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第三話

「……」


 少女が目を覚ました時、そこは知らない場所だった。

 長く寝ていたせいか重く感じる上体を起こしながら、少女は自分がいる場所を見回す。

 そこは、石造りの小さな集合住宅の一室だった。よく掃除された部屋は物自体が少ないのかがらんとした印象を受け、見たところ大きな家具は少女が寝かされていた寝台と小さめの衣装入れくらいしかない。寝台のすぐそばに開いている窓からは、青白い月明かりが差し込んで暗い室内を照らしていた。

 普通の少女ならまず真っ先に、ここがどこなのか、自分がどうしてこんな場所に居るのかと不安になるだろう。

 だが、少女はそんな不安を微塵も見せない。代わりに、普段よりさらに赤く見える瞳を開き、無感情な声で呟く。


「おなか、空いた……」


 少女が最も優先した事。それは、長時間寝ていたせいで極限に達した飢餓感を鎮める事だった。

 意識がはっきりして猛烈な飢餓感に苛まれ出した少女は、寝台の傍らに無造作に立て掛けてあった己の半身に等しい黒光りする鉈を手に取り、ずるりと寝台から這い出る。

 軽く見回した限り、この部屋に食料になりそうなものはない。なら、鍵がかかっている様子もない扉の外に、食料を求めるまで。

 途中何かを踏んだ気もしたが、そんな事は気にせずに、少女は無造作に扉を開く。

 その扉の先、月明かりも差し込まないせいでほとんど暗闇に近い部屋には――


「あった……」


 ――椅子の上で腕を組みながら眠っている、少年――レドの姿があった。

 その姿に、少女は口元から微かに犬歯を覗かせ、ごくりと唾を呑む。その視線は、少年の腕に注がれている。真っ白なその内側からは、むしゃぶりつきたくなるような匂いが放たれていた。

 その匂いに誘われるように、少女はゆっくりレドに近づいていく。おぼつかない足取りで、鉈を片手に歩む少女の姿は、背後から差し込む月明かりも相まって実に猟奇的印象を与えた。

 そんな少女が迫ることに気が付かず、レドは静かに寝息を立てている。

 そしてついに、少女はレドのすぐ横に立つ。


「本当に、凄く美味しそう……」


 腕の中から漂う匂いだけで震えそうになりながら、少女は手にしていた鉈を床に落として、抱き付くようにレドの腕を取る。

 鉈が床に落ちる音と、柔らかい少女の体がピタリと密着する感触に、レドは微かなうめきと共に身じろぎするが、まだ起きる気配はない。

 そして、レドの意識がはっきりする前に、少女はその口を大きく開き――


「いただきます……ッ!」


 直後、真っ赤な飛沫と共に、夜の街にくぐもった悲鳴が木霊した。




「それで、いい加減話してもらおうか?」


 時ならぬ悲鳴が響いた夜が明け、まぶしい朝日に照らされた街で人々が動き出す頃。レドは爽やかな空気の溢れる住処で、額に青筋を浮かべながら少女を睨みつけていた。

 だが、少女はそれを完全に無視して、ただひたすらに手と口を動かし続けている。


「諦めるのだ、レドよ」


 その態度に、レドの額の井桁の数がさらに増えるのを見て、テーブルの上で痛む体――昨日の夜、寝台を抜け出した少女に踏まれた――を休めているブリアが、どこか達観したような声で告げる。


「元々食事中は何を言っても聞かないのだ。とにかく、今は腹を満たすのを優先してくれ……」

「おい、俺はコックじゃないんだぞ」


 ピキピキと青筋を立てているレドは、使用感溢れるエプロンを身に着けていた。場所は、空腹で起きた少女がレドを見つけた部屋――作業部屋だ。

 昨日の深夜、少女は寝ぼけたまま、レドが夜食として食べていたレッドホットケバブを口にし、そのあまりの辛さに悲鳴を上げ、椅子に座って熟睡していたレドを叩き起こしたのだ。しかも、食い零しの赤い汁で口元を真っ赤にしたまま、何か別の食いものをよこせと駄々をこねたのだ。

 最初は、口元を真っ赤にして床を転げまわる少女に唖然としていたレドだったが、とにかくそれを静かにさせるために手持ちの保存食で簡単な料理を作り始めたのだ。

 ――朝まで、ひたすら。

 何であれ少女の食欲を満たすために、普段喪樹の枝を落としたりといった加工に使っている作業台の上にきれいな板を俎板代わりに敷き、その上で山積みにされた固い黒パンを二つに切ってバターを塗り、間にハムなどを挟む。その一連の作業を夜明け前から延々続けているのだ。酷使され続けた腕は乳酸がたっぷりたまり、持ち上げるのも億劫な状態になっている。

 その時、レドはこれまでサンドイッチを掴むのに忙しかった少女の腕が止まっていることに気が付いた。代わりに、あれだけの量をどうやって詰め込んだか不思議なお腹をさすって満足げな表情をしている。


「ようやく食い終わったのか……」


 それを見て、レドはようやくコック、いや、エサやり係の仕事が終わったことを悟る。そして、疲れた体に鞭を打って、エプロンを外しながら少女に向き直る。本当なら一眠りして休みたいところだったが、この少女には、聞きたい事が腐るほどあるのだ。少しでも早くそれを聞きたかった。

 そんなはやる気持ちを抑えきれないレドの様子に、少女は若干警戒した面持ちで先に問いかけて来る。


「あなた、誰……?」

「お前、散々食った後にそれは無いだろう⁉」


 その言葉に、いい加減頭に来ていたレドが怒鳴る。


「大体、その質問はナイセの町で答えただろ。俺はレドだ!」


 だが、それでも少女は動じず、代わりに落ち着いた声で名乗り返す。


「そう。私はセーミャ。今日はごはんありがとう。それじゃあ……」

「待てやコラ」


 そして、そのままテーブルの上に寝そべっていたブリアの首根っこを掴んで逃走しようとするのを、レドはセーミャの首根っこを掴んで阻止した。


「何をするの……?」


 まるで自分が理不尽な事をされているかのように不満げな顔をしてレドを見るセーミャに、首を掴んだ手に血管を浮かばせながら、レドは答える。


「お前、食い逃げとはいい度胸だな」

「苦しい……」


 首を掴む手に力を込められ、苦しそうな顔をしてセーミャは抗議する。


「女の子にご飯をあげるのは男の義務だって、母様が言ってた」

「飯をおごるにしても、三時間以上も無言で食い続ける奴が居てたまるか!」


 しかも、そのまま逃げるような相手におごるのは、たとえどんなに心の広い男でもお断りだろう。

 ただ、レドの内心では、セーミャならそれもありうるかもしれないと思っていた。

 口の周りについているパンの欠片を無視すれば、多少(と言っていいかは分からないが)の問題は許してしまえるほどに、セーミャは美しかったからだ。

 朝日に照らされた肌は透けるように白く、それでいて健康な色をしている。髪はそれとコントラストをなすような漆黒で、深夜にレドを叩き起こした時から櫛を通すこともしていないのに、水の流れのようにきれいにまとまっている。そして瞳は、黒に限りなく近い宝石のような真紅。それが幼い、だが将来を間違いなく約束された輪郭に配されているのだ。飯を食う姿さえ見なければ、おごりたいと思う男は星の数ほど現れるだろう。

 だがレドは、脇道に逸れた思考をすぐに修正し、真面目な顔で告げる。


「お前に聞きたい事がある。飯代替わりに話してもらうぞ」


 その顔を見て一瞬考え込んだセーミャは、一拍おいて小さく頷き、首を掴んだままのレドの手をぽんぽんと叩く。


「分かった。その代り、もうちょっとご飯ちょうだい」

「まだ食う気かよ⁉」


 結局、これ以上自分で作る気力が無かったレドは、首を握られ続けたせいで気を失っているブリアを家に残して、適当な食堂にセーミャと共に入る事にするのだった。




「それで、私に何を聞きたいの?」


 レドの住処にほど近い、安くて大盛り、味は並という典型的な下町の食堂に入ったレドは、早朝に起こされてから何も食べていなかった腹を満たすために並定食を。そして、さすがに腹が大分くちていたセーミャは、軽く――大盛定食を注文していた。

 昼時前の時間にやってきた、見るからに下町の貧乏な少年という風情のレドと、深窓の令嬢と言われても信じてしまいそうな外見でありながら、腰にやたらと無骨な鉈を差したセーミャは明らかに浮いた組み合わせだったが、ヒューズの街でも貧民街に近いこのあたりでは、訳ありの人間などごまんといる。特に詮索されることは無かった。

 出されてきた定食を、先ほどのサンドイッチと異なり、今度はゆっくりと食べながら、セーミャはレドに問いかけてきた。

 なんだか、セーミャが食べる姿だけでお腹が一杯になりそうになっていたレドは、元々進まなかった匙のスプーンの動きを止めると、真剣な表情で一気に核心に斬り込んでいった。


「まず聞きたいのは、お前が何者なのかだ」


 それは、レドにとっての最大の疑問だった。レドと同じで、喪樹の近くでも無事でいられるだけでも、十分に特殊だ。それに加え、喪樹ですら一刀のもとに切り捨てる事が出来るあの不思議な鉈に、言葉を解す羽トカゲのブリア。セーミャ自身も、尋常の存在でないのは間違いない。

 だが、事の本質を突いたつもりのレドの質問に、セーミャはスプーンを口に入れながら首をひねっている。

 そして、もう一口食べようとスプーンを動かしながら、レドの質問に答えた。


「私は、セーミャだよ。さっき言ったよね?」

「そうじゃない!」


 その馬鹿にしたような返事に、レドは声を荒げる。


「俺が聞きたいのは、お前がどういう存在なのかという……」

「お前じゃない。セーミャ」

「だから、そうじゃなくて……」

「セーミャ」

「……そうだな。お前はセーミャだな」


 だが、ひたすらに同じ返事を繰り返すセーミャに、レドの方が先に折れた。何より深刻だったのが、セーミャの食べるペースが少しずつアップしている事だった。このまま大盛定食を食べきった挙句もっと食べたいと言われたら、レドの今月の食費は確実に底をつくだろう。

 そこでレドは、質問の内容を抽象的なものではなく、具体的なものに切り替える事にする。


「分かった、質問を変えるぞ。まず、おま……セーミャはどこの出身なんだ?」


 その質問には、先ほどのような反応ではなくきちんとした答えが返ってきた。

 ……ただし、内容は冗談としか思えないものだったが。


「私は『黒の森』出身。外に出たのは今回が初めて」

「……おい、まだふざけているのか?」


 その答えに、レドは微かに低くなった声で、真面目に答えろと促す。

『黒の森』とは、レイセオン王国の東側に存在する、広大な通行不能帯の事だった。ただし、その見た目は森には到底見えない。何しろ、地平線の先まで、ひび割れた大地が延々と続いているのだ。知らないものが見れば、酷い干ばつに見舞われた後かと思うかもしれない。

 だが、そのひび割れをもたらしているのは、乾燥などではない。その原因は、ひび割れた大地の所々に墓標のように突き立つ黒い樹――喪樹にあるからだ。

『黒の森』では、本来人の居ないところには生えないはずの喪樹が異常発生しており、今も常に、新しい喪樹が生えては、黒い結晶と化すことを繰り返している。

 そして、当然の事だが、そんな場所に人が住んでいるはずがない。一般的に『黒の森』に住んでいる、というのは、すでに故郷が無い、あるいは人に言えない人間が使う一種の隠語だった。

 だが、普通は固くてスープに浸さないと食べられないような黒パンを、口いっぱいに頬張ってもぐもぐしているセーミャは、至極真面目な表情で首を横に振る。

 そして、口の中身を飲み込んで答える。


「ううん、ふざけてない。私は本当に『黒の森』から来た」

「……」


 繰り返し放たれた言葉に、レドは沈黙した。なぜなら、話の内容は信じがたかったが、レドから見てセーミャの赤い目に嘘の色が全く見えなかったからだ。

 それに、それなら、セーミャが喪樹の近くに居て無事だった理由も説明がつく。

 結局、真偽を確かめる手段も無いので、レドは次の質問に移る。


「一応、セーミャが『黒の森』の出身だという事は分かった。だが、どうして一人でそこを出てきた? 聞いたことも無いが、あの中に集落なりなんなりがあるのだろう?」


 ここヒューズは、東西の貿易品の取引だけでなく、無数の情報のやり取りもされる。盗伐などという裏稼業をしているレドも、最低限の情報は集めている。その中に『黒の森』の中に村落があるなどという話は聞いたことも無かった。まして、そこからこんな少女が一人で出てくるなど、なおの事理解できなかった。


「一人じゃない。ブリアがいる」

「ああ、あれも一人に数えられるのか……。それなら、なんでその二人だけで出てきた?」

「……言わなきゃダメ?」

「ああ。それも飯代だ」


 そう言いながら、すでに食べ終わった自分の定食を脇に除け、代わりにレドの分の定食に視線を向けていたセーミャだが、質問に答えるまではつまみ食いをされないようにレドががっちりガードしているのを見て、残念そうな吐息を放つ。

 そして、若干のためらいの後に放たれた言葉は、どう頑張ってもレドには予想しえないものだった。


「棺桶を作らなきゃいけないの」

「はぁ?」


 棺桶を作る。

 自分より年下の女の子の口から出るとは思えない言葉に、レドは呆気に取られた。

 その反応を見ながら、周囲の視線を一瞬確認したセーミャは、テーブルの下で素早く左腕の袖をまくった。


「母様が、こうするのが一番わかりやすいって言ってた」


 そして、レドが止める間もなく、荒い造りのテーブルから飛び出した木のトゲを、その白い腕に突き刺した。


「……ッ!」


 その様子に、レドは突き刺している本人以上に痛そうな顔をする。

 だが、セーミャは微かに顔をしかめただけで、すぐにそれを引き抜く。その後には、小さな赤い血の珠がぷっくりと生じている。

 だが、本当の驚きはその後だった。


「……⁉」


 血の珠が膨らむのが止まり、セーミャが袖でそれをぱっと拭った後には、トゲを刺した痕跡一つない、滑らかな肌があった。


「これが、私たちの一族の特徴……らしい」


 ナイセの町で腕の傷が消えたのを見たとはいえ、それでも驚きに目を見開くレドに対し、セーミャは何故か自信無さげに言う。


「私たちはちょっとくらい傷を負っても、すぐに治る。それに、普通に生きていると死ぬことが出来ないの」

「……それが、棺桶とどう関係してくる?」


 まるで神話の時代の人間のような話と、それを肯定するような目の前の光景に内心激しく動揺しながらも、レドは必死にそれを覆い隠して重ねて問いかける。


「だから、私たちが死ぬためには、喪樹の『ひこばえ』で出来た棺桶に入らないといけない。その材料を取るために、私は村を出てきたの」


 ひこばえとは、木の切り株からもう一度生えてきた芽の事だ。ただ、喪樹にもそれが生じるとは、先日ナイセの町で見るまで知らなかったが。


「そうか……」


 セーミャの目的を聞いたレドは、ただ頷くことしか出来なかった。

 セーミャが言っている事は、どこまでもファンタジーな話だった。喪樹のひこばえで棺桶を造るために、黒の森の中にある村を出てきたなど、普通に考えれば信じられない。

 だが、実際に傷が一瞬で治り、喪樹のひこばえが生える瞬間にも出くわした。しかも、出会った場所は十分に成長した喪樹の根元だったのだ。話の全てを信じるかどうかはまだ後にするにしても、頭ごなしに否定することは出来なかった。何よりも、ブリアの言っていた通り、少なくともセーミャが普通ではない知識を持っていることは明らかなのだ。

 それを確信したレドは、僅かに緊張しながら、本題に移る。


「それなら、セーミャにはこれが何か分かるか?」


 レドがテーブルの上に差し出したもの。それは、普段から肌身離さず持ち歩いている、あの黒い鞘のナイフ――『剣』だった。遠目にはごく普通の鞘に収まったナイフに見えるが、よく見てみると、その鞘の表面には傷一つなく、黒い鏡のようにも見える。また、何故かは分からないが、鞘から抜くことが出来ない。そんな不思議なナイフだ。

 ――この娘の一族には、我が知るのと同じ事柄が伝えられている――

 そのブリアの言葉を信じるなら、このナイフに関しても、何か情報を持っているはずだ。

 黒いナイフを差し出されたセーミャは、首を傾げながら無造作にそれを手に取って、赤い眼を細めながら光にかざしたりしている。


「どうだ、何か知らないか?」


 これが何か分かれば、両親や村のみんなの命を吸い取った喪樹という存在が、一体何なのか。その謎に少しでも近づけるはず。

 そして、一通りナイフを確認したセーミャは、静かにそれをテーブルの上に戻し――


「よく分かんない」


 ――至極真面目な表情で、堂々と言い放った。


「は……?」


 その予想外の答えに、レドは間の抜けた声を上げてしまった。


「ブリアの奴は、お前に聞けば分かるはずだと……」

「うん。なんだか昔、ブリアとか母様にこんなのを習った気はする」


 それなら、なぜ言えないんだ⁉

 そう叫ぼうとしたレドに、セーミャは続けてこう告げた。


「でも、私その時お腹空いてて、何言ってたかよく覚えてないの」

「……!」


 そのあまりにも馬鹿らしい言葉に、レドは今度こそ完全に絶句した。セーミャを助けたのは確かに善意が大半を占めてはいたが、何か新しい情報を得られるかもしれないという思いも強かったのだ。それが、期待していた情報を何も得られないなんて……!

 レドがほとんど錯乱に近いレベルで混乱している間にも、質問が止まったセーミャは、ブロックの解除されたレドの定食に素早く手を伸ばして、まだ三分の一も食べていないそれを美味しそうに食べている。レドにしても、それを止めるだけの気力が無い。

 そして、その残りの半分近くを食べきったところで、セーミャはある事を思い出した。


「そうだ」


 そう呟くと、まだ正気に戻っていないレドに対し、腰から抜いた鉈を突きつけた。


「……! 何をする気……」


 突然の行為に、レドは慌てて身を引く。そして、護身用に身に着けている、もう一本の普通のナイフを取り出そうと、腕を懐に伸ばし――


「さっきのナイフだけど、ちょっと思い出した」


 ――セーミャの言葉に、動きを止める。

 そう言ったセーミャは、レドに無骨なその鉈を見せつけるようにしながら言葉を続ける。


「これは、私たちが喪樹を伐るときに使うの。この子――『チェルミナートル』は、私が生まれたときに、父様が喪樹のひこばえから作ってくれた私専用の武器」


 そして視線を、テーブルの上に置きっぱなしのレドのナイフに向ける。


「そのナイフからは、この子と同じ気配がした。よく分かんないけど、多分喪樹のひこばえで作られた武器だと思う」

「ひこばえで出来た武器……?」


 セーミャが語った予想外の答えに、レドは困惑を隠せなかった。


「だが、その鉈……チェルミナートルは、喪樹で出来てるとは思えないんだが……」


 なぜなら、セーミャの持つチェルミナートルは、これまでに見てきた喪樹の武器と明らかに違うからだった。普通、喪樹の武器は、抜き身にすれば薄らと紫色の光を放ち、それを収める鞘も、特殊な金属で作られている。だが、チェルミナートルには鞘などなく、簡単に布で覆っただけだ。地金の色合いこそ、確かに似ているような気もするが、それだってもっと暗い色になるはずだ。だからレドは、チェルミナートルが何か特殊な金属で出来ているのだと思い込んでいた。

 その疑問に、セーミャは少し首を傾げながら答える。


「喪樹で出来た武器がどんなものかは知らないけど、チェルミナートルが喪樹のひこばえで出来てるのは本当。それに、そのナイフも間違いなく、ひこばえで作られてる」


 答えるセーミャの目を見るが、やはりそこに嘘の色は見当たらない。声の調子は抑揚が少なめで分かり辛いが、本当のことを言っているように聞こえた。


「ただ、それ以上の事はよく覚えてないの」

「……分かった。それだけでも十分な情報だ」


 そこまで聞いて、レドは椅子の背もたれに背中を預けながら沈黙した。とりあえず、得られた情報を整理したかった。それを見たセーミャは、残りの定食を食べていいというゴーサインだと判断して、容赦なくそれを食べにかかる。

 セーミャのおかげで、このナイフが喪樹のひこばえを材料に作られている事が分かった。これは大きな前進だろう。これまではひこばえの存在すら知らなかったのだ。これから喪樹について調べる際は、それに言及しているものを探していけばいい。きっと何か、手がかりがあるはずだ。それに、セーミャの住んでいた村に行けば、さらなる情報が入るだろう。

 その時、レドは自分の目的とは関係ない、あることに思い至った。


「一応、セーミャがどういう存在なのか。それと、このナイフが喪樹のひこばえで出来てる事は分かった」 

「……?」


 レドの定食の残り全てを食べ尽そうとしているセーミャに、レドは素朴な疑問を投げかける。


「セーミャは棺桶を造る材料を集めるまで、一体どうやって生活していくつもりなんだ?」


 それは、レドの老婆心から出た言葉だった。

 セーミャが思いっきりレドにたかろうとした所を見ると、自分で食事を買う金が無い可能性は高い。棺桶をひこばえだけで作るとなれば、それ相応の数の喪樹を伐り倒さないといけない。それは決して、短時間で終わる事ではないだろう。

 だが、セーミャは落ち着いた様子で答える。


「大丈夫。村を出る時に喪樹の枝をたくさん持ってきた。よく知らないけど、村の外ではすごく高い値段で売れるらしいから」


 だから、私はきっとレドよりもお金持ち。

 そう言って自信満々で胸を張るセーミャを見て、レドはなんだか非常に嫌な予感がした。


「ちょっと待て。お前、その枝はどうやって持ってきた?」

「ん? もちろん、私の背負っていたリュックに……」


 そこまで言って、セーミャはある事に気が付いて表情を凍り付かせる。


「レド、私のリュックはどこにあるの……?」

「あ、あの中にあった小さいリュックサックは持ってきた……」


 ナイセの町から逃げる時、それだけは、ブリアに言われて持ってきた。


「ただ、あのでかいリュックサックは、ナイセの町はずれに置いてきた……」


 だが、あのクソでかいリュックサックだけは、馬の背中に積み切れず、持っていく事が出来なかったのだ。


「そんな……!」


 その言葉に、セーミャは顔を青ざめさせた。

 そして、


「それじゃあ、今から取ってくる……」

「待てやコラ!」


 何やら似たようなことをさっきもしたような気がしつつ、立ち上がって店を飛び出そうとするセーミャの首根っこをレドが掴む。


「離して! 私の全財産があのリュックに……」

「あんなところに放置してたら、とっくの昔に巡邏の兵士に発見されて持ちさられてる!」


 何しろ、別に隠すでもなく街道の脇に放置したのだ。例え巡邏の兵士でなくとも、喪樹が倒れた事で元通りの暮らしに戻ろうと町に戻る住人に持ち去られている可能性も高い。しかも、中いっぱいに喪樹の枝が詰め込まれているとなれば、それは金貨の山と同じだ。取っておいてくれる物好きが居るとは思えない。

 そして何より、レドがセーミャを止めたのは、別の理由があった。


「それよりセーミャ。お前、もしかして俺に全ての支払いを押し付けて、そのまま逃げようと考えてなかったか?」

「……」


 疑わしそうなレドの言葉に、無表情な顔でポーカーフェイスを装って無言を貫くセーミャ。だが、冷や汗は止められないらしい。それはもうダクダクと流れている。完全に図星だった。


「おい、どうなんだ?」

「……女の子におごるのは男の……」

「やっぱり食い逃げする気だったのか⁉」


 完全に目論見が費えたセーミャだが、今度は逆に開き直って、脅迫するかのように叫ぶ。


「ならどうするの⁉ 私に払うお金はないの! それとも、えーと……そう! よるのまちのかたすみでたちんぼしろ、とでも言うの⁉」

「いや、それは……」


 借金というのは普通借り手が弱いはずだが、返す当てが全くないと、逆に強気になるものらしい。

 とにかく、どうも言葉の意味を理解しているのか怪しいが、こんな少女にそんなことを言われては、レドとしてもさすがに困った。何しろ、セーミャの食った食事の量は、この僅か数時間だけでもとんでもないものになっている。たとえ今回の分の食費を本当にレドが丸抱えしたとしても、これから先生活していけるとは思えない。あの小さなリュックサックに何が入っているかは知らないが、その中身を売った金を使いきったら、その後は本当に立ちんぼする羽目になるかもしれない。まだ何もしらなそうな少女がそんな事をするのを何とも思わないほど、レドは汚れていなかった。

 ……まあ、目の前でこれが食い納めとばかりにレドの分の定食の残りをガツガツ食らう姿を見ていると、そんな同情心もびっくりするくらいあっさり消えそうになるのだが。

 だが、何か手を打ってやらなければ、きっとこの少女は空腹にのたうちながら、とんでもない目にあってしまう。


「おい、いい加減食うのを止めろ……」

「……?」


 結局、拾ったからには面倒を見なければならないと決意したレドは、前途の多難をすでに予期しながら、疲れ切った声を掛ける。

 そう言われて、セーミャは口の中を食べ物でいっぱいにしながらも、一応その手を止めてレドに期待の眼差しを向けてくる。どうも、助けてくれそうだと察したらしい。

 その無駄な勘の良さにもう一度ため息をつきながら、レドはセーミャに問いかける。


「セーミャ、何か出来る事……自分で出来る仕事とかはないのか?」


 それに対し、口の中のものを飲み込んだセーミャは、少し考え込み、そして自信無さげに答える。


「…………水汲み、とか?」

「済まない、聞いた俺が馬鹿だった……」


 うすうす感じてはいたが、予想通りの答えにレドはもう一度ため息をつきながら、こんな馬鹿を送り出した黒の森の中にある村とやらに心の中で呪詛を吐く。せめて、せめて最低限の社会常識を身に着けてから送り出してほしかった……。


「そ、それだけじゃない!」


 レドの絶望のため息を落胆の意味に受け取ったセーミャ(もちろん落胆も含まれている)は、ここで見放されては困るとばかりに必死で食らいつく。


「えっと、その、よ……夜這い? も出来るし、なんか薄い服とかちょっと穴の開いた服とかを着て、男の人の前で踊るとか……」

「ちょっと待て! それは一体誰に教わった⁉」


 なんで社会常識は欠如しているのに、こんなことばっかり知ってるんだ⁉

 いきなり始まったとんでもない発言に、レドは慌ててセーミャの口を塞ぐ。もし飯屋の人間に聞かれたら、レドは二度とこの店に来られなくなる。

 言葉の途中で止められたセーミャは若干不満そうにしながら、それを教えた相手を告げる。


「母様が、いざというとき男をちょろまかすのに使えって」

「全部の原因は母親か⁉」

「あと、父様は、そんな事人前では絶対しちゃダメだって言ってた」

「なぜそっちを信じない⁉」

「するのは父様の前だけにしなさいって言って、母様に生殺しにされてたから」

「……もういい。せめて街の中とかでだけは、そのご両親の言葉より俺の指示を優先してくれ……」


 前途が多難どころではない事を察したレドは、三度目のため息をつく。ため息をすると幸福が逃げてしまうと言うが、それはきっと嘘だろう。幸福などとっくに逃げ散り、それでも何かを吐き出さないとやってられない時にため息が出るのだ。少なくとも、今のレドはそうだった。

 だが、セーミャは違った。

 レドの言葉から、少なくともいきなり自分を放り出して、食事代を請求されるような事態が回避されたことを悟り、先ほどまでの不安や焦燥に駆られた表情がきれいに消え去り、レドの事を忠犬――いや、エサを求める飼い犬のような期待に満ちた目で見つめている。

 その目を見て、自分の人の好さに頭をかきむしりながら、レドはついに言った。


「……分かった。ずっととは言えないが、少なくともしばらくは、セーミャの生活の面倒は俺が見てやる」

「ありがとう、レド!」


 その言葉に、セーミャは敬虔な聖教徒のように恭しくレドに頭を下げる。ただ、なぜそこで口の周りを拭うくらいの気配りが出来ないのだろう? 口の周りのパンくずが、その全てを台無しにしている。


「だが!」


 そして、面倒を見てくれる≒財布という等式が成り立ったらしいセーミャが、早速定食の追加を頼もうとするのを、レドが止める。

 それに不満げな顔をするセーミャに、こればかりは譲れない点をレドが言う。


「一日の食事は朝昼晩の三回で、その量も減らす! 今日みたいに食えるのはこれが最後だと思え!」

「え……ッ!」


 レドの宣言に、セーミャはまるでこの世の終わりのような顔をして、手にしていたスプーンを取り落す。


「そんな……。レドは私に餓死しろと言うの⁉」

「ふざけるな! このペースで食われたら、お前が餓死するより先に、俺の財布が餓死するわ!」


 元々、苗木の段階の喪樹専門の盗伐稼業などをしているレドの収入は不安定だ。そこに役立たずを一人抱え込むだけでも重荷なのに、それが常軌を逸した大食いともなれば、とてもじゃないが養っていくことは出来ない。

 それでもギャーギャー文句を言い続けるセーミャに、レドも頬を引き攣らせながら絶対に譲らない。


「とにかく、それが嫌なら俺を頼らないで生きてみろ!」

「うっ……」


 そう言われると、換金予定だった喪樹を丸ごと失い、完全な根なし草と化しているセーミャに、逆らうことは出来なかった。

 そして、


「……分かった。ごはん減らしてもいいから、よろしくお願いします……」


 猛烈に不満そうではあったものの、セーミャはレドの要求を呑んだ。

 それを確認したレドは、ナイセでの出会いからの疲れが一気に出てきたので、さっさと家に戻ることにする。それに、これ以上食堂に居ると、昼飯を食いにやってきた他の客の料理をセーミャ勝手に食う可能性が否定できなかった。その前に脱出する必要がある。


「よし、それじゃあ、とりあえず一度帰るぞ」


 支払いを終えて店を出たレドは、セーミャを連れて歩きながら、この後の予定を考える。とりあえず、最低限の仮眠だけ取ったら、セーミャの生活用品を買わないとならないな。最低でも、寝床をもう一つ用意する必要がある。

 その横を歩きながらも、セーミャはまだ不満そうな顔をしてぶつぶつ言っている。


「おなか一杯食べられないなら、やっぱりリュック探しに行こうかな……近づけば、枝でも喪樹の気配は分かるし……」

「ん……?」


 その呟きに、レドは気になる一言が聞こえた。


「セーミャ、喪樹の気配って、どういうことだ?」


 レドの問いかけに、まだ不満そうに顔をそらしながら、それでもセーミャは答える。


「喪樹の場所が、大体わかるの。一度切っちゃうと近くでないと分からないけど、生えてるのならずっと遠くでも分かる」

「ほぅ……」


 その答えに、レドは少し悪い笑顔を浮かべる。

 これは、使えるぞ……!

今日はここまで

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