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アルビレオ  作者: 阿波野治


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前編

 源頼朝が征夷大将軍に就任し、鎌倉幕府を開いたことを、映美は午後七時のNHKニュースで知った。自分たちのクラスが合唱コンクールで金賞をもらったときのように、胸が熱くなった。

 映美は源頼朝と顔見知りだ。

 去年の夏休み、電車で一人旅をしていたときに、たまたま知り合ったのだ。二人はそのさいに、電話番号とメッセージアプリのIDを交換していた。

「おめでとうメッセージ」を頼朝さんに送ろう、と思った。

 映美は今、自宅のダイニングで家族と夕食を食べている。食事中にスマホをいじると母親にしかられるので、大急ぎで食事をすませて自室に戻った。ベッドの縁に腰かけ、メッセージアプリを起動させる。

 文字を打ちこもうとした映美の指は、画面に触れる寸前で止まる。

 去年の夏に一回会っただけ。メッセージのやりとりは一回しかしたことがない。電話で話をしたのはゼロ回。

 わたしと頼朝さんは、本当に友だちと言えるのだろうか?

 友だちではない人間から「おめでとうメッセージ」をもらっても、頼朝さんはうれしくないかもしれない。それに、頼朝さんは征夷大将軍に就任したばかり、鎌倉幕府を開いたばかりだ。猫の手も借りたいくらい仕事がいそがしくて、メッセージを確認するひまさえないかもしれない。やっぱり、送らないほうがいいだろうか。でも、わたしのことを友だちと思ってくれているのだとすれば、いつまで経ってもわたしからメッセージが送られてこなかったら、頼朝さんは悲しい気持ちにきっとなる。

 頼朝さんは、わたしのことをどう思っているのだろう?

 でも、そんなこと、照れくさくて訊けない。訊けるわけがない。

 その日、映美はけっきょく、源頼朝にメッセージを送らなかった。

 明日以降、頼朝さんに「おめでとうメッセージ」を送るべきか。それとも、やめておくべきか。

 布団の中で考えたが、結論が出るよりも先に眠ってしまった。


「かわいい子には旅をさせよ」ということわざがある。

 映美の父親は、少年時代にそのことわざを知った。自分が結婚して、子どもが生まれて、その子が十歳になったら、きっと一人旅をさせよう。ずっとそう考えていたらしい。

 去年、映美は十歳の誕生日をむかえた。だから、夏休みを利用して一人旅をすることになった。

 一人で遠くに出かけるのは初めてだったので、映美は不安で仕方がなかった。嫌なら無理に行かなくてもいいよ、と父親は言ったが、彼女は首を横に振った。不安なのは確かだが、それと同じくらい楽しみでもあったからだ。

 八月の初め、荷物の入ったリュックサックを背負い、映美は最寄り駅から電車に乗り込んだ。日帰りの予定だった。

 乗り替えは、前もって時刻表でよく調べておいたので、問題なくこなせた。目的地の自然公園には昼ごろに到着した。彼女は持参した弁当を食べ、公園を散策した。広い公園の中を見て回るのは、考えていたよりも時間がかかった。その関係で、乗る予定より一本遅い電車に乗った。その電車は、降りる予定の駅には停まらない電車だった。そのことに気がつき、慌てて途中下車したが、それからどうすればいいのかがわからない。

「どうしたの? なにか困っていることでもあるの?」

 ホームのベンチで途方に暮れていると、声をかけられた。口ひげを生やした男性だった。年齢は映美の父親と同じくらいだろうか。駅員ではなく、武士の恰好をしていた。優しそうな顔をしていて、いかにもいい人そうだ。

 武士は映美の隣に静かに腰を下ろした。武士の体からは、そこはかとなく中世のにおいが漂っている。彼女は自分が置かれている状況を説明した。武士は穏やかな表情で、ときどき相槌を打ちながら、真剣に話を聞いてくれた。

 映美が話し終わると、武士は彼女が行くべき駅までの行きかたを口頭で説明した。詳しく、しかもわかりやすく説明だったので、どの電車に乗ればいいかが完ぺきに分かった。

 お礼を言うと、武士は「ちょっと待ってて」と言い、どこかに消えた。三分ほどで戻ってきたとき、彼は袋に入ったアンパンと、缶に入ったオレンジジュースを手にしていた。ふたたび隣に座り、にこやかな表情でパンとジュースを映美へと差し出す。

「どうぞ。君が乗る電車が到着するまでまだ時間があるから、ここで食べるといいよ」

 行きたい駅までの行きかたを教えてくれただけでなく、軽食と飲み物までおごってもらって、映美はうれしかった。もう一回お礼を言い、それから食べはじめる。

 アンパンを食べ、オレンジジュースを飲む映美の横で、武士は自分のことを話した。

 名前は源頼朝ということ。源氏というグループのリーダーとして、平氏というグループと戦っている最中だということ。平氏は、自分の父親を倒した相手だから、絶対に負けたくないと思っていること。平氏に勝てば、自分は征夷大将軍になれ、幕府を開けるということ。征夷大将軍になり、幕府を開くのは、自分にとって悲願だということ。

 源頼朝という名前は、教科書やテレビで何回も見たり聞いたりしたことがあったので、映美はびっくりした。有名人と同じベンチに座って話をしているのだと思うと、胸が高鳴った。もっとこの人と話がしたい。この人と友だちになりたい。そう思った。

 映美が食べ終わると、源頼朝はベンチから腰を上げた。

「さようなら。縁があれば、またどこかで」

 去っていく源頼朝を、彼女は呼び止めた。そして、勇気を振り絞ってお願いした。

「電話番号と、メッセージアプリのIDを教えてくれませんか」

 源頼朝はにっこりと笑い、こう答えた。

「もちろん、喜んで」

 二人は電話番号とIDを交換した。

 源頼朝は映美に向かって手を振りながらホームの階段を降り、姿が見えなくなった。

 映美は無事、我が家に帰ることができた。

 彼女はすぐに源頼朝にありがとうメッセージを送った。平氏と戦っている最中だと言っていたので、もしかするとメッセージを読むひまがないかもしれないと思ったが、五分も経たずに返信が送られてきた。

「礼には及ばないよ。人の上に立つ人間が、困っている人間を助けるのは当然のことさ」

 源頼朝とたくさん電話したり、メッセージをやりとりしたりしたい気持ちはあったが、平氏との戦いに専念してほしかったので、我慢した。その代わり、インターネットやテレビで毎日、源氏に関するニュースをチェックした。源氏と平氏の戦いはなかなか決着がつかなかった。

 それから十か月が過ぎた。

 源頼朝が征夷大将軍に就任し、鎌倉幕府を開くことになったというニュースを、映美はテレビで見た。胸が熱くなった。おめでとうメッセージを送ろうと思った。しかし、文字を打とうとした指は止まった。

 わたしと頼朝さんは、本当に友だちと言えるのだろうか?


「ウチヤマ、絶対にずるしてるよ」

 映美の友だちの美雪は怒ったように言った。

「あれだけ『ぴたドン!』に参加しているのに、一回もレギュラーはく奪になったことがないし、罰ゲームした回数、ウチヤマだけ明らかに少ないもん。絶対におかしいよ。ウチヤマがレギュラーとして出つづけられるように、事務所が番組に圧力をかけているんだよ。そうに決まってる」

 休み時間、映美と美雪は、教室の机を挟んで『ぴたドン!』の話をしていた。『ぴたドン!』というのは、指定された金額ぴったりになるように買い物し、もっとも指定金額から遠かった参加者が全員分の購入代金を負担するという趣旨の、有名バラエティ番組の人気コーナーの略称だ。

「ずるじゃないと思うな、わたしは。ウチヤマはたしかに罰ゲームはほとんどないけど、毎回一位をとっているわけではないでしょ。単にそういうルールのゲームが得意なだけだよ」

 美雪の気持ちを落ちかせるために、映美は穏やかな口調で言い聞かせるように言う。

「問題はウチヤマじゃなくて、たっちゃんにあると思う。だってたっちゃん、弱いから、いつも負けてばかりいるでしょ。たっちゃんがもう少し強ければ、ウチヤマだって勝ってばかりはいられないはずだよ。もっとがんばってほしいよね、たっちゃんには」

 美雪はうなずいた。それからはウチヤマの悪口を言わなくなったので、映美はほっとした。

 美雪は、ウチヤマがずるをしていると本気で思っているわけではない。美雪は、たっちゃんが好きだ。好きなたっちゃんが『ぴたドン!』でよく負けるから、よく勝っているウチヤマに八つ当たりをしているだけなのだ。

 美雪ちゃんがたっちゃんを好きなように、わたしは頼朝さんのことが好きだ。じゃあ、頼朝さんはわたしのことをどう思っているのだろう?

 映美は、口では『ぴたドン!』について話しながら、頭ではそんなことを考えていた。

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