8 はじまり
「これが事件の全貌です」
クレアは静かな声で言った。彼女の口から語られた事件の全貌を、ウィリアムは疑わなかった。
事実を受け入れられないのか、アニーは固まったまま黙り込んでいた。
「どうしてアニーさんに真実を伝えなかったのですか」
「……あの子に会うのが怖かったからです。一度会ったら離れがたくなってしまうでしょ?私もきっと、母と同じことをしてしまう」
「アニーさんに会いたいとは思いませんか」
ウィリアムの問いかけにクレアは唇を結んだ。何かをこらえるような表情で、彼女はゆっくりと息を吐いたのだった。
「会いたいですよ。あの子を力いっぱい抱きしめて謝りたい。一緒にいられなくてもあなたの幸せを願ってるって、伝えてあげたい」
クレアの本音に耳を傾けながら、ウィリアムはアニーへ視線を向けた。彼女はウィリアムを見上げてこくりと頷いた。帽子と傘をウィリアムに渡し、アニーは身軽な状態で大きな一歩を踏み出した。
「今日ここに来たのはアニーさんからあなたを探して欲しいと依頼されたかです。どうしてもあなたに会って直接話を聞きたいと」
「……直接?」
「アニーさんはここにいらっしゃいます」
これまでの日々を噛み締めるように、アニーが一歩ずつクレアへ近づいていく。クレアは席から立ち上がり、一歩だけ後退りした。
「そんなはずないわ」
「驚かせてしまって申し訳ありません。妹さんはあなたを心配して――」
「あの子のにおいじゃない」
アニーはぴたりと足を止めた。クレアの頭の蛇たちが大きく口を開いて威嚇している。
動かなくなったアニーの背中を見て、ウィリアムが抱いた感情は恐怖だった。
「あなた、誰?」
クレアが問いかけた瞬間、アニーはスカートの中に隠していた拳銃を取り出した 。一発の銃声が響き渡り、クレアが後ろに向かって倒れ込んだ。アニーは兵士のように俊敏な動きで彼女の様子を確認し、もう一度引き金を引いた。
ウィリアムはとっさに傘を手放して携帯していた銃をアニーへ向けた。
「動くな、今すぐ持ってる銃を捨てて両手を上げろ、逆らったら殺す」
「待ってください。最後まで話を聞いてください。私たちあなたの味方です。ウィリアム・レイナーさん」
アニーはすばやく銃を捨てておとなしく両手を上げた。彼女の発言を聞いて、ウィリアムは一層険しい顔つきになった。
「その名前で呼ぶな。俺はウィリアム・エバンスだ」
獣のような目でアニーの背中を睨みつける。彼女は恐る恐ると言った様子で体を回転させ、正面から向かい合った。ウィリアムは引き金にかけた指へわずかに力を込めた。
「どうしてクレアを殺した?」
「騙してしまってすみません。実は私、アニー・マクラーレンじゃないんです。えっと、私の本名はオリヴィア・クラークで――」
「お前の名前なんてどうでもいい、誰の指示で殺したんだ?目的はなんだ?」
ウィリアムは苛立ちながらオリヴィアの声を遮った。大袈裟に肩を跳ね上げたオリヴィアは、一転して強い顔つきになり、口を開いたのだった。
「質問にお答えします。私はアーロン様の指示でメドゥーサを討伐しました。アーロン様の目的は亜人をこの世界から消し去ることです」
オリヴィアはこれまでの自信なさげな口調とは異なる話し方で言った。
別人のように変わってしまった彼女を前に、ウィリアムは言葉を失った。オリヴィアの言っていることを理解できなかったが、アーロンという名前だけは頭に残った。
「ウィリアムさん、どうか私たちに協力していただけませんか。あなたはこの森に住む亜人について詳しいですよね。その情報があれば亜人を根絶やしにできるはずです。マヒュー教と共に平和な世界を作り上げましょう」
「……俺が協力すると思ってんのか?」
「もちろんタダでとは言いません。何か必要なものがあればアーロン様が叶えてくださるはずです。私には友達と家と家族をくれました」
オリヴィアは穏やかな笑みを浮かべた。エルマーの姿が脳裏をよぎったウィリアムは、喉の渇きを覚えながら声を発した。
「一つ聞きたいことある」
「はい、なんでしょう」
「お前らが殺そうとしている亜人に例外はいないのか?」
「それってどういう意味ですか?」
「……エルマーを殺すのか?」
震え声でウィリアムは問いかけた。オリヴィアは一瞬だけきょとんとした顔になり、すぐに目を細めて笑った。
「もちろんあの吸血鬼も討伐対象です」
その言葉を聞いた瞬間、ウィリアムの中で何かが壊れてしまい、気づけばオリヴィアに向かって発砲していた。銃弾が細い身体を貫き、彼女は床に倒れ込んだ。あらわになった彼女の足には、羽ばたく鳥を描いたタトゥーが刻まれていた。
「……かたき、うったよ」
オリヴィアは消え入るような声で呟き、目を開いたまま息絶えた。
惨劇を目にして固まっていたウィリアムは、なんとか息を吹き返し、落ちていた傘を拾ってクレアの家を飛び出した。エルマーがいるベンチに駆け寄れば、彼はすやすやと眠っていた。
「エルマー、起きろ」
ウィリアムは何度もエルマーの名前を口にした。必死な呼びかけで目を覚ましたエルマーは、寝ぼけ眼で彼を見上げた。
「そんなに怖い顔をして、またゴブリンと喧嘩したのかい?」
子供に語りかけるような優しい声でエルマーは言った。眠そうに目を擦る彼を見て、ウィリアムはほっと胸を撫で下ろした。
「ああ、すまない、昔の夢を見ていたよ。アニーはどこに行ったんだ?お姉さんとは無事に会えたのかい?」
矢継ぎ早に質問してくるエルマーを、ウィリアムは何も言わずに見下ろした。ゆっくり呼吸を整えた彼は、平静を装ってエルマーに手を差し出した。
「もう全部終わったから心配ない。帰ろう、俺たちの家に」
ウィリアムは平気な顔をしていたが、内心はエルマーに縋りつきたい気持ちだった。
彼の心情を知ってか知らずか、エルマーは不思議そうな顔をしてから、にっこりと笑って手をとった。
二人はメドゥーサの家を背にして空に舞い上がった。わずかな時間の空中飛行を終えて、湖の岸辺に降り立つ。
ウィリアムは持っていた傘を開いて、エルマーのほうに傾けた。暗かった空は少しずつ明るくなっていき、世界は朝日を受け入れ始めていた。




