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68 人間ならざる者たちよ

 ウィリアムは見慣れた風景を前にして立ち止まった。自分よりも遥かに長く生きている大樹の大きさに改めて気づいたのだ。

 青々と生い茂る葉を、血管のように張り巡らされている枝が支えている。まっすぐ伸びた幹が木をかたどり、太い根には生命力が表れている。根の一部が地上に露出しており、そこに人一人が横になれるくらいの空間が空いている。

 ウィリアムはその隙間に近づき、そっと覗き込んでみた。丁寧に敷かれた草の上に、穏やかな顔をしたエルマーが寝転がっていた。


「思ったよりも居心地いいだろ?」


 ウィリアムはエルマーに声をかけた。閉じられていたエルマーの瞼が開き「悪くないね」と彼は微笑んだ。ウィリアムはその場に座り、根を背もたれにして脱力した。

 心地よい夜風が二人の間に吹いていた。


「どこまで花を摘みに行ってたんだ?」

「花畑まで行ってきたよ。ほら、綺麗な花だろう」


 エルマーは手に持っていた花の束をウィリアムに差し出した。八重に咲いた白色の小花が咲いている。いくつも花を抱えているわりに茎はとても細い。

 ウィリアムはそれを受け取り、近くでまじまじと見つめた。見覚えがあったが、どうしても名前が思い出せなかった。


「なんか見たことあるな」

「君が昔摘んでいた花と同じだよ」

「花なんて摘んでたか?」

「覚えていないかい?嵐の夜に家を飛び出したと思えば、花を摘んでいたじゃないか」

「危なっかしい子どもだな」

「今もそんなに変わっていないよ。君は危ないことばかりする」

「まだマヒュー教に入ったこと怒ってんのかよ。ちゃんと謝っただろ?勝手に一人で決めて悪かったって。でもあれは仕方なかったんだ。お前のためには、ああするしかなかった」


 ウィリアムは早口で言い訳を並べた。何も言わないエルマーに内心焦りながら、沈黙を埋めるように言葉を吐き出し続ける。

 思いつく限りの弁解を終えたウィリアムが黙ると、エルマーはようやく口を開いた。


「謝らなくてはいけないのは私のほうだ」


 どこか悲しげな声色でエルマーは言った。意外な言葉に驚きながら、ウィリアムは「なんのことだ?」と問いかけた。全く思い当たる節がなく、一体何を謝るつもりなんだと心配になった。

 エルマーがゆっくりと体を起こしている間、ウィリアムは緊張で顔の筋肉を引き攣らせていた。


「君をこちら側に引きずりこんでしまったことを、ずっと謝りたいと思っていたんだ。永遠の辛さを知っているのに同じものを背負わせてしまった。どんなに寂しくても、吸血鬼は増やさないと決めていたのに、私は自分の弱さに負けてしまったんだ。本当にすまなかった」


 エルマーはウィリアムをまっすぐ見つめて謝罪した。

 ウィリアムはそんなことかと胸を撫で下ろした。安堵するあまり笑みをこぼしそうになったが、あまりにエルマーが申し訳なさそうな表情をしていたため、場違いだと思いなんとか笑みをこらえた。


「今に始まったことじゃないだろ。お前は元々そんなに強くないし、優柔不断だし、無駄に正義感は強いし、馬鹿がつくほどお人好しだし、でもそこがエルマーのいいところでもあって」


 励まそうとするが上手く言葉がまとまらず、しどろもどろになってしまう。ウィリアムはわしわしと髪をかきながらそっぽを向いた。

 一度思考を整理してから、エルマーと向かい合って話し始めたのだった。


「それに俺からしたら願ったり叶ったりだ。これで寿命を気にする必要も無い。あの液体があれば血を飲まなくても生きていける。困ったのはケーキが食えなくなったことだけだ」

「……あの液体って?」

「あー、詳しくは後で話す」


 うっかり口を滑らせてしまったウィリアムはまたそっぽを向いた。ポケットに入っている小瓶と紙の存在が脳裏をよぎり、ノアからエルマーに向けられた言葉も思い出してしまった。今ここで他人の言葉をエルマーに渡すのはどうも癪であり、ウィリアムは咳払いをして強引に話題を変えた。


「とにかく家に帰ろう。客にパーティーの準備を任せっきりにするのは悪いだろ」

「そうだね。バノフィーパイの仕上げも終わっていないから、早く帰らないと」


 エルマーはいつも通りの柔らかい表情を取り戻した。狭い空間から這い出てきた彼は、服についた葉を払いながら「よかったら飛んで行かないかい?そっちの方が早く着くよ」と言った。

 ウィリアムは即答できずに押し黙った。これまで密かに飛ぶ練習をしていたが、一向にうまくなる気配がなかったからだ。格好悪い姿を見せたくないという思いと、早く帰らなければいけないという冷静な思考が亀甲する。


「……まだ上手く飛べないんだけど」

「私が手を貸すよ」


 嬉しそうなエルマーの笑顔を前にすると断れず、ウィリアムは「わかった」と渋々答えた。

 黒い翼を広げた二人は、軽く地面を蹴って空中に浮かび上がった。羽を動かすほど二人の身体が地上から離れていく。ぎこちない動きではためていていたウィリアムは、ずいぶんと離れてしまった地上を見下ろして真っ青な顔をしていた。


「この高さから落ちたらさすがに死ぬだろうな。いや死なないか」


 恐怖心を紛らわすためにぶつぶつと独り言を言っていると、エルマーがウィリアムの手を取った。触れ合った手に体温はないが、ウィリアムには温かく感じられた。


「私が手を掴んでいるから大丈夫だよ。ただ羽を動かし続ければいい」


 エルマーは力強く言って、ウィリアムを先導した。ウィリアムはついて行くのに必死になり、気づけば恐怖心を忘れていた。数分も経てば、空を飛ぶ心地よさを感じられるほど余裕がでてきた。

 家に向かって羽ばたいていると、大きな月が視界に入った。どうやら満月の日らしく、綺麗な円を描いている。すっかり日を浴びなくなったウィリアムにとって、月はとてもまぶしく、まるで太陽のような存在だった。

 輝く円をぼんやり眺めていると、ある思考が脳の片隅から引き出された。


「なあ、前に手紙をくれたことあっただろ?日が昇ってから読んでくれってやつ。あれになんて書いてあったんだ?」

「ああ、あれはもういいんだ。君に読んでもらう必要がなくなった」


 曖昧な回答にウィリアムはもどかしさを感じた。前を行くエルマーの顔は見えず何を考えているのかまるでわからない。「なんだよそれ、気になるだろ」とあきらめずに追及する。

 しかしエルマーからの返事はなく、手紙を燃やしてしまったことを深く後悔した。心の中でガルに八つ当たりしていると、エルマーの声が耳に飛び込んできた。


「君と出会えてよかったって書いたんだ」


 吹き付ける風の音にかき消されないくらい、はっきりとした声でエルマーは言った。

 あまりに自分の望んでいた言葉だったため、ウィリアムは幻聴を疑った。どうしてもエルマーの顔が見たいと思ったが、いくら勢いよく羽を動かしても彼に追いつくことはできない。繋いだ手が離れないようついて行くので精一杯だった。


「エルマー」


 ウィリアムは声を張り上げて名前を呼んだ。根拠はなかったが、振り返ってくれるという確信があった。彼の想像どおり、エルマーはすぐに振り返った。

 微笑む彼と目が合い、世界が一瞬静止する。これから戦争があるかもしれないだとか、吸血鬼に惹かれるのは仕組まれた運命だとか、すべての杞憂がちっぽけに思えた。無駄なものがなくなった頭はすっきりとしていて、空いた空間はエルマーへの言葉で埋まった。愛に踊らされている自分があまりに滑稽で笑ってしまいそうになったが、今はそれでもいいと思った。

 積年の思いを伝えるために、ウィリアムは胸いっぱいに息を吸った。人間ではなくなったウィリアムにとって必要のない行動だったが、その瞬間、動きを止めた心臓が少しだけ動いたような気がした。


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