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54 狂わされた二人

 オイルランプの火がゆらゆらと揺れている。

 物が極端に少ない部屋で、ウィリアムは机に向かっていた。手には羽ペンを持っており、つらつらと便せんに文字を書いていく。宛名はエルマーの名前であり、彼に向けた言葉を一つずつ書き留めていった。

 黙々とペンを走らせいてたが、ウィリアムは突然手を止めてせっかく書いた手紙をびりびりに破いてしまった。


「手紙なんて残しても意味ないな。どうせ全部燃えてなくなるんだから」


 自嘲ぎみに笑いながら羽ペンを置き、ゆっくりと振り返ってまとめられた荷物を見る。

 目に留まったのはエルマーからもらったブリキ缶だった。蓋を開けた瞬間に広がる紅茶の香りに誘われて、中に入っているクッキーを一口食べる。まともに食事をとれる精神状態ではなく、すぐに食べる手が止まった。

 しかしウィリアムにはどうしてもそれを残すことができなかった。ベッドに腰かけた彼は、たかが外れたようにクッキーを口に詰め込んだ。飢えた獣のごとくクッキーを貪り食う姿は狂気に満ちていた。

 空になったブリキ缶を手放したウィリアムは、オイルランプを灯すのに使った油とマッチをポケットに入れて、それ以外はなにも持たずに部屋を飛び出した。

 就寝時間を過ぎているため、廊下に教徒たちの姿はない。ウィリアムは足音を立てぬよう注意しながら、薄暗い廊下を進んでいった。

 椅子に座って宿舎を見張っている教徒がいたが、大抵この時間は居眠りしていると知っていたため脅威ではなかった。居眠りしている教徒の前を堂々と通り、急いで一階に向かった。

 正面入り口には見張りが二人もいるため、警備が手薄な一階男子トイレに入る。そこにはちょうど人一人が通り抜けられそうな窓があった。ウィリアムは開いた窓から身を乗り出し、音を立てずに外へ出た。

 頭の中に地図を展開しながら弾薬庫へ向かう。記憶だけを頼りに弾薬庫へ辿り着いた彼は、茂みに隠れて周囲を見渡した。夜勤の教徒が遅れているのか、弾薬庫の見張りは誰もいなかった。

 人がいないことを確認したウィリアムは入口へと駆けていった。扉には頑丈な鉄の鍵が付いており、思わず舌打ちをする。すぐに別の入口がないかと辺りを確認すれば、建物の上部に小窓を見つけた。

 しかしどれだけ手を伸ばしても届かない位置にあり、開けることは困難だった。ウィリアムは覚悟を決めて近くの木を登り、へし折った枝で窓を叩き割ろうとした。

 何度目かにようやく窓が割れて、無理やり小窓の枠の間に体を捩じ込む。幸い中には荷物が積み上げられており、それを足場にして降りることができた。

 ウィリアムは床に降り立ったが、中は相当暗く、窓から差し込むわずかな月光だけが頼りだった。慎重に歩いていた彼は、目の前に現れた衝撃の光景に立ち止まった。

 視界に入ったのはおびただしいほどの兵器だった。大砲や砲弾、ダイナマイトなど、大量の兵器を前にして息が詰まった。


 ――亜人の巣窟を焼き払い我々の楽園を作るのだ。


 脳内でアーロンの声が大きく響き渡った。森が豪炎に飲み込まれていく様を想像し、深い絶望感に襲われる。負の感情を受け止めきれず、ウィリアムは一歩後退りした。

 その時、背後から大きな物音と共に光が差し込んできた。


「ウィリアム・レイナー、今すぐ両手を上げてひざまずけ」


 弾薬庫に女の声が響きわたった。その声がメリッサのものだと気付いたウィリアムは、手を上げずにゆっくりと彼女の方を向いた。

 開いている武器庫の扉の向こうから月明かりが差し込んでいた。


「俺はウィリアム・エバンスだ。いつからそんな口聞くようになったんだよ、メリッサ」

「……言う通りにしてください。私だってあなたを殺したくないんです」


 メリッサはウィリアムに銃口を向けたままくしゃりと表情を歪めた。

 切なげな顔をする彼女を前に、ウィリアムは平静を装った。銃に怖気付くこともなく、ポケットからオイルを取り出して周囲にすばやく撒いた。

 次にマッチを取り出したが「動くな」とメリッサに制止された。ウィリアムはいつでも火をつけられる状態だったが、動きを止めてまっすぐメリッサを見つめた。


「お前には撃てない。撃てるならとっくに俺を殺してるはずだ」

「馬鹿にしないでください」

「手が震えてるぞ。人間を殺すのは初めてか?いくら亜人を殺しても人間相手だと躊躇するんだな」


 ウィリアムの挑発が的を得ていたのか、メリッサは悔しそうに唇を噛み締めた。彼女の弱さを目の当たりにしたウィリアムは、どうせ最期だからと真実を明かし始めたのだった。


「俺は嘘をついてたんだ。アーロンの言葉に感銘なんて受けてないし、亜人を殺したいなんてこれっぽっちも思ってない。本当はずっと、反撃の機会がないかって探ってたんだ。ようやく見つけたよ。マヒュー教の奴らにはこの兵器と一緒に吹き飛んでもらう」

「そんなことをしたらあなたも――」

「亜人を守って死ねるなら本望だ」


 ウィリアムは微笑を浮かべ、メリッサに背を向けた。撒かれた油を見下ろし、手に持っているマッチ棒に視線を移す。不思議と死に対する恐怖心は微塵も感じていなかった。


「死にたくなかったらさっさとここを離れろ。塀を越えてできるだけ遠くに走るんだ」

「嫌です」

「何をしたってお前には止められないんだ。いい加減諦めろ」

「……あなたを放っておけないんですよ」

「監視対象に情が移ったのか?」

「違います」

「じゃあ何だ」

「あなたは私と同じだから。亜人に運命を狂わされた人だから」


 メリッサは声を張り上げて言った。ウィリアムには彼女がどんな表情をしているのか、わからなかった。

 しかしその言葉に嘘がないことは、彼女の声を聞けばわかった。


「それにまだ、木苺のケーキをもらってません。約束しましたよね。買ってきてもらうまで意地でもここを動きませんよ」


 メリッサの言葉や存在が、ウィリアムの心を揺さぶり始めた。火をつけることにためらいが生まれ、彼の覚悟が根底から崩れていく。

 このままではいけないと、ウィリアムは彼女を遠ざけるために自ら禁忌に触れたのだった。


「お前の友達を殺したのは俺だ」

「……え?」


 ウィリアムは振り返りってメリッサと正面から向かい合った。無意識のうちに封じ込めていた罪の意識がよみがえり、呼吸が苦しくなる。逃れられない罪悪感に彼の心臓は押し潰されてしまった。


「オリヴィアってやつを銃で撃った。お前と同じ鳥のタトゥーを入れたやつだ」

「そんなはずありません。だって、オリヴィアは亜人に殺されたって、討伐の最中に襲われたって」

「違う。俺が殺したんだ」


 ウィリアムは誤魔化さずに断言した。メリッサは現実を受け止めきれないのか、酷く目を泳がせていた。


「オリヴィアは別の人物になりすまして俺たちに近づいてきた。メドゥーサの姉を探して欲しいって頼み込んできたんだ。メドゥーサの名前はたしか、クレア・マクラーレンだ。クレアを見つけて会いに行ったら、急にオリヴィアが銃を取り出して、そのままクレアを撃ち殺した。それからオリヴィアと言い合いになって、俺が彼女を――」


 ウィリアムが当時の状況を説明していたその時、突然メリッサが持っていた銃を落とした。メリッサは真っ青な顔で震えており、明らかに様子がおかしかった。


「私のせいだ。あの子にクレアのことを話したから、憎くても殺せないって言ったから、私の復讐をあの子に押し付けてしまった」


 メリッサは両手で顔を覆い、悲痛な声をあげた。ウィリアムは彼女の言葉を脳内で何度も繰り返して、ある可能性に直面した。信じられないようなそれは、運命と呼ぶにはあまりに残酷なものだった。


「お前、アニーか」


 ウィリアムが口にしたのは、クレアの妹の名前であり、オリヴィアが成りすましていた人物の名前でもあった。メリッサはうつむいたまま何も答えなかった。否定していない時点でそれが答えだと悟ったウィリアムは、衝撃の事実に言葉を失った。


「どうしてオリヴィアを殺したの?クレアを撃ったから?あのメドゥーサは私から何もかも奪った。死んで当然なのに」

「それは違う。クレアは君を愛していた」

「家族を殺したのに?私をおいて逃げたのも愛だっていうの?あの事件のせいで私は一人になった。生きるために何度も何度も亜人を殺した。本当は殺しなんてしたくなかった。あの森で静かに暮らしていたかっただけなのに、全部クレアのせいよ」


 メリッサは心の底に眠っていた本音を吐き出すように、怒りに満ちた声色で言葉を紡いだ。彼女の目からは真珠のような涙がこぼれ落ちていた。

 泣いているメリッサを前に、ウィリアムはどこまで真実を伝えるべきか迷っていた。真実が彼女を深く傷つけることはわかっていたが、それでも伝えれなければいけなかった。彼女が落ち着くのを待ってから、ウィリアムはあの事件の真相を語り始めたのだった。


「最初に家族を殺したのはお前の母親だ」

「……なんの冗談ですか」

「クレアから聞いたんだ。気を病んだお前の母親は家族と心中しようとしていた。お前の父親が死んだのも、飼っていた鳥が死んだのも、全部母親のせいだ。クレアはお前だけでも守ろうとして戦った。それで母親を石にしたんだ。お前には何も告げずに、クレアは全ての罪を背負って逃げた。これがあの事件の真相だよ」


 ウィリアムは真剣な表情で真実を語った。あまりの衝撃に言葉を失っているのか、メリッサは一言も言葉を発しなかった。


「この話が本当だって証拠はないし、クレアが嘘をついている可能性もある。だからお前が答えを出すべきだ」

「……私が、答えを?」

「クレアを信じるのか疑うのか、お前が決めていい」


 ウィリアムは最後の決断をメリッサに委ねた。彼女はしばらく黙り込んでいたが、どこかあきらめたような表情で、ぽつりぽつりと語り始めた。


「クレアは憧れの存在でした。綺麗で、賢くて、優しくて、クレアのようになりたいといつも思っていました。だからどうしても、クレアが家族を殺したなんて信じられなかった。憎くても殺せなかったのは、心のどこかで、まだクレアのことを信じたいと思っていたからかもしれません」

「それがお前の答えなんだな」

「……クレアは私について何か言っていましたか?」

「一緒にいられなくても、お前の幸せを願ってるって」


 ウィリアムがクレアの言葉を伝えた瞬間、メリッサの顔が悲しみで歪んだ。彼女は膝から崩れ落ち「ごめんなさい」と繰り返しながら泣きじゃくった。大切な人を思って泣く姿は、まるで幼い子どものようだった。ウィリアムは慰めも励ましもせず、彼女を静かに見守り続けていた。

 しばらく泣きじゃくっていたメリッサだったが、無理やり気持ちを切り替えたのか、彼女は袖で顔を拭いながら立ち上がった。真っ赤な目で見つめてくるメリッサを前にして、ウィリアムは彼女の強さを感じた。


「ウィリアムさん、私になにかできることはありませんか」

「どうした急に。俺を止めなくていいのか?アーロンの邪魔をするためにアジトごと吹っ飛ばそうとしてるんだぞ」

「あなたのおかげで真実を知ることができました。だからどうしてもお礼がしたいんです。それに、もっといい方法があると思います。あなたが犠牲にならなくても亜人を守れる方法が、必ず」

「ほかに方法なんてない。いいからさっさと逃げろ。もう時間がないんだ」

「自分の命を捨ててでも守りたい人がいるんですか」


 メリッサの問いかけにウィリアムは押し黙った。すぐにエルマーの顔が浮かび、眉間にしわを寄せる。口内に残った紅茶の風味が、ウィリアムの心をきつく締め付けた。


「その人のことが大切なら、自分の身を犠牲になんてしないで、その人と生きる道を模索するべきです」

「選べるなら最初からそうしてる。でも、もう無理だ。明日には戦争が始まるんだぞ」

「明日?亜人に攻撃を仕掛けるのは明後日のはずです」

「亜人が人間を殺すんだ。信用できるやつから聞いた話だから間違いない」

「じゃあ亜人が攻撃をしかけなかったら?」

「どっちにしろアーロンが森を燃やすだろ。何をしたって戦争からは逃れられないんだ」

「私がアーロン様を説得します。真剣に頼み込めば、もっと平和的な解決をしてくれるかもしれません」

「今さら引き下がるわけないだろ」

「やってみないとわからないじゃないですか。私はクレアのことを信じられなかった。そのせいで親友も失った。ウィリアムさんはまだ間に合います。だって、大切な人は生きているんですよね」


 メリッサが濁りのない純粋な眼差しで訴えかけてくる。

 ウィリアムは長い時間をかけて熟考したが、結局は彼女の熱意に押し負け、持っていたオイルとマッチをポケットにしまった。わずかな可能性にかけようとしている自分の愚かさにため息をつく。

 ウィリアムはメリッサに歩み寄り、彼女と共闘することに決めたのだった。


「俺が亜人を説得する。アーロンはお前に任せた」

「わかりました」

「俺は今晩のうちにアジトを出る。お前はここに残ってアーロンを説得する準備をしてくれ。明日の夕方、日が沈む前に一度落ち合おう。場所は今日の昼間会った場所だ」

「昼間会った場所って、ウィリアムさんが覗きをしていた場所ですか?」

「だから覗きじゃないって言ってるだろ」


 うんざりとしたウィリアムの反応に、メリッサはくすりと微笑みを浮かべた。

 急いで弾薬庫を後にするメリッサを見送り、ウィリアムは静かに大量の兵器と向かい合った。本当にこれでよかったのかと自分自身に問いかけたが、答えは返ってこなかった。すぐそこまで迫った戦争の気配に恐怖を覚えながら、ウィリアムも弾薬庫を後にした。


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