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61 手に入らないもの

 エルマーは瞼を開いた。ずっと高いところに星空があり、ゆっくりと手をかざす。芝生に寝転がったまま、ここが死後の世界なのかとぼんやりとした意識の中で考えた。

 時間の経過と共にだんだんと頭が冴えていき、ここが現実の世界であることに気づいた。

 自分がまだ生きていることに驚いたエルマーは、飛び起きて辺りを見渡した。近くに見知らぬ女が立っており、足元にはアーロンとカイの死体が転がっている。

 視線に気付いたのか、女はハッとした表情でエルマーを見た。素早い動きで銃を構える彼女に、エルマーは恐る恐る両手をあげた。


「驚かせてしまってすまない。事情があってここに忍び込んだのだけど、怪しい者ではないんだ。いや怪しい者ではあるかもしれないけど、君に危害を加えるつもりはないから安心してほしい」

「その目、まさか吸血鬼ですか?」


 必死に弁明しようとするエルマーを見て、女は怪訝そうに問いかけた。エルマーが正直に頷けば、彼女は銃を構えたまま一歩ずつ近づいて来た。


「アーロン様を殺したのはあなたですか」

「私は彼と話をしていただけだよ。撃ったのはそこに倒れている男だ。アーロンを撃った後に自害したんだ」

「その話を信じろと?」

「……できれば信じてもらいたい」


 自分が怪しい存在であるとわかっていたエルマーは弱々しく答えた。立ち止まった女が鋭いまなざしで彼を凝視する。目を逸らしてはいけないと直感的に悟ったエルマーは彼女を見上げたまま硬直した。

 永遠に感じられるほど長い沈黙のあと、女は銃を下ろした。


「何があったのか聞かせてもらえますか」


 女は近くに置いてあった椅子に腰掛けて言った。

 ほっと胸を撫で下ろしたエルマーは、戦争を止めるためにアーロンと交渉したこと、自分の命と引き換えに説得して話がうまく進んだこと、カイがアーロンを撃ちそのまま自害したこと、薬を飲んだせいで意識を失っていたことを、全て正直に話した。

 女は口を挟まずに最後まで話を聞き、深いため息をついたのだった。


「かなりまずい状況ですね。カイがアーロン様を殺したなんて教徒たちは信じないと思います。吸血鬼のあなたが殺したと決めつけるはずです。そうしたら何もかも無駄になってしまいます。あなたがアーロン様を説得したことも、ウィリアムさんが亜人を止めに行ったのも――」

「ウィリアムのことを知っているのかい?」


 エルマーは思わず女の言葉を遮ってしまった。彼の反応に女は少し驚いたような表情をした。彼女の答えを待つ時間さえ惜しく、エルマーはさらに質問を続けた。


「あの子は今どこにいるんだい?亜人を止めに行ったって、何か危険なことをしようとしているんじゃないだろうね?ウィリアムは一体何をしようとしているんだい」

「ウィリアムさんとどういう関係ですか」

「え?」

「素性がわからない相手には教えられません。あなたを完全に信用した訳ではありませんから。せめてウィリアムさんとどういう関係なのか答えてください」


 女の問いにエルマーは言葉を詰まらせた。

 答えを探して記憶の海に潜っていった。ウィリアムと過ごした日々が鮮明に浮かぶ、何気ない日常や避けられなかった衝突、どれも美しい色で彩られている。数え切れないほど積み重なった出来事がエルマーに答えを与えた。


「血が繋がっていなくても、私は家族だと思っている」


 エルマーは今まで言葉にしたことがなかった本音を口にした。彼の思いが届いたのか、女は「ウィリアムさんが守りたかったのはあなただったんですね」とどこか晴れやかな顔で言った。一体何の話かエルマーにはわからなかったが、彼女の表情を見て安堵したのだった。

 椅子から立ち上がった女はエルマーに手を差し伸べた。エルマーは戸惑いながら彼女の手を取り、ゆっくりと立ち上がった。


「自己紹介が遅れました。メリッサ・エイミスです。よろしくお願いします」

「ああ、よろしく。私の名前はエルマー・エバンスだ」


 二人は掴んだ手を利用してそのまま握手をした。メリッサは「詳しい話は後でしましょう。とにかくここを離れないと、誰かに見られたら大変なことになります」と言って手を離した。エルマーは俊敏な動きで駆けていく彼女の後を追った。

 馴染みのないアジトの敷地内を走りながら、彼は自身の体の変化に気づいた。いつも飢えていたはずの体が満たされていたのだ。血を飲んでいないのになぜ飢えが満たされているのか、不思議に思いながら足を進める。

 メリッサの案内に従っていると、突然彼女が大きな建造物の前で足を止めた。つられて立ち止まったエルマーはメリッサの横顔を見た。彼女は恐ろしいものを見たような顔で固まり「どうして弾薬庫が開いてるの」と呟いた。

 エルマーには状況が飲み込めず、首を傾げることしかできなかった。


「どうしたんだい?」

「……エルマーさんは先に逃げてください。私は後から行きます」


 メリッサはそれだけを言い残し、弾薬庫の中へと消えていった。置いて行かれてしまったエルマーは困惑しながらも彼女の言葉に従った。わざわざ塀に近づかなくても、漲っている力を使えば上空から逃げられると考え、翼を広げる。

 羽ばたこうとしたエルマーだったが、メリッサのことが気がかりで動けなかった。一人で逃げるか、それとも彼女を追いかけるか、しばらく悩んだ彼は翼をたたんで弾薬庫に足を踏み入れたのだった。

 中は薄暗く、開け放たれた出入り口から差し込む光だけが頼りだった。並べられた兵器に恐々としながら進んでいくと、大きな木箱の前で立ち尽くしているメリッサを見つけた。エルマーはすぐに彼女の元へと駆け寄った。

 気配を感じ取ったのか、メリッサは勢いよく振り返った。ひどく驚いたような彼女の様子を見て、エルマーはすぐに謝罪した。


「驚かせてしまってすまない。逃げようと思ったんだが、どうしても君を置いていけなかったんだ」

「私のことは気にしないでください。ここを調べたらすぐに行きますから」


 メリッサの言葉をうまく聞き流し、エルマーは周囲の状態を確認した。彼女がじっと見つめている木箱を一緒になって凝視する。木箱の中身は空であり、床に置かれた蓋にはいくつか文字が記されていた。エルマーはその文字を読んで木箱の中身が何だったのか理解した。


「そこに爆弾が入っていたのかい?」

「……誰かが盗み出したのかも」

「そういえばアーロンと話しているときに爆発音を聞いたよ」

「私も聞きました。もしかしたらこの爆弾が使われたのかもしれません。でも誰がこんなこと」


 メリッサが言葉を紡いでいたその時、一発の銃声が響き渡った。エルマーは咄嗟に翼を広げてメリッサを覆った。

 しかし被弾することはなく、エルマーは翼をたたんで辺りを見渡した。

 高く積み上げられた木箱の上に銃を構えている人間がいた。割れている窓から風が吹き込み、怪しい人間の着ているオーブが揺れる。フードを深く被っていて顔は確認できなかったが、体格から男であることはわかった。

 メリッサは対抗するように銃を構え、男に向かって声を張り上げた。


「今すぐ銃を下ろしてください」

「おいおい待てよメリッサ、俺はお前の味方だぞ?銃を下ろすのはそっちだ」


 男は場違いなほど明るい声色で言った。エルマーは男の声に聞き覚えがあったが、その正体が誰なのかまでは分からなかった。

 しばらく硬直状態が続いたが、観念したように男が銃を下ろして両手をあげたのだった。


「これでいいだろ。そんな怖い顔してないでさ、ちょっと話をしようぜ」

「話すことなんてありません」

「もしてかして俺が誰なのかわかってないのか?まあ最後に会ったのはずいぶん前だからな。お前はまだ子供だったし、覚えてないのも仕方ないか」

「……私はあなたなんて知りません」

「顔も見てないのにどうして言い切れる?」


 男の問いかけに、メリッサは悔しそうに唇を噛み締めた。力を込めているのか、銃を握る彼女の指先が白くなっている。

 男は銃を恐れる素振りなど一切見せずに、爆弾の入った木箱に座って足をぶらぶらと動かした。


「お前があっさり親父を裏切るなんてな。そんなに亜人かぶれの男が気に入ったか?」


 男の言葉を聞いて、メリッサは驚愕の表情を浮かべた。「あなたもしかして、アーロン様の」と言いかけた瞬間、それを遮るように男がわざとらしいため息をついたのだった。


「その呼び方どうにかならいのか?いかにも教祖って感じで気色悪いだろ。あーあ、だから言ったんだ。宗教で人を集めるなんて馬鹿げてるってさ」


 男は不機嫌そうに踵で木箱を叩きながら言った。どこか子供じみた彼の言動にエルマーは既視感を覚えた。じっと男を見上げていると、顔が見えていないはずなのに目があったような気がして、エルマーは思わず後退りした。


「メリッサの横にいるのが吸血鬼だろ?ずっと話してみたかったんだよ。人間の血を吸うときって何を考えてるんだ?」

「何を聞かれても答えるつもりはないよ」

「じゃあ、あんたが質問してくれよ。俺はなんだって答えるぜ」

「……ここに置いてあった爆弾を盗んだのは君かい?」

「ああ、そうだよ。さっき爆発する音が聞こえただろ?今ごろ街は大騒ぎだろうな。死んだ人達には申し訳ないけど、まあ尊い犠牲ってことで」

「目的はなんだ。どうして罪のない人を殺したんだ」

「どうしてって亜人を殺すためだよ。仲間がたくさん死んだらあんたが悲しむだろ?」


 男は当然とばかりに鼻を鳴らしながら答えた。

 彼が何を言っているのか、エルマーは理解できなかった。亜人を殺すために人間を虐殺するという矛盾した行動に、底知れない恐怖心を抱いた。

 エルマーが理解してないことを悟ったのか、男は「説明が足りなかったか」と呟き、饒舌に語り始めたのだった。


「亜人が街をうろついてる時に爆発が起きたら、みんな亜人の仕業だって思い込むだろ?大勢の犠牲者が出たらマヒュー教なんかよりも大きいところが動き出す。そもそも、この兵器を貸したのもあいつらだしな」

「あいつらって、一体誰のことだい」

「この国だよ。直接手を下さずに亜人を始末したかった国の奴らは、親父に手を貸していたんだ。でも頼みの綱だった親父が死んで、大勢の人間が殺されたら、国も黙っていられなくなるだろ。森は焼き払われて亜人は一匹残らず始末される。自分のせいで仲間が全員死んだら、あんたはきっと永遠に苦しみ続けるはずだ。これでようやく親父の夢が叶うってわけ」


 男の話を聞いて、エルマーは「殺したくても殺せないのなら、せめて死に等しい苦痛を与えよう」というアーロンの言葉を思い出した。亜人が殺されたのも、爆弾で大勢の人間が死んだのも、全ては吸血鬼である自分を苦しめるためだったのだ。

 到底受け入れるはずもない真実に、エルマーは膝から崩れ落ちた。深い絶望感に襲われて胸が張り裂けてしまいそうになる。


「正直言うとあんたには同情してるんだよ。親父はどうしても吸血鬼が許せなかったみたいだけど、別にあんたが親父の家族を殺したわけじゃないだろ?見てる限り悪いやつでもなさそうだし。でもそれが吸血鬼に生まれた運命だから仕方ないよな」

「……運命?」

「あんたの家に届けた吸血鬼の本読んだだろ?人間を魅了して思い通りに支配するみたいなこと書かれたけど、俺はちょっと違うと思うんだ。吸血鬼は人間を魅了するんじゃなくて、人間に強い執着心を与えるんだよ。それが愛か憎しみかはわからない。だから永遠の命を与えられても平穏な暮らしは一生手に入らないんだ。本当に酷い運命だよ」


 男はエルマーの反応を待たずに「お喋りはここまでにしよう」と言って立ち上がり、器用に木箱を登って窓へと向かっていった。オーブが風で揺れる様子はまるで翼のようである。

 エルマーには黙って男を見上げることしかできなかった。

 その隣でメリッサは銃を構えながら「止まれ」と叫んだ。男は動きを止めず、軽やかな動きで木箱を登っていった。


「もうここに用はないし、親父を神みたいに扱ってた奴らと一緒に死ぬのは御免だ。お前たちも早く逃げたほうがいいぜ。もう間に合わないかもしれないけど」

「……何を言ってるの?」


 意味深長な言葉を口にする男に、メリッサが声を震わせて問いかける。男は二人の背後を指差した。振り返れば、ちょうど男が発砲したあたりから白煙が上がっているのが見えた。

 最悪の展開に直面したエルマーは、絶望している暇などないと気づきすぐに立ち上がった。


「それじゃあ、お互い運よく生き残ったらまた会おうぜ」


 男は最後にそれだけを言い残して窓から飛び降りた。木に移ったのか、葉が擦れるような音が聞こえた。

 残されたエルマーは急いで出口に向かおうとした。

 しかし、メリッサが固まったまま動かなかったため、彼女を激しく揺さぶった。


「しっかりしなさい、メリッサ。早くここから逃げよう」

「もう間に合いません。これだけの爆弾があったら逃げても爆発に巻き込まれます」

「諦めちゃだめだ。人間の命は一回きりなんだよ。死んでも生き返る私の命よりもよっぽど価値がある。いざとなったら私が君の盾になるから、はやく――」

「みんなを置いて、私だけ逃げるなんてできません」


 白煙で濁った世界にメリッサの悲痛な叫びが響き渡った。

 エルマーは彼女の言葉を聞いて、ウィリアムと交わした会話を思い出した。メリッサの姿が過去の自分と重なり、違う立場から当時の状況を追体験する。彼女の優しさを踏み躙ってでも、それでも目の前の命を守りたいと思ってしまった。

 ウィリアムもこんな気持ちだったのかと、彼の葛藤を初めて知った。無知だった己を恥じながら、もう逃げないと覚悟を決めたのだった。


「メリッサ、よく聞いてくれ。これから私は君を抱えて逃げる。君の意思ではなくて私の意思だ。責任は全て私にあるし、君が心を病む必要もない。それでも罪悪感があるなら、私がその気持ちに一生寄り添うよ」

「……どうしてそこまでするんですか。よく知らない相手を命懸けで守ろうとするなんて」

「理由なんてない。君に生きていて欲しいと思うのも、君を助けるのもすべて私のわがままだ」


 エルマーは素早く腰にかけていた信号拳銃を手に取り、天井に向かって撃った。天井には穴があき、貫通した球が空を赤く染める。

 エルマーはすぐにメリッサを両手で抱え上げて、黒い翼を名いっぱい羽ばたかせた。「しっかり捕まっていてくれ」とメリッサに声をかけた彼は、勢いよく穴に向かって飛び上がった。

 空気を切り裂くように上昇したエルマーは、自らの体で穴をこじあけ、上空へと飛び出した。満ち足りた力を存分に使って羽ばたき、急いでアジトから離れる。

 次の瞬間、衝撃波と共に弾薬庫が爆発した。熱を持った強風が吹き付け、エルマーはバランスを崩す。必死に翼を動かして持ち直した彼は、振り返って爆発があった場所を確認した。

 そこで目にしたのは、一瞬で変わり果ててしまった街の様子だった。エルマーは信じがたい光景を前にして息をのんだ。


「ああ、そんな、なんてことだ」


 火の海から黒い煙が上がり、建物は木っ端微塵に吹き飛ばされてしまっている。アジトだけではなく、周りの広い範囲にまで被害が及んでいた。わずかに残った建物は火柱のように燃え盛っており、そこに生命の息吹は感じられない。多くの命が一瞬で燃えつくされてしまったのだ。


「ごめんなさい、ごめんなさい」


 エルマーの腕の中で、メリッサは声を上げて泣いていた。何度も同じ言葉を繰り返す彼女の声を耳にしながら、エルマーは飛び続けることしかできなかった。

 轟々と燃える炎を見つめながら、戦争を止めようとした結果がこれかと、自身の無力さを恨んだのだった。


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