第二話
とりあえず、書き溜めたのを何話か放出します
「一体何だっていうんだ……」
全てが終わった後、残された現実を前にレドの頭は混乱を極めていた。
目の前には、まるで鏡のような断面を残して切断された喪樹と、その切り株。そして、その信じがたい行為を成し遂げて、直後に、自分の腕の傷から流れる血で真っ赤になって倒れ込んだ少女が残されていた。
「本当に、どうすればいいんだよ……」
だが、迷っている時間は余りない。開花に伴う強い紫色の光は、ナイセの町を囲んでいる兵士にもはっきりと見えたはずだ。きっと今頃指揮官を起こして、盗伐を企む人間の手に渡る前に一刻も早く喪樹を確保しようとしているだろう。その前に、何としても脱出しなくてはならない。
問題は、この少女を連れて行くかだった。
状況から考えて、この少女を残していけば、彼女が『樵』本人だと判断される可能性は極めて高い。もしそうなれば確実に、近隣の領主であり『樵』を指名手配することを決めたスペンサー候の下に連行される事になる。それは、レド自身の濡れ衣をこの少女に押し付けるようでどうしても躊躇われた。なにしろ、これまでのやってきた盗伐の回数から考えれば、死刑は免れそうもない。
とにかく、連れて行くにしても見捨てるにしても、一刻も早く決断する必要があった。兵士の乗る馬の蹄の音が聞こえてからでは手遅れだ。
その時、どこからか、小さなくぐもった声が聞こえてきた。
「誰か、誰かおらんか!」
その声にレドは、少女以外にも生存者が居たのかと思い、慌てて返事を返す。
「いるぞ! そっちはどこに居るんだ⁉」
「ここだ! 喪樹の根元だ!」
だが、喪樹の根元には、切り倒された幹と、倒れた少女。それに、投げ捨てられたリュックサックしか……。
「まさか……!」
それを見て、あり得ない想像をしたレドは、一瞬それを自ら否定するが、現実は再び想像を超えてきた。
「まだか、ここだぞ! 茶色い背嚢の中だ!」
……声は間違いなく、そのリュックサックの中から響いていた。
大きいとはいえ、リュックサックに入るサイズの、人語を解す存在。それは一体何なんだ? 民話に出てくる妖精か何かか?
もう何が出ても驚かない覚悟で、もぞもそと動くリュックサックを見つめるレド。その目の前で、紐できつく結ばれた口から頭を出したのは――
「トカゲ……?」
――やたらととげとげしい、下手に触ったら手を切られそうな、肘から先ほどの長さの灰緑色のトカゲのような生き物だった。背中には、おもちゃのような翼が生えている。
そのレドの呟きが聞こえたのか、頭に続いてその全身をリュックサックから現したトカゲは、レドにはよく分からないがおそらくは怒りの表情を浮かべ、やたらと渋い声色でレドに食って掛かる。
「小僧、この私をただのトカゲごときと一緒にするとは、なんという無礼だ!」
「いや、ただのトカゲじゃないのは分かってる」
まさか、人語を解すトカゲが普通のトカゲだと思うほど、レドの頭はファンタジーな代物ではない。もっとも、衝撃が連続しすぎたせいで、リアクションが薄くなりつつある事は自覚しているレドだった。
だが、相手のトカゲ(のようなもの)は、そんなレドの内心など知らず、己の事をただのトカゲでないと言われ満足げに首を上下に振っている。
「その通り! 我こそは、龍祖直系の由緒ある一族の末。暴風龍ブリアである!」
「へー、凄いなー……」
竜と言えば、魔物の中でも最上位の化け物だ。それこそ、今目の前に転がる喪樹を元に作られた装備で身を固め、己の体と魔術の腕を鍛え上げた騎士団が全滅の危機と渡り合いながら仕留めるのだ。こんな小さいトカゲでない事は断言できる。ただし、そこに突っ込む気力はすでにレドにない。
明らかに気のないリアクションを返すレドに気が付かず、その自称『龍』のブリアは、己の押し込まれていたリュックサックのすぐ隣に倒れ、あと一歩でリュックサックごと自分を押しつぶしただろう喪樹の太い幹に今更ながら悲鳴を上げ、さらに、そのそばに広がる血だまりと、血まみれで倒れている少女に憤懣やるかたない叫びを上げる。
「何をやっているのだ、この馬鹿娘は! だから、初めての時は我が教えて進ぜると言ったものを!」
ちょこちょこと素早く少女の周りを駆け回ったトカゲは、最後にその口元に顔をよせ、その落ち着いた呼吸を確認して微かに安堵の様子を見せる。
そして、これからの事を一瞬考え込んだトカゲは、ある事を頼むためにレドに顔を向ける。
「おい、小僧。名を何という?」
「あ、俺はレドだけど……」
「そうか。では小僧、いや、レドよ。お前に重要な使命を授けよう」
レドの承諾など得ないまま話を進めるトカゲこと自称暴風龍ブリアは、その鋭く突き出した顎で、目の前の少女をさす。
「この馬鹿娘を運ぶのだ。出来れば、落ち着いて休める大きな街がよかろう」
「……何で俺がそんなことをしなくちゃならない?」
もちろん、レドも内心ではこの少女と一緒に逃げようと思っていたが、それを訳の分からないトカゲに言われてやるのはどうしても癪だった。
だが、その内心を見透かしたかのように、トカゲは鼻から小馬鹿にするような息を吐いて続ける。
「今、騎馬の一団がここに近づきつつある。おそらくは、この娘を捕えるためにな」
「……だから?」
「貴様は、目の前でか弱い少女が捉えられるのを黙って見ておるのか?」
「……」
その言葉に、レドは沈黙する。本当に、本当に癪だが、そんな未来は確かに御免だった。
「まあ、安心せよ。荷物は我が運んでおこう。お主はただその娘を担いでいけばよい」
そう言うとブリアは、これまでピコピコと動くだけだった背中の羽を精一杯広げ、意外と軽快に空に舞い上がり、どう見てもブリア自身の十倍以上は重量がありそうなリュックサックを、その鋭い爪でつかむ。
だが、パンパンに膨れ上がったリュックサックは、やはりブリアには重過ぎた。
「ぐ……中に詰め込み過ぎだ……」
やると言ったからには成し遂げて見せんと、必死に羽ばたくブリア。その気合に応え、リュックサックは一瞬だけ持ち上がるが、次の瞬間再び地面に底をついた。
その様子に、レドは小さくため息をつきながらブリアに告げる。
「……分かった。そっちも俺が持つ……」
「かたじけない……」
リュックを持ち上げた一瞬で全ての力を使い果たしたのか、ぐったりとした様子でレドの肩にしがみついたブリアは、無念そうにレドに頼む。
「いざとなれば、そちらの背嚢は捨てても構わない。だが、せめてその娘だけは、安全な街まで送り届けてほしいのだ……」
その声は、先ほどの上から目線でなく、どこまでも真摯に少女の身を案じていることがうかがえた。
「分かった、最低限安全な場所まで運んでやる。そこから先は知らないぞ」
そう言うと、背中のシャベルを捨てたレドは、血まみれの少女の左腕に触れる。まず最低限の止血をしないと、最悪失血死する可能性がある。
だが、
「傷が無い……?」
赤い血を適当な布で拭った後には、傷一つないきれいな肌しかなかった。
だが、そんなことはありえなかった。レドは間違いなく、左腕を切断せんばかりの勢いで少女が自傷行為に及んだのを見ている。真っ赤に噴き出した血も、その鉄臭いにおいも、レドが見たのが幻などでなかったことを証明している。
「どういうことだ……」
「……それに関しても、後で説明しよう」
腕の傷が消えた事に愕然とするレドに、ブリアは疲れ切った様子で告げる。
「とにかく、今は脱出を最優先してくれ。もう時間が無い」
「……分かった」
今すぐにでも問いただしたいあれこれを喉の奥に押し込んで、レドは背中に少女を乗せる。
完全に意識を無くしてぐったりとしている少女だったが、鉈と喪樹の枝を握る右手だけは、決して緩め無かった。
「それで、お前たちは一体何者なんだ?」
ナイセの町から少し離れた街道近くの森の中で、隠匿していた食料などを回収したレドは、まだ意識の戻らない少女を適当な木に背中を預ける形で下ろした。そして、その少女を守護するように、正面にちょこんと鎮座するブリアを詰問していた。
「うむ、それなのだが……」
だが、先ほどは質問に答えると言っていたのに、ブリアの歯切れは悪い。
そして、とんでもない空手形を切っていたことが判明した。
「実は、我には貴様に話す権限が無いのだ……」
「おい、権限ってなんだよ? 話すって約束はどうなってるんだ⁉」
ここまで来た挙句約束を反故にされたレドは、気まずそうにしているブリアを掴み上げ……るのは手を切りそうだから止め、代わりに羽の両端を掴んで、思いっきり上下にシェイクする。
「権限だか何だか知らないが、俺に話せないってどういうことだ⁉」
「ま、待て! は、話せば、分かる!」
激しく揺さぶられたブリアが何やら弁明しようとしているので、とりあえずレドは制裁の手を一度止める。
「それで、理由って何なんだ?」
まだ羽をつままれたまま、それでもどうにか回っていた視界を回復させたブリアは、もう一度シェイクされてはたまらないとばかりに、必死の表情(の、ようなもの)を浮かべて、その理由を告げる。
「我ら祖龍直系の一族は、神代の頃より引き継がれる契約があるのだ。その契約の縛りに、人々への知識の教授を禁ずるものがある。いかに我が偉大な暴風龍とはいえ、それを破ることは許されん」
「ほう、つまり、もう一度シェイクされたいと?」
何やら妄言を吐いているブリアを、再びシェイクしようとするレド。
それを見て、ブリアは慌てて何かそれを阻止する方法は無いかと視線をめぐらし、それを見つけた。
「ま、待て! そうだ、貴さ……レドよ! その腰の剣はどこで手に入れたのだ⁉」
その言葉に、レドは目を半眼にする。
「おい、俺は剣なんて身に着けていない。時間稼ぎはそれで最後か?」
そして、先ほどの五割増しの勢いでシェイクするべく手を振りかぶる。
「そうではない! 腰に付けている黒い剣……ナイフの事だ!」
だが、続いて放たれた言葉に、レドは持ち上げた手の動きをぴたりと止めた。
ブリアが言っているのは、レドが腰につけている小ぶりなナイフの事だった。簡単に薄い布が巻かれただけの柄の部分を除き、その全てが、鞘まで含めて光を吸い込むような漆黒の代物だ。
だが、レドが気になったのは、ブリアがこれを『剣』と表現したことだ。
「お前、もしかして、これが何か知ってるのか?」
どう見てもナイフにしか見えないそれは、だが確かに『剣』としてレドの家に伝わっていたのだ。
「そうなら、何でもいいから教えてくれ!」
そう、この『剣』こそ、レドが喪樹の近くに居ても命を吸い取られずに済む理由であり、喪樹の盗伐を生業にしている理由でもあった。
五年前、レドの住んでいた村に、喪樹が生えた。
不運にも、村の中央で祀られている大樹の内側に芽を出した喪樹は、村人たちに気が付かれない間にゆっくりと成長し、そして、気が付いたときにはすでに手遅れになっていた。
先ほどのナイセの町の噴水のように二つに引き裂かれた大樹の間に、それを超える大きさに成長した喪樹がその枝葉を広げる。その下では、村人の大半が、逃げ出す暇もなく命の全てを吸い取られ、眠るように死んでいった。
だが、レドだけは、その中で生き残ってしまった。
両親の説教で納屋に閉じ込められていたレドは、その中で埃をかぶっていた小さな黒いナイフで遊んでいたのだ。『剣』として伝わるそのナイフが、喪樹の近くでも自らを守る力を持っていることも知らずに。
喪樹に気が付いたときには、すでに村は全滅していた。そしてレドは、先ほどナイセの町で見たあの紫色の花を背に、一人で逃げ出していったのだ。
それ以来、この小さな剣は何なのか。そして何より、喪樹とは何なのかをレドは調べ続けてきた。その手がかりが今、目の前にあった。
「お願いだから教えてくれ! この『剣』は一体何なんだ? それに、喪樹は……」
「待つのだ、レド」
半ば懇願するような調子で、複数の事を一度に尋ねようとするレドに、ブリアも真摯に答える。
「済まないが、やはりその内容も契約における教授の範囲に含まれる。私の口から直接教える事は出来ない」
「そんな……」
「だが!」
せっかくの希望がまた消えるのかと思うレドだったが、それをブリアが強い調子で遮る。
「この娘の一族には、我が知るのと同じ事柄が伝えられているはずだ。無論、こやつもそれを知っているはずだ」
「それじゃあ、こいつに聞けば……」
「うむ。我の一族と違い、こやつは契約に縛られていない。いや、別の契約はあるのだが……とにかく、その剣の事を話すのに支障はない」
「そうなのか……!」
冷静に考えてみれば、ブリアのこの言葉も、先ほどと同じ空手形そのものだと気が付いただろう。だが、探し求めていた情報をようやく手に入れられるかもしれないと思ったレドは、それを完全に忘却していた。
「とにかく、今はこの娘を安全なところまで運んでくれ。今は疲れて眠っているだけで、すぐに目を覚ますだろう」
「分かった」
そして、レドは一度地面に下ろした少女をもう一度背負う。だが、普段レドが住んでいるヒューズの街までここからかなり距離がある。ここまではリュックサックもどうにか運んでこれたが、そこまでこの少女を背負っていくことを考えると、これ以上の重量は厳しかった。それに、もし足が遅くなれば『樵』の捜索に当たる騎兵に見とがめられるかもしれない。
「もし重過ぎるようなら、この背嚢は置いて行って構わない。元より大したものは入っていないのだ」
レドの考えを見抜いたブリアは、そう言うとリュックサックの中に頭を突っ込んで、二回り以上小さいリュックサックを中から引っ張り出す。
「ただ、これだけは持って行ってもらいたい。出来るか?」
「ああ。そのくらいなら何とかなる」
そのサイズを確認して、レドは可能だと答える。実際、手に持ってみても、大した重さではない。少女を背負って行っても、休憩を多めにとればどうにかなるだろう。
そして、全ての判断を終えると、レドは再び少女を背負い、さらにその荷物も抱えて立ち上がる。ここから拠点にしているヒューズまで、急いで行けば半日の道程だ。少女という重荷があっても、明日の夕刻には街に入れるだろう。
何かが変わるかもしれない……。
この少女と、ブリアと名乗る不思議なトカゲとの出会いが、これまでの惰性で生きてきた人生を変える予感を感じ、レドは静かに興奮するのだった。