00
■00■
その一軒家には、男が四人住んでいる。
朝から晴れていた。祝日で、大安吉日。
「お祝い、ちゃんと袱紗に包んだ。携帯、財布、手帳……これだけ持ってればいいよな。あ、いや。ハンカチ要るか? 一応」
尚巳は冠婚葬祭用のスーツを着て、机の上に並べたそれらを指差し確認した。
今日は大切なお客様の、披露宴である。
バイト先の、いつもお世話になっている常連客同士が結婚するのだ。失礼があってはいけない。
部屋を出てリビングに向かうと、同居人が三人、待ち構えていた。
「おっはよ、尚巳。こんな日にも朝食の用意、ありがとう。でも気ィ使ってくれなくてよかったのに。昨日、大変だったんだろ?」
無邪気に微笑む龍壱、高校一年生。食欲の塊である。
「いや、お前らの朝飯くらいどうって事ないし、手間にもなんない」
龍壱の食う量が、他の人間より多いだけだ。コイツは尚巳の三倍くらいは食うだろうか。食おうと思えば多分、五倍でも食うだろう。でもまぁ、高校生ってそんなモンだと思う。特に龍壱は背が高く骨格もシッカリしている方だし、当然だろう。
――あぁ。俺、いい嫁になれそう~。主夫もいいかなぁ。でも外に出てたいし、家庭に引っ込むのは無いな。
「忘れ物は無いか」と心配してくれるのは、フリーのコンサルタントをやっている楓。二十代半ばくらいか。ハッキリと年齢を確かめた事はまだない。
そしてソファに身体を沈め、こちらを睨んでいるのが弥生。童顔で、中学生にしても小柄な方だと思われる。そしてそれを口にはしないが、本人はとても気にしている。
そんな彼が低い声で、ひとこと。
「七五三か」
人は、自分が気にしている事で口撃して来ると言う。可哀想に。そんなにもコンプレックスだったか。実年齢より幼く見られ続ければ、引きこもりにもなるだろう。無理はない話だ。うん。
「俺が七歳なら、お前は三歳だな」
「はぁぁ?」
「こんな日の朝から騒ぐんじゃない。それより尚巳、気をつけて行くんだぞ」
「あ? うん」
今日は楓所有の車を借りて出かける。運転には気をつけよう。
「いや……そうじゃなくて。結構人気の会場なんだろう」
「そうらしいよ。チャペルが併設してあって、レンタルホールもやってる洋館なんだって」
「だからだよ。病院ほどではないだろうけど、違う種類のエグいモノが居るだろうから、一応気をつけろって事」
楓からの忠告。その意味が分かった。
きっとそこには様々な感情が、さぞかし渦巻いている事だろう。
けれど人間の残した念ごときに、自分が巻き込まれるとは思っていない。相手は残像みたいなものだ。尚巳だって素人ではない、のだから。
でもまぁ確かに、気をつけるに越したことは無い、とは思う。忠告はありがたく受け取っておこう。
「じゃ俺、そろそろ行くわー。フルーツの様子も見ておきたいし」
「作品、会場に届いたのか?」
「さっき凪原さんからメール来たから、無事届いたみたい。ありがと、って」
革靴の紐を結びながら、尚巳は返事をする。
凪原隼人、と言うのが本日の主役だ。ジャズをこよなく愛する男である。
尚巳のバイト先であるライブハウスによく来てくれる。
そこで新婦となる川嶋雛子と出会い、付き合うようにった。
ライブハウスは尚巳の友人が営業している。大学で経済を学んでいる奴だ。
店を始めた頃は、高校時代の友人であるバンドマンくらいしか出演していなかったが、いつの間にか様々なジャンルのプレイヤーが出入りするようになっていた。
特にクラシックとジャズの人達が多い。特にそっち方面に多く声をかけたわけでもないらしく、気づいたら現状が出来上がっていた。
でもそのおかげで、他店との差別化に成功しているような気がする。
尚巳もどちらかと言うとロックよりそちら系の方が好きだし、店は居心地がいい。土地の性質もいいと思われる。
――そうか。土地が彼らを〈呼んで〉るのかも、な。
「あぁ、それから。外、な」
「ん?」
「いっぱい来てるから、驚くなよ」
「は? 天使でもお祝いに訪れてるって?」
「……ナニ言ってんだ、素ボケ止めろ。出てみれば分かる」
尚巳は「何なんだ」と思いながら玄関扉を開けた。そしてギョッとする。
そこには何人もの女の子達が、スマホだの携帯だのデジカメだの持って待ち構えていた。小学校低学年から、尚巳より少し年上の人まで。
「え……ちょ……」
どの子も見覚えがある。近所の女の子達だ。一番多いのは、中・高生だった。
「きゃーっ! スーツ姿素敵ですぅ!」
電子のシャッター音が鳴り響く。天気のいい屋外なのに、フラッシュも数回光った。
「い、いやあの、ちょ……えっ?」
「デートなんですか? まさかこれから、彼女のご両親にご挨拶とか言わないですよねっ」
「彼女が居るなんて聞いてないですよぉぉ!」
「な、なんで……? みんな、どうしたの」
「だって弥生ちゃんが珍しく、お話してくれたんだもの。今日は尚巳さんがオメカシしてお出かけするから、見ものだよ、って」
――あ、あいつぅぅぅ……! コミュ障の引きこもり気取ってるクセに、こんな時ばっかり営業能力発揮しやがって!
これだけの女の子を集められるのだ。人見知りなんて嘘に決まっている。あのふてぶてしい態度からは、コミュ障の繊細さなど感じられない。神経は図太いに決まっている。
――今度あいつの嫌いなキューリ食わせてやる! スムージーに混ぜて、飲ませてやる! 泣け! 泣くがいい! 男の怒りの、陰険さを思い知れ!
前後左右から腕を引っ張られ、ツーショットをせがまれる。
何人居るのだ。パッと見……十人くらいか? 全員と写真を撮ってる暇などない。
なのに袖を、衣を、引っ張りまくられる。
「あの、離して……俺、時間が……シワになっちゃうから、止めて……」
こんな時、思い切り怒鳴れればラクなのだろうが、あいにく自分はそう言う人間ではない。
女の子相手に怒鳴るのは、ちょっと。とセーブしてしまう。男相手だったら遠慮しないのだが。
「くぉら、お前らっ! 尚巳の邪魔してっと、ぶん殴るぞっ」
龍壱が玄関から出て来た。
「あ、龍壱くんっ。お口にごはん粒、付いてる。かぁわいい〜ッ」
「うっ……うる、せ……! 尚巳も早く行けよっ」
当然だ。相手をする気など微塵も無い。
尚巳はガレージに逃げ込んで、車に乗った。エンジンを掛け、音楽を流す。モーツァルトだった。
「俺、今はショパンがいいわ」とため息混じりに呟いて、曲を変える。
そして彼女達を引かないよう、ぶつからないよう気をつけながら、ゆるりゆるりと出発する。
周囲を取り囲まれ、車の中でビビりながらその視線を浴び続ける。トンネルなどが舞台の、こんな怪談をよく聞く。怪異と出会った彼らは、今の自分の心境と同じなのではないだろうか、とチラリと思った。
「早く帰って来てねー!」と追い討ちの声が聞こえる。
一秒でも早く彼女達の視線から解放されたくて、とりあえず最初の角を曲がった。