66 これから
「ずいぶん疲れた顔をしているね」
ガルは紅茶を飲みながら心配そうに言った。ウィリアムは「そんなことないだろ」と強がってみせたが、実際は強い倦怠感を感じていた。
ため息をついて部屋の中をぼんやりと眺める。以前はマナエルが住んでいた家に、ガルの私物が置かれていた。飾られた写真立てには笑顔のマナエルとガルが映っていた。
「ダニエル・フロストと何を話したんだ?」
ガルの声に反応して、ウィリアムは写真立てから彼女に視線を戻した。短かった彼女の髪は伸びていて、表情もずいぶん穏やかになっていた。
もうあの夜から一年が経っているのだと、ウィリアムは改めて実感した。
「犯行動機を聞いたり、アーロンとの関係について聞いたり、あとはコリンのことを話した」
「ダニエル・フロストの犯行動機は?」
「全てアーロンのためだった。血の繋がっていない父親の願いを叶えるために大勢の命を奪ったんだ」
「結局、みんな愛に踊らされていただけだったのか」
ガルは自嘲気味に微笑んだ。ウィリアムにも思い当たる節があり、彼女の言葉を否定することはできなかった。
二人の会話が途切れたのと同時に、キッチンの方から何やら物音が聞こえてきた。「大丈夫かい?」とガルが声を掛ければ、ひょっこりと少女が顔を出した。背中には黒い翼が生えており、悪魔であると一目で分かる。少女は「大丈夫です。お任せください」と得意げに笑い、すぐに顔を引っ込めてしまった。
「あの子は何者だ?まさか誘拐でもしてきたんじゃないだろうな?」
「人聞きの悪いこと言わないでくれ。あの子は見習いの悪魔だよ。名前はユユだ。叱られるのが嫌で地獄から逃げてきたらしい。どうもそそっかしい子でね、地獄ではうまくやっていけないんじゃないかと思って、私の家に住まわせているんだ」
「誰かに似てる気がするんだけど、気のせいか?」
「笑った顔がマナエルに似ているよ」
ウィリアムはマナエルの微笑みを思い返し、ガルの見解に納得した。種族こそ違うものの、ユユの笑顔はマナエルに瓜二つだったのだ。神の悪戯かそれとも偶然か、数奇な運命にウィリアムは驚きを隠せなかった。
「あの子をマナエルの代わりにするつもりはないよ。マナエルはマナエルで、あの子はあの子だ。私は一生、マナエルを忘れることもできないだろうし、乗り越えることもできない。マナエルの面影を感じながら、この家で静かに暮らしていくつもりだよ」
「そうか」
「君はこれからどうするんだい?」
ガルの問いかけにウィリアムは黙り込んだ。答えが見つからず、むしゃくしゃした思考をかき混ぜるように頭をかく。永遠の未来は不明瞭で、漠然とした不安がウィリアムを襲った。
「じっくり考えればいいよ。もう寿命を心配する必要もないし、エルマーと離れ離れになることもない。ようやく君の初恋が叶うんじゃないかい?」
ガルはからかうようにケラケラと笑いながら言った。
照れ臭さと苛立ちを感じたウィリアムは、誤魔化すように咳払いをして立ち上がった。ガルと視線を合わせないまま、コートの胸ポケットから一枚の紙を取り出す。彼女の眼前に押し付けたそれは、手書きの招待状だった。
「パーティーの招待状?ずいぶん可愛らしい文字だね。誰が書いたんだい?」
「コリンが書いたんだ。よかったら来てくれ。お前に謝りたいっていうやつもいるし」
「へえ、それは楽しみだ。アップルパイが焼けたらユユと一緒に行くよ」
ガルが名前を出した瞬間、キッチンからユユが顔を出した。まるでタイミングを見計らっていたかのようだった。
「お師匠、リンゴを切ったあとはどうするんでしたっけ?」
「待ってなさい。今そっちに行くから」
ガルは素早く席から立ち上がり、ウィリアムに背を向けた。キッチンに向かうのかと思いきや、彼女は突然足を止め「そうだ、君に渡しておきたいものがあるんだ」と振り返った。
ガルは棚の引き出しから小瓶と一枚の紙を取り出し、ウィリアムに渡した。小瓶には緑色の液体が入っており、紙には細かな文字がびっしりと並んでいた。
「私を利用したあの憎い竜の置き土産だ。彼の名前を見るだけで腹が立つから君に渡しておくよ。好きに使ってくれ」
ガルはそれだけ言い残し、キッチンに消えていった。彼女が一体何を言っているのか、ウィリアムにはわからなかった。竜という言葉でノアの顔が浮かび、首を傾げながら紙に並んでいる文字を読み始めた。
どうやらこの液体は、人間の血にとても近い成分を持つ液体のようだった。不老不死の亜人を死に至らしめる薬を作っていたが、その過程で偶然この液体が生まれたと書き記されている。
恐ろしい文言にウィリアムの背筋が凍ったが、もしもここに書かれていることが真実なら、人間を襲わずに腹を満たすことができると、希望を見出した。丁寧に作り方まで書き記されており、追記として、ノアからエルマーに向けた言葉が書かれていた。
美しい文字で書かれた言葉の最後は「君の幸せを祈る」という言葉で締めくくられていた。
「あんたのことはさっぱり理解できなかったな」
謎多き男の顔を思い浮かべながら、ウィリアムはぽつりと呟いた。この紙をエルマーに渡すべきかしばらく悩み、舌打ちをしてから折りたたんでポケットに入れた。嫉妬にも近い感情を抱きつつ、ウィリアムは立ち上がって玄関に向かった。
扉を開ければ外には草原が広がっており、夜風が強く吹きつけてきた。まるでこの先の未来を暗示するような向かい風を感じつつ、ウィリアムはガルの家を後にした。




