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時間が押してしまい、結局、披露宴は、あれ以上のプログラムをこなす事は出来なかった。
尚巳がティーラウンジの肉体へ戻った時には、凪原達の持ち時間は終わってしまっていたようだ。
他のゲストもそれぞれ、会場を後にしたらしい。
しばらくお茶を飲みながらボウッとして過ごし、尚巳は気力の回復を待つ事にした。
その間にも凪原が、牧谷をタクシーに乗せてくれていたらしい。
彼らの間でどのように話が落ち着いたのかは知らないが、今ここで追求せずとも、そのうち分かるだろう。
尚巳はひとり。
庭の奥にある林を散歩しながら、友人であるオーナーの智史に電話をかけた。
木漏れ日の中で聞く彼の声はいつもと同じようにノンキで、優しい。
穏やかであたたかい波動は、今日もブレてはいなかった。
『で、聞きたい事って?』
「うん。今日の披露宴の店長代理って、どうして牧谷さんに決めたわけ?」
『えー、別に深い意味は無いんだけどさぁ。最近、ちょっと落ち込んでる風だったから、気分転換にいいかな~と思って。女の人だから、ほら。装うのも楽しいんじゃない?』
「はぁ、なるほどね」
『ん? 何かあったの?』
「いや、別に」
『ふぅん? まぁいいけどさ、でも』
「ん~?」
『写真くらは撮ってくれたんだろ? 楽しみにしてるね』
智史の言葉に、尚巳は思わず脱力した。
そんな余裕がどこにあったと言うのか。
『え。ナニ笑ってるの?』
「いやまぁ……今日の事は、俺のクチからはカンベンな。そのうち凪原さん達が来てくれるだろうから、そっちから聞いて」
『そっか~。……声が疲れてるみたいだし、尚巳、車で行ったんだろ? 気をつけて帰れよ』
誰かに心配してもらえるのは、嬉しい。
尚巳は素直に「ありがと」と呟いた。
そして電話を切る。
この智史と言う友人は、勘がいいんだか鈍いんだか分からない。
尚巳も気にしなかった牧谷の気分を読み取っておきながら、渦中へと放り込むような事をする。
――優しいんだか恐ろしいんだか、相変わらず分かんないな。
と、小さく笑った時だ。
『ありがとう』
『ありがとう』
『そこの貴方、ありがとう』
周囲から無数の、精霊の声が聞こえた。
「こちらこそ、ご協力ありがとうございました。心より感謝いたします」
左手を胸に当て、頭を下げる。
風が吹き抜け、葉と草を揺らした。
穏やかな気配に包まれ、尚巳はあの夫婦の事を思い返す。
雛子の両親だ。
あの母親から〈自分は不器用である〉と言うコンプレックスは拭い去れないだろうし、その必要も無いだろう。
旦那からの言葉が通じたのか。再び目を覚ました時の彼女は穏やかそうな、母の顔をしていた。
尚巳はそのタイミングで肉体に戻ってしまったので、これから先は、さっき雛子から聞いた話だ。
雛子の母親は恥ずかしい事をしてしまったと娘夫婦に謝り、ふたりの結婚を改めて認めたらしい。
騒いだ記憶があるのなら、それこそ泣きたいだろう。
けれど彼女はそうはせず、凪原に頭を下げたと言う。
よかった。
彼女も良識のある、普通の母親だったのだ。
――俺にとってはクソババァだったけど、それも過去の話だよな。
その時、木漏れ日の隙間から白い影がゆらりと姿を現した。
「お帰り~、ピー輔っ。お前も今日は大変だったなぁ」
思わず両腕を伸ばし、抱きつこうとした。
だが彼はヒラリと身をかわし、尚巳の抱擁から逃れる。いつもの事だ。
「もぉ、ケチぃな。それよりあの旦那さん、無事に送り届けてくれて、ありがと」
ピー輔はクイッと胸を張る。
「ここ、少しだけさ……お前と出会ったあの森に似てるような気がするね」
ピー輔は雛鳥の頃、兄弟に巣から落とされたらしい。
その時の落下速度が次元の壁を越えさせ、彼を尚巳の足元へと運んで来たのだ。
精霊の国から、尚巳の元へ。
この国に暮らす、自分の元へ。
「お前は俺にとって〈落ちものヒロイン〉だったのかな? あはは」
その言葉が気に入らなかったのか、ピー輔はブイッと顔を反らせた。
「……ほんとにお前は、扱いにくい彼女みたいなリアクションするよなぁ。まぁ、そこも可愛いんだけどさぁ」
ピー輔がヒラリと飛んで来たかと思うと、尚巳の左肩に止まった。
突然の事にときめいていると、頭部にクチバシがガツン! と突き立てられたのである。
素材は紙なのに、とても痛い。
「ちょ……ゴメンって」
ツーンと顔を反らし、こちらの言葉を無視する。
「もぉ、いいけどさ……そろそろ帰ろうか?」
ピー輔はフンフン、と二度頷いた。
尚巳が手を出すと掌に降りて来て、その身体を横たえる。
そして、終わり。
彼は抜け、単なる紙が残された。
いつものように綺麗に折りたたみ、手帳に挟んで、閉じる。
「この瞬間だけは、いつまで経っても慣れないな。寂しいもんだ」
ピー輔が居なくなるわけではない。次元を超えてどこかへ帰ってしまうわけでもない。
呼べばすぐに来てくれるし、別れと言うほど大した別れでもないのに。
一日、一緒に遊んだ後。
友達が家へ帰ってしまう後ろ姿を見送るような、そんな寂しさ。
「俺も人の事は言えた義理じゃないけどね」
牧谷に向かって偉そうに説教したクセして、こんな気持ちになるのだ。
自分は。
人は。
人間は。
――娘を花嫁として送り出す親の寂しさは、こんなものじゃないんだろうな……。もっとこう、九十度レベルの急降下って言うか。
いつだって会えるのに。
縁が切れるわけではないのに。
そんな事くらい、理解しているのに。
人の心が味わう感情は、理屈だけでは処理出来ない。
「この不安定さが〈人間〉……だよなぁ」
思い切り誰かを憎み、悲しさを味わい、寂しさを味わい、大切な人に向かって必死に手を伸ばす。
それはとても疲れて傷付き、理不尽さに泣いてしまうかも知れないけれど。
でもそれは仕方がない。
なぜなら自分達は〈ここ〉に、生まれて来てしまったのだから。
・ お わ り ・




