その執着は、劇薬につき
病院特有の、あの冷たく乾いた空気を吸い込むと、僕はいつも子供の頃の夕暮れを思い出す。
僕の世界は狭かった。
みんなが校庭で走り回っている時間、僕はベッドの上で天井のシミを数えていた。
難病というわけではなかったけれど、子供の身体には少し荷が重い病気だった。
そんなモノクロの日常に、色を持ち込んでくれたのが彼だ。
近所に住んでいた二つ年上の幼なじみ、湊。
彼は放課後になると、わざわざバスに乗って病室まで来てくれた。
「ほら、これ。読みたがってた漫画の続き」
「今日の給食、カレーだったぞ。お前はまた流動食か?」
ぶっきらぼうだけど、そのカバンにはいつも僕が喜びそうなカードゲームや本が入っていた。
茜色の西日が差し込む窓際で、二人でオセロを並べた時間だけが、僕にとっての「日常」だった。
彼が帰る時の背中が寂しくて、僕はいつも「またね」と強がって手を振った。
けれど、その「またね」はある夜、突然断ち切られた。
容態が急変し、県外の大学病院へ緊急搬送されることになったのだ。
慌ただしい大人たちの声、サイレンの音。
引越しの準備どころか、湊に一言挨拶することも許されなかった。
担架で運ばれながら、遠ざかる街の灯りを見て、僕は熱に浮かされた頭で彼の名前を呼んだ気がする。
それから、十年以上の月日が流れた。
転院先での大手術は成功し、長い時間をかけた治療の末、僕は奇跡的に完治した。
今は都内の企業で働き、人並みに忙しい日々を送っている。
ただ一つ、病気の影響で二ヶ月に一回、大学病院での定期検診が必要なことだけが、かつての自分との繋がりだった。
「――次の予約から、担当医が変わります」
ある日の通院時、長年診てくれていた老医師の引退に伴い、新しい医師を紹介された。
「久我先生と言って、若手ですが優秀な方ですよ。少しクールな印象かもしれませんけど」
診察室の扉を開けた時、最初に目に入ったのは、モニターの光に照らされた横顔だった。
通った鼻筋、知性を感じさせる銀縁の眼鏡。
白衣を隙なく着こなし、キーボードを叩く指先は冷たいほど整っていた。
久我先生。
院内でも噂になるほどの美貌の持ち主だが、確かに人を寄せ付けない鋭いオーラを放っている。
「……体調に変化は?」
「いえ、特にありません」
「数値も安定している。薬は継続で。次は二ヶ月後」
診察は事務的で、僕の顔すらまともに見ようとしない。
冷たい人だ。僕はそう思った。
それから数回、二ヶ月おきに彼の元へ通った。
聴診器を当てる時も、カルテを見る時も、彼は僕という人間ではなく「症例データ」を見ているようだった。
空気が変わったのは、担当が変わってから三度目の検診の日だった。
珍しく外来が空いていて、診察室には重い静寂が落ちていた。
いつものように聴診を終え、シャツのボタンを留めていると、背後で深く息を吐く音が聞こえた。
「……いつまで、他人行儀な顔をしているつもりだ?」
え、と振り返ると、久我先生が眼鏡を外し、デスクに置いたところだった。
モニターから視線を外し、初めて真正面から僕を見据える。
その強い瞳に、強烈な既視感が走った。
「昔から鈍いとは思ってたけど。ここまでとはな」
「え……?」
「カルテの名前を見た時から、俺はずっと気づいてたぞ。……久しぶりだな、弱虫」
その呼び名。
そして、呆れたように片方の口角を上げる、少し意地悪な笑い方。
記憶の蓋が弾け飛び、目の前の冷徹な医師と、あの頃の少年の顔が完全に重なった。
湊……? まさか。
「うそ……湊、くん?」
「やっとかよ。遅すぎ」
彼は白衣のポケットからスマートフォンを取り出すと、呆然とする僕に突きつけた。
「連絡先。……あの時、何も言わずにいなくなった罰として、飯くらい奢れよ」
新進気鋭の医師、久我先生の仮面が剥がれ落ち、そこには昔と変わらない、僕の幼なじみがいた。
その夜から、僕のスマホは頻繁に震えるようになった。
病院での彼は相変わらず「久我先生」として振る舞っていたが、画面の中の彼は完全に「湊」だった。
『今日の食堂の定食、味が薄すぎた』
『当直明け。眠い』
『お前、今の仕事楽しいか?』
他愛のないやり取り。
空白だった十数年を埋めるように、僕たちは言葉を交わした。
そして自然な流れで、プライベートで食事に行くようになった。
最初は個室のある居酒屋で、次は隠れ家のようなバーで。
昔の話、転院してからの孤独、彼が医学部でどれだけ苦労したか。
話は尽きなかった。
大人になった彼は、眩しかった。
命を救う最前線に立ち、揺るぎない自信を持っている。
一方の僕は、彼に生かされている側の人間で、再発の不安を抱えながら生きている。
再会を喜ぶ一方で、心のどこかで引け目を感じ始めていた。僕たちはもう、対等な子供同士じゃない。
数回目の食事は、少し背伸びをしたレストランの奥まった席だった。
テーブルの上のキャンドルが、グラスのワインを揺らしている。
酔いが回ってきた頃、僕はふと気になっていたことを口にした。
「ねえ、湊はどうして医者になったの? 昔はプロのサッカー選手になるって言ってたのに」
彼はナイフを動かしていた手を止め、しばらく沈黙した。
そして、ワインを一気に煽ると、静かに口を開いた。
「……お前がいなくなったからだ」
「え?」
「お前が急に転院して、俺は何もできなかった。悔しかったんだよ。ただ祈ることしかできない無力なガキだった自分が」
彼は視線を僕の目に突き刺した。
その瞳は、診察室で見せる冷徹なものでも、幼なじみの懐かしいものでもなく、見たことのない熱を孕んでいた。
「俺は、お前を治したかった。……まあ、結局間に合わなくて、他の医者が治しちまったけどな」
自嘲気味に笑う彼の言葉に、心臓が早鐘を打つ。
僕のため? そんな、まさか。
それは幼い頃の同情か、それとも責任感か。
どちらにせよ、あまりに重すぎるその感情を受け止めるのが怖くて、僕は慌てて道化を演じた。
「あはは、何それ。僕のおかげで立派な先生になれたなら、感謝してほしいくらいだよ。……それに、湊ならもっといい人がいるでしょ。院内に素敵な人とか、釣り合う相手がいっぱいいるだろうし」
自分を守るために、無意識に彼を突き放す。
僕みたいな身体の弱い人間じゃなくて、もっと彼にふさわしい、健康で華やかな相手がいるはずだ。
ガタッ。
椅子が鳴る音がして、次の瞬間、僕の腕は強く引かれていた。
目の前に、湊の顔がある。
「――っ!?」
抵抗する間もなかった。
唇に、熱くて強引なものが押し当てられる。
触れるだけの挨拶のようなキスではない。
抑え込んでいた激情を叩きつけるような、深く、食らいつくような口付け。
アルコールの香りと、彼の匂いが鼻腔を占拠する。
数秒か、永遠かのような時間が過ぎ、彼が唇を離した。
息を切らし、潤んだ瞳で僕を睨みつける彼は、泣き出しそうなほど切実な顔をしていた。
「お前は……ほんとに、何もわかってない」
「……みな、と……?」
「俺の気持ちも知らないで、勝手なこと言ってんじゃねえよ」
低い声が、鼓膜を震わせる。
その言葉の意味を、その行為の意味を、理解してはいけない気がした。
だって、僕たちは――。
僕は彼の手を振りほどき、上着を掴んで立ち上がった。
「ご、ごめん……僕、明日早いから! 今日は帰る!」
逃げたのだ。
彼の熱量から。
そして、自分の中で暴れ出しそうな、名付けようのない感情から。
背後で彼が何かを叫ぼうとした気配がしたが、僕は振り返らずに店を飛び出した。
それ以来、彼からの個人的な連絡は途絶えた。
僕からも送れなかった。
あれは何だったのか。
考えるだけで胸が張り裂けそうで、スマホの画面を見ることすら怖かった。
しかし、時間は無慈悲に過ぎる。
あのレストランでの夜から、二ヶ月が経った。
僕は逃げ出したい衝動を必死に抑え、大学病院の待合室に座っていた。
検診をサボる勇気すら、その時の僕にはなかったのだ。
「どうぞ」
インターホン越しに聞こえた声は、硬質で感情が削ぎ落とされていた。
重い扉を開ける。
湊はパソコンに向かったまま、こちらを見ようともしなかった。
「……体調に変化は?」
「い、いえ。特にありません」
「数値は安定している。薬は継続で」
会話はそれだけだった。
聴診器が胸に当たる数秒間、僕の心臓は破裂しそうなほど脈打っていたけれど、彼は眉一つ動かさず、機械的に位置をずらしていくだけだ。
視線が合わない。合わせようとしない。
二人の間に横たわる空気は、まるで真空のように息苦しかった。
あの熱いキスは何だったのか。今のこの冷徹な態度が彼の本心なのか。
何も聞けないまま、「お大事に」という定型句に背中を押され、僕は逃げるように診察室を出た。
閉ざされた扉の向こうに、彼がどんな表情で座っていたのかを知る由もなかった。
あんな時間は、もう二度と耐えられない。
次の予約日が近づくにつれ、僕の心は悲鳴を上げていた。
だから僕は、自ら破滅への道を選んだ。
予約キャンセルのボタンを押したその日から、僕は仕事という名の麻薬に溺れた。
忘れよう。湊のことも、あの夜の熱も、自分の身体のことも。
未処理の案件を片っ端から引き受け、休日もオフィスに籠もった。
食事はデスクで流し込むゼリー飲料だけ。
睡眠はソファでの仮眠で済ませる。
同僚が「顔色が悪いよ」と声をかけてきても、「大丈夫、今が山場だから」と笑顔で嘘を吐いた。
ふと手を止めれば、湊の冷たい横顔や、悲しげな瞳が脳裏をよぎる。
それが怖くて、僕はさらに濃いコーヒーを煽り、キーボードを叩く指を加速させた。
限界は、唐突に訪れた。
深夜のオフィス。
誰もいないフロアで立ち上がろうとした瞬間、世界がぐにゃりと歪んだ。
(あ、これ……だめなやつだ)
床に身体が打ち付けられる衝撃があったはずなのに、痛みは遠かった。
遠のく意識の中で、誰かが叫ぶ声が聞こえた気がした。
最後に思い浮かんだのは、やっぱりあの眼鏡の奥にある、心配そうな瞳だった。
消毒液の匂いで目が覚めた。
重い瞼を持ち上げると、見慣れた白い天井と、点滴の管が目に入った。
数日ぶりの静寂。そして、ベッドの脇に置かれたパイプ椅子に、その人は座っていた。
「……起きたか」
低い、掠れた声。
湊だった。
白衣はシワだらけで、無精髭が少し伸びている。
目の下には濃いクマがあり、何日も寝ていないように見えた。
「みな、と……」
「過労による極度の脱水と衰弱だ。……あと少し発見が遅れてたら、心臓に負担がかかって危なかったんだぞ」
彼は怒鳴らなかった。
ただ、押し殺したような静かな声が、逆に怖かった。
彼は僕のカルテを握りしめたまま、俯いて震えていた。
「なんで……検診に来なかった」
「それは……気まずくて、合わせる顔がなくて」
「俺に会うのが嫌なら、担当を変えればよかっただろ! なんで……なんで命を削るような真似をするんだよ!」
湊が顔を上げた。
その瞳から、大粒の涙が溢れ出していた。
医者としての冷静さなど欠片もない。
ただの、大切な人を失いかけた一人の男の顔だった。
「ごめん……。ごめん、湊」
僕も涙が溢れた。
自分の弱さが、彼をここまで追い詰めていたのだ。
湊は涙を拭おうともせず、僕の手を両手で包み込んだ。
その手は冷たかったが、触れている部分から必死なほどの熱量が伝わってきた。
「お前は忘れてるかもしれないけど……。俺は、お前に救われたんだ」
彼はポツリポツリと、過去を語り始めた。
「子供の頃、俺はひねくれてた。勉強はできたけど、口が悪くて、愛想もなくて……。周りの奴らはみんな『扱いにくいガキだ』って俺を避けてたんだ」
記憶の中の湊を思い出す。
確かに彼はいつも一人で本を読んでいて、近所の子供たちの輪には入ろうとしなかった。
「でも、お前だけは違った。病室で一人なのに、いつも笑ってて。『ねえ、オセロしようよ』って、俺の手を強引に引っ張った」
湊が懐かしむように目を細める。
「俺がどんなにぶっきらぼうな口をきいても、お前は気にしなかった。『湊くんは頭がいいね』『また来てね』って。……俺の世界には、お前しかいなかったんだよ」
知らなかった。
僕にとって湊が退屈な日常を彩る光だったように、湊にとっても僕が光だったなんて。
「だから、お前がいなくなった時、俺の世界は真っ暗になった。……怖かったんだ。お前が死んでしまうのが。俺の知らない場所で、俺の唯一の理解者がいなくなってしまうのが」
彼は僕の手を自分の額に押し当てた。
震える声が、僕の心臓を揺さぶる。
「医者になったのも、この病院を選んだのも、全部お前のためだ。……ただの執着かもしれない。でも、お前が生きていてくれなきゃ、俺の人生には何の意味もないんだ」
それは、十数年分の重たくて、純粋すぎる愛の告白だった。
僕の胸が熱くなり、痛みさえ感じるほどに締め付けられる。
逃げている場合じゃなかった。この手を、もう二度と離してはいけない。
「……ありがとう、湊。僕も、ずっと湊が好きだったよ。……もう、どこへも行かない」
それから数日間の入院を経て、僕は順調に回復した。
湊の献身的な治療のおかげだった。
彼は回診の時間以外にも顔を出し、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。
そして退院の朝。
手続きを終え、荷物をまとめた僕を、私服姿の湊が待っていた。
「送っていく」
「え、でも仕事は?」
「今日は休みを取った。……それに、まだ病み上がりだ。一人にはさせられない」
有無を言わせない口調だったが、その目は優しかった。
僕たちは並んで病院を出た。
秋の風が心地よい。
助手席に乗り込むと、湊がエンジンをかける前に、じっと僕を見つめた。
「……とりあえず、俺の家に来い。栄養のあるもん食わせてやる」
「ふふ、また管理されちゃうのかな」
「一生な」
湊が小さく笑った。
その笑顔は、子供の頃に病室で見せてくれたものと同じ、あどけなさを残していた。
車が動き出す。
行き先は彼のマンション。
二人の関係が、幼なじみから別のものへと変わる予感がしていた。
けれど不思議と怖さはなかった。
僕の隣には、世界で一番の名医がいるのだから。
湊のマンションでの生活は、驚くほど穏やかで、そして少しだけ強引だった。
退院初日の夜、湊は一枚の書類を僕の前に突きつけた。
「診断書だ。『過労および心身の衰弱により、一ヶ月の自宅療養を要する』。明日、会社に出しておけ」
「えっ、い、一ヶ月!? そんなに休めないよ!」
「休むんだ。これは主治医としての命令だ。……それとも、また倒れて俺を狂わせたいのか?」
真剣な眼差しでそう言われると、何も言い返せなかった。
結局、僕は彼の「命令」に従い、しばらくの間、彼の部屋で静養することになった。
湊は仕事へ行き、定時になると必ず帰ってくる。
手料理を振る舞い、薬の管理をし、僕が少しでも顔色を悪くすると飛んできて脈を測る。
その過保護すぎる献身が、僕にはたまらなく心地よかった。
空白だった十数年を埋めるように、僕たちは同じソファで映画を見たり、昔の話をして笑い合ったりした。
穏やかな日々は瞬く間に過ぎ、仕事復帰を翌日に控えた夜。
僕たちは少し奮発したワインを開けた。
間接照明だけの薄暗いリビング。グラスの中で揺れる深紅の液体が、二人の顔を赤く照らしている。
「……明日から、大丈夫か」
「うん。湊のおかげで、すっかり元気になったよ」
僕が笑うと、湊はどこか寂しげに目を伏せた。
そして、グラスをテーブルに置き、僕の手をそっと握りしめた。
「なあ……。ずっと、俺のそばにいてくれないか」
「え……?」
「もう、お前を一人で戦わせたくない。お前の食事も、睡眠も、身体の全部……俺に管理させてほしい。……恋人として」
改めて紡がれる言葉。
それは、病院のベッドで聞いた悲痛な叫びよりも、ずっと静かで、確かな温度を持ったプロポーズだった。
僕は握り返された手の温もりに、胸がいっぱいになった。
「……僕で、いいの? 身体も弱いし、傷だってあるのに」
「お前がいい。お前じゃなきゃ、ダメなんだ」
迷いはなかった。
僕は湊の目を見つめ返し、頷いた。
「うん……。僕も、湊と一緒にいたい。ずっと」
言葉が終わるか終わらないかのうちに、湊の顔が近づき、唇が重なった。
ワインの甘い香りと、湊の熱い吐息が混ざり合う。
最初は優しく、次第に貪るように深くなる口づけに、理性が溶かされていく。
「……ベッド、行くぞ」
囁かれた低音に頷くと、僕は軽々と抱き上げられ、寝室へと運ばれた。
清潔なシーツの上に下ろされ、覆いかぶさる湊の影。
彼の手がシャツのボタンを一つずつ外し、肌が露わになっていく。
僕の腹部には、古い手術痕が残っている。
かつては隠したかったそのケロイドを、湊は愛おしそうに指先でなぞった。
「綺麗だ……」
彼はうっとりと呟き、傷痕に唇を落とした。
ちゅ、と音を立てて吸い上げ、舌先でその凹凸を確かめるように舐める。
「んっ……あ……みな、と……」
「お前が生き抜いた証だ。この傷があったから、俺たちはまた会えた」
傷痕への執拗な愛撫。
それはまるで、聖地への巡礼のようだった。
コンプレックスだった傷が、彼にとっては僕をこの世に繋ぎ止めた勲章であり、最愛の一部なのだ。
恥ずかしさは消え、代わりに彼にすべてを委ねたいという衝動が突き上げる。
湊はサイドテーブルから未開封の医療用潤滑ゼリーを取り出した。
手慣れた動作で封を切り、冷たいジェルを自身の長い指にたっぷりと絡ませる。
「……力、抜けよ」
彼が僕の両膝を割り開き、その間に身体を割り込ませる。
秘所に触れる指先。
ひやりとした感触と、その奥にある熱に、背中が跳ねた。
「っ! つめた……」
「大丈夫だ。痛いことはしない」
耳元で囁かれる声は優しいが、その指使いは的確すぎた。
内壁のひだを一つずつ確認するように、指がゆっくりと侵入してくる。
医師としての人体構造の知識に裏打ちされた動きは、迷いなく僕の性感帯を探り当て、執拗に刺激した。
「あ、んっ……! そこ、だめぇ……!」
「ここか? ……ふうん、中は随分と熱いな。正直な身体だ」
意地悪く内壁を擦られ、僕はシーツを握りしめて喘ぐことしかできない。
指が二本、三本と増やされ、広げられていく。
異物感よりも、与えられる快楽の方が勝り、頭の中が真っ白になっていく。
「湊っ、もう……っ! 欲しい、湊のが……!」
「……いい子だ」
僕の懇願を聞き届けると、湊は自身の張り詰めた楔をあてがった。
亀頭が入り口を割り、ゆっくりと、けれど不可避な圧力で侵入を開始した。
「はっ、ぐぅ……! おおき、い……ッ」
「……っ、きつい。締めすぎだ、馬鹿」
ミシミシと身体が開かれる感覚。
けれど、痛みよりも、空虚だった身体の芯が埋め尽くされていく圧倒的な充足感が勝る。
根元まで飲み込むと、僕たちは一つに繋がったまま、荒い呼吸を重ねた。
「……動くぞ」
湊が腰を引き、そして力強く打ち付ける。
一度動き出せば、もう止まらなかった。
禁欲的な診察室での顔はどこにもない。
そこには、獣のように激しく僕を求める、一人の男がいた。
パン、パン、と肌と肌がぶつかる硬質な音が寝室に満ちる。
的確に前立腺を抉る角度。
突き上げられるたびに、脳髄を痺れさせる快楽の電流が脊髄を駆け上がった。
「あッ、あっ、すごい、湊っ! んあぁッ!」
「名前……もっと呼べ。俺だけを見ろ」
湊は僕の顔を両手で固定し、何度も深いキスを落としながら腰を振り続ける。
汗が滴り落ち、僕の鎖骨のくぼみに溜まる。
僕が背中に爪を立ててしがみつくと、湊の動きがさらに激しさを増した。
「もう逃がさない。二度とお前を一人にはしない」
「うん、逃げない……っ! 僕も、湊が……好きだぁッ!」
お互いの理性が焼き切れる寸前。
視線が絡み合い、火花が散る。
「っ、いく……! 湊っ!」
「……っ、一緒に、いくぞッ!」
ドクン、と体内で彼が大きく脈打ち、熱い奔流が僕の最奥へと勢いよく放たれた。
同時に僕も目の前が弾け、彼のお腹を白く汚して果てた。
十数年の空白も、孤独も、不安も。
すべてが精液と共に溶けて混ざり合う、完全な融合だった。
長い余韻が去った後も、僕たちは繋がったまま、泥のように重たい幸福感に浸っていた。
窓の外は、すでに白み始めている。
湊が僕の汗ばんだ髪を優しく撫で、額にキスをした。
「……気分は?」
「ん……最高」
僕が力なく笑うと、湊も満足そうに目を細めた。
そして、僕を抱きしめる腕に力を込め、耳元で囁いた。
「言っておくが、担当医は辞めないぞ」
「え……?」
「公私混同と言われようが知ったことか。お前の身体の隅々まで把握して管理するのは、一生俺の役目だ」
それは、世界一厳しくて、とろけるほど甘いプロポーズだった。
「毎朝、顔色を見て、脈を測る。食事も管理するし、夜の運動も付き合う。……覚悟しろよ」
この過保護な名医は、もう二度と僕を手放すつもりがないらしい。
僕は呆れながらも、彼の胸板に顔を埋め、心臓の音を聞きながら答えた。
「……ふふ、お手柔らかに頼むよ、先生」
もう、どこへも逃げない。
僕の命も、身体も、心も。
すべてはこの幼なじみの主治医に預けたのだから。
朝焼けに染まる部屋で、僕たちは二度寝の微睡みへと落ちていった。
二人の心電図は今、ぴったりと同じ波形を描いて重なり合っていた。




