第四話
納屋の屋根を突き破って飛び出ているのは、夜の闇の中で妖しい紫色の光を放つ、成木の段階まで成長した喪樹だった。
「やっぱり、今回も馬鹿みたいに育つのが早いな……」
ヒューズから徒歩で五日ほどの距離にある小さな町。その町の片隅の小さな農具小屋の屋根から飛び出した喪樹の梢を見上げながら、レドは少し首を捻っていた。
喪樹のひこばえで棺桶を作る。
そんな不思議な理由で黒の森を出てきたという、謎の食いしん坊少女セーミャを拾ったレドは、その生活の面倒を見る事と引き換えに、喪樹の芽生えを誰よりも早く知ることが出来るというセーミャの能力を利用して、これまで以上に喪樹の盗伐に精を出していた。
だが、それはこれまでとは少し違う形だった。
これまでは、喪樹が生えると即座に現地に赴き、まだ大きく育っていない喪樹を根こそぎ抜き取ることで、成木の場合に必要となる工程を省略していた。その方法は他の盗伐者と違い、喪樹から得られるはずの収入を完全に消してしまうため、領主から指名手配される大きな要因になっていたが、同時に、レドがこれまで捕えられずに済んできた理由でもあった。だれも、成木になる前の段階で伐採してるなどとは思っていなかったからだ。
しかし、セーミャと共に盗伐を行うようになってからは、成木の段階まで成長した喪樹を切り倒すようになっていた。
これまでレドが幼木の段階で喪樹を盗伐していたのは、成木の段階まで成長してしまうと、レド一人では手に余ったからだ。喪樹の枝を切り取るには、水銀を混ぜた特殊な武器と、それを扱う魔法の技術が必要になる。一度切り落とした枝であればレドでも加工する事が出来るが、生木の段階ではどうしようもないのだ。だからこそ、まだ小さく、根まで丸ごと引っこ抜く暴挙が可能な段階の幼木しか、レドは盗伐出来なかった。また、レドが現場にたどり着いた時点ですでに幼木の段階を過ぎ、若木に育っていたりすると、それは完全に無駄足になってしまう。喪樹が生えてからレドがその情報を手に入れるまでの時間差を考えると、盗伐が可能なのは、ヒューズの街から三日圏内が限度だった。
だが、セーミャと一緒に居るようになってから、その制約はほぼ解消されていた。
セーミャであれば、花を咲かせて結晶化した喪樹であっても、喪樹のひこばえで作られた愛用の武器、チェルミナートルの一振りで叩き切れる。当然ながら、切り倒した喪樹から枝を切り取った方が、幼木だけよりよほど多くの利益を得る事が出来た。
さらに、これまで情報屋を通じて得ていた喪樹が生えた情報も、セーミャのおかげで、タダで、しかも早く手に入るようになった。今居る町に来るのも、これまでのやり方では生えてから十日程度かかっただろう。それが今回は六日しか経っていない。通常なら、まだレドの背丈を超えた程度の高さまでしか、喪樹は育っていないはずだった。
「なのに何で、もう花が咲きそうな状態なんだ……?」
この一月ほど、レドはすでに、セーミャと共に二回の盗伐を成功させている。その二回とも、今回と同じように喪樹の成長が異常に早かった。通常、喪樹が成木になるまでには一か月程度の時間がかかるはずなのに、どうしてなのだろうか……?
その時、レドの独り言を聞いたブリアが、大きめのトカゲというその外見に似合わない重厚な声で、レドの疑問に答えた。
「成長が早いのは『巡り』が来ているせいだ」
「『巡り』?」
『巡り』という聞き覚えのない言葉に、レドは首を傾げる。一体何の巡りなんだ?
喪樹の花が咲くのを待つ間、喪樹のすぐ近くに生えている、生気を奪われ枯れた木に寄りかかって、静かに寝息を立てているセーミャ。その肩に乗っているブリアは、セーミャを起こさないように声を小さくしながら『巡り』とは何なのかをレドに教える。
「喪樹には周期的に、生える量が増える時期があるのだ。大体、七年や十三年、十七年の周期だな。そのタイミングに合わせて、いくつかの場所で、喪樹の生える量や成長速度が非常に高まる現象を『巡り』と呼ぶ」
今回の『巡り』では、ヒューズの近郊一帯がその中心になっているのだ。
それのブリアの話を聞き、レドは色々な事に納得がいった。村を失って以来、それなりの期間盗伐稼業を営んでいるレドだが、年がら年中喪樹が生えてくるわけではない。これまでレドが盗伐できたのは、年に精々四本か五本程度だ。それなのにここ最近は、セーミャを拾った時も合わせ、一月ちょっとで三本も盗伐に成功し、今目の前に生えているのを合わせれば四本に達する。その頻度の高さについても内心妙だと思っていたのだが、そういう理由だったのか。
その時、ブリアの固そうな尾が、何かに反応したかのように微かに震えた。
そして、視線を喪樹に向け、セーミャの肩を飛び立ちながら言う。
「レドよ、そろそろセーミャを起こしてくれ。花が咲き始めるぞ」
どうやらブリアは、独自の感覚で喪樹の開花を掴んだらしい。
(なんともまあ、不思議なトカゲだな……)
最近慣れつつあるが、言葉をしゃべる奇特な飛びトカゲには、まだよくわからない特技があるらしい。
そんな事を思いながら、レドはセーミャの肩を揺すって、起きるように促す。
「おい、セーミャ。起きろ」
「ん……?」
そのレドの呼びかけに、木に背中を預ける形で寝こけていたセーミャは、眠そうな目をこすりながら、ゆっくりと瞼を開いていく。
「何、レド……?」
その瞼の下から姿を現したのは、夜の闇の中でそれ自体が微かに光を放っているように見える、限りなく黒に近い真紅の瞳だ。首を少し動かしただけで、櫛でといたようにきれいにまとまる、黒い絹の如き髪は、銀色の月明かりと喪樹の放つ薄紫の光に照らされ、常よりさらに神秘的な雰囲気を放っている。
まだ寝起きで、あどけない表情を浮かべるセーミャは、その両者の相乗効果もあって、普段とは似ても似つかない幻想的な美しさをレドに感じさせた。
「朝ごはん、まだ……?」
「…………」
まあそれには、口を開かなければという条件が付いてしまうのだが。
半分寝ぼけたセーミャの戯言(本人は本気)を聞き流したレドは、視線をセーミャから外して、目の前の喪樹を見上げる。確かに、何となくではあるが、体がだるい感じがする。おそらくブリアの言う通り、開花の際の生命力の吸引がすでに始まりつつあるのだろう。
それをセーミャも感じたのか、何度か瞬きをすると、レドの腕を支えにしながらゆっくりと立ち上がる。
「そろそろ、開花しそう」
「らしいな」
そんな言葉を交わしながら、レドとセーミャはそろって喪樹の梢を見上げた。月を背景にした喪樹は、これまでに伐り倒してきた喪樹と変わらない、妖しい雰囲気を放っている。
だが、喪樹は中々花を開こうとしない。どうやら、もう少しだけ時間がかかるようだ。
その開花を待つ間、レドとセーミャの間に沈黙が流れる。こういう時、普段ならセーミャが食事に関する要求をしたりしてくるのだが、珍しく今は黙っている。レドの方も、積極的に話す内容もないので、同じように無言で喪樹を見上げる。
「ねえ、レド」
その時、手持ち無沙汰な様子で、布きれの巻かれたチェルミナートルの柄をいじくっていたセーミャが、ポツリと口を開いた。
「何だ?」
セーミャの呼びかけに、レドは、どうせまた食事関連だろうと思う。だが、セーミャが続けて口にしたのは、レドが予想したものではなかった。
「あのね……、私、レドに迷惑かけてない……?」
「……⁉」
レドから目を逸らしながら、ためらいがちに放たれたのは、普段のセーミャでは考えられないほど、殊勝な言葉だった。
その言葉に、レドは激しく動揺する。もしかして、セーミャの奴何か悪いものでも食べたのか……⁉
だが、そんなレドの動揺をよそに、セーミャは途切れ途切れに、言葉を続ける。
「私、何も知らないし、出来る事も、喪樹を伐る事だけだし……」
確かに、セーミャは日常生活で、役に立っているとは言い難い。掃除洗濯その他諸々の家事能力は絶望的だし、レドが盗伐の合間に行っている喪樹を加工する副業(というより、拘束時間的にはこちらが本業)の手伝いも、セーミャの手先の不器用さを見てしまえば、とてもではないが任せる事は出来ない。結果として、盗伐に出る時以外のセーミャは、文字通り寝て食べてを繰り返す、自堕落を極めた生活をしている。
「だから、やっぱり私は、迷惑なのかな、って思って……」
「……」
そのセーミャの言葉に、レドは驚きを禁じ得なかった。レドの下で怠けた生活をしていられたのは、黒の森を出る前から同じような暮らしをしていたからだと思っていたのだ。
だが、冷静に考えれば、貴族の娘でもないセーミャが、そんな悠々自適な生活を出来るわけがない。きっと村を出る前は、出来ないなりに頑張って、仕事や家の手伝いをしていたのだろう。
しかし、レドはそういった手伝いも、自分でやった方が早いという理由で、セーミャにやらせていなかった。きっとそのせいで、自分の足場がよく分からず、不安になっているのだろう。
レドは黙ってセーミャの話を聞きながら、内心でそんな風に納得する。
「そ、それに……」
だが、セーミャが本当に気にしていたのは、それではなかった。
「急に傷が治ったりして、レドは私が気持ち悪くない……?」
「……ッ⁉」
その言葉に、これまで視線を喪樹に向けたままだったレドは、思わずセーミャの方を見る。正直、今この場でそんな言葉が飛び出すとは、予想外だった。
だが、レドのその反応を、セーミャは図星だと受け取った。
そして、レドから視線を逸らしながら、覚悟を決めた調子で言う。
「も、もしそうなら、私、レドのお家から出る……!」
しかし、そんな事を言いながらも、セーミャはレドを直視するのを避けたまま「……方が、いいのかな……?」などと小さく付け加えている。その様子から、別にレドの家から積極的に出て行きたいわけでないと分かり、レドは思わずほっとする。
そして、何を言うか少し考えた後、自分の肩ほどの高さしかない、緊張した様子のセーミャの小さな頭に、ポンと手を置いた。
「……ッ!」
目を逸らしていたせいで、レドの手が近づいてくることに気が付かなかったセーミャは、突然頭を触られて、ピクッと震えて目を瞑る。だが、レドが別に何をするでもないので、恐る恐る目を開く。
瞼を開いて見えてきたのは、少し困ったような表情を浮かべているレドだった。
「まあ、その、なんだ……?」
そのレドは、セーミャから目を逸らしながら、まるで先ほどのセーミャの喋り方が移ったかのように、切れ切れな調子でセーミャに告げる。
「別に俺は、セーミャが居ても迷惑なんてしてない。今みたいな盗伐の時は、むしろ助かってる」
「……」
だが、別に迷惑してないと言っても、まだセーミャは不安がぬぐえない。まだレドは、セーミャが一番気にしている、肝心なことについて何も言っていない。
その答えを求めるセーミャの朱い瞳を見て、レドは気恥ずかしい思いで、もう少し言葉を続ける。
「それに、その傷が治る力も、俺は気にしてない。他の奴は気味悪く思うかもしれないが、少なくとも俺は平気だ」
そこまで言われて、セーミャはようやく、自分がレドに嫌われたりしていないと分かったらしい。輝くような笑顔を浮かべて、普段より少し大きな声で返事をする。
「……! 分かった……!」
セーミャがそう言った瞬間、まるでタイミングを見計らったかのように、レドの体から急に力が抜けた。
「……ッ!」
とっさに足に力を込めて転ぶのを回避したレドは、すぐに傍らの喪樹に視線を向ける。
そこでは、限界まで膨らんだ蕾が、今まさにほころび始めようとしていた。
開花が、始まったのだ。
次々に花開いていく、妖しい紫色の光を放つ花。それを見ながら、レドは体勢を立て直してセーミャに言う。
「早速だが、頼んだぞ」
「ん、任せて」
そう嬉しそうに答えると、セーミャはチェルミナートルに巻いていた、細く裂いた布を素早く剥ぎ取る。その下から見えてくるのは、黒い光沢を放つ鉈の刃だ。サイズと言い質感と言い、セーミャのような小柄な少女には絶対に似合わないはずなのに、チェルミナートルを握ったセーミャの姿は、何故か不思議としっくりきた。
鈍く光るチェルミナートルは、それだけで十分に凶悪な印象を受ける。だが、本番はここからだった。
近づくセーミャにタイミングを合わせるように花を咲かせ、そして葬奏を奏で始めた喪樹。それに向き直ったセーミャは、神秘的な旋律を聞きながら、慣れた仕草で左の袖をまくっていく。
「よいか、以前のような失敗は絶対にするでないぞ!」
レドと出会った時と同じように、左腕の白い肌をさらしていくセーミャ。それを見たブリアは、パタパタ飛んでレドの肩にとまり、レドとセーミャが話していた時の分まで存在感を発揮するかのごとく、小姑っぽい調子で叫ぶ。
「ほんの少し、薄皮一枚で済ませるのだ!」
「そんな事、言われなくても分かってる……」
その言葉に一気に不機嫌そうになりながら、セーミャはそっとチェルミナートルの刃を、あらわになった細く白い左腕に軽く触れさせ、以前レドと出会った時と同じように、しかし今度は落ち着いて祝詞を唱える。
「恵みと慈悲の神エリテサよ、敬虔なる使徒に救いの力を与えたまえ」
そして、チェルミナートルの刃を、ほんの少し動かす。
「……ッ!」
押し付けられた鋭利な刃は、その動きだけでセーミャの腕にごく浅い傷を付け、微かに血を滲ませる。正直、見ているレドの方が痛いような動作だが、その程度の傷では、かつてのように血しぶきが生じるようなことも無い。
だが、僅かにその滲んだ血がチェルミナートルの刃に触れた瞬間、チェルミナートルが急激に巨大化していく。これまで、大振りとはいえ普通の範疇に収まるサイズだったチェルミナートルは、セーミャの血を吸い取るように巨大化していき、あっという間にその身長に迫るサイズになる。その刃は、微かに薄紫の光を纏っている。
誰が見てもセーミャが持ち上げられるとは思えないサイズになったチェルミナートルだが、すでに腕の傷が消えたセーミャは、それを軽々と持ち上げる。
そして――
「エリテサの加護、その証を我に授けたまえ!」
――祝詞の叫びと同時に、心なしか紫色の光を強めたチェルミナートルを、黒く固まりつつある喪樹の幹に力の限り叩き込んだ。
「しかし、何度見ても信じられないな……」
その一撃で、どんな樹より丈夫なはずの結晶化した喪樹があっさりと切り倒されたのを見て、レドは半ば呆れたように呟いた。こんな光景、直に見なければ誰も信じないだろう。
「普通、喪樹を伐るとなったら、騎士団の魔法騎士が何十人も集まって、それでようやく伐るもんだぞ」
喪樹を伐るには、水銀の混ざった特殊な武器と、それを使いこなす魔法の技術が不可欠だ。普通の斧ではどれだけ振ったところで、傷一つつかない。それをまるで雑草のようにあっさりと根元から伐るのだ。すでに何度か同じ光景を見ているが、やはり信じがたいものがあった。
「それがセーミャの力なのだ」
そんなレドに、肩の上のブリアが応える。
残された切り株から生えたひこばえをセーミャが刈り取るのを横目に、ブリアは言った。
「さっき言った『巡り』の時期には、里の周りで喪樹の育ちが悪くなる。そのために、セーミャのような若い者が、ひこばえを得るために里の外に出るのだ」
ひこばえを刈り終えると、チェルミナートルは再び元の小さい姿に戻っていく。それにセーミャが布を巻き付ける姿に目を細めながら、ブリアは真情に満ちた言葉を続ける。
「だが、セーミャは幸運だった。我が付いているとはいえ、一人で喪伐の旅に出るのは、世間知らずなあの娘にとって決して容易なことではない。正直、お前のような心根の良き者と出会えて、感謝している」
「どうしたんだ、ブリア? 急に真面目な話をし出して……」
これまで、食事の契約改定や寝床の藁についての注文しかしてこなかったブリアの発言に、レドは若干戸惑った表情を浮かべる。なんで今になって、そんな話をするんだ?
「なに、大したことではない」
そう言い、ブリアはどこか遠い眼をして呟く。
「ただ、こんな日がいつまでも続けばいいと思っただけだ」
「……?」
どうにも唐突な感をぬぐえないブリアの言葉にレドが戸惑っていると、ひこばえを刈り取ったセーミャがレドを呼んできた。その腕には、梢の先端部分を含む喪樹の枝の束が抱えられている。レドがブリアと話している間にさっさと切り取ったようだ。
「レド、早く帰ろう? あと、ごはんよろしく」
そして、普段とあまり変わらない、だが、しっぽが付いていれば全力で振っているだろう期待に満ちた表情でレドに呼びかける。
「お前はいつもそれだな……」
すでにやるべきことを終えたセーミャの頭は、早くも食事の内容で占められているらしい。
その、餌をねだる子犬のような姿に、レドは微かに苦笑する。確かに、さっき見た神秘的なセーミャもいいが、普段のセーミャの方が、レドには可愛く感じられた。
そんなレドの表情が、セーミャにはお願いを嫌がっているように見えたのか、一瞬で表情が普段の無表情に戻る。はた目には落ち着いた様子に見えるかもしれないが、その直前の表情との落差を考えれば、落ち込んでいるのは明白だ。
そんな反応に、レドはもう一度ため息をつき、それから問いかける。
「セーミャ、帰ったら何か食べたいものはあるか?」
その問いかけに、セーミャは再び目を輝かせ、ありったけの要求を述べる。
「それじゃあ、クジャクの卵焼きと、ウズラの塩焼き。それに、子豚の丸焼きと……」
「お前は俺を破産させる気か⁉」
そして、早速調子に乗ってとんでもない高級品を要求するセーミャと、常識的範囲内での食事を考えていたレドとの間で口論が勃発する。ただ、お互い本気でいがみ合っているわけではない。セーミャは若干本気だが、それでもちょっとした遊びのようなものだった。
そんな二人の少し後ろを、パタパタと羽ばたいて続いていくブリアは、ただ優しい眼でそれを見守っていた。