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51 拠り所

 洞穴の入り口でエルマーは立ち尽くしていた。風で揺れる木々のざわめきがエルマーの不安感をさらに煽る。進むことも戻ることもできず、無駄に時間ばかり過ぎていった。


「まだ迷っているの?」


 背後から聞こえた声に反応して振り返れば、カミラとコリンの姿が目に入った。コリンは不安そうにカミラと手をつなぎ、動物の頭蓋骨を模した仮面をかぶって顔を隠している。空いたほうの手では小箱を大事そうに掴んでいた。


「……彼を巻き込むべきではないかもしれない」

「でも協力者が必要なんでしょう?」


 カミラの言葉に背中を押され、エルマーは突き進むことを決断した。

 迷いを捨てて洞穴の中に足を踏み入れる。洞穴の中には等間隔で松明がたかれ、暗い中を照らしていた。あまり整備されていないのか、足場が悪くごつごつとした岩が転がっている。洞窟では様々な種類の亜人が行き交っており、皆どこか暗い顔をしている。

 三人はつまずかないよう足元に注意しながら歩いた。

 突然、前方から名前を呼ばれたエルマーは顔を上げた。遠くから向かってくるライの姿を見つけ、急いで彼に駆け寄っていった。


「ライ、無事だったのか」

「無事に決まってるだろ。骸骨はそう簡単に死なないんだ」

「元気そうでよかったよ。どうしてここにいるんだい?」

「見張りをやってるんだ。病人は守ってやらないといけないし、俺もここで探し物ができるから好都合だ」

「何を探しているんだい?」

「骨だよ。レフに頼まれてな。そうだ、あいつにも挨拶してやってくれよ」

「そうだね。レフはどこに――」

「ここにいる」


 エルマーの言葉を遮ったライは、首にかけていた紐を外し、括り付けられた骨に頬擦りした。エルマーは状況を飲み込めず、困惑して言葉を失った。虫が体を這うように、嫌な予感が全身を巡っていった。


「よかったなあ、レフ。エルマーが来てくれたぞ」

「……それはレフの骨かい?」

「それって物みたいに言うなよ。いくらレフが馬鹿がつくほどお人よしだからって、なあレフ、お前もたまには怒っていいんだぜ」


 ライはそこにレフがいるかのように話しかけていた。彼には幻聴が聞こえているのか、骨に向かって一人で会話を続ける。

 エルマーは変わり果てた二人を前に呆然と立ち尽くした。


「レフが骨を取り返してくれってうるさいんだ。しょうがねえから見つけてやろうと思って、ここで誰かが拾ってくるのを待ってるってわけ」


 彼の狂気を浴びたエルマーは思わず後退った。靴の底が地面をなぞり、ざらりと硬い音がする。

 ライは握っている骨からエルマーへ視線を移し、一歩ずつ近づいていった。


「どうして怖がるんだ?人間が俺たちを見るような目で見るなよ」

「怖がってなんかいない。ただ君になんて言えばいいのかわからなかったんだ」

「……みんなさ、レフはもういないとか、いい加減目を覚ませとかうるさいんだ。お前はそんなこと言わないよな?俺たちはなにも変わってないだろ?ただ地底街がなくなっただけで、俺もレフも生きてる。また新しい居場所を見つけて、俺たち二人で働くんだ。間違ってないよな?なあ、なあって!」


 ライはエルマーの肩を掴んで迫った。安っぽい励ましの言葉などなんの意味もないことを、エルマーは理解していた。ただ目をそらすことしかできず歯がゆい気持ちになった。


「後ろの子ども、まさか人間じゃないだろうな」


 冷たい声色でライがエルマーに囁いた。

 エルマーは動揺を隠せないまま振り向いた。ライを怖がっているのか、コリンはすっかりカミラの後ろに隠れてしまっている。ひょっこりと顔を出したコリンの姿は天敵に出会った小動物そのものであった。


「あの子は獣人だよ。恥ずかしがり屋だからああやって骨をかぶっているんだ。初めての場所で怖がっていてね、そっとしておいてくれないか」

「前にも怪しいやつを連れてきたことがあったな。帽子をかぶった女だった。そうだ、あの頃からだ。亜人が大勢殺されるようになったのは」


 ライは近くにあった松明を手に取り、独り言のようにぶつぶつと言葉を吐き出した。状況が悪化していくのを感じながら、エルマーは身構えた。ぱちぱちと燃える松明の音がひどく耳障りだった。


「俺はあんたを信用してた。誰よりも亜人のことを大切に思ってくれてるって、信じていた。でも違う。あんたは人間の子どもを拾ってからおかしくなった。人間なんて皆殺しにすればよかったんだ」


 ライは燃え盛る炎をエルマーの眼前に差し出した。まるでエルマーの度胸を試すかのような行動だった。


「あんたは亜人の味方なのか?それとも人間に寝返るのか?答えによってはここで始末しないといけない」


 エルマーは即答できず、答えを探して視線を泳がせた。

 ふと視界に入ったのは、小さな骨と一緒に紐へくくりつけられているピンバッチだった。太陽が描かれたそれを見て、ふとガルの姿が脳裏を過った。人間へ復讐を誓う亜人たちの熱気を思い出し、圧倒される。

 松明が徐々に近づいてきているような錯覚に襲われたエルマーは、恐怖心から思わず目を閉じてしまった。


「あ!やっと来たんすね!」


 突然、場の雰囲気にそぐわない明るい声色が響き渡った。エルマーが目を開けば、見覚えのある人物が歩み寄ってくるのが見えた。


「ジャック」


 エルマーは久しく呼んでいなかった名前を口にした。ジャックは杖をつきながら足を引きずって近づいてきた。伸びた髪が彼の顔を時々隠し、ミステリアスな雰囲気を醸し出している。


「もう待ちくたびれたっすよ。約束の時間はとっくに過ぎてるっすからね」

「約束?」


 覚えのない話にエルマーは首をかしげた。

 じっと見つめてくるジャックの目を見て、彼が小芝居をうっていることに気づいた。エルマーは「ああ、遅れてしまってすまない」となんとか空気を読んだ。

 ライはエルマーとジャックの顔を交互に見たあと、松明をゆっくりとおろした。


「ジャック、あの骨をかぶった子供は知り合いか?」

「遠い親戚っす。獣人はみんな家族みたいなもんっすからね」


 ジャックはやわらかい笑みを浮かべて答えた。彼の答えを聞いて納得したのか、ライは「そうか、疑って悪かったな」とだけ言い残しその場を去っていった。

 見えなくなるまでライが遠ざかったところで、エルマーはほっと肩をなでおろした。


「ありがとう、ジャック。助かったよ」

「……話は後っすよ。とりあえずついてくるっす」


 ジャックは笑みを崩し、どこか暗い面持ちで歩き出した。エルマーたちはすぐにジャックの後をついていった。

 歩いていると、片腕を失ったゴブリンや、顔にひどい火傷のあとがあるエルフ、洞窟の隅で肩を寄せ合っている子供の獣人が目に入った。悲惨な光景にエルマーは心を痛め、自分の無力さを嘆いた。

 しばらく歩き続けた四人は分かれ道に差し掛かった。アリの巣のように道が張り巡らされており、ジャックの案内を頼りにしないと複雑な道を進むことができなかった。

 なんとか迷わず進み続けていると、ぎりぎり一人が生活できるくらいの狭い空間へたどり着いた。ここがジャックの部屋なのか、木製の椅子と机、小さなゴミ箱、毛玉だらけの毛布が置かれていた。

 ジャックはぎこちない動きで椅子に腰かけた。エルマーたちは彼と向かうように入り口付近に立っていた。


「びっくりしたっすよ。騒ぎが起きてるなと思って見に行ったら、エルマーさんがいるんすもん」

「本当に助かったよ。君がいなかったら松明で燃やされるところだった」

「燃やされるだけで済めばいいっすけどね」


 ジャックは意味深長な言葉を言い残し、ため息のようにゆっくりと息を吐いた。これまでの無邪気な雰囲気は影を潜め、どうもやさぐれた様子だった。


「なんでここに来たのか知らないっすけど、はやく離れたほうがいいっすよ。ここにいる亜人はみんな気が立ってるんで」

「実は君に話があってきたんだ」

「話?」

「ガルが人間に戦争を仕掛けようとしているのは知っているかい?」

「ああ、これのことっすよね」


 ジャックはデスクの上に置いてあった紙を手に取り、エルマーに差し出した。エルマーはそれを受け取り、紙に書かれている文字に目を通した。どうやら血正軍の仲間を募るビラのようだった。


「悪魔がいっぱい来て配っていったっす。人間を恨んでいる亜人を探すのにここは最適っすからね。みんなけっこう乗り気らしいっすよ」

「君はどうするつもりだい?」

「僕は遠慮しておくっす」


 ジャックはエルマーの手からビラを奪い、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱に投げ入れた。

 必要のない深呼吸で気持ちを整えたエルマーは、勇気を振り絞ってジャックに語り掛けた。


「実は戦争を止めようと思っているんだ。これ以上戦い続けてもなにも生まれないだろう?だからここで、復讐の連鎖を断ち切らなければいけない。ジャック、私に協力してくれないか。戦争を止めるために手を貸してほしい」


 エルマーは真剣な眼差しでジャックに訴えかけた。ジャックは表情を一切変えず、気まずそうに顔を背けた。


「お誘いはうれしいですけど断るっす。この足じゃまともに動けないっすから」

「それでもいい。ただここにいる亜人を説得してほしいんだ。私が人間に話をつけてくるから、戦争に参加しないで待っていてほしいって」

「……話をつけるって、どうするつもりっすか?」

「マヒュー教の教祖と話をしてくる。人間と亜人が共存できるように話し合うんだ」

「話し合う?それで本当に戦争が止められると思ってるんすか。そんな簡単に解決できるなら、とっくに亜人と人間は共存してるっすよ。いがみ合って、殺し合って、こんなことにはなってない。どちらが生き残るべきか、戦って決めるしかないんすよ」

「そもそも戦うのが間違いなんだ。お互いに一歩ずつ歩み寄れば、亜人も人間も同じように生きていける。だから話し合う必要があるんだ」


 エルマーは熱心に思いを伝えた。

 しかしジャックには届かなかったのか、彼はあきれた様子でため息をついた。


「正直、戦争が起こっても起こらなくてもどうでもいいっす。もう疲れたんすよ。みんなに都合よく利用されて、いらなくなったら捨てられて、誰の言葉も信じたくないっす」


 ジャックは杖をついておもむろに立ち上がり、エルマーに近づいた。二人は互いに視線を向け合い正面からぶつかった。


「僕に情報屋をやらせたのがノアさんだって、知ってるっすよね?大怪我で死にかけてるところをあの人が助けてくれたんすよ。寝る場所も働く場所もくれて、すごい嬉しかったっす。でもどうして僕を助けてくれたのか、ずっとわからなかった。今ならわかる気がするっす。ノアさんは僕を利用して、亜人の情報を集めたり、人間が亜人殺しをしているって噂を広めたり、うまく情報を操作してたんすよ。結局、僕はずっと利用されていただけだった」


 エルマーはジャックの言葉を否定できなかった。ノアが目的のためなら手段を選ばない男だということを、誰よりも知っていからだ。


「ノアさんは今なにしてるんすか。地底街を作ったのはあの人なのに、一回も見舞いに来ないんすよ。薄情っすよね」

「……彼は亡くなったよ」


 ノアの最期を思い出しながら、エルマーは小さな声で答えた。ジャックはひどく驚いた表情をしたが、すぐに平静を取り戻し「そうっすか」とだけ言った。

 それから長い沈黙が続き、重苦しい空気の中でジャックが声を発した。


「これ以上話し合っても時間の無駄なんで、そろそろ帰ったほうがいいっす。出口まで送っるっすよ」

「……君は本当にいいのかい。戦争が起きて、亜人か人間のどちらしか生き残れなくなっても」


 杖をついて歩き出したジャックに向かって、エルマーは声をあげた。ジャックはしばらく黙り込み、長い静寂を経てようやく答えを出したのだった。


「別にいいっす。もう何をしたってあの子は戻って来ないっすから。運命を受け入れるっすよ」


 ジャックはもの悲しい声で答えた。いびつな歩き方で部屋を出ていく彼をこれ以上引き止められず、エルマーは説得を諦めた。「彼について行こう」と、話の行末を見守っていたカミラとコリンに声をかける。

 三人は前方を歩くジャックについて行き、来た道を戻っていった。ライの姿はどこにもなく、無事に洞窟を出ることができた。


「それじゃあ、僕はこれで」


 ジャックはすぐにその場を離れようとした。

 「待ってくれ」とエルマーはジャックを呼び止め、彼が立ち止まったのを確認してからコリンに歩み寄った。小さな身体の後ろに立ち、そっと肩に手を置く。コリンは恥ずかしそうにうつむつき、両手で小箱を抱えていた。


「君に渡したいものがあるみたいなんだ。どうしても自分の手で渡したいって、今日はここまでついてきたんだよ」


 エルマーはそう言って、コリンの背中を軽く押した。優しく送り出したが、緊張しているのかコリンはなかなか動き出さなかった。「一緒に行こうか」とコリンに声をかけ、エルマーも一緒にジャックへ近づいた。

 なかなか話し始めようとしないコリンに気を使ったのか、ジャックはゆっくりとした動作でしゃがみ目線を合わせた。


「その箱、初めて会ったときから持ってるよね。何が入ってるの?」

「……森で見つけたものを、この箱に集めてるんだ」

「へえ、なんかお宝見つけた?ダイヤモンドなら僕がもらってあげるよ」


 ジャックは明るい声色でおどけた。

 以前と変わらないジャックの姿を見て安心したのか、コリンはゆっくりと箱を開けて、中から一冊の本を取り出した。ボロボロになっているその本を見て、ジャックは大きく目を見開いた。

 エルマーにはなんの変哲もない本のように思えたが、表紙にはジャックの名前が書かれており、その上にはデイジーという名前が刻まれていた。


「これ、ジャックのものだと思うから、返しに来たんだ」


 コリンから差し出された本を、ジャックは恐る恐るといった様子で受け取った。ぱらぱらと本をめくり、ページの間にはさまっていたものを取り出す。取り出したのはシロツメクサの押し花だった。


「ああ、そんな、もうとっくに捨てたものだと思ってたのに」


 ジャックは本とシロツメクサを胸に抱きよせ、大粒の涙を流した。「デイジー」と聞き覚えのない名前を口にする彼に、エルマーは寄り添うことしかできなかった。

 傷ついた亜人たちが集う巣窟の前で、ジャックは幼い子どものように泣きじゃくり、失った人の名前を何度も何度も呼び続けたのだった。


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