5話 初陣
叫び声を聞き急いで駆けつける。一頭の白い獣が馬車を襲っていた。
争っていた人影は御者台付近に倒れている。既に食い散らかされ、見るも無残な姿となっていた。
倒れているのは一人だけで、他には見当たらない。まだ誰か生きている可能性がある。
白い獣は一瞬狼かと思ったが、よく見ると犬に近い。ただ、大きさが尋常ではない。頭の高さが僕の肩まであり、その大きな口は人の頭くらい一口だろう。血塗れの口元から涎を垂れ流し、滅茶苦茶に馬車を襲っている。近付くだけでもかなり危険だと思わせる。
「《山犬》だ!」
八尋が切迫した口調で言った。
これが魔物。恐ろしくて腰が引けそうだ。八尋がいるから何とか堪えているが、正直逃げたい。
『逃げちゃダメよ! 八尋にはきっと無理。貴方が倒すしか無いわ!』
さらっと恐ろしいことを言われた。僕には自分より大きいこの獣を倒す姿が想像できない。
ただ、誰かを助けられるなら助けたい。これは偽りのない本心だ。美奈の力を信じよう。
刀を力強く握りしめ、僕は戦う覚悟を決めた!
「八尋、《山犬》について教えて!」
「出来るだけ攻撃は躱すこと。特に噛まれるのはダメで、噛まれれば病気にかかるよ」
「それなら攻撃される前に倒すわ。援護をお願い」
「分かった、任せて」
《山犬》までまだ十数M(メートル)程距離がある。間合いを詰めるため駆け出す。
弩で確実に狙える射程まで、八尋も一緒に駆けている。
『私も一緒に戦うわ。相手の間合いギリギリまで近付くのよ』
美奈が身体の中に入って来る。こんなこと出来たのかと驚いている暇はない。
美奈の指示通り、《山犬》が跳びかかってくるギリギリの位置まで近付く。感覚的なものなので、外したら攻撃されて終了だ。
八尋にはああ言ったけど、先制されたら躱せる気がしない。必ず先手を取り致命傷を与えなければ勝機は無いだろう。
『力みを取り自然体になるの。後は《山犬》の一挙手一投足を逃さないで』
四Mまで寄ったところで、柄に右手を添え左手で鞘ごと前に突き出すようにする。息を吐き体の力みを取り自然体で構える。俗に言う居合の構えだ。特訓の成果がここで生きた。
《山犬》は僕に気付いているが、馬車を襲う事が優先のようだ。こちらに注意を向けなければならない。
考えていたその時、背後から、ヒュッ! と風を斬る音がし矢が《山犬》目掛け飛んでいく。前脚に当たる寸前、後方に跳んで回避する。《山犬》が僕を正面に見据え、口元に涎を垂らしながら唸り声を上げた。
「グルルル……」
僕を敵と認識し、いつでも飛びかかれる体勢をとっている。
『まだよ。もう少し近付いて』
美奈に言われるまま、ジリジリと間合いを詰めていく。緊張で額に汗が滲む。命懸けの行動に精神が疲弊するのが分かる。どこまで近付けば良いのか分からない。只々にじり寄る。
残り三M弱。《山犬》は低く構え始め、いつでも飛びかかれる体勢だ。
「ガウ! ガルルル……」
牽制で一声吠える。
『後一歩……』
後一歩で届く、というところで近付けない。緊張で手に汗をかいている。意を決しにじり寄った瞬間
「ワヲォォォォーーーーン!!」
《山犬》が咆哮する。
恐怖で身体が硬直し拙いと思った時には既に遅い。《山犬》は飛び掛かる寸前だ。殺られる! 僕は死を覚悟した。
その時、ヒュッ! 背後からの風切り音、またしても八尋が放った矢が飛んでくる。今度の狙いは低く構えた頭だ。《山犬》は大きく仰け反り後方に軽く跳ぶ。
『今よ!!』
美奈の声と同時に身体が動く。飛ぶ様に間合いを詰め、右足を踏み込み、左手で鞘を引くと同時に刀を抜刀した。
「ハッ!!」
喉元を狙い横一文字に刀を振るう。疾い。訓練時よりも圧倒的だ。
一閃、刀の軌跡に銀光が煌めく。刀を振り抜き、続け様、正中線上に引き寄せ左足を踏み出し、心臓目がけ真っ直ぐ突き出す。《山犬》の胴体に刀身が半分ほど埋まった。
やったか!? と思った瞬間、《山犬》の喉元から血が噴出し返り血を大量に浴びる。思わず胴体から刀を引き抜いた。
「ガォォ! グボォォ……グル…………」
断末魔の叫びとともに《山犬》が徐々に動きを停止する。首の骨を残し切り裂かれた喉元からはまだ血が噴き出ていた。
血が掛からない位置まで下がると、緊張の糸が切れた所為か、急に身体から力が抜けその場にへたり込んだ。
「はぁ……はぁ…………倒した」
『危なかったけど、何とか倒したわね』
美奈と会話もできないほど精神的に疲れた。しばらく何もしたくなかったが、八尋が駆け寄ってくる。
「美奈! 怪我は!? 何とも無い!?」
「ええ。怪我は無いわ。疲れただけ」
「それなら良かった。それにしても、何とか倒せたね」
「危なかったけどね。八尋の援護がなかったら厳しかったわ。ありがと」
「どういたしまして」
八尋は笑顔で答える。
「しっかし、美奈は相変わらずだね」
僕の格好を見て唐突に言ってきた。疑問に思い自分の格好を見ると、返り血を浴びて血塗れになっている。
「流石、【血塗れ姫】」
と言うとクスクス笑った。
「!?」
言われて思い出した、【血塗れ姫】とは美奈の渾名だ。初太刀で相手の首を狙う場合が多いため、必然的に返り血を浴びることが多くなる。紅髪ということもあり、誰かが言い始めるとあっという間に広がった。
『八尋!!』
美奈が叫ぶと身体が勝手に、八尋の頭をポカリ! と殴る。殴られた八尋より先に、僕が驚いた。
「あ痛! ごめん! ごめんってば」
八尋は直ぐに謝まったが、怒ったりはしていない。この二人の間では毎度の事なんだろう。僕は体を拭く物を要求し、渡された手拭いで身体と刀を拭き納刀した。
『ねえ、身体が勝手に動いたんだけど』
気になった事を質問すると、美奈が身体の中から出てきた。
『ん? 私が動かしたわよ。一瞬だけどね』
『え、そんな事出来たの?』
『渚が気絶してる間に試してたら出来ようになったの。言う機会が無かっただけで、隠してた訳じゃ無いわよ』
『ん? じゃあ、さっきの《山犬》の時も?』
『一瞬しか動かせないし、ちょっとだけよ。でも、立ち向かったのは渚だし、少し見直したわ』
『あれで、少しだけなんだ』
『私を認めさせるのに、あんなんじゃ全然ダメよ。もっと鍛えてあげるから、覚悟しなさい』
死刑宣告でも受けた気分だった。美奈の言葉で余計疲れたが、まだやることもあるので立ち上がる。
「八尋、生きてる人が居ないか探そう」
「うん。誰か生きてればいいけど……」
馬車の周りには生存者は見当たらない。外側は多少壊されているものの、内側は無傷なようだ。荷台を覗くと大量の木箱が積まれているが、一部荷崩れしている。荷台に乗り込むと、荷崩れした木箱に囲まれるように女性が倒れていた。
女性は黒髪のポニーテールで眼鏡を掛けていて、凝った意匠のゆったりした黒い上着にロングスカートとブーツ、腰にはポーチという出立ちだ。
「大丈夫!?」
八尋が女性の側に寄って肩を軽く叩く。
八尋、意外と手が早い、とか馬鹿なことを考えてたら美奈が言った。
『いつもの事だし、気にしないことね』
美奈の言う通り気にしない事にして、八尋と女性の様子を見守る。
「うっ……」
女性が目を覚ますと、僕達を交互に見つめ問いかけてきた。
「……あなた方は?」
「オイラは「八尋」、あっちは「美奈」、魔物に馬車が襲われているのを見つけて助けに来たんだ」
「!? 外の人たちはどうなりましたか!?」
「外の魔物は倒したけど、オイラ達が駆けつけた時には、一人はもう……」
「……そうですか」
八尋と話す彼女の目に悲しい影がよぎる。
「一旦外に出ませんか? また魔物が襲ってくるかもしれませんし、もう一人の方も探す必要があると思います。辛い時に申し訳無いとは思いますが……」
僕は彼女に促す。
「分かりました」
彼女と一緒に馬車の周りを調べることにした。