逃走劇
先輩から話を聞き終えて外に出ると、完全に日は落ちていた。
何にせよ情報は出揃い、対策は確定した。
約束通り一束を情報料として提供し、もう一束で幾つかお願い事をした。
あの先輩の驚く顔を見られたのが今日最大の報酬かもしれない。
「不肖の後輩」
先輩が背後から声を掛けて来た。
振り返ってなんでしょうかと言う俺に、先輩は若干困った様な顔をして、これから犯す事は必要な行為なのかと聞いて来た。
「命掛かってますから。多分」
二度目の襲撃の際、羽村に助けて貰わなければ俺は死んでいた。と思う。多分。
先輩は溜息を吐くと、もういいと怒った様に呟いて去って行った。
俺もまた、先輩に教えて貰った病院に向かおうとして、先輩の部屋の扉を開けてみる。
開いた。
なんて不用心な。
傘立ての下にある鍵で施錠して、改めて、先輩に教えて貰った病院に向かう。
俺の服装は先程までとは違う。
先輩に貰った黒いズボンと長袖のシャツ、スニーカーは濃い灰色で、頭にはニット帽。
右手にはコンビニの袋。中身は新品の包丁。
全て量産品。
俺はこれから幽霊(仮)を殺しに行く。
夜道を歩きながら、今幽霊(仮)が出て来たらどうしよう等と臆病風に吹かれてみる。
前回撃退してからまだそんなに時間は経ってない。
多分大丈夫なのだが、幽霊が怖いのと幽霊が出そうな風景が怖いのは別物である。
怖い。
幽霊(仮)も怖いのだろうか。
幽霊なんてモノは存在しない。根拠も証拠もある事実だ。
仮に幽霊なんてモノが存在したとして、俺に自身を殺させた鮫島が俺を呪う理由が分からない。
鮫島の依頼は完遂している。今現在もそうだ。
前提となる条件は二つ。
一つは幽霊が存在しない事。
もう一つは幽霊(仮)が鮫島ではない事。
そこから導き出される幽霊(仮)の正体は一つ。
鮫島でもなければ、死んでもいない。
十分程歩き続けると、目的地となる病院が見えて来た。
夜間外来の入口から病院に侵入した俺は、目的の病室を目指してコソコソと病院内を移動する。
なるべく人に見つからない様に、細心の注意を払いながら。
「木藤苗と鮫島繭は異母姉妹だ」
俺が先輩の前に正座すると、先輩は開口一番俺にそう言った。
「もっと詳しく言うと、二人の母親は従妹同士だ」
先輩は鮫島の写真を見ながら、良く似ていたらしいと呟いた。
恐らくそれは鮫島と木藤の事ではなく、その母親達の事だろう。
父親は共通。母親は類似。
その子供達の容姿が似てもおかしくは無いな。
「正妻は鮫島繭の母親の方でな、木島親子は法律上では母子家庭だ」
面倒だから細かい事情は省くが、と前置きして、先輩は俺の眼を数秒見た。
意味する所が理解出来ないの俺に、先輩は諦観の表情を垣間見せる。
「親戚一同集まった話し合いの場で木藤親子は灯油をぶちまけて火を点けました。生き残ったのは木藤苗一人で一族郎党死に絶えました、めでたしめでたし」
何か質問はと聞く先輩に特にありませんと答えると、何で無いのかと罵倒された。
非常に理不尽だ。
木藤苗の居場所は先輩が勝手に教えてくれた。
二つ目の札束でついでに要求しようとしていた情報だったので、肩透かしを食らった気分だった。
結局二つ目の札束で要求したのは、今着ている服と、今左手に握られている包丁と、もう一つ。
俺は誰にも見られていないのを確認してから、木藤苗の病室に侵入する。
全身を包帯に巻かれた人型が、ベッドの上に寝ていた。
様々な計器が木藤苗の情報を取得し記録している。
全身火傷と一酸化炭素中毒。意識不明。
先輩から聞いた話だと病状は悪化も回復もしていないそうだ。
運が良ければ寿命を全うして死ぬだろうと。
見た目はともかく、意外と健康なのかも知れないと思いながら。
「げぅ」
木藤苗の喉に包丁を突き立てた瞬間、幽霊(仮)が現れた。
いや、これは幽霊では無い。
木藤苗の生霊だ。
その手が俺に触れた瞬間、痛みと呼ぶ他無い感覚が俺を襲った。
俺は声も出せずに床に倒れてのた打ち回る。
内臓を直接握り潰される様な、限りなく不快で堪え難い感覚。
それはすぐに消えた。
木藤苗に繋がれた計器が警告音を発する。
逃げなくてはならない。
震える足を無理矢理動かし、立ち上がる。
外からは足音。やばい。
包丁の回収は諦め、病室の扉を開いて左右確認。
右側に医師と看護師。
左側からの逃走経路を思い出し、走る。
鮫島の姿形をしたアレから逃れる事が出来たが、俺は果たしてこの現場から逃れる事が出来るのだろうか?




