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第五話

「今回は、大分小ぶりだな……」


 目の前に聳える、樹高十五メートルほどとやや小ぶりな喪樹を前にして、レドは小さく呟いた。その声色は、普段と変わらない鋭いものだ。

 だが、梢の先端を見上げるようにしている顔を正面から見れば、レドの異常に気が付くだろう。

 レドの顔は、異常なまでにやつれていた。目は微かに落ち窪み、前から細かった頬から顎のラインは最早病的なレベルに至っている。唇は乾き気味で、赤茶色の髪もパサついている。もし今のレドと薄暗い洋館の中などで突然遭遇すれば、間違いなく幽霊と見間違えるだろう。

 レドがここまでやつれている原因。それは、ここ最近の食生活にあった。

 ヒューズの街を出る前日の食事を例に取れば、朝食は水と郊外に生えていた球根の欠片で済ませ、昼は限界まで固くなった古い黒パンに、一つまみの塩。そして夜は、廃棄を待つばかりとなった売れ残りの食べ物を、ある件で縁の出来た露店の方々から譲り受け飢えをしのいだのだ。

 こんな日々が二週間近くも続けば、飢えと心労でやつれもするだろう。一応、喪樹が生えたという話を聞いて訪れたこの村までの道行では、普通の携帯糧食を食べていたが、その程度で元通りになるわけがない。


「だが、そんな日々も今日までだ……」

「ん……」


 その隣で、皮袋に入った残り少ない豆をいじらしく一粒ずつ食べているセーミャも、レドのその言葉に小さく頷く。レドと同じようにやつれた顔をしているが、その真紅の目は欲望に満ち、普段以上の輝きを放っている。


「これでようやく、お腹いっぱい食べられる……!」

「…………」


 そんなセーミャの肩に、トカゲのはく製のようにぐったりと垂れ下がっているのは、おそらくは、この面々の中で最も痩せ細ってしまったブリアだ。すでに言葉を発する気力も尽きたらしく、こちらはレドとセーミャの言葉に何の反応も示さない。


「帰ったら、お肉と、お肉と、魚と、お肉と……」

「…………」


 そんなブリアを一切顧みず、すでに帰った後の事を想像して、口の端からよだれを垂らしているセーミャを、レドは冷たい眼で見つめる。レドが冷たい眼をしているのは、整った顔立ちがよだれのせいで台無しになっているのもある。だが、その最大の理由は、ブリアも含めて二人と一匹が空腹にあえぐことになった原因が、全てセーミャにあったからだ。

 だが、それを怒る気力は、すでにレドにもない。ただ、猛烈な後悔と共に、二週間ほど前の、今の貧困の原因を思い出すのだった。




「レド、お前最近随分羽振りがいいらしいな」

「そ、そうか……?」


 先日盗伐したばかりの喪樹を持ち込んだ、普段から買い取りをしてもらっている裏買取商。そこの店主を務めている男――ガルドの言葉に、レドは動揺が顔に出ないように気を付けながら、しれっとして答えた。

 商業都市であるヒューズは、大きく東西南北と、それらに囲まれた中央の五区画に分けることが出来る。中央区は特に行政機関が集中し、閑静な高級住宅街やレイセオン王国中央から派遣された総督、それに周辺の土地を納めるスペンサー侯爵の居館などもそこにある。

 だが、その中央区から水堀と城壁で隔てられた東西南北の区画は、活発な貿易とそれからもたらされる利益によって常に拡大し続けており、それを吸収するために、高い城壁を築くのではなく、運河を兼ねた広い堀でその区画が分けられていた。それらの運河からはさらに細かい運河が伸び、今も日夜、ヒューズはその版図を広げ続けている。

 そんな中でも南地区は運河の設備が悪く、しかも水はけの悪い低地に位置し住み心地が悪いせいで、いつの間にか比較的貧しい住民が住む貧困地域となっていた。

 そして、貧困と犯罪はそのまま直結している。ヒューズの街には大小さまざまな犯罪組織が存在するが、その多くはこの南地区を拠点としていた。

 そんな街の片隅にあるガルドの店も、ヒューズの街の裏側を構成する一部だった。

 そのガルドは、しらを切ろうとしたレドをじっと睨みながら、ゆっくり頷いて続ける。


「そうだ。買い取る額が明らかに増えている上に、上等な食いものをよく食っているらしいな。これまでのお前じゃああり得ない」

「そんなことは無いだろう? ただ、最近は今までより多めに刈り取れてるから、それに合わせてるだけだ」


 気にし過ぎじゃないか、といった調子で誤魔化そうとしたレドを、ガルドは鋭い視線で睨みつける。非合法の商売を長く続けているガルドは、長生きの秘訣は用心深さにあると考えていた。その勘が、レドの事を要注意だと言っていた。

 その直感に従い、ガルドは状況証拠を積み上げる取り調べの衛士のように、淡々と聞き及んだ情報を述べていく。


「二週間前。お前が、最近近所で噂になっている可愛い娘を連れて南の水門を抜けたのが目撃されている。腰に鉈をぶら下げた黒髪の少女となれば、まず間違いはないだろう」

「……」


 早速飛び出したプライベートな情報に、下手な反論は墓穴を掘りかねないと感じたレドは、沈黙を持って答える。

 だが、ガルドの指摘はさらに続く。


「ついでに、昨日の晩に中央との境の近くの店屋――まあ、この店の近所で、派手に飲み食いしたのも確認した。可愛い娘を侍らせて、子豚の丸焼きを食べる。これでよく羽振りが悪いなんて言えるな」


 その嫌味っぽい言葉に、流石にレドも内心の怒りを抑えきれなかった。


「馬鹿言え、あれのどこが可愛い娘だ! 俺が目を離したすきに、あいつがあんなもんを注文したせいで、前回の稼ぎは丸ごと吹き飛んで……」


 そして、そこまで叫んで、レドは自分が乗せられた事に気が付いた。


「つまり、可愛いかどうかはさておき、どっかの女と一緒にいるのは事実なんだな?」

「……ああ、そうだ」


 やっぱり隠せなかったか……。

 肩を落としながら、レドはついに少女――セーミャと一緒にいる事を認めた。初めて喪樹を持ち込んだ時からガルドとは付き合いがある。本当にこの世界の事を何も知らないところから、ガルドに様々なことを教えてもらってここにいるのだ。いつかはセーミャの事もばれると思っていたが、これほど早いとは思わなかった。


「だが、やましい関係じゃない。盗伐にいった町の近くで行き倒れているのを拾っただけだ。本当だぞ⁉」

「ふん、どうだかな」


 それでも、セーミャとの関係がただの行き倒れとその保護者だと言い張るレドを、ガルドは実に疑わしそうな目で見る。こいつが誘拐なんかに手を染めるとは思えないが、もしそうなればそこでこの縁は切る事になる。強面ながられっきとした妻子持ちであるガルドとしては、そこだけは譲る気が無かった。

 無論、ガルドは本気でレドが誘拐したなどとは思っていない。行き倒れを拾ったのが嘘だったとしても、少女の方もレドと一緒にいるのを嫌がる様子もないのだ。これからどんな関係になるかは知らないが、そこに干渉するほどガルドは野暮ではない。

 だが、問題はそこではない。ガルドはようやく本題に入る。


「最近、妙な連中がうろついてる」

「それが?」


 その言葉に、ガルドの表情からよほど深刻な事を言われると思っていたレドは拍子抜けした。元々貧しいこの南地区は、妙な連中で埋め尽くされているといっても過言ではない。身元の確かな人間など数えるほどしかいないだろう。そんな中で妙な連中が新しく増えたところで、大した問題ではない。


「そうじゃない」


 だが、ガルドはレドの楽観に厳しい顔をする。


「そいつらは、噂を聞いた限りじゃお前と同じ盗伐屋らしいが、最近妙に羽振りがいい」

「それは……正直、それほどおかしくないと思うぞ」


「巡り」の事は誰も知らないが、それでも喪樹の生える頻度が上がっている事は誰もが感じている。そうなれば、レドと同じ盗伐屋が儲かるのは当然の事だった。

 だが、ガルドの言う盗伐屋は、レドの想像するようなレベルではなかった。


「言っておくが、連中の状況は、お前の考える『羽振りがいい』とは比較にならないぞ。傭兵の奴らに聞いたが、全身を喪樹の装備でフルに固めているらしい」


 その言葉に、流石にレドは目を丸くした。喪樹の武器となれば、一人分を揃えるだけで小さな家が買えてしまうほどの金がかかる。それを全員分揃えるなんて、どう考えても盗伐団ではありえなかった。そんな無駄な所に金は使わないし、そもそもそれほど巨額の稼ぎが出ない。喪樹が高価といっても、裏に流すとなればそれなりの手間がかかり、盗伐した本人の手取りは意外と多くないのだ。


「……なあ、そいつら盗伐屋じゃなくて、どっかの傭兵団じゃないのか?」


 そんな盗伐屋の実態を知っているレドは、いくらなんでもあり得ないその言葉を自分なりに解釈して、一番ありえそうな推測を述べる。何か重要な荷物を出来るだけ目立たず運ぶために、護衛の傭兵団もそのように偽装しているのではないかと考えたのだ。

 だが、ガルドは首を横に振る。


「いや、それはない。メンツを見たが、何人か古参の盗伐屋が混じってる。お前と違って足が付きそうな浅はかな連中ばかりだが、それでも始めたばかりの素人じゃない。傭兵団の線はないだろう」

「そうなのか……。まあ、俺には関係ないな」


 そうなると、どうやら本当に盗伐屋らしい。馬鹿みたいな金をかけてそんな重武装をして何を考えてるか知らないが、精々盗伐の行き帰りで出くわさないように注意すればいいだろう。


「お前は馬鹿か? もしそうならわざわざ教えたりせん」


 だが、我関せずの態度を取ったレドに、ガルドは眉間のしわを増やしながら告げる。


「問題は、お前の連れの娘っ子だ」

「はぁ?」


 なぜここでいきなりセーミャが出てくるのか?

 顔中に疑問符を浮かべるレドに、ガルドは真剣な表情で言う。


「その連中は、黒い髪の見慣れない女を見なかったか、方々で聞きまわっているらしい」


 ガルドが聞いたのは、その盗伐団の連中が、この南地区で、比較的最近やってきた黒い髪の女を探しているというものだった。

 それを聞き、一瞬セーミャの事かと思ったレドだったが、冷静に考えると違うように感じた。


「それは……いくらなんでもセー……うちの居候と結びつけるのは無理があるんじゃないか?」


 何しろ、黒い髪というのは、多くは無いが全く見ない色では無いからだ。黒の森の西側の人間は金髪や赤髪の人間が多いが、東側からは普通に黒い髪の人間もやってくるし、それ以外の色も様々な地域から商人が訪れるこのヒューズでは珍しい色ではない。

 だが、ガルドがレド絡みだと判断した理由は、それだけではなかった。


「時期、それと場所だ」

「時期と場所?」

「連中はお前があの娘っ子を連れ込んだ頃から、その動きを続けている。おまけに、調べる場所を南地区に絞っているのが怪しい。外から来た奴等は大概南以外の場所に宿を取る。南地区に限れば、黒い髪の奴はかなり減る。まして、最近来た奴となれば相当絞られるだろう」


 確かに、黒い髪は珍しくないとはいえ、それは外から来る人間が大半だ。そして外から来た商人は、取引相手の商人が拠点を構える東地区と北地区に滞在するのが基本だ。そのせいで、南地区はレイセオンで一般的な金髪や赤髪の人間ばかりなのだ。そして、商人が寄り付かないせいで人の出入りもそれほど多くない。セーミャ以外に、盗伐団が探している条件に合致する人間はごく少ないと言えた。


「……なら、理由は何だ?」


 流石に杞憂で済ませるには不味いと感じたレドだが、ならなんでそんな連中に目を付けられているのか分からない。セーミャの力は俺以外に誰も知らないはずなのに。


「そんなことまで俺が知るか」


 だが、それ以上の情報は流石のガルドも持っていなかった。


「大体、普通ならこの情報だって自分で集めるのが筋だ。お前には縁があるしこっちも儲けさせてもらってるが、あまり無条件に俺を頼りすぎると痛い目にあうぞ」

「……済まない」


 その言葉に、レドも頭を下げた。昔から面倒を見てもらっているせいで忘れそうになるが、ガルドとの関係はあくまでも売り手と買い手だ。これ以上頼るのなら、正当な対価を払わねばならない。


「分かればいい」


 だが、そう言いながらガルドは、食い扶持が増えたレドのために、普段より少し色を付けた価格で持ち込んだ喪樹の枝を買い取ってくれた。その優しさに、やっぱりこの人には頭が上がらないとレドは思う。


「それより、さっさとその娘っ子にもこの事を伝えてやれ。今も近くにいるんだろう?」

「ああ、そうさせてもらう」


 そして、レドは礼を言って、ガルドの店を後にする。

 中央区と南区の境界近くにあるガルドの店を出たレドは、荷物と一緒にセーミャを待たせている場所に急ぐ。あの隙だらけのセーミャに荷物の番をさせるのはなかなか勇気がいる行動だったが、何も仕事が無い事を気に病んでいるセーミャを見ると、そのくらいの事は任せてもいいのではないかと思えたのだ。

 だが、セーミャが誰かに狙われていることを知った今となっては、その判断は失敗と言わざるを得ない。もし見つかってしまえば、探している奴らが強硬策に出る可能性もある。

 もっとも、レドは本気でそんな切迫した事態になっているとは思っていなかった。

 何しろ、セーミャの手には、あのチェルミナートルがある。いくら街のごろつきを集めようと、あんな物騒な刃物を持った相手に、軽々しく手を出すような事は出来ないだろう。

 しかし、楽観視していられたのも、セーミャを残してきた場所に着くまでだった。


「……⁉」


 レドが普段街中で使っている小さな肩掛け鞄と、セーミャのために新しく買った大きなグレーのリュックサック。そして、その二つと一緒に、荷物番として残ったセーミャ。

 その三つは、きれいさっぱりその場から消え去っていた。

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