表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

火道を渡りて空を視る

作者: さわだ


僕は16歳で宇宙へと舞い上がった。

「偉大な祖国」と呼ばれた国に生まれた影響で、僕は宇宙飛行士になった。

この国には偉大な指導者、歴史を作り出す者という意味の「筆記長」という人物の下、誰もが平等に暮らしていた。

平等と言う言葉に色々な解釈があることを知ったのは国が崩壊した後だった。

チャンスが等しく与えられている状態が平等とする考え方と、誰もが同じ命令を受け取る状態を平等という考え。

僕の国は指導者と人民で構成されていて、凄くシンプルだった。そうしなければ少ない資源を食潰し合ってしまうから、中世の様な単純な社会を構成していた。だから、例えば宇宙飛行士になれるのは僕のように幸か不幸か偶々選ばれた人間だけだった。どんなに星の世界への熱意を持っていても、その運を掴まなければ宇宙には行けない。

宇宙飛行士になれるチャンスが平等に与えられている国があるという。

その国では宇宙飛行士は試験で選ばれる。何度も試験をして、気の遠くなるような時間を掛けて最高の人物を選ぶ。

僕はその国に行ったことはないが、さぞ裕福な国なのだろう。

僕の国では違う。

宇宙飛行士は宇宙飛行士を必要とする「筆記長」が命令して生まれる。

彼が宇宙飛行士を欲しいと言えば、その日に宇宙飛行士が誕生する。

「偉大な祖国」の歴史を作り出す「筆記長」がその歴史に「宇宙飛行士誕生」と書けば、僕らの国には宇宙飛行士が生まれる。

誰がなったかのか? どういう経緯で? などの情報は「筆記長」が必要としなければ書かれることは無い。


だから僕が宇宙飛行士になった経緯は分からない。


「筆記長」がその辺の「歴史」を書かなかったからだ。

書かなかったのか、書く必要がなかったのか、書いては不味かったのかは分からない。

ただ僕は「偉大な祖国」が生んだ「偉大な指導者」によって推進された「宇宙開発計画」により必要とされた「宇宙飛行士」に「宇宙委員会」から選ばれた。

通っていた国民学校での成績と、簡単な心理テスト。そして「偉大な祖国」での宇宙開発の総責任者であるロマン・ヤシン宇宙委員長の面接を経て僕は宇宙飛行士に抜擢された。


なぜ僕が選ばれたかは色々と理由がある。

けどロマン・ヤシン委員長に言わせれば理由は一つ。彼は面接の最後でこう言った。

「君は私の言うことを聞けるか?」

僕がハイと答えると彼は嬉しそうに、熊のような大きな手で僕の腕を掴むと、手のひらに小さなバッチをくれた。

五芒星の周りを回る楕円軌道が描かれた絵、子どもながらに子どもっぽいと思ったが、それが宇宙への通行札だった。

ヤシン委員長の言うことを聞いていたら、僕はあっという間に宇宙飛行士になっていた。

今考えれば当たり前だった。

彼に必要なのは部品の様に言うことを聞く人間だった。

重い宇宙船を持ち上げるロケットエンジン、正確に軌道に打ち上げるための計算機。沢山の機械を束ねたもの、それがロケットで僕も例外ではない。

ヤシン委員長は素直に言うことを聞くものが好きだった。

重くても確実に動くエンジンとかが大好きで、あまり人付き会いは得意ではなかった。

普通、僕らの国で委員長と名が付けば「偉大な祖国」が与えてくれた「権限」で普段食べられない肉を口にしたり、暖かい服を家族に配ったりする。

つまり人より豊かな暮らしができるのに、彼はそれをしなかった。

たぶんめんどくさかったのだろう、そんな事をする時間が無かった。ヤシン委員長は体は大きいが、若い時に病気に掛かり、今でも度々入院していた。

生きている時間が人より限られていると自覚しているようで、限られた時間全てを使って宇宙への挑戦をしていた。

そんな怨念のような力でヤシン委員長はロケットを作り上げて、僕たち「言うことを聞く」少年達を宇宙へと送り出していた。

人類初の宇宙飛行士「セルゲイ・ラーニン」に続いて僕「トマス・クリャビヤ」は二番目の宇宙飛行士。

二番目だから世界初の宇宙飛行士じゃなく、只の宇宙飛行士。お陰でセルゲイのように世界中を親善大使として飛び回る必要がなかった。

彼が飛行機で世界中に「偉大な祖国」の科学的進歩を知らせるために働いていたことは知っていた。僕ら少年宇宙飛行士が集められた「コスモドロード」に彼が居たのは最初の打ち上げの時だけだったからだ。

ヤシン委員長にセルゲイは何処に行ったのと聞くと「宣伝局の人間が彼を遠いところへ連れ回している」と言った。

「宇宙よりも遠いところ?」

そう聞いた僕を見ずに、委員長はつぶやくように言った。

「遠くはないが壁の向こうだからな、行くのは宇宙より難しい」

僕には壁というものがなんだか分からなかった。

訓練で空を高く飛んでもそんなものは見えなかったからだ。

それが国境という地図上のもので、「冷戦」と呼ばれる戦争で生まれた、埋めることのできない溝だということを理解するのは僕がもう少し大人になってからだ。

そう、あの「コスモドロード(宇宙への道)」はそういった場所だった。

世界の何処よりも宇宙に近い場所、逆に言えば宇宙にしか行けない場所だった。

あの街に閉じこもった人たちが井戸に落ちた人間のようにただ一点を、星の世界を目指していた。

僕は国家の都合でたまたまその井戸に放り込まれた。

だから空を見上げた。

そこが僕の行きたい場所だとあの時は信じていた。

けどそこは僕の本当に行きたい場所じゃなかった事に僕は気がつくことができた。

前置きが長くなったけど、それじゃあ初めての宇宙から落ちるところから話を始めようか?





僕は今高度一万メートルの上空にいる。

計測器の針がめまぐるしく回る、高度計の針だけが正確に下がる高度をなぞっていた。

針の落ち方が僕の乗っている「宇宙船」と呼ばれている直径二メートル程の球体の高度を示している。

小さな側面の覗き窓からは白い雲が横から見えた。

ついさっきまではのっぺりとした平面だった雲が立体的に見える。

体の重さと落下するスピードがこの星に帰ってきたことを実感させる。

同時に僕の命があともう少しで終わりを告げることも。

高度計の進むスピードは明らかに速すぎた。

このスピードでは僕は地上に落ちるのではなく、叩き付けられてしまう。宇宙船は丈夫にできているので問題ないだろうが、僕は卵の様に脆い。

僕に出来ることは高度計を眺めるだけではない、唯一操作できる装置、右肩上の辺りに付いている緊急手動パラシュート装置を作動させるレバーを引いた。

それでも高度計の落ちる早さは変わらない。

これで僕にできることは無くなった。

「偉大な祖国」が作り上げたロケットは完全に機能して、僕を大気圏外に放り投げて広大な祖国の大地へ無事に返してくれる筈だったがどうやら上手くいきそうもない。

「9500、9000、8500・・・・・・」

僕ら宇宙飛行士の仕事は計器を読み取ることだった。それ以外の仕事は無い。宇宙船全ての操作は管制室で行う。この宇宙船には僕の意志を伝える操縦桿の類はないのだ。

科学者が僕ら宇宙飛行士の事を「荷物」と言っていたのを思い出す。

僕は荷物だから運ばれるだけで文句は言えない。最後のレバーを引いた後は運命をこの棺に託すしかない。

「8000、7500、7000・・・・・・」

声は相変わらず計器を読み上げていた、自分でも驚くくらい僕は機械になりきっていた。地上との更新する装置も壊れているので、宇宙船の中には僕の声だけが響く。

細かい震動がシートから伝わる、大気が宇宙船を揺らしている。宇宙では何もなくて、小さな窓から見える地球との距離も再突入まで変わらないので止まっているようだった。あの時の静けさが嘘のように、今の宇宙船は激しく僕を揺さぶる。

「6500、60・・・・・・5500・・・・・・」

突入スピードが上がっている。

そこで僕はもう一度緊急レバーを引く。


反応なし。


もう一度。


反応なし。


「5000・・・・・・4000・・・・・・」


何度も何度も壊れたオモチャのように僕は一心不乱にレバーを引いた。

死にたくないと言う言葉は頭に浮かんでこなかった、ただ体が勝手に動いてレバーを一生懸命引いている。


「3000・・・・・・2000・・・・・・」


振動はさらに激しくなって、僕は舌を噛みそうになって高度計を読み上げるのを止めた。

それでも視線は高度計を外さなかった。


一瞬、落ちることしか知らない筈の針がその仕事を躊躇した。

僕が疑問に思ったと同時に振動が収まって、何か持ち上げられるような感触。

シートベルトが僕の体を強く縛り付ける。

急に制動が掛かり、息が苦しくなって咳き込んだ。

高度計は今までと違ってゆっくりと落ちていった、少し速すぎるのは分かっていたが少なくともひしゃげてしまう事は無くなりそうだった。

僕の執念がパラシュートを開かせたのか、それとも激しい振動で止めていた金具が外れたのか?

原因はどうあれ僕は助かりそうだった。


頭の中で考えても、今すぐには確認できない。

もうすぐ地上に降りれば原因も分かるだろう。

次に乗るときには無事にパラシュートが開いて欲しいので、開かなかった原因が知りたかった。

そう、この時はまだ次も宇宙船に乗るつもりだった。

そして直ぐにそれが難しいことであるということを、さっきから色々教えてくれる高度計がまた知らせてくれた。


「100・・・・・・50・・・・・・」


また落下速度が上がった。宇宙船はコップから溢れる水の様に大地に落ちる。

いや雷か?

ものすごい音ともに衝撃。僕は何度も叩き付けられた後、沢山の部品の洗礼を受けた。

テーブルから落ちた卵のようにグチャグチャにはならなかったが、掻き回したスープのように僕は機械と混ざり合う。視界が闇に消える。


何かショートする音が聞こえ、暗い船内で火花が散って見える。

僕は初めてシートベルトに手を掛けた。

ベルトを外そうと右腕を上げようとすると痛みが走った。動くことは動くが額から汗がにじみ出る。

左手を動かしたらこちらは問題なく動いた。

慣れない左腕で只でさえ外すのに時間が掛かるベルトを解くのは骨の折れる作業だった。

僕は早くこの宇宙船から出たかった。

ヤシン委員長の指示では宇宙船から勝手に出ないようにと命令されていたが、本能がそれを拒否していた。

何とかベルトを外すと僕は天井に設置された唯一の扉に手を掛ける。

外に出る扉も幾重にも施錠されているので簡単には開けられない。片腕で作業するのは大変だったが、それでも僕は殻を叩くひな鳥のように必死に体を動かす。

宇宙の真空で僕の体を守ってくれた殻。その分重く頑丈に作られているので片手で動かせるかどうか不安だったが、僕のひ弱な肉体は、その危機を感じ取っているのか最後の力を振り絞って扉を開けた。

息は自然と荒くなった。 素潜りの後のように僕は青い空に向かって肺いっぱいに空気を吸い込む。

片腕で扉をよじ登ろうとするとまた激痛が走った。今度は今までの痛みとは比べものにならない、何か複雑な痛み。

激痛は一気に体力を奪い去った。

僕は再びシートへとうずくまる。

激痛は足からだった。痛みが足から頭へとよじ登ってくるのが分かる。

よく考えればシートで大人しく救助を待っていれば良かった。

何も痛い思いを、消耗して外に出る必要はなかった。

けど、僕にはどうしても天井に大きく開いた空へと、外に出たかった。ずっとこの船内に閉じこめられていたからかもしれないが、そんな理由よりも、僕には青が何よりも欲しかった。体の全身で空を感じたかったのかもしれない。

もう一度空へと決心は早かった。

動く左腕を伸ばして天井へしがみつく。

なるべく足に負担を掛けないように腕の力だけで体を支える。また足から激痛が走る。どうやら右足が折れているようだった。左足に力を入れてみると、頼りないが感触はあった。思い切って左足で粗末なシートを蹴ると僕の体は一日ぶりに船外へと出た。

そこで初めて僕は見知らぬ土地に居ることを知った。

目の前にはまだらな茶色と濃い緑のパッチワークのような世界が広がっていた、遠くに白い冠を被った高い山々が見える。

何処だろう?

僕が住んでいる「コスモドロード」の針葉樹の世界とはまるで違う。強い風が僕の頬を撫でる。湿った空気を感じながら僕はもう少し体を外に出そうと上体を動かす、宇宙船の外壁は黒く焼けただれていて再突入時の凄さを物語っていた。撫でるように僕は船体を這う。

何に焦っていたのか自分でも分からないが、必死に体を動かすと僕の体は球面の外壁に沿ってそのまま転がり落ちてしまった。

無様に地面に叩き付けられると共に激痛が僕の体を走った。

口に含んだ土と草を噛みしめながら僕は激痛に意識を失おうとしていた。

目の前は久方ぶりの大地、足の裏に安心を感じる。

「偉大な祖国」の大地か分からないけど、地球であることは間違いない。僕は帰ってきた。この土の固まりの上に。

暗い。

目の前は暗かったので僕は最後の力を振り絞って仰向けに倒れ込んだ。

もう、痛みなんか忘れていた。

目の前には青空が広がる。僕が知っている空よりも濃い色。

僕はこの青空の向こう側に行って、今また地球に帰ってきた。

不思議でも何でもなかった、自分の意志で宇宙船に乗り込んで、こうやって自分でまた這い出てきた。

僕は自分で望んで此処にいると思っていた。

宇宙に飛び出して、知らない土地で這いつくばっているのはそうありたいと望んだから。

「偉大な祖国」でもヤシン委員長のせいでもない、そうやって頭の中では必死でこの絶望的な状況への言い訳をしていた。

気がつくと僕は泣いていた、なぜだか分からない。

大空の下で僕は久しぶりに泣いていた。

目尻に涙が貯まるのを感じて、僕はこれ以上涙を流したくないので瞳を閉じる。

そしてそのまま気を失った。


「スピカ!」


誰かの声が僕の耳に入った。

透き通るように遠くから虚ろな僕の意識に語りかけてくる声。

僕はどうやらこの星で一人ではないらしい。


「ピナル」

どさっと荷物が置かれる音。

女の子の声だった。

そしてかけ声に答えたのは動物の声、羊だろうか?

暢気な泣き声を聞きながら、僕は眠りに落ちた。




「同士モストボイ大尉」

呼び止められた女性が振り向くと、そこには白髪を蓄え、黒い縁のメガネを掛けた気むずかしそうな老人が立っていた。

「同士ヤシン」

綺麗な軍隊式の敬礼で女性が答えると、ヤシン国家委員長はすこし顔を綻ばせた。

「どうして此処へ?」

「君を捜していた」

モストボイ大尉は表情を崩さずに敬礼を解く。髪を軍帽に納めたその顔は端正と称して間違いがない、均等が取れて知性を感じさせた。

「何か?」

「私の宇宙船をよろしく頼むよ」

「必ず此処へ持ち帰ります」

「次の宇宙計画へと続けていくのには是非必要なものだ」

自分よりも大きな男に懇願されてもモストボイ大尉は微動だにせずに、人によっては冷笑取られる笑みを浮かべた。

「同士、これは後学の為に聞いておきたいのですが、なぜ宇宙船は「偉大な祖国」ではなく、隣国の辺境の地へと降りてしまったのですか?」

「うむ、我々が相手にしている宇宙空間は「国家の敵」達よりも我々に苦難を強いる相手なのだ、しかし・・・・・・」

「通信装置の故障と報告が上がってきたのですが?」

自説を展開しようとしているヤシン委員長にモストボイ大尉が釘を刺す。品定めをするようにヤシン委員長は巨体を屈めてモストボイ大尉の目を見る。

微動だにしない視線は何事にも屈しない意志の強さを表明していた、只追随するためだけに命令を聞いていられるタイプでは無さそうだった。

「我々のロケットエンジンは完全に機能したが、それをコントロールする術を失ってしまった」

「すると全く連絡が取れない?」

「三系統ある通信装置全て」

なかなかヤシンは「壊れた」とか「故障した」とは言えなかった。「筆記長」を頂点とするミスを許容しない社会、それが「偉大な祖国」だった。

この国はではミスはミスをしないように指示を与えなかった人物に責任があり、罰せられるのだ。宇宙船の全てをコントロールしているヤシンも責任を問われてもおかしくなかった。故障を認めると政敵に自分を攻撃する口実を与えかねない。

「それではあなた方の観測結果を基に、速やかに行動しなければならない」

「モストボイ大尉?」

「同士、あなたの宇宙船は必ず奪回します。「偉大な祖国」の成果を他者に委ねるつもりはありません」

最初と同じように敬礼して、完璧な動作で踵を返すと建物の外にある飛行場へと向かった。

その顔は何処か嬉しそうだった。

まるで狩りにでも行くかのように、笑みを押し殺していた。

「大尉!?」

「直ぐに出せ!」

モストボイ大尉が小型の輸送機に飛び乗ると、飛行機は直ぐに滑走を始めた。

「国境警備隊は?」

「直ぐに動けるようです」

マーキングされた地図を渡されてモストボイは頷く。

赤く塗られた地域は宇宙船の着陸が予想された地域だが、 ハッキリ言って地図の縮尺を間違えている。

都市がペンの一押しで表されている地図に、デカデカと真ん中を赤く塗りつぶされている。

悪態を付くわけではなく、モストボイは軍帽を取って開いているベンチへ投げ捨てる。黒い艶やかな髪が肩に掛かり、何処か場違いな印象を与える。

まったく「偉大な祖国」は宇宙船を作れても、簡単な連絡を取り合う装置は作れない。宇宙船に乗っている搭乗員の生死すら確認できないのだ。

モストボイ大尉はいびつだとは口にしない、口にした瞬間自分が消されてしまうかもしれないからだ。

あの脅えたヤシン委員長と同じに国家に尽くし、国家に監視され、国家のために生き、殺されてしまう。

その時モストボイ大尉は思い出した。

「私の宇宙船」

そうヤシン委員長は言った。

私、全ての物を国家が所有するこの国家で「私」はない筈だ。私有は重大な国家反逆罪だ。

記録には残ってないので立証は難しいが、つまりヤシンとはそう言う人間だった。国家に忠誠を誓い、自分の為にだったらなんでも犠牲にできる男。

この国には掃いて捨てるほど居る類の人間だ。

そう言えばヤシンは「宇宙船」を持ってこいと言っていた。まるで中に乗っている筈の宇宙飛行士なんかどうでも良いと言わんばかりに。

それとも中に入っている宇宙飛行士も含めて宇宙船なのだろうか?

どっちにしても歪な話だ。

そんな事を考えてモストボイ大尉は憂鬱になったわけではない。

ただ、どう動いたら一番自分に利益があるかを考えていた。

道義の通らない連中に道義など説いても意味がないのを知っていたからだ。

国の資産を使って自分の妄想を実現させるべく邁進している男達など一番道義が通らない連中だろう。そんな奴らの作り上げたロケットに乗っている男もまた道義が通らない男なのだろうか?

確か二十歳にも満たない学生を乗せている筈だった。軍隊だってそこまで酷い事はしない。もう少しこの世という物の理不尽さを思い知らせてから死なせてやる。

すこしモストボイ大尉は宇宙船奪回の仕事に興味が出てきた。



僕は揺れていた。

あの宇宙船が落ちて行ったときの揺れとは違う、何処か懐かしくて暖かい。

ゆっくりと力強い。


「ピナル」


鈴の音が聞こえた。

目を開けると羊が併走していた。

背にはなにやら荷物が乗っかっている。


気がついて頭を上げると、僕は少女の背に乗っかっていた。

「君は? ここは?」

「しゃべらない方が良い」

綺麗な声、流暢な僕の国の言葉だ。

「危ないから喋らないで」

何がと聞こうとしたら舌を噛んだ。足下には草と時々大きな石が転がっていた。

女の子はそれらを巧みに避けて歩く。顔が見えないが、狭い肩幅で僕よりも年下のようだった。

それなのに宇宙服を着たままの僕を軽々と持ち上げて、足取りはゆっくりだが不安なく歩いている。

信じられないくらいこの子の足並みは力強かった。

「「カルマ・ドー」へ行く」

その言葉だけ現地語のようだった。

「カマル?」

「カルマ・ドー」

僕は再び下を噛みそうだったので、情けないが女の子におぶさったまま動けなかった。「コスモ・ドロード」では僕より年下は居なかった、 人民は全て平等と行っても力が弱く、経験不足の僕は常に保護の対象だった。

それが幾ら宇宙に行って疲れ切っているとはいえ、自分と同じ年か、年下の女の子におぶさるハメになるとは思わなかった。

情けないと思う心よりも何故か僕は安心しきっていた。それが後で情けなさに拍車を掛けるのだが、彼女に運んでもらっているときはそんな事を考える余裕がなかった。

「日、暮れる」

薄目を開けると確かに太陽が地平に沈み込もうとしていた。

その光景は今まで見たことのない景色で、 まるで太陽が燃え落ちてしまったようだった。僕が「コスモドロード」に赴任するまで住んでいた街では太陽は中々落ちなかった。

日の入りがあると言うことはきっと南側に落ちたのか、そう言えば測位観測しなければ。

「動かない」

そう言って少女はもう一度僕を持ち直した。

あそこまでと彼女が指した方には小さな明かりが見えた。沈み込む夕日よりもか細いが、確実に何かが光っていた。

「火?」

何か塔のようなモノが立っていた。

煙突のように高いが、その先端にユラユラと火が灯っていた。

「あれが「カルマ・ドー」、あなた達の言葉で言うと「火道」」

「「火道」?」

ドサッと僕は降ろされてしまって強く腰を打った。

逆光になったので女の子の表情は見えなかったが、僕は体の小ささに改めて驚いた。僕より一回り小さいだろうか、黒い縁取りをしたくすんだ赤いキルトのマントに民族帽を被っている、マントと同じ縁取りのスカートの下に黒いズボンと丈夫そうな革靴を履いていた。

近づいて腰を下ろすと赤みがかった髪の毛が光って見えた。

顔立ちは、今まであまり見たことがない。微妙なカーブと円らで吸い込まれそうな黒い瞳。僕の国にはあまりいない顔だった。

「どうやって此処まで来たの?」

無防備に彼女は顔を近づけてきた。

「「火道」も知らないで、どうやってこの地に?」

「どうやってって・・・・・・空から」

宇宙に行って落ちてきたと言って通じるような気がしなかった。

「空? あの鉄のかたまりで空を飛んでいたのか?」

「そうだ」

「空を飛ぶ鉄は翼が付いていると聞いた?」

「翼は捨ててきた」

「何処に?」

静かな子だと思ったが、どうやら好奇心は人並みに合ったようだ。矢継ぎ早に飛ぶ質問に少し僕は苛ついてぶっきらぼうに答えた。

「宇宙に登る時に置いて行った」

「宇宙?」

不思議そうな顔をして膝に手をついた。そのうずくまった小さな姿に本当に僕をおぶって運んだのだろうかと思った。

「空の上の場所だよ」

「空に上がある?」

「空っていうのは空気が有って、宇宙は空気がない場所のことさ」

流暢に僕の国の言葉を喋るが、知識の認識はかなりかけ離れていた。

この子に大気圏と成層圏の違いを話しても通じそうにないとは思ったが、 僕は学校の先生のように自信たっぷりに説明した。

「空気がない場所って言うのは意味が分からない」

つまらなそうに彼女は僕の顔を覗き込んだ。

「星達の世界だよ」

一番近い月までだってまだ全然遠いのだが嘘は言っていないと思った。すると女の子は直ぐに表情を変えて、僕の顔に手を充てた。

「あの星達の世界へ行ったの?」

「うん」

素直に返事をすると、一切の疑いのない眼差しで僕の顔をさすった。思ったより細い指、何か傷のようなモノがたくさんあった。

「あんな遠くからここに?」

指を上に立てて、初めて見せる驚きの表情。

段々と薄い闇が落ちてきていた、星が一つ、二つと現れ始めていた。

僕が飛んでいた場所はあの星々とはずいぶんと距離があるが、彼女より近くに行ったことは確かだ。

「だから足を怪我しているの?」

彼女が僕の折れた足を見る、よく見るとすでに止血のための布が巻かれたていた。気がつかないうちに僕は手当をしてもらっていた。

「足は使わないよ」

「じゃあどうやってあの星まで行くの?」

不思議そうに僕の顔を彼女は覗き込む。僕もたぶん同じように不思議そうな顔をしたのだろう。星へ歩いていく方法なんて、普通の知識があれば考えない。

答えられないでいると、彼女は空を一瞥してから僕に背を向けた。

僕は一瞬の躊躇の後に彼女の肩を借りた。

「背中を使った方が良い」

「良いよ、左足はまだ動く」

僕は彼女に肩を借りた、やはり頭一つ分くらい背の高さが違うのでバランスは悪かった。けど、これ以上自分よりも小さな女の子におぶさるのははずかしかった。久しぶりの恥ずかしいという感覚、激痛を感じながら僕は片足を引きずり、女の子の肩を借りて草原を歩いた。

明らかにさっき女の子に運んでもらった方が早かったのだが、文句も言わずに彼女は小さな肩を貸してくれた。

目的地はあの小さな灯が灯る塔、よく見ると他にも街灯のような明かりが見えた。一つか二つ、地平線に消え入りそうな遠くにそんな火がある。僕は周りが薄暗くなってきたのでそれがあることがやっと分かったが、隣の子はすでに知っているようだった。

そのときやっと「火道」の意味が分かった。

この大草原に点在する炎。

それを繋いだ道のことを言っているのだろう。

彼女は僕のことなど気にせずに、真っ直ぐと一番近い火へと歩いていった。迷いの全くない横顔は僕より幼いはずなのに、どこかあの「コスモドロード」の大人達を思い出させた。

あの星だけを見ていた大人達。どこも同じかと大草原の真ん中ですこし僕は安心した。

安心したら足から力が抜けた。僕はまただらしなく女の子に寄りかかってしまった。

彼女は何も文句を言わず、火道へと歩んで行く。



■■



気がつくと僕は硬いベットの上に居た。

石造りの建物、壁は微妙なカーブを描いていて天井は低かった。

いつの間にか気圧服は脱がされて、壁に打ちかけられていた。

よく考えればさっさと脱いで身軽になって歩けば良かった。

冷静に考えると自分のしたことの矛盾に気がついた。

何で僕は宇宙服を脱がなかったのか、何で僕は宇宙船を離れたのだろう?

前者よりも後者に僕は自分で納得が行かなかった。

打ち上げ前の予定では宇宙船の着陸後、数時間内に回収チームが来てくれるはずだった。それまでは交信チャンネルからの指示を聞いてその通り動けば良かった。

ところが交信チャンネルは全て途絶、さらに回収チームも来なかったと言うことは、ここは「偉大な祖国」の土地ではないのだろう。僕は見知らぬ土地で一人取り残されてしまった。

そのとき僕は初めて気がついた、「失敗した」時どういう行動を取ればよいのかという訓練は殆ど受けていない。

ぼくの宇宙船は故障するはずがないと言う前提で作られたモノだと言うことを。そんなもの有るわけがないと僕は知らない国に来て初めて気がついた。

涙が出るような屈辱や、憤りは感じない。

事実を突きつけられると僕は動けなくなってしまった。無力感に打ちのめされたと書けばまだ格好いいのだろうけど、生憎無力感を感じられるほど実力を感じた事は無かった。

それは余りにもすんなりと、競争もなく宇宙飛行士になれたからだろうか? 僕には星の世界に行く根拠があまりない事に気がついた。

ヤシン委員長は時々熱っぽく宇宙の魅力について語る、その時の彼はとても強力な権力を持った人間とは思えないくらい、屈託無く、僕より子どもっぽく親から与えられた玩具を誇らしげに自慢するように宇宙について語る。

あの情熱の欠片でもあれば僕も何か宇宙に対して感情を感じる事ができるのにと、人を実験動物のように機械に放り込んでまでも実現したいと思う夢を僕は持っていなかった。

ベットの横には窓があった。

外はすっかり火が落ちて、窓の中は暗闇に染まっていたが、遠くに一点明かりが見えた。遠くにある別の塔の炎だろうか、随分と小さくて頼りない明かり。

外の景色を見ていた僕に、無言で湯気が立ち上がるカップが差し出された。

何時の間にか湯を沸かし、ストーブを焚いた女の子が準備をしてくれた。しかし、僕はお椀を持って飲むのを躊躇した。

「これは?」

「茶」

「これが?」

緑色の液体を見て驚く僕を女の子は不思議そうに見る。

「緑の「茶」なんて見たこと無い」

「何時もどんなお茶を飲んでいるの?」

「「茶」は赤い色だろう?」

「そういえばそういう色の「茶」も見たこと有る」

そう言って彼女は僕のカップを持つと一口飲む。再び僕の手元に戻す。大丈夫だとでも言いたいのだろうか?

僕も毒が入っているのではないかと心配になっていた訳ではない、助けて貰っておいて出されたモノに手を付けないのは失礼だと思ったので意を決して緑の「茶」を飲み込む。

意外と甘く飲みやすくて拍子抜けした僕の顔を見ると、彼女はたいした感想も無くそのまま機織りの準備を始めた。

「あの・・・・・・」

声を掛けると彼女はストーブに掛けてあるポッドの所へ。

「嫌、茶はもう良いよ」

じゃあ何の様だという顔をしたので、僕は初めて礼を言った。

「ありがとう、助けてくれて」

彼女はまた興味の無さそうな顔をした。まるで人形のように表情を変えない、綺麗な顔立ちがそういう印象に追い打ちを掛けるのだろうか?

「当たりまえ」

そう言って彼女はベット脇の窓を指した。

「あのまま放っておいたらあなたは寒さで死んでしまうから」

気がつくと雨が落ちていた。大粒ではないが、窓に小さな水滴が張り付いていた。

昼とは違って夜はストーブを焚かなければいけないほどの冷え込みが襲う。確かに宇宙船の横でノンビリとしていたら僕は寒さで動けなくなっていたかもしれない。

「怪我で動けない上に火も起こせないようだとオオカミに食われる」

「オオカミが居るの?」

「ここに来るとき、あなたの血の臭いで何匹かがずっと私たちの後を付いて来てたわ」

僕は全然気がつかなかった。

「あなた・・・・・・本当に星の世界の人間なのね」

そう言いながら彼女は何か調理の準備を始めていた、何時も彼女は喋りながら何か準備していた。

「この「火道」の世界は絶えず動いていないと死んでしまうわ」

働きながら語りかける彼女には説得力が有った。

「何で助けてくれたの?」

「助けなければあなたは死んでしまう」

同じ事を言わせるなと、彼女は暖炉に掛けた鍋のスープを掻き回せる。味を見た後久しぶりに僕の顔を見た。

「生きるつもりがないの?」

僕の分からないという顔を、彼女はまた無表情で眺めると興味が無さそうにまた家事に戻った。

生きるつもりが無かったら僕は此処まで歩いてこない。

いや、半分以上は彼女が引っ張ってくれたから彼女のおかげだ。

けど僕にはやはり感動がわき上がってこなかった、何処かなんで助けたのという疑問が湧き上がる。

彼女の質問にそうだと答えたら僕はこの暖かい部屋を追い出されてしまったのだろうか?

不思議な女の子だと思ったらふと最初に解決しなければいけない問題が有ることに気がついた。

「僕はトマス・クリャビヤ 、君の名前は?」

「フィア」

簡素な答えが帰ってきて、疑問は一瞬で氷解した。フィア、僕の命を救ってくれた恩人の名前。

一つ疑問が解けて、機織りの音を子守歌にして僕は安心してまた眠ってしまった。



国境沿いの小さな基地の格納庫でモストボイ大尉は数名の部下と地図を広げていた。

「宇宙機の位置は確認できたのか?」

彼ら軍の関係者達は「宇宙船」の事を「宇宙機」と呼ぶ。あの宇宙委員会が作り出した、一人しか乗せられない機械を「宇宙船」と呼ぶのは可笑しすぎたからだ。

「まだ空軍による強行偵察もできません」

領空侵犯を起こしての空軍による落下空域の偵察はまだ行われていない。

「動きが遅い」

「どうやら空軍にしてみれば宇宙機は人気がないようで」

他人の失敗に自分たちの部下を危険に晒されたくないのか、それともこのまま問題が世界中に知れ渡れば宇宙軍の失点に繋がるのをほくそ笑んでいるのか?

両方だなと思いながら手が自然と胸ポケットの煙草に伸びる。赤い唇に細巻きが加えられると直ぐ横に居る将校から火が出てくる。煙を吸い込んで辺りを見渡すと部下が忙しそうにトラックに乗り込む準備をしていた。

「国境越えの準備は?」

「このポイントで迎えと合流します」

部下の一人が地図を指差す。

「迎え? ムルガ人か?」

静かに部下が頷く。現地の少数民族ムルガ人は迫害を受け、一部は山岳ゲリラに成り下がっていた。

「使えるのか?」

「奴らが泣いて喜ぶモノを置いていきます」

ゲリラ用の武器を供与すれば協力してくれる、そんな所かとモストボイ大尉は納得した。我が国で他者に与えられるのは武器くらいだ、資源は自国で使い切ってしまう、その資源で作った製品は国際競争力を持たない。持つのは長年の戦争で鍛えられた武器だけという現実。

「とりあえず現地で迷うことはなさそうだな」

他国での行動に少し不安があったモストボイ大尉は一つ問題が減った事を喜んだ。

「まあこの辺には「火道」も有りますからね」

「火道?」

国境警備詳しい古参の兵が顔を出した。

「この「古原」と呼ばれる大草原に点在する、陸灯台の事です。昔此処を交易路にしていたムルガ人の祖先達が作った灯台郡です。お互いが目に見える距離で設置してあって、それに沿って動けばこの大草原を突っ切ることが出来る」

「今も動いているのか?」

「こいつは地面から湧き出るガスを上手く使って一年中灯ってます、ムルガ人の誇りでも有るらしい」

「そりゃ凄い、俺が生まれた街はしょっちゅう停電するのにな」

別の部下がおどけてみせるとテーブルの周りに失笑が漏れた。モストボイは笑いもせずに地図を見続ける。

「本当に今も動いているのか?」

「はい、その火を消さないのがムルガ人の誇りでもあるので。むかし、我が軍が国境を越えたときも度々灯台を確認しています」

「よく破壊されなかったな」

「他に何もないんでねこの草原は。今はムルガ人でも少数の人間だけがこの塔を使って遊牧しているらしいです」

モストボイ大尉は宇宙局から貰った地図を広げた。火道が連なる草原がちょうど赤く塗りつぶされた落下地点と重なっていた。

「火道というのは灯台だけなのか?」

「いや、いくつかの灯台には宿泊用の小屋が付いているらしいです。なんでもこの草原は雨期はずっと雨が降り注ぐのでね、つまり・・・・・・」

「雨が降っている間は移動が出来ない」

「流石、察しが良い」

「雨の中行軍させられれば誰でも気がつく」

モストボイ大尉が女性なのに強面の男共から信頼を得ているのは戦歴のお陰だった、雨の中の山林どころか銃弾の降り注ぐ場所で生きてきた。

「濡れれば荷物は重くなるし、寒さは体力を奪う」

「だから避難用の小屋があります」

「そうすると助かっているのかもしれない」

「誰がです?」

「宇宙飛行士さ」

何名かの部下が顔を合わせた。

「だってろくにサバイバルの訓練していない、頭を占領されたガキなんでしょ?」

小声で話しかける部下を一瞬睨み付ける。訓練を受けていなければこの場所は周囲100キロの中に人の生活圏は何一つない場所だった。

ましてや今は雨期も近く夜は寒く確実に体力を奪う。

「外に放り出されれば変わるかもしれないだろう?」

変わらなければ死んでしまう、ただそれだけだとモストボイ大尉は地図を仕舞い込んだ。

「大尉はパイロットに生きていて欲しいのですか?」

部下の一人が顔を近づけて質問する。モストボイはその部下の口にまだ残っている煙草を挿した。昔だったらフィルターじゃなくて火が付いている方を口にねじ込む所だったが、ここは中央から離れた辺境の地なので少しは気を許しても良いだろうと思った。

無闇に本音を晒すな。モストボイ大尉がそれを学んだのは戦場ではなく、自分の祖国での体験からだった。



朝起きると外はまだ雨が降っていた。

雨と言うよりも霧雨の様になっていて、周りの山達もその中に隠れている。

部屋にはフィアの姿が見えなかったが、暖炉にはもう火が掛けられていた。

程なくフィアが外から戻ってきた、濡れた街灯を壁に干し、また手早くストーブの上に置いたポッドを取り出した。

また緑のお茶が出てくるのかと思ったら、今度は茶色いお茶が出てきた。

「コレは?」

「緑じゃなければ良いのでしょ?」

口を付けると甘くほんの少しアルコールの味がした。

「酒?」

「馬乳酒」

なんだかフィアに気を使わせるのは悪かった。

「フィア君は何時も何をしているの?」

「火道を歩いている」

彼女は余計なことを言わない、聞かれたことをテストの回答欄みたいに答える。

「火道を歩いてどうするの?」

「生きている」

こうやって彼女との会話は止まる。何か住んでいる世界が違う、彼女は無駄な所が無い。

僕の住んでいた世界は誰にも名前の前後に国が与えた役割があった。

僕の父は学校の先生で、母も学校の先生だった。どちらも僕の事を大事に育ててくれた。だから中学校で初めて成績で表彰されたときは誇らしげに僕を二人で抱いてくれた。今思えばそれは別れを惜しんでだったのかもしれない、優秀な人間はその能力を国家へ「偉大な祖国」へと奉仕しなければいけないと僕は教えられたし、先生である両親もそう教えていた。

だから僕が両親の元を離れて「コスモドロード」に行くときは誰も寂しい顔をしなかった、あのテストの時のように誇らしく、喜んでいてくれた。

そういえば僕の事故はどのような扱いになっているのだろうか?

そのとき僕はまるでロケットの打ち上げが失敗したときのことを何にも考えないで此処まで来た事に気がついた。

僕が聞かなかったから教えてくれなかったのだろうか? それとも本当に失敗したときのことを誰も考えていなかったのだろうか?

直ぐにでも「コスモドロード」へ、ヤシン委員長へと連絡を取らなければ行けないのに、僕の体は怪我のせいだけでなく動かなかった。

「貴方は死んでいるみたいね」

フィアはそう言って僕の目の前に食事を差し出した。焼きたてのパンみたいなモノと、何か肉と野菜が入ったスープ。

「食べて良いの?」

「駄目なモノは出さない」

僕が受け取ると直ぐに彼女は違う仕事をし始めた。

テキパキと僕がベットで寝ている間、止まっているフィアを見たことが無かった。そんな姿を見てると、宇宙船の中でじっとしているだけだった僕はフィアから見れば死んでいるのと同じようなものかもしれない。

「食べないの?」

「いや、君だけ働かせて僕が食べるのは・・・・・・」

「貴方は働けないでしょ」

そうだけど、フィアが一生懸命働いているのを見ながら食べるのは気後れする。

「一緒に食べよう」

「なぜ?」

「一緒だったら食べられるから」

僕の意を汲んでくれたのか、会話がめんどくさかったからか分からないがフィアは素直に自分の分を持って僕の横に座って早速食事を始めた。

「食べないの?」

「ああ、いただきます」

彼女も僕も神に祈りを捧げてから食事を取るということはしなかった。

僕らは暖かいパンとスープを一緒に口にする。僕は一口でこの味が好きになった、そう言えば地球に降りてから何も口にして無かった事を思い出した。僕はあっという間に出されたモノを食べ尽くしてしまう。

「まだ食べる?」

横で呆気にとられた顔をしたフィアが席を立とうとする。

「いや、いいよご馳走様」

「まだ有る」

流石に遠慮すると、彼女は自分の分を差し出した。

「貴方は体を治さなければ、人より沢山食べる」

フィアは僕に押しつけるようにご飯を進めた。

「なんで君は僕にそこまで良くしてくれるの?」

「良くする?」

「怪我した僕に此処まで看病してくれて、その家族は心配してないの?」

「私には家族は居ない、それに倒れていた人間を助けるのは当たり前」

フィアは何時も正解を口にする、この時も僕はそれ以上聞けなかった。

「星の世界に生きていたって、この「火道」に落ちてきたら此処の掟に従わなければ動けなくなってしまう。動けないのは良くない、絶対に良くない」

フィアはそう言うと扉を開けて外に出て行ってしまった。

僕は渡されたパンとスープを全部飲んで、動かない足を引き摺りながら外へ出た。

どうやら骨は付いているらしい、動く度に激痛は走るがやはり一晩ぐっすり寝て、食べ物を食べると違う。何とか壁を這って外へ出た。

「フィア・・・・・・」

フィアは子供のように扉の横でうずくまっていた。

「駄目、寝てなきゃ」

良いよと僕は立ち上がろうとした彼女を止めて、僕は横に座り込んだ。

「フィア、ありがとう助けてくれて」

今度は素直に礼が言えた。

「あのまま、宇宙船の横にいたら僕は寒さで動けなくなってた。ありがとう」

自分でも驚く位に素直に感謝の言葉が言えた。

「火道では倒れていた人間を助けるのは当たり前だから」

「当たり前の事を出来る人の方が偉いよ、僕は何も出来ない」

「星の世界に行ったことがあっても?」

「行っただけで、何もしてない」

雨空の下、僕は宇宙のことを思い出す。何もない世界、大きな地球があってこの一点で自分は暮らしてきたのかと思うと不思議だった。

目の中に全部今までの自分が入っているような気がした。ああ、こんなモンだったんだと。自分の眼にはいるくらいのモノでしかないのかと思った。

「僕が星の世界に行った話信じるの?」

素朴な疑問を彼女にぶつけてみた。

「僕が嘘を付いていると思わないの?」

「思わない。だって嘘を付いてこれる場所じゃない此処は。歩いてしか、火道伝いにしかこれない場所。あとは空から落ちてくるしか方法はない。まさか星の世界から落ちてくるとは思わなかったけど」

「此処は遠い所なんだ」

「何処から?」

僕の国では国境を越える場所は何処も遠い場所だ。よほどのコネか軍隊でも入らなければ外国、外の世界には行けない。

「星の世界からかな?」

「何時も手を伸ばしても、どんな事をしても星の世界は届かない。ねえ、星の世界ってどんな所?」

フィアからの質問は久しぶりだったので、僕は彼女と同じように正しい答えを探した。

「何もない所、静かで暗くて・・・・・・」

「夜と変わらないのね」

「けど隣には何時も地球があるんだ」

「地球?」

「この星の事だよ」

地面を叩いて僕が説明しても、彼女には感覚として分からないようだった。

「地球ってどんな所?」

「青い、青が視野一杯に広がるんだ・・・・・・」

「空と何が違うの?」

「違いはないよ、ただ君が見た空全部を僕は見たんだ」

空を全部とは変な言い方だなと思った、しかし彼女が見てきた空を僕はこの目に全て抑えたことになる。地球の外側を回って来た僕は、全ての空をこの目に見た。

「何で降りてきたの?」

「えっ?」

「そんなに一人になれて、静かで、全てを見渡せる場所からなんで火道の世界に降りてきたの?」

僕は星の世界に行った、色んな人間の思惑に乗って。

だからその先に僕が選べる選択肢は無かった。

「私も、そんな遠くに行ってもやっぱりこの場所に戻ってくる」

「なんで?」

「此処と比べて良かったら星の世界で生きる。良くなかったら戻ってくる」

比べるときに絶対的な基準がある事が彼女の強さの源だと言うことに僕は気がついた。この白く靄の掛かった草原が彼女の生きる場所全てなんだと。だから彼女は迷いのない眼をしている。

僕はどうしても彼女の横にいると自信のない自分が恥ずかしくなって、彼女の顔をまともに見れない。だから僕は彼女と同じ景色を見ることにした。

こうして僕らは少しの間、一緒に薄暗い雲に覆われた空を見上げた。何も見えない世界で、僕は何故か凄く安心しきっていた。

隣に座るフィアも同じ気持ちなんだろうか?


夜に僕はもう一度外に出てみた。彼女がどこから持ってきたのか解らないが、杖を持って来たくれたので楽に外に出られた。

白い息が出る。昼とはうって変わって冷気が体を包む。

雨はやんでいて空には零れ落ちてきそうな位に星が散りばめられていた。

標高が高いのか、星のパノラマは僕が住んでいる「コスモドロード」よりも素晴らしく、ここの方が星の世界に近い気がした。

「寒いよ」

「よく燃えている」

声を掛けて来たフィアに火道の灯台を指差す。興味のなさそうに僕に厚手のキルトを手渡す。肩にかけると寒さも和らいだ。

「凄いね、ずっと燃えている」

ガスが吹き出る音と共に大きな火の柱が出来ている。夜空に大きく、周りの星を飲み込むような大きな光。遠くに似たような地上の光点が見える。

ひとつだけでなくその奥にも有った。昼は気が付かなかったが、夜「火道」という意味を知った。

「この火は作られてから一度も消えたことがない」

「どれくらい昔からあるの?」

「御爺ちゃんが子供の頃にも有った」

石造りの建築物は百年以上の年季を感じさせる、歴史に無学なので僕には古い時代の話はわからない。彼女も詳しい話は知らないみたいだった。

この世界には少なくても当たり前のようにこの塔が火を灯し続けている。

「こんな立派な塔を作るのは大変だったんだろうね」

「もう無くなった国、東王が西へ向かう人々の為にこの塔を作っていった。こうやって夜に星を作ることによって、私たちは自分たちの意思が有れば東から西へ、西から東へと移ろうことが出来る。人や動物が動くことによって世界が動いていく」

「世界が動く?」

「人は止まってしまうと土に返る、私のお爺ちゃんも、パパ、ママもそうだった、みんな土に返った。動いてないと世界は終わってしまう、町の人間のように終わったまま土に変えるのも悪くは無い生き方だと想うの、けど私は火道を歩いていたい。最後まで歩いてこの地で眠っているパパやママ、おじいちゃんと同じようにこの場所で」

フィアは僕のほうを向く、表情は寒さで固まっているのか何も浮かんでいない。

ただ、僕は昨日初めて会ったこの女の子が表情の下に揺るがない信念を持っていることを知っている。たぶん、感情よりもしっかりとした生き方を知っているのだろう。

「だから貴方も早く動けるようにならなければ」

「僕は別に・・・・・・」

「貴方は星の世界の人間なのでしょ?」

大事なものを包むように彼女は僕の肩に掛かったキルトを整えると、何か請う様に頭を下げた。

「早く帰って自分の進んでいた道に戻らなければ、この火道から抜けられなくなる」

「君はこの火道から抜け出したいの?」

彼女は首を振る。

「ここに一人で?」

「私にはここで歩むことしか出来ない、パパやママがそうだったように、お爺ちゃんも、その前の人たちのようにこの火道を渡って暮らしていく」

僕は歴史に度々登場する巡礼者たちのことを思い出す。けど、どの例よりもフィアは当てはまらない気がした。

生活を委ねるのを人の形をした神様でもなく、ただ火が灯す道なき道に順ずる姿が純粋すぎる気がする。

「寂しくないの?」

「どうして?」

「こんな暗闇に一人だ」

「一人じゃない、明かりがあるし星も付いて来る、寂しくなんてない」

彼女が見つめる先は火道の光、そして空を覆う眩い星の数々。

「それに貴方が教えてくれた」

「僕が?」

「この星にも人の世界がある、私が気が付くと追いかけていた星にトマスが居た、私は一人じゃなかった。パパとママが土に帰ってからピナルと二人だけだった」

「ピナル?」

「羊」

あの従順に従っていた彼女の羊、フィアのパートナーを僕は探したがその姿は無かった。

「昨日、ピナルを土に返したときは本当に辛かった」

「まさか、今日の肉はあの羊?」

彼女の大事なパートナーを僕は食べてしまった。

「なんでそんな事を?」

「仕方が無い、貴方を早く星の世界に帰らすにはあの子の肉と羊毛が必要だったから・・・・・・」

「なぜ君はそこまで僕にしてくれる?」

大事な羊を殺してまで僕を助ける理由が僕には分からなかった。

「トマスは早く帰らなければ行けない星の世界に」

「そんな・・・・・・僕はただ気が付いたら宇宙に居ただけで君の大事なパートナーを失うほどの価値なんて無い」

「一日でも早く動かなければ、こんなにも広い星の世界を歩くのに、とまっている時間なんて人間にはたくさん残されてない。ほとんど見られないうちに土に返ってしまう。だから貴方はどんな手を使っても帰らなきゃ」

フィアはまるで駄々を捏ねる子供を諭すように僕に元の場所へ帰れと言った。やめて欲しかった。僕は宇宙に行っても何も変わらなかった。

ただ回りに流されているだけで、それだけで宇宙まで行った。普通の人がどんなに大変だとか遠いところへだと言っても僕にはあの世界は何の価値も無かった

「なんで僕は星の世界に帰らなければいけないの?」

気が付いたらまた僕は涙を流していた。

本当に無理を言っている子供とおんなじだった。そう想うと余計に涙は止まらない。情けなさは僕を子供にする。

「昨日初めて貴方の目を覗き込んだとき直ぐに分かったの、貴方の目は空のように空っぽだって」

フィアの指が僕の涙を拭った。

「何も入っていない目でただ空を見上げていた、何処も見ていない目ではこの火道の世界では生きていけない。ここは火道に灯る明かり以外を見ていたら生きていけない世界、貴方みたいな空から来た人には辛い土地。だから貴方は早く帰らなければいけない、星の世界へ」

「僕はこの火道では生きていけない?」

「私はもうピナルも失ってしまった、だから自分の足しかない、貴方を連れて行く事は出来ない」

「僕には君の大事な羊を失わせるほどの価値が有った?」

「ピナルも貴方も大事、けど私はやっぱりもう一人になるのは嫌だった。ピナルは後二つか三つ冬を越せば土に返ってしまうけど、貴方はまだ星の世界を歩くことが出来るのでしょ? 私が空を見上げれば貴方が居る、もう一人じゃなくなる」

フィアは神様でもなんでもなかった。僕よりリアリストで、優しくて、遠いところを真っ直ぐ見ていた。たった数日で僕は彼女の歩んだ道に惹かれていた。



意外と早く宇宙船が見つかったのは空軍の協力のおかげだった。強行偵察機のお陰でやっと位置がつかめた。ただ敵に気が付かれた可能性もある、早く片付けねばならない。

モストボイ大尉が現地人の協力により国境を越えてから数日が経ち、燃料を満載したトラックで大草原を動き回ること数日で不時着した宇宙船を発見した。

「大尉ありました!」

部下の声に天幕を張ったトラックの荷台から顔を出し双眼鏡を覗くと確かに黒く焼け焦げているが、独特な球体形状は「偉大な祖国」で作られた宇宙船だった。

「回収する」

大尉の命令で部下はライフルを構えながら宇宙船に近づく。敵が航空の物体を正確に把握できるレーダーを持っていて、先回りして待ち伏せしている可能性は無いだろうが確証は無い、警戒しながらカプセルに近づく。

「パイロットは死んだんでしょうか?」

「行けば分かるさ」

程なく宇宙船の横へトラックを横付ける、訓練された動きで十人ほどの人間がすぐに宇宙船を取り巻いた。

「大尉、カラです」

天井に口の開いた宇宙船を覗き込んだ私服の兵隊が報告すると、モストボイは軽く手を上げて収容を急がせた。

その後周囲を捜索してもパイロットの姿は確認できなかった。

「何処に消えたんでしょう?」

「足跡も無いか?」

生い茂る草を黒いブーツで踏みつけながら、白いシャツのポケットからタバコを取り出し自分で火を付ける。

「拉致された可能性は?」

「宇宙機を放って置いてか?」

部下の質問にモストボイ大尉は自問自答する。

早い段階で動けたわれわれより早くこの草原にたどり着いて宇宙飛行士の身柄を拘束して退去する?

考えを巡らせて一通り見渡す。

何も無い大草原、人が居た痕跡など何も無い。有るのはこの遥か高空から落とされた鉄球が一つと、何度も故障を繰り返したトラックとジープが一台ずつ。

後は軍服から白いシャツとカーキのパンツに履き替えた自分と部下数十名、なんとも滑稽だった。

「収容急げるか?」

「古代ローマの奴隷みたいに働けば」

部下がローマの狂帝ネロを見るように、モストボイに架しづく。

「同士、国境を越えても「偉大な祖国」の人民は平等だ」

「平等だったら誰が指示を出すんですか?」

軍隊出身者らしい答えが返ってきてモストボイは満足した。

「まああれだ同士。命令は誰が出しても命令だ、我々はその職務を全うせねばならない」

「まだ何か?」

「もう一つこの地に国家の落し物が有るそれを探そう」

察しのいい部下は直ぐに気が付いて、ジープを大尉に回す手配を取った。

「さて、何処に行ったのやら・・・・・・」

あまり当てにならない現地の古い地図を見る、街も村も載っていない地図で小さな点が連続して現れている。

まるで誘っているようだとモストボイ大尉は火道の道のりを指でなぞると、嬉しそうに鼻を鳴らしてジープへと乗り込んだ。



■■■



「トマス、星の話をして」

数日して僕らは歩くことに決めた。あのまま小屋付きの灯台に僕の傷が治るまで住んでいてもいいとフィアは言ったが、僕は無理して歩くことにした。

フィアが言う「生きる」ことを実行してみたかった。

宇宙服のズボンをはいたまま、上着の部分を腰に巻き、日が出て再び乾き始めた草原を往く。

「僕の乗ったロケットは40メートルほどあって、ああ、あの火道の灯台よりももっと大きいんだ」

「高いところへ行くから?」

間違っては無いが、認識は違うだろう。細かいことを気にしていたら話が進まないので、僕は色々なものを適当に辻褄をあわせて話を続ける。

「世界に居る人間全てを起こすような音と供に僕は空へ上がっていく、大きな火の玉になって」

僕の打ち上げを自分では見ることが出来ない。暗いカプセルの中に閉じ込められていたからだ。だから僕は他の人間の打ち上げの様子を思い出しながら語った。

「十五分位で塔は役目を終えて、僕は星になる。この地球を約二時間で一周してしまう速さで僕は移動してね」

「そんなに早く移動したら風とか大変」

「そう、星の世界には風が無いからそんな速さが出せる」

大気の無い宇宙空間では抵抗が無いのでいくらでも速度は出せるということ、科学をまったく知らないフィアが瞬く間に理解したことに僕は驚いた。

やはり彼女は頭がいい。

「移動している最中に火道の明かりは見えた?」

「分からなかったよ・・・・・・」

僕にはいまどこの上空を飛んでいるのかも良く分からなかった、必死に計器を読み上げて言われるままに機械を操作した、といってもほとんどやることは無かった。

「今度は分かる?」

「そうだね、形は覚えたから大丈夫だと想う」

大気圏の外から火道の明かりは見えるだろうか? たぶん見えない。

「星空から見たここはどう見えるの?」

「昼はたぶん一面の緑、夜の景色は星の世界と変わらないと想うよ。あたり一面真っ暗で、そこに星座のように火道の道が見えるのかな」

「星座?」

「星と星を結んで描く絵だよ」

「「空絵」私たちはそう呼ぶ」

現地語の発音は良く聞き取れなかった、「空絵」という言葉はなるほどと思った。

「どんな絵?」

「羊と馬」

「それだけ?」

「他にも有るの?」

僕も星座に詳しいわけでないので話はそこで終わった。もう少し僕に知識があれば、彼女にもっと星の世界のことを教えられたのにと後悔した。嫌味な優越感というよりは、この賢いフィアにたくさんの事を教えれば、きっと僕より優秀な成績を収めることが出来ると想った。

いや、僕より立派な宇宙飛行士になれると思った。歩いている時のフィアは僕が今まで見てきたどの人よりも迷いが無く、強い人に見えた。

怪我をして遅れる僕を彼女は時々肩を貸し、何時もの様に文句も言わずに僕を助けてくれる。フィアの話では西に向かえば時々キャラバン隊が火道の近くを通るとの事だった。そうすれば「定住者」たちと連絡が取れるとの事だった。

街に行けば何とかなる。

僕も漠然とそんなことを考えていた。

「宇宙飛行士です」と言えば馬鹿にされるかもしれないが、少なくともこれほど凝った宇宙服を作ってだまそうとする人間は居ないだろうと説明できる気では居た。

何にしても、これ以上フィアの負担になるのだけは嫌だった。

彼女は僕を星の世界へ、元の場所へと返そうとあらゆることをしてくれる。

大事な羊を、食料を僕に分け与えてくれる。

僕も頭が良くないかもしれないが、自ら進んで馬鹿になろうと努力してきたわけではない。後になって考えれば女の子の前でカッコつけたかっただけかもしれないけど、とにかくこうやってフィアに肩を借りるのはどうしようもなく嫌だった。

「キャラバン隊が出てくるまであとどれくらい歩けばいいの?」

「少し」

「あと何回朝食を食べる?」

「五回ぐらい」

五日間歩きっぱなしをあと少しと言い切る精神力は何処から来るのか僕には不思議だった。

けどその理由も一緒に火道を歩いていると徐々に分かってきた。

火道の灯台は大体四、五時間毎に立てられていた。一つ通り過ぎると、次の灯台が薄く見えてくるような絶妙の距離。

昼はぼんやりとしか見えないが、夜は次の目標として明確に見える。場所によっては更に先の灯台も見え道のように連なる。

往く、往く、往く。

僕たちは火道の明かりに導かれるように歩いた。

昼も夜も体力が持つ限りは二人で縦に並んで、横に並んでくっ付いたり離れたりを繰り返しながらこの草原を進んだ。

「今日はここまでしましょう」

夜、小屋の付いていない灯台の足元で僕たちは休んだ。灯台の火が強く燃えていて明かりには困らない、フィアが何時もの慣れた手つきで足元に火を起こす。

僕は灯台に寄りかかる、石造りの灯台は二人で囲める位の細い円柱で、綺麗に石が積み上げられているのは小屋の有った灯台と変わらないが、何か小屋が無い灯台のほうがモニュメントの様で僕は好きだった。

見上げると炎が吹き上がっている、途切れることなくこの草原を照らしている。

「また星を見ているの?」

準備を終えたフィアが馬乳酒を淹れてくれた。焚き火越しにカップを受け取る。

「いや、灯台の火をね」

灯台の火が揺れる、少し風が凪いだ。夜は何時も静かだったがこの時だけは少し強い風が吹く。

「風が走ってる」

「寒い?」

僕の言葉に直ぐにフィアは荷物から新しいキルトを出した、寝袋代わりに使っている大きなモノだ。

何時もは風も無く、火の近くで寝れば問題ないが、少し風が強いかもしれない。

風の方向が東から西へと流れていたので、僕は焚き火の位置をずらして、灯台を風除けにしようと提案した。

フィアは直ぐに理解して、火を新しい場所へ起こす準備をする。

一瞬焚き火が弱くなって足元が暗くなる。灯台の火だけがこの世界を貫く。

僕はどうしてもこの火道の明かりに目を奪われる。

どうしてだろう?

「トマス?」

準備を終えたフィアが僕を誘う。

再び焚き火が足元を照らす。

「フィアちょっとだけお願いがある、火を消してみていい?」

「火を?」

「少しでいいんだ、星を見たいんだ」

フィアは嫌な顔一つもせずに直ぐに火を消した、薪が燃える音も止んで静かな夜。

「狼が出るから少しだけ、風が匂いを運ぶから危ない」

「ごめん」

声だけが聞こえる。

火道の灯だけが薄く世界に色を付けていた。

「「宇宙」と言う場所もこんな感じ?」

「そうだったかも」

何か宇宙に行ったのが遠い昔の出来事のような気がした、僕はここで昔からフィアと一緒に世界を歩いて居るつもりになっていた。

灯台を背に腰を下ろすと、フィアが大きなキルトを掛けてくれた。そして僕の脇へ腰を下ろして肩を寄せた。

「寒いから、よくピナルとこうやって夜を過ごした」

「僕は羊毛に包まれてないから暖かくないだろう?」

少し慌てていたので僕は軽口を叩いた、そして直ぐに黙らされた。

「けど変わりに手がある」

フィアの小さな細い手が僕の大きな手を握る。手を触れると細かい傷が分かった。食事を作り、キルトを織る手は傷が耐えない。機械のボタンを押すだけの僕の手とは対照的だ。

二人で遠くの灯台の火を見る、あれは僕らが歩いてきた道だ。道の光と星の明かりが混ざり合う、星の賑やかさに比べて火道の明かりの寂しさはどこか宇宙に居たときの自分を思い出した。

一人だけで居る時間、誰とも遠い所、誰も居ない宇宙で一人だけで居るのは何か素晴らしいと感じた。

楽しいとか辛いとは違う、気楽さからだろうか、親も「偉大な祖国」も関係ない、自分だけの場所が有るという自由に浸れたからだろうか?

今、僕の横にはフィアが居る。

手を握ってお互い隣りに居ることを感じている。

「トマス、火道の世界はどう?」

「良い所だね」

「何時狼に襲われるか分からないのに?」

「宇宙も何時死ぬか分からない所だったけど、この場所の方が色々と感じられる。草の匂いとか冷たい風とかが何か眠かった僕の頭を揺さぶる。ここは生きていることを凄く感じられる」

「トマス、私はこの世界しか知らない」

「僕が教えてあげるよ、街の世界も、星の世界も」

「私はずっと歩いていたい」

「歩きながらで良いと思う。フィアみたいに強い人間は何だって出来るさ」

「トマスも強い」

そういうとフィアはキルトに顔を埋めた。

「フィア?」

僕が彼女の頭にかぶったキルトをどけるとそこには初めて見るフィアの顔。

「こうやって貴方は何時も星を見てる、最初から最後まで」

「どうしたの?」

「分からない、分からない」

首を振る彼女は、今にも消えそうな炎だった。弱く揺らめいて、手を添えようとすると手元で消えてしまうようなか細さ。

「トマス、私は強くない、時々どうしてもこうやって涙を流す。ピナルに抱きついて過ごす夜が有る、私は弱いから歩いている。歩くのをやめたら私はただ泣くだけの為に立っている」

声は感情的になっていない、ただ目から涙だけは堪え切れずに頬を伝っていた。フィアは表情の下にはこんなにも脆いものが在った。彼女はその弱さを知っていてあえて表に出していなかったんだろう。

夜闇の下だったら涙は誰に見られることも無いから人は夜に泣く。今は火道の明かりが彼女の頬を薄く照らしていた。僕は隠さなければいけないと思って握っていた手を離し、腕を伸ばす。火道の灯りからも、星の光からも、フィアの脆く綺麗な部分を僕は自分のものにするために隠した。

「ピナルの代わりにはならないけど」

フィアの赤毛の髪は想ったより柔らかかった、小さな肩幅も、全てが儚く脆く感じる。

「誰も誰かの代わりになんてならない」

こういうときでもフィアは正解を口にする。僕はやっぱり強いと思った。

僕の国には今は神様が居ない、「偉大な祖国」は指導者の指示の下、論理的に合理的に国を運営して人々を幸せにするからだ。

けど人々は神に祈っている。どうか幸せにしてくださいと。

僕は祈る意味が分からなかったけど、フィアの涙を見たときに祈る理由がやっと分かった。

どうしようも無いものがこの世には在る。

「トマス大丈夫?」

フィアが顔を上げる、もう目には涙は溜まってない。

「何が?」

「胸から凄い音が聞こえる・・・・・・」

「ああ緊張して」

僕の張り裂けそうな心臓の音にフィアは気が付いた。

変なのと不思議そうな顔をして、フィアは火をおこす準備をしようとキルトの包みから出た。

「寒いよ」

僕がキルトを渡すと彼女は大丈夫だからと、僕らはキルトを譲り合った。

「大丈夫だからトマスが被っていて」

「僕が火を起こすから、君はまだ・・・・・・」

渡しあう僕らの手はまたお互いの指を絡め取っていた。

「トマス」

「フィア」

「また音が聞こえる・・・・・・」

もう僕の高鳴りは収まっていた、じゃあ何の音だろう。フィアの目が草原の暗闇を見ていた。

そこには徐々に大きくなりつつある光があった、人工的な白い光。

近づいてきて僕にはそれがエンジンの音だと直ぐに分かった。

フィアが強く手を握る、僕も強く握り返した。

終わりがやって来た。




「同士宙飛行士、宇無事で何より。私は派遣政治将校のサーシャ・モストボイ大尉だ」

軽くカーキのジャケットを羽織った黒い髪の女性がまず手を差し出した。

僕は自分でも驚くくらい自然にフィアの手を離して敬礼した後、差し出された手を握った。

「それにしても、ご無事で何よりだ」

品定めをするように視線を動かしながら、モストボイ大尉は僕を眺めた後直ぐに車を指差した。

「それでは直ぐに本国に戻ろうか?」

当然のように僕は戸惑った。

「早く」

二名の部下が後ろで銃を持ったまま待機する。

「同士大尉、ちょっと時間を頂きたいのですが?」

首を傾げる大尉に僕は話を続ける。

「フィア・・・・・・彼女に助けてもらった礼をしたいので」

「その必要は無いだろう」

冷たい声が響く。大尉が右手を上げると後ろの男達がライフルを構えた。

銃口はフィアに向けられていた。

「大尉!?」

僕は直ぐに間に入ってフィアを背中に隠す。

「どけ、宇宙飛行士。明確な国家反逆罪だ」

「なんで?」

「理由を聞くのか? 君が?」

大尉は腕を伸ばして僕の胸を突く。

「君の失敗は国家にとっては許容が出来ないものなのだ。その証拠をつぶすために我々はこんな辺境の地まで足を運んでいる。宇宙機・・・・・・君達の言う「宇宙船」は誰にも会わないで回収できた。後は君だけだったんだが現地人にわが国の失敗を知られてしまっては今までの苦労が水の泡になる」

「宇宙船なんて何度も失敗しているじゃないか・・・・・・」

「わが国では打ち上げられた宇宙船は一度だけ、人類初の宇宙飛行士「セルゲイ・ラーニン」だけさ」

「レブロフは? ナザレンコは?」

「彼らの石碑はまとめて「コスモドロード」にあるだろう? あれは石碑に刻むことを拒まれた者の為の墓石だぞ」

「コスモドロード」 には「星の碑」と言うものが有る。三日月のようなカーブの先にロケットのモチーフが付いている。そこには誰かが何時も献花を欠かさなかった。巨大なロケットの打ち上げはそれだけ事故の可能性が高い、これまで「偉大な祖国」の宇宙開発は沢山の犠牲を生み出して来た。

犠牲者は主にはその死や事故は伏せられた。誰も事故の責任を取りたくなかったからだ。死んだ理由を追求されたくなかったら、死すらもなかったことにしてしまえば良い。誰が考えたのか「偉大な祖国」では当たり前の光景になってしまった。

「その現地人の墓は作ってやる暇は無い」

「殺させない」

「手間を掛けさせるな」

凄い力でシャツの襟を掴む。

「お前がこんな所に落ちさえしなければその女は死ななくて済んだ」

「違う、僕が宇宙飛行士にならなければ彼女とは知り合えなかった、分かり合えなかった」

「ずいぶん肩入れしているな」

「僕はこの子に命を助けてもらった。僕が助かって彼女が命を落とす理由なんか何処にもない」

モストボイ大尉は手を離すとそのまま僕の頬を痛打する。

「時間が無いと言っているだろう!!」

腰に挿した銃を取り出して、僕の眉間に押し付ける。

「死ぬか?」

「死なない」

この時僕は自分が自分で無い気がした。僕の死よりもフィアの死のほうが体全体で拒んでいた。

「僕が死んだら、フィアも殺すんだろう? 無駄死にはしない」

「宇宙飛行士、ずいぶんと吼えるじゃないか?」

モストボイ大尉は嬉しそうに笑った。

「ただの宇宙委員会が作り上げた人形たちだと聞いていたのに、ずいぶんと活き活きとしているな」

「この草原が僕を生かしてくれた」

「だからといって、私を納得させる理由はないぞ?」

灯台の明かりが薄く僕らを照らす。後ろの男達は彫像のように銃を構えたまま立ち尽くす。モストボイ大尉は嬉しそうに僕に銃を突きつける。

ついさっきまで僕とフィアだけだった世界に乱入した侵入者、それは僕を宇宙に飛ばした国からの使者。本当の僕が住んでいる世界「偉大な祖国」からの使いだった。僕はフィアの想っているような星の世界の住人ではない。

そのとき、後ろからフィアがシャツを引っ張った。

彼女は黙ったまま、僕を退けてモストボイ大尉の前へと立った。

「名は?」

大尉の呼びかけにフィアは沈黙で答えた。

ただ大尉の前に立っていた、守る、祈る、そういう姿勢は何も見せない。火道の灯台のようにただ立っていた。

「名は?」

初めてモストボイ大尉は苛立って、銃口をフィアの額に押し付ける。

それでもフィアは怯えもせずに、大尉の目を覗き込む。

「口が利けないのか?」

額に押し付けた銃口をそのまま下ろし、フィアの口の前へ。二人の意思と意思が沈黙でぶつかり合う。

フィアの口が動いた。声は出ていない、小さく口を息を吸い込むのではなく、ささやくように口を数回動かす。

「どうした?」

「分かっただろう?」

僕が間に入る。

「彼女は口が利けないんだ」

そこからは自分でも驚くくらいに嘘が流れ出た。

「彼女は口が利けない。僕の名前も知っていてもそれを他人に伝える方法は無いんだ。彼ら草原の民は記録を残す事はしなかっただろう。だからこの火道の作り方も、誰が作ったかも記録が無い。彼らに僕らがこの地に居たということを記録する方法は無いんだ。だから彼女の死を持って僕の墜落を黙らす必要も無い。それどころか彼女を殺してしまったら、彼女の死と言う事実が誰かがここで少女を殺したという記憶が残ってしまう。

彼女は僕が星の世界から落ちてきた神様だと勘違いしていたみたいだ、だから大事な羊も処分して僕に栄養をくれた。だからこうやってここまで歩いてこれた。生き帰ることが出来る同士大尉」

一気に話しながら僕はフィアに自分の掛けていたキルトを彼女に掛ける。大事なものを隠すように、肩に巻いた。

「だから殺す必要はまったく無い、まったく無いですよね大尉」

「貴様が言っていることが事実ならばな」

「事実です大尉」

「証拠は?」

「僕は「偉大な祖国」の宇宙飛行士だという事実では不足ですか? 」

「いや十分だよ、宇宙飛行士。下ろせ」

モストボイ大尉の命令を聞くと、直ぐに後ろの二人の兵隊は銃を降ろして僕を取り囲んだ。

「急ごう、時間が無い」

銃をホルスターに仕舞い込んで、大尉は直ぐに背を向けた。

僕は兵隊に脇を固められて一歩を踏み出す。

当然フィアは声をかけらなれない。芝居の意味を分からない彼女じゃない。

終わりは突然で涙もない。

だから僕は踵を返して、キルトを退けて彼女の顔を目に焼き付けた。暗闇の中でその知性的な目は輝いて見えた。

それを頼りに僕は大体の当てずっぽうで唇を重ねた。

「宙を見て」

直ぐにキルトで再び彼女を包んだ、幾重にも大事に、誰にも奪われないように。

両脇の兵隊の表情は見えなかった。

見たくも無かったが、たぶん待っていたモストボイ大尉の様に余計な事をという分かりきった表情だったんだろう。

僕はそれから振り返らずに車に乗った。

「私が運転する」

「大尉?」

「寝ていろ、疲れたろ?」

銃を構えた部下を後部座席に座らせて、運転席にモストボイ大尉が座り、僕は助手席に通された。

二人の兵隊が後部座席に座るかどうかのタイミングで直ぐに車は発進した。

こうして僕とフィアは奇跡のようなタイミングで出会い、突然分かれた。 車は今まで彼女と歩んだ道を反対に進んだ。

あっという間に進む、僕らの歩いた距離を機械はあっという間に置き去りにする。

再度ミラーには僕がたどり着いた最後の灯台が写る。その下にフィアが居る、まだ立っているのだろうか?

「最後に何をしたんだ」

運転席のモストボイ大尉が声を掛けてきた。

「口封じです」

「ハハ、気に入ったよ宇宙飛行士、名前は?」

「トマス・クリャビヤ」

「そうか、それが我が「偉大な祖国」の二番目の宇宙飛行士の名なのだな」

こうして僕は草原から帰国し、「偉大な祖国」の二番目の宇宙飛行士になった。

公式発表の事実からの変更点は二点、本当は僕の前に二人宇宙飛行士が居たが、彼らの打ち上げは失敗だったので歴史から消された。僕は凍土の針葉樹林から奇跡の生還を果たした事になった。僕の国は草原も無いし、火道も無いからだ。

宇宙委員会の今回の打ち上げは完全に成功に終わったと発表した。

唯一のミスは打ち上げ成功の発表を一週間も遅れてしまった事だと。

遅れた理由は誰も聞かなかった、打ち上げに成功したという事実だけが必要とされたからだ。

嘘だらけの国に帰ってきて、僕はあの火道の事を思い出す。

火道では嘘は付けなかった。嘘をついた瞬間に生きる力を失ってしまうからだ。

だから一つだけ心残りがある、嘘を付かないで生きて来たフィアに初めて嘘をつかせてしまった。

やっぱり僕は星の世界の住人じゃなく、嘘つきの国の人間だと思い出した。

火道の世界の綺麗さが僕を誘うが、それでもフィアに再び会うために僕は宇宙飛行士でなければ行けない。

このホラ吹きの集まりのコスモドロードで、火道の灯りのように輝く彼女の瞳を思い出しながら、あの日からは初めて僕は、自分の理由で再び宇宙を目指した。



■ ■■■



「コスモドロード、こちらR4帰還準備に入る」

「ダー(了解)、R4」

司令室の指示を受け取り僕は、帰還手順に従い制御ロケットを点火し宇宙船を大気の中へと沈み込ませた。

僕、トマス・クリャビヤは初飛行から今回が四回目の打ち上げになる。

一度帰還してから僕は誰よりも真面目に宇宙へと取り組んだ。

航法を熱心に学び、ロケットの構造、操縦方法を一から覚えなおした。前のように手順書に従って操作するだけでなく、もっと効率的に、色々と手を抜けるくらいまで僕は星を渡る道具を使いこなせるようになった。

お陰でヤシン委員長の信頼を勝ち取り、何かと僕に出番が回ってくるようになった。

「さすがに困難を乗り越えると人は強くなる」

そんな事をヤシン委員長は言っていた、困難な原因を作り続けている人間に言われるとどうしようもない。

僕が熱心に星の世界に取り組んでいるのはもちろん下の世界のせいだ。

「見えるかな?」

小さな窓も僕の要望を取り入れてだいぶ大きくなった。

地球を観測しやすくという理由で大きくさせたが、もちろんそんなものは方便に過ぎない。

地球の影に入った部分、地上では夜が訪れている場所で灯りが灯っている。帰還軌道なのでかなり地球に近づいている、僕の祖国を収めた大陸が真っ暗に染まり、星のような儚い光が点灯する。

黒い大地に一筋の点が規則正しく並んでいた。

火道だ。

内陸部のほとんど明かりがない地域に薄っすらと、確実に浮かんでいる。街の光に比べれば直ぐに消えてしまいそうな光だが、僕には見えた。

目の錯覚じゃない、そこに確かな道が見えた。

見下ろせば安心出来る。

あの光の何処かにフィアが居る。

それだけの事実に僕は心を奪われる。

満点の星の海に漂っても、足元の小さな光が僕には大事になっていた。

やがて景色はオレンジ色の光に包まれた、僕は地球へと帰還する、慣れたからだろうか昔ほど地球に帰るのが怖くない。

それどころか早く帰りたがっている自分が居ることに僕は薄々気が付いてはいたが、何時ものように嘘をつくことに決めた。



大草原、この場所を現地語でクルドゥーと言う。

詳しい意味は失われてしまったが、「道」と言う意味を含んでいる。

昔からこの草原はさまざまな民族が通り過ぎる道だった、都市を築く為の川と森が近くにまったく無いのが原因だ。

何時しかこの場所を根城にする遊牧民が生まれた、「クルド」と呼ばれた彼らは国を持たず、文化を持たず、馬も使役せずにただ歩き暮らしていた。

彼らにまったく文化的な伝承がされなかったわけではない、彼らの有力な家々が協力し、クルドゥーの地下に蓄えられた天然ガスを巧みに使い、世界でも例を見ない特殊な道を作った。

現地語で「カルマ・ドゥー」と名づけられた道は「火道」と呼ばれ、現代も絶え間ない炎を草原に照らし続けている。

一説には高空に存在する神への崇拝の為の篝火だと言われているが、「クルド」達には固有の宗教が無いので、その可能性は否定されている。

そんな大草原に一つの文明の塊が落とされた。

「偉大な祖国」と呼ばれる国家が作り上げた人類最新のテクノロジーの結晶、宇宙機と呼ばれる機械。

地球周回軌道から、パイロットの意思によりこの地に降り立った。

朝靄の中、二台の車が宇宙機に近づいて来る。

トラックから数人の人間が降りて、手早く慣れた手つきで準備に取り掛かる。

先頭を走っていたジープからは一人の女性が降りてきた。手には大きな荷物を持っている。

「待たせたな」

モストボイ少佐が手渡した荷物の中には衣服と一通りの食料、サバイバル道具が入っていた。

「いや、前よりずっと早い」

「そりゃあ今度は正確な地図があったからな」

軽くお互い抱擁すると、モストボイ大尉の部下が宇宙機の収容に入った。

「ずいぶんと火をおこすのが上手になったじゃないか?」

「大尉に紹介してもらった軍事キャンプで教えてもらったサバイバル技術が役に立ったよ」

「まあ優秀な生徒だったと聞いているさ」

トマスは苦笑して、荷物から服を取り出して着替え始めた。

「彼らは大丈夫?」

「心配ない、全部私の戦場での部下だった奴等だ」

「報酬は?」

「年金の水増しと、この美味い空気だ」

「年金は何処から出てるの?」

「この宇宙機の事故でいよいよヤシン委員長が失脚する、それにより新しい委員長が就任した暁には今まで冷や飯食っていた奴等が沢山のものを得る。それに預かろうというわけさ」

トマスは朝のニュースラジオを聴くような感じで軽く受け流した。

「委員長には悪いことをしたな」

「確信犯がよく言う、最初に計画を発案したのはお前だろう?」

「僕にはこれしか方法が思いつかなかった、誰も死なないで納得する方法はこれしかね」

「死人が出るかもしれないと考えなかったのか?」

「だから貴方に助けを求めた」

すっかり現地人の格好になったトマスはモストボイ大尉へ手を差し出す。

「貴方は人の死を簡単に扱わない人だと信じたから」

「昔戦場で殺しすぎただけさ」

簡単にモストボイ大尉と握手をして、トマスは荷物を持った。モストボイ大尉はタバコに火を付けて煙を吸い込む。

「美味い空気が台無しだ」

「私には煙がちょうどいい」

部下がやってきて宇宙服を回収する、宇宙機は簡単な重機を使い瞬く間に宇宙機は帆を掛けたトラックに載せられた。

トマスは名残惜しそうにその光景を見た。

「本当に良いのか?」

「ああ、後悔は何も無いよ」

「「偉大な祖国」を捨ててまで、こんな何もない草原を歩きたいのか?」

「歩くことも宇宙に行くこともあまり変わらないような気がするんだ最近」

青年と言ってもいい年の筈なのに、トマスはどこか初々しい少年の様な目をしていた。最初に会ったときよりもずっと若々しく、生きる力に満ちていた。

その源は多分、あの最初にあった時に横に居た少女なのだろう。

「あの現地人に会いに行くのか?」

「別にそういうわけじゃないよ。ただ歩いていれば絶対会う、それだけは間違えないさ」

あの日から何年もたっていて生きているのかも分からないのに、たいした自信だとモストボイは想った。

「大尉、収容完了です」

「分かった、それじゃお別れだ宇宙飛行士」

モストボイ大尉がタバコを左腕に持ち代えて、 右手をホルスターに掛けて銃を取り出した。

腕を軽く曲げてトマスに向かって引き金を引く。

二発の銃声が草原の風に流された。押し倒された様にトマスは空を見上げる。

「撤収」

すばやく銃を収めると、モストボイ大尉は部下に声を掛けてエンジンを掛けさした。

「大尉、これで良かったんですか?」

運転席に座る男が声を掛ける。昔、トマスの横に立って連行した人間だ。

「あいつは口もしゃべれるし、記憶も残せるからな」

笑みも無く、モストボイ大尉は紫煙を口から吐き出す。

「国家はあまりにも多くを個人に求める」

「誰の言葉です?」

「忘れた」

モストボイ大尉が軽く腕を振ると、車は何事も無かった様に走り出した。

この数日後「偉大な祖国」唯一の新聞はヤシン宇宙委員長の退任を発表した、後任人事は未定。ロケット打ち上げの報道については一切無かった。こうして嘘つきの国に新たな嘘がまた生まれた。

真実を知る唯一の女性はその新聞を読みながらこう言った。

「満足か?  宇宙飛行士」




そういえばあの時もこんな風に空を見ていた。

青い空が有って、その後にフィアの顔が有った。

今こうやって久しぶりに草原の感触を背中に感じる、宇宙服とは違い現地の人が着る粗末な服は風を良く通す。

僕には音は何も聞こえなくなった。

「行くか」

起き上がって僕はモストボイ大尉がキルトに開けた風穴を見る。

綺麗に二つ穴が開いている。

撃った銃弾は僕の腕と胴体の間を通っていった。

最初で最後の二人で打ち合わせをした通りの小芝居だった。

モストボイ大尉とずっと行動している人間だったらこんな芝居は簡単にばれたのかも知れない、いやたぶんばれているのだろう。

それでも何処に潜んでいるか分からない秘密警察の事を考えると用心に越したことは無い。

それに宇宙飛行士トマス・クリャビヤは死んだという儀礼的なものとして、大尉はこの「芝居」をしてくれたのかも知れない。

じゃあ宇宙飛行士トマス・クリャビヤは死んだとして、今こうやって草原に立っている僕は誰なのだろうか?

分からない。

だから僕は歩くのかもしれないこの道を、恐れは何も無かった。

これは贖罪でもなんでもない。

往く、往く、往く。

僕は目指すべき光に向かって前に進む、あの時見つけた光を僕は目指す。

こうして僕は初めて満たされた。

もう一人でも怖くない。

なぜならば僕の視線の先には大事な人が居るのだから。




私は名をフィアと言う。

この名は死んだおじいちゃんから貰った。

私に名を付けたあとおじいちゃんは死んだ。

そして、歩ける頃にはパパもママも死んだ。

ピナルという羊を残してくれたので、私は死なずに済んだ。

ピナルのお陰で私は大きくなり一人で生きていける様になった。

そんな私の前にあの人は現れた。突然空から落ちてきて、あっという間に私からピナルを、全てを奪った。

なぜだか分からないが、私はあの人の横に居て居心地が良かった。

彼は星の世界から来た。私が何時も見上げていたあの空からだ。

火道を歩いていると、どうしてもふと夜空を見上げ立ち止まってしまう。

あんなに沢山の光があったら何処に行ったら良いのかと迷うだろうにと、私は何度も星空に疑問を感じていた。

そんな場所から降りてきた彼は頼りなく、弱々しいと思った。

しかし彼は直ぐに空を見上げた。

あの沢山の星達に怯えもせずに、あの広い空へと挑む気持ちを忘れていなかった。

私は地面に吸い込む水のように彼に吸い込まれてしまった。

だから彼が元の場所に帰るとき、初めて何かが欠けるような気持ちを知った。

それは初めての気持ちなので言葉に出来なかった。

私は声が出なかった。

それがきっかけで彼は嘘を付き、私は生き長らえてしまった。

そう、私はあの時死ぬつもりだった。

あんなに寂しい気持ちになるのなら、あの場所で死ぬべきだった。

けどそんな気持ちも、言葉もあの人は私の中に封じてしまった。

口を封じられた私はあの日から声を失ってしまった。

唇に手を当てて、あの日の夜を思い出す、彼が星の世界に帰った日を。

それから気が付くと私は空を彼のように見上げていた。


そこでよく彼を見つける。


ものすごい速さで空を横切るといっていた彼は、あの流星の様に私の頭上に居るのだろう。

そう思うと一人になったあの日の寂しさも癒される。

だから空を見上げて彼を見つけると、私は心の中で声を上げる。

「スピカ」

私達火道を歩く民の言葉で見つけたという意味。

一番最初に見つけた星の事でもある。

最初に見つけた大事な星、見失ってはいけない大事な星。

それは遠くにあっても近くに、近くにあっても遠く届かない。

しかし、距離は関係ないのだ。

大事なのは見えるかどうかなのだから。




END

最近お気に入りの言葉


「やることをやってもし負けるのなら、胸を張って帰れるはずだ」


イビチャ・オシム(語録)

あとがき


どうもさわだです。

今回は、


「また宇宙に行っちゃった」


では。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ