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62 血のような

 アジトがあった方角を見つめたまま、ウィリアムは唖然と立ち尽くしていた。エルマーやメリッサの顔が浮かび、強い不安感が込み上げてくる。しばらく一歩も動けずにいると、誰かの叫び声が耳へと飛び込んできた。


「逃げろ、向こうから火が来るぞ」


 男の野太い叫びと共に、大勢の人が駆けてくる。アジトの爆発から逃げる人と、街の火災から逃げる人が広場で入り乱れ、逃げ場を失った人々はパニック状態に陥っていた。そこら中から泣き声や悲痛な叫び声が聞こえてくる。

 ウィリアムは周りの人間たちとは対照的に、一点を見つめたままぴくりとも動かなかった。


「ウィリアム!」


 突然、聞き覚えのある声が聞こえてきた。ウィリアムははっと我に帰り振り返った。

 目に入ったのは人並みをかき分けて走り寄ってくるコリンの姿だった。コリンは持っている箱を揺らしながら、勢いよくウィリアムの腰に抱きついた。


「お前なんでここにいるんだ。カミラのところにいたはずだろ」

「カミラもアシュリーもいるよ。ほら、あそこ」


 コリンが小さな手で指をさす。彼の指し示す方を見れば、遠くから駆け寄ってくるカミラとアシュリーがいた。ウィリアムはコリンを片手で軽々と抱えて、二人の元に急いだ。


「アシュリー、カミラ、こっちだ」


 左手を振り上げて二人を呼び、混み合っている街の広場から逃げ出す。彼は咄嗟に近くの路地裏へと飛び込んだ。木箱や酒瓶が放置されているそこに、アシュリーとカミラも遅れてやってくる。

 無事に合流した四人だったが、ウィリアムは状況を飲み込めずにいた。


「なんでここにいるんだ」

「エルマーが呼んだからよ。さっき赤い煙が上がってたでしょう?助けが欲しい時に打ち上げるって言われてたの。私一人で行こうと思ったのにこの子たちが一緒に行くって聞かなくて。それで、あなたはガルと話せたの?」

「ガルは説得できた。でも他の誰かが街に火をつけたせいでみんな殺気立ってる。エルマーのことは俺がなんとかするから、とにかく森に戻ってくれ。ここにいるのは危険だ。もし亜人だってばれたら何をされるかわからないぞ。まだ森のほうが安全だ」

「安全じゃない」


 ウィリアムとカミラの会話にアシュリーが割り込んできた。「なんだって?」とウィリアムが問い掛ければ、アシュリーが神妙な面持ちで語り始めた。


「ここまで来る間に亜人の死体をいくつも見たんだ。きっと誰かが殺し回ってるんだよ。森にいたら僕たちも殺されるかもしれない」

「……どうなってるんだ。街の火災にアジトの爆発、亜人狩りが全部同じ日に起きるなんておかしいだろ」

「誰かが仕組んだんだよ、きっと」


 アシュリーの言葉にウィリアムは深いため息をついた。直感的に時間がないことを悟っていた彼は、必死に思考を巡らせて最善の策を探した。


「エルマーは俺が助けに行く。お前たちはガルと協力して人間を助けてやってくれ。全て終わったら森に帰って亜人狩りをしてるやつを捕まえよう」

「先に亜人狩りの犯人を捕まえたほうがいいじゃない?女性も子どもも容赦なく殺されてたから、かなり凶悪な相手だと思うよ。エルフの女の子なんて全身切り裂かれてたし、よっぽど悪趣味なやつが殺してるよ」

「エルフの女の子?」


 森で出会ったエルフの女の子がウィリアムの脳裏を過ぎった。嫌な予感を覚えながら、鉛のように重たい唇を開いた。


「そのエルフって白いワンピースを着てたか?」

「着てたよ。ところどころ血で真っ赤になってたけど、たしかに白いワンピースだったと思う」


 嫌な予感が的中してしまい、ウィリアムは言葉を失った。ふつふつと湧き上がってくる疑心に冷静な思考を乱される。急に黙り込んだウィリアムを不思議に思ったのか「どうかしたの?」とカミラが問いかけた。

 その瞬間、大通に面している路地裏の端から何かが現れた。突然現れたそれは、風のように俊敏な動きでコリンを後ろから抱え込んだ。その腕には皮膚や肉が付いておらず、骨が露呈していた。


「つかまえた」


 汚れた布をかぶった骸骨が嬉々とした声で言う。思わぬ危機に直面したウィリアムはひゅっと息をのんだ。痛みを感じるほど心臓が収縮するのがわかった。

 コリンを取り返そうととっさに手を伸ばしたが、骸骨は大通へと飛び出した。急いでウィリアムたちも大通へと飛び出したが、人混みのせいでコリンを見失ってしまった。

 コリンの名前を必死に呼んでいたその時、女性の甲高い悲鳴が響き渡った。


「スケルトンがいるわ」


 ウィリアムは悲鳴が聞こえた方に走った。

 逃げる人々を押しのけて見たものは、コリンの首にナイフを押し付けているライの姿だった。ウィリアムは咄嗟にライへ銃口を向け、彼の元へと歩み寄っていった。


「俺に近づくな」


 ライは興奮した様子で声を荒らげた。コリンの首元で光るナイフを見て、ウィリアムは歩みを止めた。銃を下さないまま静止し、ライと向かい合ったのだった。


「その子を離してくれ。人質が必要なら俺が代わりになる」

「裏切り者が俺に指図するな。これはお前の罰でもあるんだ。人間側について俺たちを裏切った。お前がガルを説得しなきゃこいつら全員焼き殺せたんだ」


 ライは激しく手を振るい、ナイフの刃先で人間たちを指した。ナイフを持つ手が動くたびにコリンの目に恐怖が滲む。刺激してはいけないと、ウィリアムは適切な言葉を探し始めた。

 黙り込むウィリアムの言葉を待たずに、ライが口を開いた。


「なあウィリアム、お前はどうして亜人を裏切ったんだ。あの森がそんなに嫌だったか?それとも人間として正しい道を選びたくなったか?地底街で殺された奴らを見てなんとも思わなかったのか?」

「……俺は亜人の味方でも人間の味方でもない。ただ戦争を止めようとしているだけだ。お前だって本当は同じ気持ちなんだろう?誰よりも戦争を憎んでるはずだ。亜人と人間が争わなければレフが死ぬこともなかった」

「そうだな。でももう手遅れだ。あいつが死んで、人間はのうのうと生きてる。俺はそれがどうしても許せない」


 俯いたままライは、迷いを捨てたかのように顔をあげた。まっすぐ前を向く彼を見て、ウィリアムは直感的にもう説得はできないと悟った。

 しかし地底街で過ごしたこれまでの記憶が蘇り、彼を撃つことに躊躇してしまった。


「よく見ておけ。お前のくだらない正義感のせいでこいつは死ぬんだ」


 ライは地を這う様な低声で言って、ナイフを握り直した。コリンの命を守るために、ウィリアムは躊躇いを捨てて引き金を引こうとした。

 だが次の瞬間、隠れてライの背後に回っていたアシュリーが、彼の頭に向かって酒瓶を振り下ろした。ライが地面に倒れるのと同時に、コリンの持っていた小箱が地面に落ちた。

 アシュリーは箱を拾おうとするコリンを抱きかかえ、ライから引き離した。ウィリアムは倒れているライに駆け寄り、しゃがみ込んで彼の名前を何度も呼んだ。


「言っただろ。スケルトンは頭蓋骨を割られちゃおしまいだって」


 ライは消え入るような声で言った。頭蓋骨に入った大きな亀裂を見て彼が助からないことを悟ったウィリアムは、深い悲しみに表情を歪めた。「このまま静かに逝かせてくれ」とライが首にかけていたレフの骨を握りしめる。

 その時、まるで意志があるかのようにレフの骨が動き出した。磁石が引き寄せられるように、どこかに向かって強く反応を示している。誘われるがまま、ライは這いつくばって骨が引き寄せられる方向へ進んだ。今にも燃え尽きそうな命を消費して、前へ前へと進む。

 進んだ先にあったのはコリンが落とした小箱だった。地面に叩きつけられた衝撃で蓋が開いたのか、中に入っていたものが散乱してしまっている。

 その中に、小さな骨があった。レフの骨はその骨に強く引き寄せられており、その二つはピッタリとくっついた。


「ああ、レフ、こんなところにいたのか」


 ライは嬉しそうに骨たちを握りしめて笑った。最後の力を振り絞ってきつく抱きしめているようだった。


「大丈夫だ。俺もお前のところへ行く。もう、離れ離れじゃない」


 最後の言葉を紡ぎながら、ライはレフの骨と共に生き絶えた。

 目の前の光景にやるせなさを感じながら、ウィリアムは地面に膝をつき、自身の上着をライの遺体にかけてやった。

 ふと近くに視線を向ければ、様々な小物が地面に落ちていた。その中に見覚えのあるものが一つあった。

 血のように赤い貝殻を、ウィリアムは拾い上げた。思い出したのは、灯台の近くにある小さな家だった。

 バクバクと心臓が激しく収縮し、思考が加速し始める。点と点が繋がって、彼は一つの答えにたどりついた。


「それ、お父さんにもらったやつ」


 アシュリーと手を繋いだコリンが、ウィリアムの元に歩み寄ってきた。人並みをかき分けてやって来たカミラもそこに合流する。

 ウィリアムはゆっくりと振り返り、コリンに貝殻を差し出した。それを受け取る小さな手を見送ってから、ウィリアムは恐る恐る口を開いた。


「父親の名前はダニエル・フロストか?」

「どうしてお父さんの名前を知ってるの?」

「コリン、今は俺の質問に答えてくれ。ダニエル・フロストは今どこにいるんだ?」

「わかんない。仕事で遠くに行かなきゃいけなくなって、僕はおじいちゃんに預けられたんだ」

「なんでもいいからお前の父親について教えてくれ。どんな仕事をしてるんだ。最後に連絡を取ったのはいつだ。なにか亜人について言ってなかったか」

「ウィリアム、少し落ち着いて。コリンが困ってるわ」


 矢継ぎ早に質問するウィリアムをカミラがなだめる。戸惑ったような表情をしているコリンを見て、ウィリアムは一度頭を冷やそうと深い深呼吸をした。

 冷静さを取り戻してから、彼は会話を再開した。


「お前の父親は、アーロン・フロストと協力して亜人を絶滅させようとしてたのか?」

「お父さんは亜人なんてどうでもいいって言ってた。おじいちゃんのためにやらなきゃいけないことがあって、そのために遠くへ行ったんだ」

「お前のおじいちゃんは亜人を絶滅させようとしてた。きっとお前の父親もそれに協力してるはずだ。だから見つけて止めないといけない」

「違うよ」

「え?」

「おじいちゃんが本当にやりたいことは、亜人を絶滅させることじゃないよ」


 コリンの思わぬ発言に、ウィリアムは耳を疑った。

 アーロンのこれまでの行動は振り返り、ある記憶に辿り着く。血に染まった家で吸血鬼への恨みを語る、アーロンの姿が鮮明によみがえった。


「おじいちゃんが毎晩僕に話してくれてたんだ。吸血鬼はとても悪い生き物で、懲らしめなきゃいけないんだって。吸血鬼が仲間を増やして人間を襲ってくるかもしれないから、亜人もみんな消さないといけないって言ってた。僕は確かめたくなったんだ。本当に吸血鬼が悪い生き物なのか、亜人を殺すべきなのか。本当のことを知りたくて森に入ったんだ」


 コリンの言葉を聞いてウィリアムは激しい怒りを覚えた。

 最初からアーロンとダニエルの標的はエルマーだったのだ。多くの犠牲を見てきたウィリアムにとって、身勝手なその行動原理は到底受け入れられるものではなかった。

 何より、エルマーに危機が迫っていると思うといても立ってもいられなかった。


「カミラ、二人を連れてガルのところに行ってくれ。大きな通りをまっすぐ進んだ先にいるはずだ。ジャックも一緒にいるはずだから、何か困ったことがあればあいつを頼れ。俺はエルマーのところに行く」


 ウィリアムは端的に指示を出し、カミラたちに背を向けて歩き始めた。背後からカミラの声が聞こえてきたが立ち止まらなかった。

 足早に進み、人混みを強引にかき分けていく。ダニエルの裏切りに対する怒りと、それに気づかなかった己への怒りが湧き上がる。それらの感情を全て包み込んでしまうほど大きな不安を、ウィリアムは抱いていた。エルマーの身に何かあったらと考えるだけで、胸の辺りが激しく痛んだ。


「吸血鬼だ。吸血鬼が飛んでいるぞ」


 突然、男の叫び声が耳に入った。どこか聞き覚えのある声だった。ウィリアムは足を止めて空を見上げた。

 そこにエルマーの姿はなく、代わりに視界へ飛び込んできたのは、雨のように降り注ぐ流星群だった。

 懐かしい景色に手を伸ばしかけたその時、一発の銃声が虚しく響いた。感じたことのない衝撃が走り、その後を追うように痛みと熱感が襲ってきた。

 状況を理解するよりも先に、ウィリアムは地面へと倒れ込んでいた。波が引くように周囲の人が彼から距離を取る。少し離れたところから取り囲む人たちが、ウィリアムの目には大きな怪物のように映っていた。


「ウィリアム!」


 アシュリーたちが駆け寄ってきたが、ウィリアムは声を発することができなかった。特に痛む中腹部へ触れれば、一瞬で手が真紅に染まった。

 ウィリアムのすぐ横に座ったカミラは、自分の着ていたコートをちぎり、止血するための布を用意した。その間、アシュリーは出血している箇所を強く押さえていた。コリンは必死にウィリアムの名前を呼び続けている。

 ウィリアムは仰向けのまま、朦朧とした意識でその様子を眺めていた。


「誰か手を貸してください」


 アシュリーは声を張り上げて周りの人たちに助けを求めた。

 しかし観衆は顔を見合わせたり、視線を逸らしたりするだけで、誰も前へ出る者はいなかった。アシュリーはさらに大きな声で呼びかけたが、状況は何も変わらなかった。


「そいつを助けてどうする」


 野次馬の最前列にいた男が声を上げた。心無い言葉に驚いたのか、アシュリーは大きく目を見開いた。


「その男が亜人と喋ってるのを聞いた。何か企んでるに違いないぞ。もしかしたら街を燃やしたのもそいつかもしれない」

「亜人が街を燃やしたんじゃないの?向こうの爆発も亜人の仕業だって聞いたわよ」

「それは違うわ。亜人が人間を助けているところを見たもの。火の中に入って何人も救い出していたわ」

「亜人が人間を助けるわけないだろ。俺たちを騙してどうするつもりだ?お前も亜人のスパイなんだろ?」

「私は本当のことを言っただけよ」


 人々の怒りが徐々に伝染していく。言い争う声はウィリアムの耳にも届いていた。段々と瞼が重たくなり、彼はゆっくりと目を閉じた。

 人々の怒鳴り声が脳内で父親の声へと変換されていく。虐待されていた頃の記憶が蘇り、ウィリアムは小さな子供にかえっていった。

 小さく縮こまって震えている彼に、黒い翼を生やした吸血鬼が手を差し伸べる。ウィリアムには彼がひどく眩しく思えて、顔がよく見えなかった。ただ握った手の感触だけは感じることができた。

 温かい幸福感に包まれながら、ウィリアムは意識を失った。


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