不肖の後輩
結局塩胡椒は買ってない。
よくよく考えればコンビニでも調達出来るのだ。
重要度は低い。
羽村に餌をしこたま与えてから、俺はまた出掛けた。
札束と写真を持って。
残酷荘を出る時に大家さんに会った。
相変わらず背後から声を掛けて来た。対面していてもそこに居ると確信が持てない茫洋とした人だ。
一言か二言会話を交わしたのだが、内容は忘れた。
俺が向かった先はシティコーポ七段。
残酷荘から徒歩十分程。近所だ。
四階建ての鉄筋コンクリートのアパートで、階段の段数を数えてみたら六段だった。
さておき。
向山先輩が住んでいるのはシティーコーポ七段の二階北側の部屋だ。
ついと見上げて、明かりが点いているのを確認。
在宅の様だ。
俺の靴裏が金属を叩く音を聞きながら階段を昇り、正面の扉を数度叩く。
「先輩、俺です」
扉が半端に開き、先輩が顔を出す。
「何の用だ、不肖の後輩」
規則性の無い癖毛の、剣呑な目付きの女が顔を出す。
先輩は俺が一年間だけ大学生だった時の先輩である。
色々あって、先輩のせいで俺は退学になり、俺のせいで先輩は退学になり損ねた。
「ちょっと調べて欲しい事がありまして」
色々あった割に、力関係は先輩が上位にいる。
「分かっていると思うが、ただ働きはしないぞ」
俺は札束の一部をズボンのポケットから出して見せる。先輩の視線が険しいものになるが、常時剣呑な目付きなので印象は変わらない。
銀行強盗辺りかとか訳の分からない事を呟いて、先輩は何を知りたいと聞いてきた。
「この人について」
そう言って俺は鮫島の写真を見せた。
「おい、不肖の後輩」
先輩の声が一層低くなった。
「木藤苗について何を知りたい?いや、何を知ってる?」
誰だよ。
「木藤苗?俺は鮫島繭って名前だと思ってますが?」
鮫島繭は偽名なのかと思った俺だが、俺が鮫島の名前を出すと先輩の声をいつもの低さにもどして、そっちかと呟いた。
それを聞いて俺は、消去法で辿り着いた結論の一つが正解だと察した。
「木藤苗に関しても教えて下さい。ちょっと込み入った事情がありまして」
そう言って、俺は札束を先輩のブラジャーに捻じ込んだ。鮫島式交渉術の実践である。
そして今更気付いたが先輩半裸だ。
この人に恥じらいは無いのだろうか。無いな。
「…不肖の後輩、取り敢えず部屋に入れ。話はそれからだ」
そう言って先輩は部屋の奥へと引っ込んで行った。
「お邪魔します」
室内は散らかっている。足の踏み場はあるのだが、整理整頓とは無縁な部屋だ。
「取り敢えず座りな」
そう言って万年床に胡坐をかく先輩の前に、俺は正座した。




