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50 裏切り者

 賑やかな酒場で真っ赤な顔をした男たちが酒を酌み交わしている。

 カウンター席に座っているウィリアムは、空になったグラスを持って「マスター、もう一杯」と声をかけた。マスターはあきれた様子で「いくらなんでも飲みすぎじゃねえか」とグラスに透明な水を注ぐ。深くため息をついたウィリアムは、水を注がれたグラスを置きなんとなく自分の手のひらを眺めた。

 白い竜と共に降り注いでいた血の雨を思い出し、物思いにふけっていた。


「よお、裏切り者」


 背中を叩かれて振り返れば、ビールジョッキを持ったダニエルが立っていた。断りも入れずにウィリアムの隣の席に座る。ウィリアムは彼から目をそらし、カウンターの奥に並んだ酒瓶を眺めた。


「マヒュー教に入ったんだってな。まさかお前が敵になるとは思ってなかったよ」

「……敵だと思うなら話しかけるな」

「つれねえなあ。ついこの間まで味方だったじゃねえかよ」


 ダニエルはヘラヘラと笑い、強引にウィリアムと肩を組んだ。暑苦しい彼を無視してウィリアムは水を一口飲んだ。いくら酒を飲んでも冷静な思考が残るため、潔く酔いを醒まそうと決めたのだった。


「とりあえずマヒュー教に入った理由を聞かせてもらおうか」

「お前には関係ない」

「関係ないから話せるんだろ?部外者は相談相手にもってこいだ。なんでも話してみろって。酔っ払いに何を言ったって明日には忘れてるぞ」

「……なんとなく」

「は?」

「なんとなく入った」

「おいおい、嘘でも教祖様のお言葉に感動してとか言わないとだめだろ。嘘をつくの下手だなあ」


 ダニエルは呆れた様子で笑い、持っているジョッキを傾けて一気にビールを飲み干した。ダニエルと話していると、まるで長い付き合いの友人といるような安心感があったが、今はその感情すら煩わしかった。


「どうせ亜人を守るためにマヒュー教へ入ったんだろ。事情はわからねえけど、お前の目を見れば亜人を裏切ってないってわかるぜ。でも敵陣の中じゃ自由に動けないだろ?だから俺が力を貸してやるよ」


 調子の良いことばかり言うダニエルに、ウィリアムは疑心を向けた。

 しかし赤ら顔でヘラヘラとしている彼を前に毒気が抜かれ、深いため息をついた。


「なんでお前は俺を助けようとするんだ。正直言うと気味が悪いんだよ。何か企んでるんじゃないかって」

「企んでる?まさか。前にも言っただろ。俺は亜人が好きな変わった人間だって」

「本当にそれだけか?亜人が好きだからって理由で俺にここまで協力しているのか?」


 ウィリアムはじっとダニエルの目を見た。何を考えているかわからない碧眼の目がそこにある。

 信じるべきか迷っていると、不信感を感じ取ったのか、ダニエルが「俺が亜人に味方するのには理由があるんだよ」と切り出した。彼は腕を組み「話すと長くなるんだけど」と前置きしてから話し始めたのだった。


「俺さ、昔いろいろあって生死をさまよったことがあるんだ。二週間も寝たきりだったんだぜ。そのとき綺麗なサキュバスが夢に出てきたんだよ。綺麗な紫色の目で、それはもうナイスバディなサキュバスだった」

「……お前の猥談なんか興味ない」

「いや本題はここからだって。そのサキュバスが俺に『あなたはまだ死ぬべき人じゃない』って言ってくれたんだ。そのあと急に夢が終わって、気づいたら現実の世界に戻ってた。医者にはいつ死んでもおかしくなかったのに奇跡だって言われたよ。きっとあのサキュバスが俺を助けてくれたんだ」

「サキュバスに人間を生き返らせる力なんてないぞ」

「頭がかてえな。事実がそうじゃなくても、俺はサキュバスのおかげで助かったって思うことにしたんだよ。そっちのほうがロマンティックじゃねえか」


 ダニエルは大口を開けて笑った。彼のまっすぐな笑顔を前に、ウィリアムはこの底抜けに明るい男を信じようと決めた。

 しかし鼻の下を伸ばした彼が「とにかくいい身体だったんだ」と言ったため、あきれて眉をひそめたのだった。


「一瞬でもお前を信じようとした俺が馬鹿だった」


 悪態をつくウィリアムに、ダニエルはガハハと豪快な笑い声をあげた。空になったグラスを強く置いた彼は、顔を近づけて得意げな表情を浮かべた。


「とにかく俺はあのサキュバスに命を救われたんだ。だから亜人を守って恩返しをしたい。そのためにお前を助ける。簡単な話だろ?」

「本当に力を貸してくれるのか」

「もちろん。なんでも言ってくれよ。情報収集なら得意だぜ。なんていったってこの街で一番の情報通だからな。ちなみにこの街で一番の色男も俺だ」

「前にも同じこと言ってたぞ」


 ウィリアムはグラスに入った水を少しずつ飲みながら思考を整理した。しばらく黙って考え込んだ彼は、あたりを注意深く見渡してから、小声でダニエルに話しかけた。


「お前に頼みたいことが二つある。まずはいつ満月になるのか教えてくれ」

「なんだそんなことか。そこで待ってろ。あっちに天文学をかじってる奴がいるんだ。ちょっくら聞いてくる」


 ダニエルは勢いよく立ち上がり、飲み屋の中央にできた人集りに向かっていった。ウィリアムは彼の様子を見守りながら、アーロンの言葉を思い返していた。

 彼の言っていることが正しければ、戦争は次の満月の日に始まるはずだった。それまでになんとか戦争を止めなければと使命感に燃えていると、楽しそうな笑顔を浮かべたダニエルが戻ってきた。彼は上機嫌な様子で「聞いてきたぞ。ついでに流星群が見れる日も聞いてきた」と言って、ウィリアムの隣に座った。


「満月になるのはいつだって?」

「三日後だってよ。ちなみに流星群が見れるのは二日後だ。五年に一度の流星群だからな、見逃さないようにしないと」


 ダニエルは鼻高々と答えた。

 目前まで迫った危機に狼狽え、ウィリアムは持っていたグラスを落としてしまった。床にたたきつけられたグラスが割れてしまったが、周りは酒を飲むことに夢中で誰もウィリアムに注目していなかった。ダニエルだけが心配そうな顔で彼を見ていた。


「大丈夫か?顔が真っ白だぞ」


 ダニエルに声をかけられ、硬直していたウィリアムは息を吹き返した。明後日に戦争が起きるという事実に絶望しつつ、こうしてはいられないと椅子から立ち上がった。


「急用ができたから帰る。マスターにこれを渡しておいてくれ」


 酒代とグラス代をカウンターに叩きつけ、すぐに出口へ向かう。酔っ払いたちをかき分け外に出れば強い夜風が吹き付けてきた。

 すぐに酒場を去ろうとしたその時、後を追うように店を出てきたダニエルに「おい待てよ」と呼び止められた。


「俺に頼みたいことが二つあるんだろ?もう一つはなんだよ」


 ダニエルの問いかけにウィリアムは黙り込んだ。本音は彼に力を貸してほしかったが、勝ち目のない戦いに彼を巻き込むわけにはいかなかった。仲間を増やすことは許されないと、ウィリアムは自ら孤独な戦いを選んだのだった。


「……最後まで亜人の味方でいてやってくれ」


 それだけを言い残してウィリアムは酒場を立ち去った。無性に走りたい気分になり駆け出したが、酒を飲んだからか、すぐに心拍数が上がって息苦しくなった。

 それでも足を止めずに進み続け、こっそり抜け出したマヒュー教の宿舎に向かう。遠くに目的地が見えてきたところで、急に酒が回ってしまいグラグラと地面が揺れているような感覚に陥った。

 一度立ち止まり建物の壁に寄りかかる。体に力が入らずその場に座り込み、彼はぐしゃぐしゃに髪を掻き乱した。何もかも捨てて逃げ出してしまいたいと思ったが、すぐにそれはできないと思い直した。

 不意にエルマーの顔が浮かび、こんな時にまで顔を出す厄介な熱情に、ウィリアムは苦笑したのだった。


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