同居人
なんだかんだで、二十キロの冷凍鶏肉を振り回した疲労は少なくない。
疲れた。
残酷荘の敷地と外を隔てる鉄門をくぐると、ようやく自宅に帰って来たのだと安堵の様な感情を得た。
きょろきょろと辺りを見回すが、大家さんは居ない様だ。
あの存在感の無い大家さんは急に背後から声を掛けてくるから心臓に悪い。
残酷荘。
木造三階建てのボロアパートだが、保証人無しで入居可能なため、俺の様な訳有の人間が吹き溜まる場所になっている。
見た目からして異様な住人も何人か居る。
大家さんはどんな入居希望者も受け入れるからだ。
ただし、近隣住民に迷惑を掛けると数日中にその入居者は居なくなる。
自主的に退去しているのか、はたまた。
鉄門をくぐってすぐに一階の居住区域への入口があるが、俺の部屋は二階にあるのでそこへは入らない。
アパートの外壁に取り付けられた鉄製の階段を昇って二階へと上がる。
各階の構造は同じで、北側に共用部分の風呂とトイレと台所がある。
部屋は四畳半一間に収納スペースが付いたもので、俺の部屋は奥から二部屋目だ。
塗装が殆ど剥げた鉄製の扉に鍵を差し込み、扉の下部を蹴りながら回す。
ごりごりと噛み合わない機構が動く音がして鍵は開いた。
ドアノブを捻り扉ごと持ち上げる感じで引くと、強い抵抗の後に扉は開く。
一月の家賃が一万円でなければ住みたくも無い部屋が疲れた俺を迎える。
「遅かったではないか」
部屋の隅で膝を抱えて座る羽村がそう言った。
声は低くて通らない。
発音は綺麗でイントネーションは標準語。極端に小さくも大きくも無い声量。
完璧な発声だが奇妙なノイズがそれを歪めている。
まるで本来喋らない生き物が無理矢理人間の言葉を話している様な、そんな声。
その目は暗闇の中で微かに赤く光り、俺を注視している。
正直な所、幽霊(仮)よりもよっぽど恐怖を感じる同居人、羽村真が立ち上がる。
「肉の匂いがする」
その視線はいつの間にか八百軒のビニール袋へと移っていた。
「そうだ、肉だ。焼いて来るから待ってろ」
猛獣を牽制する様に俺は八百軒のビニール袋をアピールする。
ほら、肉だぞ、肉。
「**r******e***********t*****!」
羽村は小躍りしてから天井の梁へと跳び付いた。
その声は大半が人間に発声可能ではなさそうな歪な音声だが、この声を出している時の羽村は大変機嫌が良い。
逆さまの顔が笑っている。逆さまなせいでなんだか笑っている様に見えないが。
「大人しく待ってろよ」
冷凍鶏肉以外の荷物を部屋に置いて、共用スペースへと向かう。
幸い今日は誰も居ない様だ。
プロパンガスのコックを捻り、マッチで着火する。
備え付けのフライパンをその火で炙り、鶏肉を延々と焼いて行く作業に備える。
正直な所、感じる恐怖の度合いで言えば幽霊(仮)に勝る羽村だが、寝ている間に幽霊(仮)が襲って来る事を想定した場合、羽村程頼もしい味方は居ないのが現実だ。
実際三度目の襲撃の際、一撃で幽霊(仮)を撃退したのだから。
餌を与えてやれば素直に従うのだから、幽霊(仮)を殺せるまでは羽村に餌を提供し続ける必要がある。
フライパンに凍った鶏肉を投入した俺は、塩胡椒を切らしていた事を思い出した。
羽村は問題ないだろう。あいつなら生でも平気な気がする。
しかし俺は塩胡椒の無いただ焼いただけの鶏肉を食べる気がしない。
「…後でコンビニ行くか」
今の俺の顔は相当疲れているのだろう。
そんな事を思いながら、無我の境地に到達する程鶏肉を焼いた。
その感覚は学生時代に数十項目のアンケート数百枚の内容を一人でエクセルに打ち込む作業をしていた時に感じたそれと似ていた。
疲労も忘れられるので意識的に入れれば便利かもしれない。
大皿に山盛りの焼いた鶏肉を持って部屋に戻ると、部屋中に物が散乱していた。
羽村の仕業だ。
どうやら肉への期待に起因する衝動を発散したらしい。
つくづく迷惑な同居人だ。
羽村が肉に跳び付いて来た。
俺は足裏で阻止する。
「貴様食い殺してやろうか」
羽村が歯茎を見せながら唸る様に言った。
止めて下さい。今俺は疲れてるんです。
「飯食う時は落ち着け。鶏肉は焼いたら逃げない」
羽村は考える素振りを見せ、それもそうだと納得して落ち着きを取り戻した。
犬が餌を待つ様にしゃがみ込んで俺を見上げる。
「ゆっくり食えよ?」
羽村の前に大皿を置く。
羽村は肉の匂いを一嗅ぎしてから手も使わずに齧り付く。
一応ゆったりとしたペースで肉を食べる羽村を尻目に、俺は散らかった部屋を片付ける。
散らかっていると言ってもそれ程物の無い部屋なので、大した作業では無い。
服や工具を片付けていると、数枚のポラロイド写真を見つけた。
鮫島繭と俺が一緒に写っている写真だ。
全て山の中。
二人で鮫島繭を埋めた穴を掘っている写真だ。




