ち上がり、ため息を吐いた。すると牧谷の「くすっ」とした息が聞こえた。
そちらを見ると彼女は品良く、苦笑いを浮かべている。
「あの、ごめんね」
「ううん。尚巳くんが謝る事じゃないよ。面白いし」
――どこが!
どこに面白い要素があったのか、尚巳には全く分からなかった。
――女性同士、もしかして通じ合うものがあるのか? いや、牧谷さんはこんな事言いそうにないし、考えないだろうし。
結論としては牧谷が、夏実と尚巳に気を遣っている。それ以外に考えられない。
「ね、早く行こっ」
「あ、うん」
腕を強く引っ張られた時。
「あの、尚巳くんわたし、ちょっと化粧室……」
「あ。はい、分かりました」
「ごめんね」と小さく手を振り、彼女はパウダールームへと向かった。
行ってしまった。これでガキとふたりきりである。こんなガキにさえ愛想よく接する自分が憎い……。
――もう、早く時間にならないかなぁ。
「ほら尚巳くん、こっちの部屋だよ!」
夏実がその部屋の扉を指差し、尚巳が腕を伸ばそうとした時、である。
背後の方から、複数の悲鳴が聞こえたのは。
パウダールームだ。さっき牧谷が行くと言っていた場所である。
その周囲に何人も人が集まり、女性達が何事かと入ってゆく。
「大丈夫? しっかりして」と中年女性に支えられながら出て来たのは、牧谷であった。
「牧谷さんっ」と駆け寄る。
「どうしたんですか!」
デコルテと肩に傷が付き、少し血が流れていた。
「あなた、彼氏さん? この人の座ってた鏡の上の照明が、突然割れたの!」
同時に出て来た二十代後半くらいの女性が、教えてくれた。
「あの、すみません。ありがとうございます」と礼を言って、中年女性から牧谷を受け取る。
「他の方は大丈夫ですか」と尋ねると、数人の女性達は「あたし達は別に」と答えてくれた。どうやら怪我をしたのは、牧谷だけらしい。
「控え室へ戻りましょうか」と言っていると、スタッフの人達が来てくれた。
医務室へ連れて行かれ、手当てをしてもらい、控え室へと戻る。
「本当に申し訳ございません!」と、凪原の控室で責任者らしき人に何度も頭を下げられた。
牧谷は恐縮している。
「あの、本当にもう痛くも無いですし、小さなケガですから」
ドレスに傷は付いていないようだ。それだけはよかったかな、と尚巳は思った。
――でもいくら寿命だからって、照明が弾け飛ぶか?
詳しくないので、そこを疑っていいのかどうかすら、尚巳には分からなかった。ただこれまでの人生で、そんな経験はした事がない、と思う。
漫画や映画などでは見た事があるかも知れない。だがそれだって、狙撃されたなどの原因があった上で、だったような気がする。
牧谷が責任者の名刺を受け取り、スタッフは控え室から出て行った。
「あの、凪原さん。騒がしくしちゃってごめんなさい……」
牧谷が肩を落とし、呟く。
「いや、こっちこそ危険な場所に呼び出しちゃったみたいで」
「あの、川嶋さ……奥様には、内緒にしておいてくださいね。せっかくの披露宴なのに、これくらい本当に平気ですから」
「ありがとうございます」
「優しいですよね、牧谷さんって」と尚巳は言った。
彼女は小さく首を振り「そんな」と否定をする。
「ギターの弦が切れた時の方が、全然痛いですし」と言って笑う。
「もぉ! ドジなんだから」
夏実が尚巳の腕にしがみついたまま、言い捨てた。すると彼女の母親から「こらっ!」と強く怒られ、ムッとしている。
――この子、本当に凪原さんと血が繋がってるんだろうか……なんか、毒の量が他の子より多い気がするんだけど。