59 流星群(回想)
「なんで望遠鏡の使い方を知らないんだよ」
「これは友人が置いていったものなんだから仕方ないだろう。これがなくても星は見えるよ。使うのはまた今度にしよう」
「重たいガラクタをここまで運んだ俺に何か言うことはないか?」
「おつかれさま」
エルマーは悪びれもせずににっこりと微笑んだ。
深いため息をついたウィリアムは、組み立てたばかりの望遠鏡を片付け始めた。ピントの合わない筒はただのガラクタとなり果てていた。
早々に望遠鏡から手を引いたエルマーは、裏庭のベンチに腰かけて頭上を見上げた。夜空で星が瞬いていたが、肝心の流星群はまだ流れていなかった。
「先にシフォンケーキを食べるかい?」
「星見ながら食えって言ってなかったか?」
「流れそうにないからさ、お腹が空いてしまうんじゃないかと思って」
「もうそろそろ流れるはずなんだけどな」
ウィリアムはベンチに置かれていたバスケットを覗き込んだ。一緒に中を覗き込んだエルマーは「これが紅茶のシフォンケーキで、こっちにはレモンが入ってるよ」と指差ししながら説明した。丁寧に切り分けられたシフォンケーキが布に包まれており、紅茶やレモンの香りがする。
ウィリアムはシフォンケーキと夜空を交互に見て、紅茶のシフォンケーキを手に取った。ベンチに腰掛けて、柔らかなそれに齧り付く。大きく口を開く彼の姿をエルマーは隣で見つめていた。
「おいしいかい?」
「うまい」
何度目かわからないやり取りをして満足したエルマーは空に視線を移した。美しい星空を眺めながら、素朴な疑問をウィリアムに投げかけたのだった。
「どうして流れ星を見たいと思ったんだい?」
「願い事しようと思って」
ウィリアムはシフォンケーキを頬張りながら答えた。エルマーは彼の意外な返答に微笑んだ。我慢しようとしても自然と表情がほころんでしまい、笑みをこらえることができなかった。
「おいなんで笑ってんだ。馬鹿にしてるだろ」
「馬鹿になんてしてないよ。とても純粋で美しい感性だなと思ったんだ」
「悪かったな子どもっぽくて。こっちはまだ十五年しか生きてないんだよ。そういうエルマーはどうなんだ。星に祈ったことくらいあるだろ?」
「そりゃあ一回くらいはあるよ。この森で暮らし始めたばかりの頃、人間も亜人も平和に暮らしていけますようにって星に願ったんだ。でもその願いは叶わなかった。人間と吸血鬼の戦争が始まって、大勢の亜人が巻き込まれた。私の願いは欲張りだったのかもしれないと思って、それから星に祈るのはやめてしまったんだ」
エルマーは星を見上げながら一つずつ言葉を紡いだ。鼻にこびりついた血のにおいを感じて、一瞬だけ顔をしかめる。地上がどれだけ血濡れていても、星は空の上で煌々と輝いていた。
「じゃあ俺が代わりに願ってやるよ」
「え?」
「人間と亜人が共存できるように願えばいいんだろ」
「私のことは気にしなくていい。君は自分の願い事をするんだ」
「俺の願いは五年後にするからいいよ。人間と亜人が共存しないと、俺の願いも叶わないし」
「君は何を願うつもりだったんだい?」
エルマーは素直な好奇心を振りかざした。遠慮のない質問に戸惑ったのか、ウィリアムは困った様子で頭をかいた。
「そんな顔しても絶対に教えないぞ」
「そんな顔って?」
「見たことない虫を見つけて興味津々みたいな顔」
「虫にはあまり興味がないから、分からないな。ハエ座という星座があることは知っているよ」
「……とにかく、俺が人間と亜人が仲良くなりますようにって祈ってやるから、それでいいだろ」
ウィリアムは無愛想に吐き捨てた。
彼が残ったシフォンケーキを口に放り込んだ瞬間、一筋の光が空を横切った。それを見逃さなかったエルマーは、椅子から立ち上がって夜空を指差した。
「いま星が流れたよ。ちょうどあの辺りだ」
「願い事は三回しないと叶わないらしいぞ」
「三回も?それは真剣に願わないといけないね」
二人はようやく流れ始めた星を見上げた。ウィリアムが瞼を閉じて星空に手を合わせる。
真剣な横顔を見つめたまま、エルマーは改めて自分の願いが何なのかを考えた。世界平和や幸せといった、もっともらしい願いがいくつか浮かんだ。
しかし、本当の願いが心の奥底に眠っており、強欲な願望から目を逸らすことできなかった。
エルマーは瞼を閉じて願い事をした。星に期待などしていなかったが、それでも願わずにはいられなかった。
願いを心の中で三回唱えて、瞼を開く。眼前に迫ってくるような美しい星を見ていると、今ならあの輝きを掴めそうな気がして、彼は夜空に手を伸ばした。当たり前だが星を掴めるはずもなく、彼らは無謀な挑戦を笑うように遠くで輝いているだけだった。夜空にかざした手を下ろしたエルマーは、ちょうど目を開いたウィリアムに視線を向けた。
「願い事は成功したかい?」
「亜人と人間が共存できるようにって、ちゃんと願ったよ。この願いが叶えば、もう戦争が起きることもないし、誰かが傷つくこともない。俺は自由に森で暮らせて、エルマーも安心して眠れる。叶えば最高の世界になるな」
「そうだね。今回だけは星を信じることにするよ」
「エルマーは何を願ったんだ?やっぱり亜人と人間の共存?」
ウィリアムの問いかけに、エルマーは答えられなかった。一瞬の沈黙が妙に長く感じて息が詰まる。エルマーは真実と偽りの間で揺れて、後者を選んだ
「ウィリアムがずっと幸せでありますようにって願ったよ」
エルマーは笑顔を貼り付けて答えた。ウィリアムは照れ臭そうにそっぽをむき「そんなの願わなくたって自分でどうにかするよ」と言った。
嘘をついてしまった罪悪感で胸を痛めたエルマーは、負の感情を誤魔化すために彼の頭を撫でた。まるで髪の毛をかき混ぜるようにくしゃくしゃと撫でる。髪を乱されたのが気に食わないのか、ウィリアムは不機嫌そうに口を尖らせた。
エルマーは彼の反応を見て満足し、再び流星群へ視線を向けた。目の前の美しい景色とは裏腹に、心には大きな影が差していた。願いを叶えてほしいという素直な気持ちと、叶えてはいけないという現実的な問題が重なり、そこに光が当たらなくなる。
エルマーは影の存在に気づかないふりをして、今ここにある穏やかな時間に意識を向けた。
「星を見終わったら寝る準備をしないとね。子守唄でも歌ってあげようか」
「子ども扱いすんなよ。朝になったら寝るからほっといてくれ」
「だめだよ。子どもは眠らないといけないんだ。夜更かしすると成長しないよ」
「一晩中起きてるやつに言われたくない」
「私は吸血鬼だからね。太陽が昇るのと同時に眠るのが規則正しい睡眠なんだ」
「……見とけよ。そのうち身長抜かしてやるから」
「それは楽しみだね」
星を見つめたまま、二人は何気ない会話をした。少しずつ流れる星の数が減っていって、いつも通りの風景に戻っていく。
エルマーは隣にいるウィリアムの凛々しい表情を盗み見た。すぐに背丈を抜かされて、どこへでも飛び出していけるくらい強い人になると、未来を悟った。吸血鬼にとって人間の一生など取るに足らない時間だが、それがどれだけ貴重なものか理解していたため、エルマーはこの一瞬を忘れたくないと強く思った。




