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第一話

 喪樹が生えた。

 その芽生えを知った瞬間、レイセオン王国の辺境の町であるナイセは、町をあげてのお祭り騒ぎになり、そして翌日には、人っ子一人いないゴーストタウンと化した。


「全く、あんなのが生えて喜ぶ連中なんて、理解不能だな……」


 そんな静かすぎる夜の町の中を、一人の少年が悠々と歩いていた。手にはスコップを握り、背中には矢を入れる矢筒のようなものを背負っている。腰には、護身用と思しき、黒い鞘の小さなナイフが収まっていた。

 少年の名はレド。近隣で『樵』の名前で指名手配されている人間だった。

 その指名手配の理由は――


「まあいい。今回の喪樹も、苗木の段階で切り取らせてもらいますか」


 希少な樹木である『喪樹』その違法伐採だった。

 喪樹とは、人の住むところに何の前触れもなく、突如として芽を出す謎の樹木だった。苗木が生えたかと思えば、あっという間に成長し、樹高二十メートル程度まで成長してしまう不思議な樹。漆黒の樹体は並の斧など寄せ付けず、成長し切った時に咲かせる紫色の花は、どんな花より美しい、意識を吸い込まれるような妖気を放つ。

 その利用法は様々だ。黒檀ですら及びもつかない美しさから装飾品に使われる事があれば、金属よりも鋭い切れ味や強度を生かして武具として加工される事もある。喪樹で作られた鎧などは、諸国の騎士団長や王族が纏う高級品である。

 だが、そんな喪樹にも致命的問題があった。

 喪樹は『命』を食うのだ。

 町の片隅の転がる、萎びたような猫の死体を見て、喪樹が生えた事を喜ぶ人が居る事がどうしてもレドには信じられなかった。

 喪樹はなぜか、人の住んでいる家の床下から生える事が多い。その場合、住んでいる住人は真っ先に命を吸い取られ、この猫のようにミイラのような死体になってしまう。町だって、偶然に人のいない家で喪樹が成長していたりすれば、死の町になりかねない。三日以内に気が付けなければ、逃げ出す力すら住民からは喪われる『葬送の樹』の名に違わない、恐ろしい存在だった。

 それでも町の人間が喜んだのは、成長した喪樹を売り払えば、町の人間全員が数年間は遊んで暮らせるほどの利益になるからだ。生える事の少ない喪樹は、いつでも高値が付く。たとえ育ちきるまで町を離れる事になっても、それを遥かに超える利益がもたらされるのだ。

 もちろん、その利益を狙って、盗伐を試みる者は後を絶たないが、それらが指名手配されることはまずない。なぜなら、どれほど頑張っても、領主の軍が来る前に採集できるのは枝が数本程度であり、喪樹全体を売却して得られる利益に比べればまったく問題にならなかったからだ。

 だが、レドの場合は苗の段階で丸ごと盗伐してしまう。損害は甚大だ。ゆえに、名前も人相も不明ながら、近隣で最大の賞金首になっているのだ。


「けど、あんな警備の仕方で、本当に俺を防げるとでも思ってるのか?」


 だが、レドにしてみれば、喪樹の伐採は実に容易だった。

 喪樹が生えたとなれば、近隣の領主が無人の町を守るために大挙して兵士を送り込んでくる。もちろん、そこには喪樹の盗伐を防ぐ意味もある。

 だが、喪樹が命を吸い取る範囲は、極めて広い。降水量にかかわらず、水気を失いひび割れた大地が町の周囲を覆い、その範囲の全ての生き物から命を吸い取るのだ。当然だが、兵士はその範囲に絶対に入らない。そうなると警備の兵士は、どうしても広範囲に散らざるを得ない。

 そして、そんなザルな警備を潜り抜けるのは、レドにとって朝飯前だった。

 主要な街道を固め、町の周囲を巡回している兵士だったが、そういった検問を避け、一日巡回ルートを見極めれば、あとは夜の闇に乗じて、密かに町に忍び込めばいい。一度町に入れば、まず安泰だった。後は素早く苗木を刈り取り、背中の矢筒を改造した入れ物に押し込んで、侵入した時と同じように脱出すればいい。ひび割れが収まり、喪樹がなくなったことに警備の兵士が気が付くころには、レドは遥か遠方に逃げ去っているはずだった。

 だが、今回ばかりは、レドも若干不安を覚えていた。

 町の警備が妙に厳重だったのだ。

 もちろん、これまで何度も盗伐されたせいで、警備自体はどんどん強化されている。だが、そういったのとは別に、巡回している兵士が妙にピリピリしていたのだ。――まるで、すでに盗伐を狙う相手と、一戦交えたかのように。


「だけど、俺以外に盗伐の出来るような人間が居るのか……?」


 しかし、そんな存在が居るとはレドには思えなかった。

 普通の人間なら、成長途上の喪樹の勢力圏に入れば、半時もあれば歩く力すら失い、そのままミイラの仲間入りを果たす。町を中心とする決して狭くない範囲が勢力圏に納まっている以上、生きている内に喪樹を伐採することはまずできない。もちろん、普通ならばレドだって盗伐は不可能だ。

 もちろん、レドはミイラにならないで済む手段を持っているから盗伐を続けているのだが、だからこそ、自分以外に同じ行為に及んでいる人間がいるとは思えなかったのだ。

 結局、警備に感じた違和感は気のせいだと考え、レドはそのまま無人の町を進んでいく。噂通りなら、今回の喪樹は町の中心の噴水を割るような形で生えているはずだった。生えてから二日目。きっとまだ、レドの身長と同じくらいの樹高のはずだ。


「なっ……!」


 だが、角を曲がったレドの目に映ったのは、予想を遥かに超える存在だった。

 そこにあったのは、ひび割れた噴水を押しのけるように、その水盆の中心にそびえる、樹高二十メートル近い、すでに蕾を付けた喪樹だった。


「嘘だろ、なんでこんな短時間に……」


 こんなに成長していたのでは、レドの持っている装備では伐採出来ない。それに、元々小さな苗木程度のサイズの喪樹を伐る予定だったのだ。伐ったとしても、運ぶことなど不可能だ。

 そしてなにより、レドの内心では、最悪の事態が想像されていた。喪樹が急成長する時。それは、ある事態を暗に示していた。


「おい、誰かいないか⁉」


 それを想像して顔を青ざめさせたレドは、咄嗟に喪樹に向かって駆け出した。

 レドの考える最悪の事態。それは、喪樹の生育を早めるために『生贄』を捧げる事だった。

 喪樹は命を吸い取る。だが、吸い取るべき命がなくなれば、その成長は当然止まる。実際には、ゆっくりと勢力範囲を広げ、その範囲の小動物や草木の命を吸い取って成長するのだが、それには時間がかかる。

 そして、その時間を待ちきれない時に使われるのが『生贄』だった。

 罪人や奴隷を近くの家屋に厳重に閉じ込め、最低限の食料と共に放置するのだ。こうすれば、どんなに長くても数日で彼らは全ての命を吸い取られてしまう。そして、その代わりに喪樹は劇的に成長する。――今、レドの目の前で蕾を付けている、成木の段階まで。


「……!」


 その時、レドの目に予想通りの影が入ってきた。

 喪樹の幹に背中を預け、眠るようにうつむいて動かないのは、長い黒髪の少女だった。茶色い旅行用ローブの中からは、色あせた空色の服が見えている。


「このクソが……ッ!」


 その姿に、レドは怒りに震える。背中に背負った大きな旅行鞄から考えれば、偶然町に立ち寄った旅人なのだろう。それを、喪樹を早く育てるために生贄にしたのだ。私欲にまみれた最低の行為だった。


「俺がもう少し早く来れば……」


 ピクリとも動かない少女を見つめながら、レドが小さく呟く。そうすれば、この少女を救えたかもしれない。

 そんな後悔にさいなまれながら、レドは無造作に投げ出された少女の手を取る。せめて、理不尽に生贄にささげられた少女を丁寧に弔ってやりたかった。

 そして、その小さな手にそっと触れた瞬間、うつむいていた少女が、ガバッと顔を上げた。


「はっ……⁉」


 その突然の動きに、レドは驚きのあまり完全に固まる。さらに、あらわになった少女の顔を見て、再度凍り付いた。――そのあまりの美しさに。

 ただ黒く見えていた髪は、顔を持ち上げただけできれいにまとまり、星の出ている夜空のような艶を放ち、これまで一度も日の光を浴びた事のないかのような白い、それでいて瑞々しい肌と美しいコントラストをなしている。何の感情も浮かべずにこちらを見つめ返す瞳は、黒に限りなく近い濃い真紅をしていた。そして、そのパーツが、まだ微かに丸みを帯びた、それでもなお、近い将来をはっきりと感じさせる整った輪郭の中に配されていた。

 そんな少女の顔が、あと少しで唇が触れそうな距離にあった。

 予想外の事態に、レドは言葉もなく固まっている。少女の方も、目をぱちくりさせて、突然現れたレドを黙って見つめ返している。

 だが、沈黙は一瞬だった。


「……あなた、誰?」


 微かに掠れていても、はっきりと聞き取れる可愛らしい声は、目の前にいるのはミイラでも幽霊でもなく、確かに生きた人間だとレドに認識させた。


「お、俺はレドだ」


 その唐突な問いに反射的に答え、その直後に我に返ったレドは、少し強引にその腕を掴んで、座り込んでいた少女を引っ張り上げる。


「それより、早くここから逃げるぞ!」


 どうしてか知らないが、この少女は奇跡的にこれまで生き残っていたのだ。一刻も早く喪樹の影響範囲から連れ出して、安全を確保しなければならない。

 だが、少女はレドが予想した以上の強い力で、掴んだ手を振り払った。


「嫌だ。私はここに居る」

「おい、何を言ってるんだ!」


 その言葉に、レドは少女を怒鳴りつける。


「ここは喪樹のすぐそばだぞ! お前だっていつ死ぬか分からないんだ。仲間がいるなら俺が探すし、荷物だって届けてやる。いいから今は、ここから離れろ!」


 そんなレドの叫びに、少女は首を傾げて尋ねる。


「私が死ぬ? どうして?」

「……まさかお前、喪樹を知らないのか?」


 その言葉に、レドは唖然とする。喪樹は世界中どこでも生えるものだ。その存在を知らないなんて、レドには信じられなかった。


「あなたは、私を馬鹿にしてるの? 喪樹の事なら知ってるに決まってる」


 だが、それは杞憂だった。どうやら少女も喪樹の事を知ってはいるらしい。

 そのことに安堵しながら、レドは先ほどより優しく促す。


「なら分かるだろう? 今すぐ逃げないと、ここで干からびる事になるぞ」


 しかし、その言葉に、少女は再び首を傾げた。


「だから、なんで私が逃げないといけないの?」

「喪樹を知ってるならわかるだろう⁉」


 ついにループしだした会話に、レドは頭をかきむしりたい衝動に駆られる。この子、見た目は落ち着いているけど、もしかして恐怖で思考が混乱してるんじゃないのか?


「しょうがない、ちょっと強引にでも連れ出すしかないか……」


 どっちにしろ、ここまで成長した喪樹を相手にしては、レドの盗伐は失敗だ。それなら、この女の子を抱えて、さっさと脱出するのが一番だ。

 そして、自らの取るべき行動を決めたレドは、茶色いローブに包まれた少女の華奢な両肩を掴む。


「いいか、ちょっと痛いかもしれないが、お前を安全なところに連れていくまでの辛抱だから……!」

「邪魔をしないで」


 その瞬間、レドの世界が逆さまになった。


「ガッ……!」


 そして直後に、世界が逆さまになったまま、背中に強い衝撃が走った。


「一体、何を……」


 背中から胸にかけて突き抜ける激痛に呻きながら、レドが小さく呟く。

 頭では、何をされたか分かっている。肩を掴もうとしたレドの手を、少女は一瞬でひねり、咄嗟に折られないように動いたレドの反射を利用して、地面に叩きつけたのだ。

 だが、理性はそうだと言っていても、レドの中の常識がそれを信じさせてくれなかった。頭一つ以上小さい少女に、これでもそれなりに体を鍛えて、身長も平均はある自分が投げ飛ばされたというのが、どうしても信じられなかったのだ。

 その時、外見に似合わぬ力を発揮した少女が背中のリュックを喪樹の根元に投げ捨てながら、痛みと混乱で倒れたままのレドの顔を上から覗き込んでくる。


「もう一度言う、私の邪魔をしないで」


 そして、これまでローブとリュックで隠されていた腰の後ろから、それを取り出した。


「じゃないと、ちょっと痛い事をする」

「……!」


 その手に握られていたのは、少女の手にはあまりに不似合いな、肉厚な刃を持つ無骨な鉈だった。握りの部分には細く裂いた白い布が巻かれ、その先端を風に揺らしている。研ぎ澄まされた刃は、銀色の月明かりと喪樹の放つ紫色の光を鈍く反射して、凶悪な光を放っていた。もしそれを振るわれれば、ちょっと痛いで済むとはとても思えなかった。

 そのきらめきに身の危険を感じたレドは、痛みをこらえて動こうとする。だが、その瞬間、全身から力が抜けるような感覚に襲われ、起き上がるために体の後ろに突いた腕の力も抜けて再び地面に倒れ込む。


「まさか……!」


 その感覚に、レドは覚えがあった。

 そして、戦慄と共に、少女の頭の後ろに枝葉を広げている喪樹に視線を向ける。

 そこでは、大きく膨らんで淡い光を放っていた蕾が、徐々に光を強めながら、ゆっくりと開きつつあった。

 レドが生涯で二度目に見る、喪樹の開花が始まった。

 ほころび出した蕾は、これまで纏っていた、樹体を覆うのと同じ紫色の光をさらに強めながら、全ての枝で一斉に花開いていく。

 その花は、紫色の光を放つ以外、一つとして同じものはなかった。牡丹に似たものがあれば、芍薬に似たものもある。最早何に似ているかも分からないようなものも無数にあった。そして、それら全てが、美しいを通り越し、命を吸い取ってしまいそうな妖気を放っていた。

 いや、この花は実際に、命を吸い取っているのだ。


「クソッ……!」


 咲き誇る花の下で、レドは全身を襲う倦怠感に必死に耐えていた。喪樹の勢力圏でも動くことが出来るはずのレドでも、開花に伴う急激な吸い取りを前にしては、体を動かすこともかなわない。まして、何の加護もない少女では、あっという間にミイラに――


「きれい……」


 ――なっていなかった。

 樹体を覆い尽くす勢いで咲いていく紫の光を放つ花を、少女は感動の面持で見つめていた。すさまじい勢いで生気を吸い取られているはずなのに、何事もないかのように立ち尽くすその姿は、背後の喪樹の光も相まって触れてはいけない神秘的な印象を与えていた。


「お前、なんで平気なんだ……」


 そんな少女の姿に、レドは驚きと倦怠感にかすれた声で呆然と呟く。こいつは、一体何者なんだ……。

 その時、レドは全身を襲っていた倦怠感が急激に和らぐのを感じた。

 それは、喪樹の花が、短い寿命を終えようとしていることを示していた。

 つい先ほど花開いたばかりの喪樹の花が、今度は急激に萎れていく。茶色になったそれは紫色の光も失い、花びらを散らすことも無く梢に繋がったまま朽ち果てていく。代わりに、花から紫色の光が失われるのに合わせて、今度はその根元――『実』の部分が、急激に光を帯び、そのふくらみを増していく。

 そして、実の光が限界まで高まった直後、まるで木琴を叩いたような不思議な音色が、喪樹から放たれ始めた。その音色は、これまでの妖しい印象と異なり、素朴な温かみに満ちたものだった。


「これが『葬奏』……」


 もう倦怠感も抜けたレドだったが、その美しい旋律に、起き上がる気力をなくす。なにしろ、初めての時はこれを聞く余裕なんてなかったのだ。至上の音色にして誰一人聞くことが出来ないと言われる葬送の音色だ。例えどんな状況にあっても、生涯に一度くらい、ちゃんと聞いておきたかった。

 さらに、葬奏が始まると同時に、喪樹の終わりも始まる。

 コン……。

 その不思議な音が一つ響く度に、喪樹の枝が一つずつ、真っ黒に染まっていく。そこに先ほどまでの瑞々しさはなく、まるで金属のような無機質さが漂っている。

 ただの樹が武具や防具にまで使われる理由。それこそが、この結晶化だった。一度こうなった喪樹は、生半可な事では刃こぼれすることも貫かれることも無い無敵の矛と楯になる事が出来る。

 時が経つにつれて、葬奏の音はどんどん高まり、それにつれて黒い部分も急速に広がっていく。最早音色は多重奏と化し、荘厳な旋律を奏でている。

 そして、結晶化が一番太い幹に達した時、レドと同じように、喪樹の根元に立ち尽くして葬奏に聞き入っていた少女が動いた。


「恵みと慈悲の神エリテサよ、敬虔なる使徒に救いの力を与えたまえ」


 葬奏に合わせるように紡がれる祝詞。だが、その文言にレドは違和感を覚える。


(確か、聖教はエリテサを死と収奪の神と言ってるはず……)


 大陸で広く信じられている聖教において、恵みと慈悲の神は主神のカザリスのはずだ。

 だが、少女はレドの怪訝そうな視線を気にもせず、次なる行動に移る。

 祝詞を唱えている間に黒い結晶化が幹の半ばまで達した喪樹を見ながら、少女はこれまでの落ち着いた表情を消し去り、代わりにどこか緊張した様子で、鉈を持った右手で左の袖をめくる。


「初めてだけど、きっと平気……!」


 そして、一瞬目を瞑ると、あらわになった白い肌を、右手に持った鉈で大きく切り裂いたのだ。


「お前、何をしてるんだ⁉」


 その暴挙に、レドは衝撃のままに叫ぶ。それは間違ってもリストカットなどと呼べる代物ではなかった。無骨な鉈の刃が半分近く埋まるほどに、深く切り裂いている。切り裂かれた左腕から噴き出した血は、噴水の名残の水たまりを真っ赤に染めていく。

 だが、驚くのはそこからだった。

 少女の血にまみれて凶悪さをました鉈が、突如としてその姿を膨らませはじめたのだ。

 まるで生贄をささげられた喪樹のように、見る見るうちに巨大化した鉈は、気が付けば少女の身の丈に迫るほどの、馬の頭だって容易く切り落としそうな代物に変化していた。


「くっ……」


 その巨大な鉈を、左腕の傷の痛みに呻きながらも、少女は右手一本で軽々と持ち上げる。

 そして、大きな声で叫ぶ。


「エリテサの加護、その証を我に授けん!」


 次の瞬間、結晶化の達する直前の喪樹の根元に、少女の手にした鉈が一瞬の風切り音と共に横薙ぎに叩きつけられる。

 そして――

 ズドンッ……。

 ――ただの一撃で、大人の胴回りより遥かに太い喪樹が、根元から断ち切られた。


「嘘だろ……」


 倒れた喪樹を見ながらも、レドはその光景を信じる事が出来なかった。

 人の血を吸って巨大化する鉈に、その鉈を軽々と振り回し大木を一刀のもとに切り倒す自分より小柄な少女。そのどちらもが、レドの常識の埒外の存在だった。

 その時、断ち切られたはずの喪樹の切り株から、奇妙な軋みが聞こえてきた。

 少女に釘づけになっていた視線を喪樹に戻すと、そこには見た事もないものが生えてきていた。

 それは、小さな喪樹だった。切り株を養分とするかのように生え出してきたそれは、人の背丈の半分ほどまで成長すると、そのまま花を咲かせることも無く、黒い結晶と化していく。

 そして、切り倒した巨木の方ではなく、新しく生まれた小さな喪樹に近づいた少女は、いつの間にか元のサイズまで縮んだ鉈で、それを根元から刈り取る。

 パキン、という音と共に折れたそれは、切り倒された喪樹より、さらに濃い黒をまとっているように見えた。


「よかった、上手にできて……」


 それを手に、満足げな笑みを浮かべる少女。それはまるで、お使いを成功させた幼女のようにあどけない。

 そして、そのままぶっ倒れた。


「おい、大丈夫か⁉」


 見事な顔面ダイブを決めた少女に、これまで金縛りに遭ったかのように凍り付いていたレドはようやく我に返り、倒れたままだった体を起こして少女に駆け寄る。


「う、ん……」


 まだ腕から血を流したままの少女は、抱き上げたレドの呼びかけに答えず、ただ呻き、というか寝息を漏らして瞳を閉じている。だが、それでも鉈と刈り取った喪樹を掴んだ手を離そうとしない。


「本当に、一体何だっていうんだ……」


 喪樹が失われ、夜本来の暗さが戻った噴水の広場に、レドの答える者はいなかった。

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