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6 メドゥーサの家

「ここってたしか自殺の名所だったよな」


 ウィリアムは湖を見てぽつりと呟いた。大袈裟に肩を跳ね上げるアニーを横目に、エルマーは「昔の話だよ」と付け足した。もっと恐ろしい湖の噂を持っていたウィリアムだったが、呆れ顔のエルマーを見ておとなしく口をつぐんだのだった。

 ジャックの情報を頼りに、三人は湖の周辺を探索していた。湖の真ん中に小島があり、そこに噂の家が建っているようだった。中の様子までは見えないが不気味な鳥の石像が並んでいる。

 エルマーは手帳を取り出し、ジャックから聞いた情報と怪しい家を交互に確認した。


「ジャックが言っていたのはあの家かな」

「だろうな。でもあの島には近づけないぞ。渡れそうな橋もないし、ボートもない」

「知り合いに手伝ってもらえないか聞いてみるよ。彼ならひとっ飛びであの島に着くはずだ」


 エルマーは器用に指笛を鳴らした。その音に吸い寄せられるように、どこからともなく小さな妖精が現れた。ポケットからコインを取り出したエルマーは、それを妖精に差し出して微笑みかけた。


「やあフェリ、巨人のアレックスに伝言を頼む。手伝ってほしいことがあるから湖に来てくれと伝えてくれ」


 コインを受け取ったフェリは瞬く間に消えて、一分も立たないうちに戻ってきた。彼女はこそこそとエルマーに耳打ちした。

 大袈裟に肩を落とすエルマーを見て、ウィリアムは断られたのだと察した。


「ビーフシチューを煮込んでいるから手が離せないって」

「お前の知り合いは変なやつしかいないな」

「君に言われたくないよ」


 ウィリアムは頭を掻きながらアニーを見下ろした。妖精の出現に驚いているのか、彼女はきょとんとした顔で突っ立っていた。


「船を用意するのに時間がかかる。続きは明日でいいか?」

「もちろんです」

「いや、こうなったら最終手段を使おう」


 エルマーは目を細めて得意げな笑顔を浮かべた。彼の笑顔を見て、ウィリアムは思わず顔をしかめてしまった。


「おい待て、嫌な予感がする。その顔はなにか企んでる顔だろ」


 ウィリアムの声を無視してエルマーが大きく息を吸い込んだ。息を吐き出すのと同時に、彼の背中から邪悪な黒い翼が生えてくる。

 目を丸くしているアニーの横で、ウィリアムも黒い翼を興味深く眺めていた。普段は翼が見えないため、どうやって収納しているのか知りたかったのだ。長年の謎を解き明かそうとしたが、どれだけ観察しても真相は掴めないままだった。


「私が君たちを運べば問題解決だね」

「いいわけないだろ、やめとけ」

「どうして?飛び方は忘れてないよ」

「理由はお前が一番よく分かってるだろ」

「君がどうしても嫌なら、私と彼女だけで行ってくるよ。君の助けが必要だったけど無理強いはできない」


 エルマーはどこか芝居がかった口調で話し、「失礼」と言ってアニーの手を握った。ウィリアムはまんまと踊らされている自分に苛立ち、大きな舌打ちをした。「行けばいいんだろ行けば」とやけになり、空いているエルマーの左手を掴む。

 最初からこうなることがわかっていたのか、エルマーは誇らしげな表情を浮かべた。


「せーので飛ぶよ、せーの」


 エルマーの掛け声で三人は同時に飛び跳ねた。

 翼を大きくはためかせたエルマーだったが、思っていたよりも高くは飛ばず、ウィリアムとアニーの足先が湖に浸かっていた。いつ落ちてもおかしくない状況にアニーは悲鳴を上げ続けていた。


「ちょっと低くないですか!」

「も、もう少し、もう少しだから」


 苦しそうな表情を浮かべてエルマーは言った。彼の力を信じておとなしく待っていると、数分で目的地の小島に辿り着いた。二人を地面に下ろしたエルマーは崩れるように地面へ倒れ込んだ。


「だからやめとけって言ったんだ」


 すぐに駆け寄ったウィリアムは、持っていた傘を置いてエルマーを抱え上げた。真っ青な顔を見下ろし、アニーに視線を移す。「傘を持ってくれ」と彼女に言って、ウィリアムは先頭を切って歩き始めた。アニーは落ちていた傘を拾い、すぐに彼の後を追った。

 ぽつんと佇む一軒の家まで石畳の道が続いていた。道の両側には鳥の石像が無造作に転がっている。

 アニーは悍ましいものを見るような目で石像を見てから、ウィリアムに視線を移した。


「エルマーさんは大丈夫ですか?」

「ただの燃料切れだ。ろくに食べてないこいつが悪い」

「……吸血鬼ってことは、やっぱり人間の血を飲むんですよね?」

「だったらなんだ。軽蔑するのか?」

「いえ、そうわけではないですけど」

「エルマーは血を飲まないし、人間を殺すような野蛮なまねはしない。それがこいつのポリシーだからな。ずっと腹を空かせてるせいですぐに力尽きるんだ」


 ウィリアムはエルマーの軽すぎる体重を感じながら語った。思うことがあったのか、アニーはそれ以降口を閉ざしてしまった。気まずい沈黙の中に二人の足音だけが響いていた。

 家の前までやってくると、大木にかかったブランコがあり、そばにはベンチも置かれていた。ウィリアムはエルマーをベンチに座らせ、気絶している彼をじっと見つめた。自分の着ていたジャケットをかけてやり、深呼吸をして気持ちを切り替えたのだった。


「夜明けまでに決着をつけるぞ」


 ウィリアムは面倒ごとを片付ける覚悟を決めて、忌々しい雰囲気を放つ家に歩み寄った。

 扉まで続く階段を上がろうとしたが、突然アニーが「あの」と彼を呼び止めた。ウィリアムは立ち止まり、振り返って彼女と向かい合った。


「どうした」

「……クレアに会うべきでしょうか」

「そのためにここまで来たんだろ」

「怖いんです。もしかしたら、クレアは家族全員を恨んでいて、本当は私のことも石にするつもりだったんじゃないかって。今でも私を憎んでいたらどうしようって、考えてしまうんです」


 アニーは夜風でかき消されてしまいそうな弱々しい声で言った。縮こまった身体は子どものように小さく見えた。


「ずっとそこに突っ立てるつもりか?真実から逃げたまま生きていたいなら、それでもいい」


 ウィリアムはあえて厳しい言葉を投げかけた。彼女に必要なのは慰めではないと気づいていたからだ。

 アニーはうつむいたままスカートを握り込んだ。なかなか動き出そうとしない彼女を見て、ウィリアムはまだ伝えなければいけない言葉があると悟った。


「俺があんたを守る。話をするのが怖いなら代わりに話してやる。だから逃げるな」


 ウィリアムは照れ臭い気持ちを隠すために頭を掻いた。

 彼の気持ちが伝わったのか、アニーはこくりと頷いてエルマーから借りた帽子を深くかぶり直した。まっすぐ見つめてくる彼女の目からは、もう弱さを感じなかった。


「ウィリアムさん、ありがとうございます。あなたがいい人でよかったです」

「俺はいい人じゃない」

「いい人ですよ。私が保証します」


 アニーは顔をあげてにっこりと笑った。気恥ずかしさから、ウィリアムは無愛想にそっぽをむいたのだった。

 二人は急な階段を上って扉の前にやってきた。ドアノッカーがついていなかったため直接扉を叩く。反応がなくもう一度ノックをすれば、中からすり足で歩くような音が聞こえてきた。


「どちらさまですか」


 扉の向こうから聞こえてきたのは、か細い女の声だった。


「ウィリアム・エバンスと申します。こちらはクレア・マクラーレン様のお宅でしょうか」


 ウィリアムはできるだけ警戒心を与えないよう丁寧な話し方をした。

 中の女はしばらく黙り込み、緊迫した空気が流れ始めた。


「……そうですけど、誰からその名前を聞いたんですか?」

「アニーさんからお聞きしました」

「アニーが?」


 クレアの声に動揺が滲むのを感じながら、ウィリアムは一歩前に出て近づき、さらに言葉を続けた。


「あなたにお聞きしたいことがあります。扉を開けて頂けないでしょうか」


 ウィリアムの声を最後に長い沈黙が訪れ、静寂の中に夜風が吹き込んだ。

 足音が遠ざかっていったかと思えば、再びそれが近づいてきた。ガチャガチャと鍵を開けるような音が聞こえて、扉がゆっくりと開く。

 中から顔を出したのは目隠しを付けたメドゥーサだった。頭の蛇がシャーと牙を剥き出しにして威嚇している。


「失礼します」


 ウィリアムは躊躇せずに足を踏み入れた。続いてアニーも家の中に入り、玄関の扉を閉めた。


「お連れの方はどなたですか 」


 鋭い指摘にアニーが歩みを止める。二人分の足音を聞いて驚いたのか、クレアは警戒した様子だった。

 まだ正体を明かすべきではないと、ウィリアムは直感的に悟った。


「私の友人です。彼女も同席させてよろしいでしょうか?」

「……ええ、かまいません」


 ウィリアムが気転を効かせてなんとか危うい状況を脱した。

 家の中は整理整頓されており、リビングの中央に木製の椅子が一つ置いてあった。カーテンは全て閉められていて、蝋燭の火が唯一の明かりだった。

 クレアはゆっくりとした足取りで椅子に座り、ウィリアムとアニーは少し離れたところに立っていた。


「それで、お話というのは?」

「十年前に起きた事件についてです」


 ウィリアムが言葉を発したその瞬間、クレアの表情がわかりやすく曇った。蛇がウィリアムに襲い掛かろうとしたが「やめなさい」というクレアの一言でおとなしくなった。背筋を伸ばして座る彼女の姿には凛とした強さがあった。


「単刀直入にお聞きします。ご両親を石にしたのはあなたですか」


 ウィリアムは真剣な眼差しで彼女に問いかけた。返答に悩んでいるのか、クレアは即答しなかった。ただ細い指先を組み、考え事をしているようだった。


「真実をお話しますから、一つだけ約束してほしいことがあります。もうここには来ないでください」


 クレアの条件を聞いたウィリアムは即座にアニーへ目線を送った。彼女は小さく頷き、迷いのない眼差しでウィリアムを見上げた。その目から強い意志を感じたウィリアムは「わかりました」とクレアに伝えた。

 椅子の背もたれに身体を預けたクレアは、指を浅く組んだままぽつりぽつりと話し始めた。


「私は両親を石にしていません」


 クレアの言葉を聞いてウィリアムは目を見開いた。その隣で、アニーは表情一つ変えなかった。


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