第十二章
その後は、お姉ちゃんの怪我の状態についてなどを話してママは家に帰っていった。それにしても、私の家に、個室を使える程のお金があるとは知らなかった。
私は寝返りをうち、今までの事を考えていた。
あれは全て夢だ。少しリアルだったけど、現実じゃリカ……いや。本当の名前はユリカ。ユリカ達とああいう風に話したりするのは有り得ない。何故ならあれは私が作った物語だからだ。ユリカは私の理想を象ったキャラクター。きっと、私はユリカ達の仲の良さに憧れて夢で見たんだ。そして、その夢が悪夢となってしまった。私はそう解釈した。
…………
…………
…………
……トイレに行きたい。
ガラッ
私はなるべく静かに廊下を歩いた。
やっぱり、夜の病院って怖いよね。何か出てきそう。
早くトイレを済まして部屋に戻りたいのにトイレまでの距離が長い。
「……して……」
「!!!」
遠くの方から声がした気がした。私は辺りを見渡した。が、誰もいない。
「まさか、幽霊とか?」
トイレに行く目的など綺麗さっぱり忘れ、私は小走りで部屋に戻る事にした。
ドアに手を掛けた瞬間、悪寒が走った。
後ろに誰かがいる!?
そんな気がした。
「遊理夏……」
「ひっ!!!!」
私は振り向いた。そこにはユリカが血だらけの刀を持って立っていた。
「私のやろうとした事は酷かった。でも、遊理夏の方が酷いよ……」
顔色があまり良くない。それに泣いてる。
「どうしてここに……」
「私がいた証まで消そうとして……」
って、無視?!
ユリカがゆっくり近づいてきた。私は怖くてその場を逃げてしまった。
走る音が廊下に響く。他の患者の迷惑なんて考えなかった。考えている事はただ一つ。
どうしてユリカがここにいるの!?
それだけだ。
ドンッ
「ひゃあっ」
前をちゃんと見ずに走っていたから誰かにぶつかって尻餅をついてしまった。おそらく、相手は看護婦さんか別の患者だろう。
「ご、ごめんなさ……っ!!!!!」
だが違った。相手の顔を見上げた瞬間、新たな恐怖が押し寄せてきた。
「シュウ!?どうしてシュウまで!??」
私はあの世界を作り出した作者だ。だから壊す事も可能だ。私はあの世界を壊した。だからシュウも復讐に来た。
そう思った私は、腰を下ろしたまま後ずさった。
「……して……したのよ。……酷いわ……」
「ひっ!!!」
後ろからユリカの声が聞こえてきた。どうしよう。挟み討ちだ。
ぐいっ
「いっ?!!」
シュウに腕を引っ張られ、そのまま走り出した。なんか……助けてくれてるのかな?
シュウはある部屋の前で止まった。そしてドアに手を掛けた。って、ここ病室だよ?他の患者が……
ガラッ
しかし、その部屋には人が一人もいなかった。ベッドが六つ置いてある大部屋だ。
「……そういえば、どうしてここに?」
私がそう訊くと、掴んでいた手を放し、答えてくれた。
「それも含めて話がある」
「え?」
シュウは入って一番奥の右側のベッドに座った。私はシュウと向かい合うように、隣のベッドに座った。
「今のリカ……もう、ユリカでいいのか。ユリカは暴走している」
「ちょ、ちょっと待って。なんでリカの本当の名前知ってるの?」
私があの世界に入った事で、『ユリカ』と言う存在が二人になってしまうから、私は無意識のうちに『ユリ』と『リカ』と言う二人に別けて再構築した。だから、登場人物がその名前を知るはずがない。ユリカは別だけど。彼女は私と相同的存在だから。
「遊理夏が何でも些細な事でいろんな事を解ってしまうって設定にしたから」
そう言えば、そうだった……。
「物語を書き替える事によって、その物語に少しずつ歪みが生じる。遊理夏は無意識のうちに何度も作り替えた。そのせいであの世界は歪みだらけ。ユリカは主人公と言う立場上、その影響が受け易かった。その結果があれだ」
私はさっきのユリカの顔を思い浮かべた。
なんて言うか、恐怖に怯えて疲れたような顔をしていた。
「次に影響を受け易かったのはトウナ。あいつは歪みのせいで元々あったユリカへの想いが芽生えつつあった」
私は気付いた。あの時、キスを躊躇ったのは、遊理夏ではなくユリカへの想いのせいなんだと。
「次はハル。あいつは歪みのせいであの世界の仕組みになんとなく気付いていた」
まさか!?と私は思った。
――忘れないで。いつも僕がいる事。僕だけじゃない。ユリカやトウナ、シュウだって。ずっと傍にいる事を――
『ユリカ』と言っていた。
あの時は聞き間違いだと思ったけど、そうじゃなかったんだ。
私のせいで皆が辛い思いをしたのに、私一人だけでも助かろうとあの世界を壊してしまった。私、なんて最低な事をしてしまったんだろう。何度謝っても謝りきれない。
「……シュウは平気なの?」
私は泣きながら訊いた。元々、シュウは顔にあまり出さないキャラとしているけど、皆が可笑しくなっていく中シュウだけ大丈夫なわけがない。顔に出さないだけで、凄く辛いはず。
「俺は歪みのせいで気付かなくてもいい部分を知ってしまった。人間が持つ醜い感情や、本来の物語、書き替えらる瞬間、歪みが溜る瞬間。それと……危うく性転換されるところだった」
そう言えば、女の子なんじゃないかと一瞬思った時もあったっけ。
「ご、ごめんなさい……」
「でも、歪みのお陰でここにいる」
私は俯いていた顔を上げた。
「俺達は遊理夏を支える為に生まれた。そうなんだろ?」
うん。私は誰かに必要とされる前に、誰かを必要としていた。
「俺はその立場上、一番良い立場に立てた。ありがとう」
シュウは穏やかな表情で微笑んだ。こんなシュウは初めて見た。思わず、ツッコミを入れてしまった。
「シュウは『笑わないキャラ』なんだけどな」
私が笑って言うと、シュウも笑って答えてくれた。
「歪みのせいかもな」
てか、ユリカの次に影響を受け易かったのはシュウなんじゃないの?
そう思って笑っていると、急にシュウは真面目な顔で言った。
「後は遊理夏の気持ち次第だ。それによってこの世界が変わる」
そう言って、シュウはドアの方を見た。そして、私も後を追って見た。
ガラッ
見たのと同時にドアが開いた。そこには顔面蒼白のユリカが刀を持って立っていた。
私は躊躇う事なくユリカの元へ向かった。ユリカは刀を構えて私に向かって来た。
グサッ
刀は見事に私の胸を貫通した。
「な、何で避けなかったのよ」
ユリカの声は震えている。
「どうしてトウナは私にキスしようとしたか……わかる?」
「え?……遊理夏が好きだから……でしょ」
「じゃあ、何で躊躇ったの?」
「……え?……ため……らう?」
ユリカは刀から震える手を離し、少し後ずさった。
「私は作者。トウナ達は私の思い通りに動くはず。なのに、動かなかった。私の想いより、皆の想いの方が強かったから……。私、気付いてたの。漫画家なんて、結局夢で、本当はなれっこないって……始めから……」
私の声も震えてきた。
「こんないい加減な気持ちで……皆を弄ぶような事して……最低だ……」
涙が溢れ出た。必死に声を絞り出し、どうしても伝えたい事を言った。
「ごめっ……ごめんなさいっ……ごめんなさい……ひっく……」
私はこれ以上声を出せなかった。
「もう。バカだよ、遊理夏は。私はどうせ現実には存在しないんだから。私達の想いが強いのは遊理夏のお陰。遊理夏の想いが強いから。漫画家になりたいって想いが強いから」
ユリカは私の両手を掴み、続けた。
「ずっと傍に居たから解るの。なのに、支えてあげる事が出来なくて……。謝るのは、私の方。ごめんなさい……。それに……」
ユリカは私の手を引き、抱きしめた。
「ありがとう。遊理夏。大好きだよ」
ユリカ……
私の意識は遠くなり、ユリカの温かさも感じなくなった。




