ノーメイク聖女はイケメン王子に溺愛される ~私以外の女が化粧で劣化した件~
結論から言うと、この街は臭い。
粗悪な香水と、腐った卵を鍋に入れて、3日3晩煮込んだような臭いがする。
「……くっさ」
私は我慢出来ずに、鼻をつまんだ。
王都のメインストリート……通称『ネマ通り』。
ここは今、世界で最も華やかで、最も美しい場所……とされている。
しかし、私にとっては、最も悪臭が鼻につく場所で、居るだけで吐き気がするレベルだ。
かつては、王都の大通りに相応しい素敵なエリアだったのに、今は見る影もない。
まあ……あくまでも『私にとっては』……だけど。
事の発端は、ここ最近で彗星のごとく現れた一人の女性――『美魔女ネマ』だ。
彼女は、魔の森で採れる特殊な天然素材に魔法加工を施し、今までにない高品質な化粧品を次々と開発した。
平民でも手の届くリーズナブルな化粧水から、王侯貴族が競って買い求める超高級クリームまで、あらゆる層に向けた商品は、その劇的な美容効果で瞬く間に女性たちの心を鷲掴みにし、一気に『ネマ』という巨大ブランドを確立させた。
今やネマは『美のカリスマ』であり、女性たちの救世主として、絶大な支持を集めている。
街を見渡せば、右も左もネマ、ネマ、ネマ……。
猫も杓子もこぞって彼女の化粧品を使い、美しくなることを至上の喜びとしているのが今の世の中だ。
正直、最初はどうでもよかった……。なぜなら、私は聖女だから。
聖女は『清貧を尊ぶべし』という規律があり、化粧は禁止されている。
なので、「まあ、私には関係ないし……」と思って、無関心を決め込んでいたのだが――。
ブームが過熱し、ネマの化粧品が急速に世の中に浸透するにつれて、無視できない問題が発生した。
臭いのだ。
ネマの化粧品は、とにかく耐え難いほどに臭い。
どうやら、この鼻が曲がるような腐敗臭を感じているのは、私一人だけらしい。
当初は、親切心で「それ、すごく変な臭いがするよ」と何人かに忠告したことがあるが、「貴女の鼻がおかしいんじゃない?」「僻みは見苦しいわよ」と散々に罵倒され、変人扱いされただけだった。
それ以来、私は他人にそのことを言うのを諦めた。
言っても無駄だし、信じてもらえないし、逆に訝しがられるだけだ。
だから、今の私は『聖女の規律があるから化粧をしない』……だけではない。
単純に、あんな汚物のような臭いがするものを、自分の顔や体に塗りたくりたくないのだ。
通りを行き交う女性たちは皆、まるで砂糖菓子のような極彩色のドレスに身を包み、顔にはこれでもかと厚い化粧を施している。
白塗りの肌、不自然に赤い唇、ラメで光る瞼。
彼女達が動くたびに、強烈な腐臭が撒き散らされ、空気はピンク色に濁って見えた。
彼女達は、その悪臭を『極上の香り』と認識して、恍惚とした表情を浮かべている。
お金を払って、喜んでゴミを顔に塗りつけている哀れな人たち――いつの間にか世の女性達を、そんな風に見るようになってしまった。
そうでも思わないと、この臭気をやり過ごせないのだ……。
「あら、見て。聖女様よ(笑)」
「うわぁ、今日も素晴らしい『手抜き顔』ですこと(笑)」
すれ違いざまに、ご令嬢の方々がクスクスと笑い声を漏らす。
彼女達の視線は、――ファンデーションの一塗りもなければ、口紅の一引きもない、ただ水で洗っただけの素っぴん――の私の顔に、憐れみと優越感と共に突き刺さる。
「お可哀想……聖女の規律でお化粧が禁止されているから、僻んでいらっしゃるのね」
「その貧乏の極みのような鼻には、この『ネマ様の崇高な香り』が刺激的すぎるのよ。美の感性が死んでるなんて、女として終わってますわね」
好き勝手言われるけど、訂正するのも面倒だ……。
貧乏はともかく、鼻に関しては本当に病気かもしれないと、お医者さんに診てもらったけど、全く異常はなかった。
つまり私は正常で、ネマの化粧品を臭いと感じるのは自然なことなのだ。
この悪臭を極上の香りに感じられる、あんたらが集団催眠にでもかかっているのだろう。
そう思う事にしていた。
ご令嬢達の嫌味を無視していると、前から着飾った男性貴族の集団が歩いてきた。
彼らは、厚化粧のご令嬢達には愛想の良い笑顔で、「やあ、今日も麗しいですね」とデレデレしてるくせに、私と目が合うと露骨に眉をひそめた。
「……チッ。邪魔だぞ、地味女。せっかく美しい女性達を目にして、華やいだ俺の瞳が濁る」
「おいおい、よせよ……一応は聖女様なんだからさ」
「でも、化粧もしない女なんて、女としてカウント出来ねえよ。色気も何もありゃしない」
私のことは、まるで道端の石か、犬の糞かのような扱いだ。
今の世の中、男性にとっても『ネマの化粧品』が『女性らしさ』の象徴らしい。
聞くところによると、女性の容姿レベルが上がって、大喜びなんだそうだ。
しかも、私が悪臭と感じるあの香りは、男性にとっては媚薬的な効果があるらしく、ネマの化粧品をしてる女性に対して、メロメロなるらしい。
なので、化粧をしてしない私などは、まさに『女ではない存在』ということだ。
「まったく……こんなのが王子の寵愛を受けてるだなんて、国の恥だな」
そんな捨て台詞を吐いて、男達は去って行った。
(はあ……疲れる)
私は小さく溜息をつき、再び鼻をつまんで再び歩き出した。
早く神殿に行って、仕事を済ませよう……ここは空気が悪すぎる。
「――あら。空気が濁ると思ったら、聖女様じゃありませんの」
不意に、金切り声が鼓膜を震わせた。
(うわぁ……親玉に会っちゃった……)
行く手を遮るように現れたのは、ひときわ派手なドレスを着た集団……。
その中心に、煌びやかな扇子を広げた公爵令嬢、エリザが立っていた。
彼女の顔は凄まじかった。
白粉は何層にも塗り重ねられて、まるで仮面のようになっている。
本人はそれを『高級陶器のような肌』と信じているようだけれど、私から見ればひび割れた土壁だ。
「ごきげんよう、聖女ラフィナ様。今日も酷い顔色ですこと。また高貴な香りに酔ってしまわれたのかしら? 免疫のない貧乏鼻には、刺激が強すぎたかしら?」
エリザが嘲笑うと、取り巻きの令嬢たちも「おほほ」と追従する。
後ろに控えていた数人の男性たちも、ニタニタと笑いながらエリザを称賛した。
「エリザ様の香りは、今日も最高ですよ。それに比べて聖女様は……まあ、『無』だな」
「華がない。色気がない。何もない。一緒にいると、エリザ様の輝きが一層際立ちますね」
相変わらず、言いたい放題だ。
私は無表情のまま、エリザの顔をじっと見つめた。
彼女の肌からは、腐臭がより一層濃く放たれている。
「……エリザ様、こんにちは」
「あら、挨拶だけはできるのね」
「相変わらず、そんなに塗りたくって素肌が可哀想……そんなに必死に隠さなくても良いのでは?」
私の言葉で、エリザは仮面のような顔を引きつらせて激昂した。
「何をおっしゃるの! 身体を服で着飾るように、顔をメイクで着飾るのはファッションとして当然のことですわ! 可哀想なのは、あなたの顔よ! 服も着せてもらえず、着飾れず、あまりにも惨めで貧相! 信じられませんわ!」
唾を飛ばす勢いで、捲し立てられる。
価値観の相違……こればかりは仕様が無い。
少なくとも私は、こんな悪臭がするものを顔に付着させるのはごめんだ。
「まあ! エリザ様に無礼な態度! まったく、デリカシーのない聖女ですこと!」
「貧乏人には一生縁が無い、ネマの中でも最高級品ですもの。妬むのも無理ないですわ」
エリザの取り巻き令嬢も、私を見下すような視線を向けている。
なぜか皆、『化粧が出来ない聖女が嫉妬している』と勝手に解釈していて、迷惑な誤解だと常々感じていた。
何を言っても、『嫉妬』で片付けられるので、辟易してしまう
この人らと話していても時間の無駄だと思い、無視して先を急ぐことにする。
一礼して歩き始めると、後ろからエリザの罵倒が、私の背中に浴びせられた。
「くっ! なぜ、シルアレク王子があなたを気にかけているのか理解出来ませんわ! 偶々(たまたま)王妃様を助けたからといって、調子に乗らないでくださる!?」
はぁ……結局、それで因縁つけられるわけか。
その件があるから、余計にエリザを含め、色んな人から反感を向けられているのかもしれない……。
◇
あれは3月前。
王妃様――シルアレク殿下の母君が、原因不明の皮膚病で倒れ、顔が赤く爛れてしまった時のことだ。
国の高名な魔法使いや医師が集められ、こぞって『最高クラスの美容魔法』や『希少な薬草のクリーム』を塗りたくった結果、王妃様の顔はさらに腫れ上がり、呼吸困難に陥ってしまった。
たまたま神殿の使いで王宮を訪れていた私は、廊下で騒ぎを聞きつけ、部屋を覗いて一言告げたのだ。
「……それ、ただの毒花粉のかぶれですよ。何で、そんなのをベタベタと塗ってるんですか?」
私は医師達を押しのけ、初歩的な解毒魔法をかけた。
魔法薬やクリームを洗い流すと、王妃様の肌はすぐに元の白さに戻った。
その時だった。
ベッドの脇に居た第二王子、シルアレク殿下が、私の手を取ってその場に跪いたのは……。
「……美しい」
「え? あ、はい……王妃様が美しさを取り戻せて良かったですね」
「そうじゃない、君だ。誰もが飾り立てることに必死なこの世界で、君は聖職を全うし、堂々と自然体で輝いている……なんて美しいんだ」
「は……?」
「僕は、仮面を被る人間に興味が無い。……すなわち、素顔で自然体でありながら魅力的な人間に惹かれるのさ。君はまさに僕の理想だ。聖女は『男性と契ることを禁じられてる』と知っていても、この想いは止められない。君の将来の伴侶は、僕が射止めさせてもらう」
キラキラした瞳でそう言われた時、私は「この人、正気か?」と思ったものだ。
王族特有のポエムかと思ったが、彼は大真面目だったらしい。
それ以来、何かにつけて私を構いに来るようになってしまった……というわけだ。
◇
シルアレク殿下との事を思い出していると、私の背後ではエリザの叫びが、まだ続いていた。
「殿下が信じられませんわ! しかも、よりによって今夜の『ネマの新作発表パーティー』のパートナーに、貴女のような化粧もしない地味女を選ぶなんて……! 絶対に後悔するはずよ!」
「そうだといいけど……」
「なっ……その余裕ぶった勘違いっぷりが鼻につくのよ! 今夜のパーティーで、格の違いを思い知らせてあげるわ!」
エリザは捨て台詞を吐き終わると、やっと離れていったようだった。
「はあ……やれやれ」
私は肩をすくめた。
格の違いとやらはどうでもいいけれど、今夜のパーティー会場の臭気を想像すると、今から胃が痛い。
私は再び鼻をつまむと、逃げるように神殿への道を急いだ。
夕刻……。
神殿での勤めを終えて外に出ると、街の空気はさらに淀んでいた。
今夜のパーティーに向けて、貴族たちが最後の仕上げとばかりに『ネマの香水』を浴び直したのか、夕焼けの空まで心なしかピンク色に霞んで見える。
(うう、鼻が曲がりそう……)
私がハンカチで鼻を押さえながら門の前に立っていると、石畳の向こうから豪奢な馬車がやってきた。
王家の紋章が刻まれた、白亜の馬車だ。
その馬車が止まると、御者が扉を開けた。
そこから颯爽と降り立ったのは、この国の第二王子、シルアレク殿下だった。
夕日を浴びて輝く金髪に、海のように深い青い瞳。
彼はまさに絵本から飛び出してきたような『理想の王子様』そのものだった。
「キャーッ! シルアレク殿下よ!」
「なんて素敵なの……!」
通りかかった厚化粧の女性たちが色めき立つが、シルアレク殿下は彼女達を無視して一直線に私の方へと歩いてくると、満面の笑みを浮かべた。
「ラフィナ! 待たせてすまなかったね!」
その笑顔は、背後に花が咲き乱れる幻覚が見えるほどに眩しい。
その様子を見た周囲の男性たちは、信じられないものを見るような目で私を見ている。
「おいおい、殿下は正気か? あんな地味な女のどこがいいんだ?」
そんな陰口が聞こえてくるが、殿下はお構いなしに、私の手を取ってうっとりした表情で呟いた。
「今日も、君は最高に美しいね。雪のように白い肌、余計な色が乗っていない清らかな唇。世界中の絵画を集めても、君のその素顔には敵わないよ」
「……恐れ入ります。ですが、殿下……あまり大きな声でおっしゃらない方がよろしいかと」
私は真顔で淡々と返した。
褒められているのは理解しているが、世間では『手抜き』『貧相』と言われるこの顔を絶賛されると、反応に困るうえに、逆に嘘っぽく聞こえていたたまれなくなる。
なので、話題を変えることにした。
「それより殿下、お鼻は大丈夫ですか?」
「ん? 何か付いているかい?」
「そうではなくて。この辺り、ものすごく臭うのですが……」
私がハンカチ越しにくぐもった声で言うと、殿下はきょとんとして、スンスンと鼻を鳴らした。
「僕には皆が言うように、甘い花の香りに感じるが……」
「うわぁ……やっぱり殿下のお鼻も、大衆と同じなのですね」
「ハハハ、手厳しいな」
殿下は愉快そうに笑った後、真剣な表情になり私を見つめた。
「だが……君がそう言うなら、本当に臭いんだろう」
「え……?」
「僕を含めた世界中が、『良い香り』だと言っても、君が『臭い』と言うなら、真実は君の方にある。僕は自分の鼻よりも、君の感覚を信じるよ」
彼は、迷いのない瞳でそう言った。
冗談でも、お世辞でもない響きだった。
この世界でたった一人、私の事を――私という人間を、この奇特な王子様は信じてくれている……。
こんなお方だからこそ、私も無下に出来ずに、何だかんだと王子の行動を受け入れてしまうのだった。
「さあ、行こうか。君という真実を連れて、偽りの園へ……」
シルアレク殿下のエスコートで馬車に乗り込む。
扉が閉まり、二人きりの空間になると、殿下は少し声を潜めた。
「それで……頼まれてた調査の件だが」
「はい。ネマの正体は、はっきりしましたか?」
私は以前から、この異常な臭いの元凶である『美魔女ネマ』について、殿下に調査をお願いしていた。
しかし、殿下は難しそうに首を振った。
「いや、やはり詳しくは分からなかった。確かに実在する女性らしいのだが……それまで全く無名の魔法使いで、実績が無いんだ」
「無名……ですか」
「ああ。突然現れて、とんでもない高品質な化粧品を作り始めた。経歴も出身も不明だ」
私は腕組みをして、思考を巡らせる。
いくら何でも不自然だ……これだけ大規模なブームを起こしておきながら、足跡がなさすぎる。
「ネマというブランドや、商品はやたら売りたがるのに、本人は正体不明でガードが固く、表舞台に出てこない……企業秘密を守りたいって理由もあるんでしょうけど、怪しいですね」
「今日の発表会にも、ネマ本人は来ないようだ」
「やはり、そうですか……」
「それどころか、最近はその姿を誰も見ていないらしい……。ネマの行方が知れないそうだ」
殿下は深刻な顔をして、私に視線を向ける。
「今夜、何かが起きる気がする……ラフィナ、僕の側から離れないでくれよ」
「承知いたしました……」
馬車に揺られること数十分。
私たちは、今夜の舞台となる王城へと到着した。
大広間の扉が開かれた瞬間、ムワッとした熱気と共に、今までで一番強烈な『あの臭い』が押し寄せてきた。
(うっ、吐きそう……)
私は眉間の皺を必死に隠し、殿下の腕に手を添えて会場へ入った。
煌びやかなシャンデリアの下、貴族達がひしめき合っている。
そこはまさに、人工美の極致だった。
誰も彼もが仮面のように厚い化粧を施し、お互いの『美しさ』を褒め称え合っている。
着飾った上流階級の集団……確かに美しい。
私のような庶民には、まずお目に掛かれない光景だ。
しかし、目からの視覚情報よりも、鼻からの嗅覚情報の方が強烈なため、嫌悪感が遥かに勝っていた。
「――あら、殿下! お待ちしておりましたわ!」
人混みを割って、凄まじい存在感を放つ女性が近づいてきた……公爵令嬢エリザだ。
彼女は今夜のために、最高級の『ネマのハイライト』を塗りたくったらしく、歩くたびにキラキラと鱗粉のような粉を撒き散らしている。
まさに『ネマブランドのマネキン』と化した造形美は、一際異彩を……いや、この場では美しさを放っていた。
やり過ぎにも見えるが、彼女がここまでネマに心酔するのには理由がある。
エリザは元々、それほど目立つ容姿ではなかった。
以前は美容に大金をかけても効果が出ず、『地味な公爵令嬢』と陰口を叩かれて、コンプレックスを抱いていたのだそうだ。
そんな彼女にとって、塗るだけで絶世の美女になれるネマの化粧品は、まさに救世主だった。
エリザの肌や顔立ちと、化粧品の相性も良かったのだろう。
公爵の財力にモノを言わせて、高級品を買い漁り、最もネマの化粧品に精通した女性になった。
その効果は絶大で、彼女は初めて『美しい』と持て囃され、多くの女性からの羨望を集め、多くの男性から求愛されるようになった。
だからこそ彼女は、ネマを神のように崇拝し、逆に化粧品を使わない私を『美を放棄した愚か者』として心底見下しているのだ。
「見てくださいませ、この輝き! 今夜の私は、誰にも負けない美しさを手に入れましたのよ!」
会場中の男性達が、恍惚の表情でエリザを見ていた。
「ああ、エリザ嬢の美しさは国宝級だ」
「なんて綺麗なんだ……胸のトキメキが止まない」
そんな賞賛の中、エリザが王子にしなだれかかる。
「ああっ……やっぱり、シルアレク王子が本命なんだな……」
「くぅ! なんて羨ましい」
殿下は、男達からの嫉妬と羨望の眼差しを一身に受けていた。
視線が集まる中で、王子はエリザにニコリと微笑み、しかし冷然と言い放った。
「エリザ嬢。僕は今、世界で一番美しい女性をエスコートしている最中なんだ。邪魔をしないでくれるかな?」
「はぇ……?」
エリザがポカンと口を開けた。
何を言われたのか理解出来ない様子で、呆然としている。
「うわぁ、王子も物好きだな。あんな地味な聖女より、エリザ嬢の方がどう見ても魅力的だろうに……」
周囲の声で、殿下に拒絶されたと気づいたらしく、エリザは敵意剥き出しの表情で私を睨んできた。
(あーあ……そんな顔をしては、せっかくの化粧顔が台無しだ)
その時だ。
「皆様! お待ちかねの時間がやってまいりました!」
司会者の高らかな声が響き渡った。
会場の照明が落とされ、天井に設置された巨大な魔導装置が唸りを上げる。
「ネマ様からの贈り物! 『祝福の美容ミスト』の散布です! これを浴びれば、貴女の美しさは永遠のものとなるでしょう!」
シュゴオオオオッ!
装置から、ピンク色の霧が一斉に噴き出した。
「きゃあああ! ネマ様の新作よ!」
「美の女神から贈り物!」
女性たちは恍惚の表情で両手を広げ、ミストを全身に浴びようとする。
だが、私の感覚は警鐘を鳴らしていた。
(……何これ。今までで一番臭い)
腐敗臭が凝縮されたような、生理的な嫌悪感。
本能が告げている。これを浴びてはいけない、と。
「……殿下、失礼します」
私は反射的に右手を少しだけ掲げて、自分と殿下の周囲にだけ、透明な聖魔法の障壁を展開する。
ミストが障壁に弾かれ、私たちの周りだけ霧が避けていく。
周囲の熱狂とは裏腹に、私の背筋には冷たいものが走っていた。
この悪臭の正体が何であれ、これだけの量を浴びて、ただで済むはずがない。
狂乱の宴。
誰も、これから起こる悲劇になど気づいていなかった。
その異変は、唐突に訪れた。
会場中がピンク色の霧に包まれ、誰もが陶酔しきっていた、その時だ。
「……おえっ!?」
近くにいた男性が、口元を押さえて膝をついた。
「な、なんだこの臭いは……!?」
「くっさ! 腐った肉のような……!」
悲鳴のような声が連鎖する。
それまで『芳醇な花の香り』と認識されていた空気が、一瞬にして変質したのだ。
いや、違う。私の鼻は、ずっとこの臭いを感じていた。
変質したのではない。『認識阻害の魔法』が解けたのだ。
(……なるほど。そういうことか)
私はハンカチをさらに強く押し当てながら、冷ややかに納得していた。
ネマは、これほどの腐敗臭を、完璧な『芳香』として誤認させる高度な魔法を組み込んでいたのだ。
聖女である私ですら、それを『ただの悪臭』としか認識できず、『呪い』であると見抜けなかった。
なんて巧妙で、悪質な擬態技術だろう。
敵ながらあっぱれと言いたくなる。
だが、感心している場合ではない。
魔法が解けたということは、隠されていた『代償』の徴収が始まるということだ。
「い、痛い! 顔が熱い!」
「私の肌が……キャアアアアアッ!」
女性達の悲鳴が上がった。
ミストを浴びていた女性達の肌が、文字通り崩れ始めたのだ。
ある令嬢は、ツルツルだった頬が急速に萎び、一瞬にして老婆のように皺だらけになった。
ある夫人は、白かった肌が赤黒く変色し、歪な痣が広がっていく。
まるで、魔法で無理やり生み出された『美の時間』が終わり、利子を含めた反動が一気に押し寄せたかのようだった。
「ひぃっ! 化け物!?」
「寄るな! 俺に触るなあああ!」
さっきまで彼女たちを口説いていた男性たちが、掌を返して絶叫し、逃げ惑う。
美しいドレスはそのままに、中身の身体だけが変わり果てた異形の群れ。
華やかだったパーティーは、ものの数秒で地獄絵図へと変わった。
「う、嘘……嘘よ……!」
その中心で、震える声が聞こえた。
公爵令嬢エリザ。
彼女は誰よりも多くネマの化粧品を使い、誰よりも深くミストを浴びていた。
彼女が恐る恐る、近くの柱にある鏡を見る。
そこに映っていたのは、もはや人間の皮膚とは呼べない、赤黒く爛れた『何か』だった。
美しかった金色の髪は枯れ草のように抜け落ち、眼球だけが元のままギョロリと動いている。
「いやああああああああああああッ!!」
喉が裂けるような絶叫。
エリザはその場に崩れ落ち、近くにいたシルアレク殿下にすがりつこうとした。
「殿下! 殿下、助けて! 私よ、エリザよ! 美しいエリザですわ!」
「ひっ……!」
周囲の男たちが悲鳴を上げて後ずさる中、殿下だけは逃げなかった。
だが、その手を取ることもなかった。
殿下は私を抱き寄せ、そのドロドロに崩れた手から守るようにして、静かに告げた。
「……哀れだな、エリザ嬢」
「え……?」
「外見ばかりを磨き、内面を疎かにした結果がこれか。君が崇拝していた美の魔女は、君達の『美への執着』を利用して、『素顔』を食い物にしていただけのようだよ」
殿下の冷静な言葉が、混乱する会場に響く。
「い、嫌……そんな……私はただ、綺麗になりたくて……」
エリザが涙を流すが、その涙さえも濁った膿のように見えた。
腐臭と絶叫が渦巻くホールの中で、私と殿下だけが、まるで別世界の住人のように佇んでいた。
私の張った聖魔法の障壁が、汚染された空気とミストを完全に遮断しているからだ。
逃げ惑う男性たちの一人が、ふと私を見て足を止めた。
そして、呆然と口を開いた。
「……き、綺麗だ……聖女様」
その言葉を皮切りに、周囲の視線が私に集まる。
厚化粧の化け物達で溢れかえる中、唯一すっぴんのまま立ち尽くす私。
何の装飾もない、ただ普通の健康的な白い肌。
周囲が醜く崩れ落ちたことで、相対的に私の姿は、まるで泥沼に咲く一輪の白百合のように、浮かび上がって見えたみたいだ。
「こうして見ると、なんて美しい……」
「聖女ラフィナ……綺麗だ……」
「俺は、何を見ていたんだ……自然のままが一番じゃないか……」
男達が……いや、変わり果てた女達さえもが、私を拝むように見つめている。
さっきまで「地味女」と馬鹿にしていたくせに、勝手なものだ。
それにしても、相対効果とは恐ろしい……けど、比べる事でしか判断出来ないなんて哀れだ。
まったく……こいつらには、自我ってものが無いのか。
自分の確かな意思というものが……。
(いや……1人居た。しかも、私の隣に……)
シルアレク殿下は、彼らを鼻で笑うと、私の肩を抱いて誇らしげに宣言した。
「見ろ。彼女こそが、本物の美だ。偽りの美に惑わされたお前たちには、少し眩しすぎるかもしれないな」
殿下のドヤ顔がすごい。
私は小さく溜息をつくと、エリザの方へと歩み寄った。
「っ……来ないで! 見ないでえぇぇ!」
顔を覆って後ずさるエリザ。
私はその前に立ち、落ち着いて語りかける。
「……言いましたよね、エリザ様。『変な匂いがする』って」
「う……ううぅ……」
私は淡々と事実を告げる。
エリザは反論する気力もなく、ただ絶望に打ちひしがれていた。
これ以上追い詰めても仕方がない。
それに、このまま放置すれば、彼女たちの命に関わる。
「シルアレク殿下」
「ああ、頼めるかい? ラフィナ」
「はい……正直、自業自得だとは思いますが」
私は肩をすくめ、会場全体を見渡した。
「目の前で苦しんでいる人を放っておくのは、聖女の職務規定に反しますから」
私は、右手を高く掲げた。
体内の魔力を練り上げ、聖なる光へと変換する。
「『浄化』」
言葉と共に、右手から眩い光が奔流となって溢れ出した。
清浄な光がホール全体を包み込み、充満していた腐敗臭とピンク色の霧を消し飛ばしていった。
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