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56 背中(回想)

 意識を取り戻したとき、エルマーが最初に感じたのは顔に当たる雨粒だった。瞼を開けば、すぐそこに雨空があり、仰向けで倒れていることに気づいた。

 膝から下に激痛を感じながら、ゆっくりと上体を起こして足元を確認する。両足が倒れた大木の下敷きになっているのが目に入り、エルマーは絶望した。なんとか大木を動かそうと手で押してみる。

 しかし大木はびくともせず、パチパチと木が燃える音が聞こえた。どうやら雷が落ちて着火したらしく、枝や葉はいまだに燃え続けていた。

 エルマーはどうするべきか考え、残った力を全て使いこの大木を動かすことに決めた。飢餓状態の身体ではどうなるかわからなかったが、他に選択肢はなかった。


「……大丈夫、今まで生き残ってきたじゃないか」


 自分を鼓舞する言葉を口にしてから、エルマーは持ち合わせた力をすべて使って大木を押した。身体を二つに裂かれるような激痛に襲われ、獣のような叫びを上げる。自分の命がすり減っていくのを感じたが、それでも力を緩めることはなかった。

 生きてウィリアムを迎えにいくという執念と、人間よりも遥かに強い力を持つ吸血鬼の能力だけが頼りだった。

 エルマーは諦めずに大木を押し続け、ようやくそれが転がった。圧迫される痛みからは解放されたが、足は潰れて見るも無惨な状態であった。

 エルマーは涙目になりながら、近くに落ちていた傘に手を伸ばした。傘をつかんだエルマーは、痛みに顔を歪めたまま地面を這って進んだ。放っておいても足が再生すると知っていて、それを待たずに進み始めたのは、一刻も早くウィリアムを見つけたい気持ちがあったからだった。

 無様に地面を這いながら、か細い声でウィリアムを呼ぶ。体力はとっくに限界であり、目の前の視界がぼやけ始める。

 もうどれだけ進んだかもわからなくなった頃、遠くから声が聞こえてきた。聞き覚えのある声は確かにエルマーの名前を呼んでいた。

 彼は動きを止めて前を向いた。ぼやけた視界の焦点が少しずつ定まってくる。はっきりと見えたのは、花を抱えて駆け寄ってくるウィリアムの姿だった。


「エルマー、その足……」


 すぐそばまでやってきたウィリアムは真っ青な顔で言った。エルマーは「大丈夫。放っておけばそのうち治るよ」と強がったが、本当は鋭い痛みを感じていた。

 ウィリアムは明らかに動揺した様子だったが、そのうち覚悟を決めたような表情に変わった。彼は持っていた花をその辺に放った。八重に咲いた白色の小花が地面に叩きつけられる。彼は軽々とエルマーを背負って、何も言わずに歩き始めた。

 エルマーはウィリアムの力強さに驚きながら、背中から彼の成長を感じていた。せめて傘をさしてあげようと持っていた傘を開く。ポツポツと雨が当たる音に耳を傾けながら、エルマーは瞼を閉じた。


「なんだか懐かしいね。君がゴブリンとの喧嘩に負けたのが悔しくて、なかなか帰ってこなかった日があっただろう。あの時、泣き疲れて眠った君を背負って帰ったんだ。まさか私が背負われる日が来るなんて思わなかったよ」


 瞼の裏に映る懐かしい記憶に、エルマーは微笑みを浮かべた。過去の記憶が愛おしく、まるで昨日のことのように思い出すことができた。


「ごめん」


 ウィリアムはとても小さな声で言った。エルマーがそれを聞き逃さなかったのは、いつ彼が話し始めてもいいよう耳を澄ましていたからだった。


「さっきの話だけどね、君の言っていることが正しいと思うんだ。吸血鬼になったら君は堂々とこの森で生きていけるし、私は失った同族を取り戻すことができる。最善の策だと頭ではわかっているんだ。でも私は、君に永遠の命を与えるのが怖い。永遠がどれほど長くて辛いものか知っているから、君にその呪いをかけるのが怖いんだ」


 エルマーは素直な気持ちを伝えた。

 彼は永遠に対して漠然とした恐怖を感じていた。知り合いの吸血鬼が永遠に続く日々に絶望して自害したことがあり、自ら心臓を貫く姿に酷くショックを受けた。彼にとって永遠は緩やかな死だったのだ。


「エルマーの気持ちはわかった。でも俺は諦めないから。エルマーが俺を選んでくれるまで、ずっと待ってるから」


 ウィリアムは迷いのない口調で言い切った。

 彼の気持ちを聞いて、エルマーは複雑な心情を抱いた。ふと「吸血鬼は人間を無意識のうちに魅了し、自分の支配下におく」という言葉が脳裏をよぎったからだ。いつかこの子を手放さなければいけない日が来たとして、自分にはそれができるだろうかと不安になる。

 エルマーは自分自身の執着心に気づいてしまっていた。無意識でなく、自分の意思でこの人間を自分の手元におこうとしていたのだ。


「明日の夜、星を見ようと思うんだけど」


 ウィリアムは唐突に新しい話題を口にした。エルマーは驚いて「星?」と同じ言葉をなぞることしかできなかった。


「地底街で会った獣人に、明日は流星群が見れる日だって教えてもらったんだ。五年周期だから明日を逃すと五年後になるらしい」

「星に興味があるなんて知らなかったよ」

「別に星はどうでもいいんだ。どうしても流れ星を見たいだけ」


 ウィリアムの矛盾した言葉にエルマーは首を傾げた。とにかく流れ星が見たいと豪語する彼はどこか子供っぽく、まだ幼い部分が残っているのだと気づいて笑った。ちぐはぐな部分が無性に愛おしくなったのだ。


「私も一緒に行こうかな。流星群を見るのは百年ぶりだ」


 エルマーは百年前の記憶を遡った。ノアと見上げた流星群を思い出し、彼との苦い記憶に胸が痛んだ。感傷的になっている場合ではないと、エルマーすぐに気持ちを切り替えた。


「帰ったら明日の計画を立てよう。庭で見てもいいし、屋根にのぼってもいい。望遠鏡も準備しよう。美味しいケーキと紅茶も必要だね」

「全部俺が食うことになるんだろ」

「もちろん。私が作って君が食べる。役割分担だよ」

「じゃあ紅茶のシフォンケーキを作ってくれよ」

「君はそればかり言うね。飽きないのかい?」

「あれが一番うまいんだ」


 たわいない会話を続けていくうちに、エルマーの足は少しずつ元の形に戻っていった。痛みが和らいでいくのを感じながら明日の夜に期待を膨らませる。

 エルマーは心地よい揺れの中で、弱くなる気配のない雨音に耳を傾けたのだった。


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