49 邂逅(回想)
窓一つない閉鎖的な地下室で少年は着替えていた。背中には大きなやけどの跡があり、そこら中にあざが点在している。
うつろな目で着替えを終えた少年は、最後にロザリオを首にかけた。汚れの許されない真っ白な服装に身を包み、部屋の奥の壁へと歩いていく。壁にはたくさんの武器がかけられており、その中から銃を手に取った。
少年はじっと銃を見つめたあと、銃口を自分のこめかみにあてた。そのまま目を閉じて引き金に指をかけた瞬間、背後から錠のあく音が聞こえてきた。急いで手を下ろし、少年は振り返った。
「ウィリアム、準備は終わったか」
入ってきたのは父親のエリス・レイナーだった。
ウィリアムは何も言わずにこくりと頷いた。エリスは険しい表情のまま「出発するぞ」と言って地下室を出ていく。ウィリアムは持っていた銃を腰にさげ、地下室をあとにした。
石畳の階段をのぼり地上階にやってきた彼は、目に入った使用人に軽く会釈をした。自分よりも遥かに歳を重ねた大人たちが一斉に頭を下げてくる光景に、居心地の悪さを感じる。釈然としない気持ちを抱えたまま玄関へと向かった。
外に出れば大きな馬車が彼を待っていた。御者が用意した小さな階段を使って馬車に乗り込む。中にはエリスが乗っており、険しい表情で窓の外を眺めていた。
御者が扉を閉め、すぐに馬車が出発する。隣同士にもならず、向かい合わせにもならず、ウィリアムとエリスは対角線上に座っていた。一言も会話はなく、ウィリアムはうつむいて自分のつま先をじっと見つめていた。
重たい沈黙がしばらく続いていると、馬車が止まり、御者が扉を開いた。エリスを待たせるわけにはいかないと、ウィリアムは急いで扉から飛び出した。
視界に飛び込んできたのはうっそうとした森だった。
「馬車で近づけるのはここまででございます。どうかお気をつけて」
頭を下げる御者に何の反応も示さず、エリスはさっさと歩き出した。森の入り口には男性がランタンを持って立っており、ウィリアムやエリスと同じロザリオをつけていた。
「おつかれさまです。ここからは私が案内します」
男はエリスに対して頭を下げ、先頭を切って歩き始めた。勇ましい足取りで森に入っていくエリスに、ウィリアムはおとなしくついていった。暗い森は不気味であり、どうも視線が落ち着かなかった。
「本当にあと一匹なんですか」
「ああ、そのはずだ」
「ようやく我々の悲願が叶うのですね。吸血鬼のいない世界で平和に暮らせるなんて、夢のようです」
「いいや、まだ終わらないさ。悪さをしているのは吸血鬼だけじゃない。亜人は皆殺しにするべきだ」
会話をする二人の後ろで、ウィリアムは置いて行かれないよう必死だった。子供の歩幅では油断するとすぐに遅れてしまいそうになるのだ。
険しい坂をのぼり、小道に入り、足場の悪い川辺を歩き、複雑な道順で森を歩いていると、周りの景色にそぐわない美しい洋館が現れた。ウィリアムは洋館の美しさに心を奪われ、子供らしく目を輝かせた。
「私たちが退治してくる。君はここで待っていてくれ」
「そんな、どうか私にもお供させてください。エリス様のお力になりたいのです」
「君の忠誠心には感謝するよ。だが相手は吸血鬼だ。わざわざ危険な目に遭う必要はない」
「しかし――」
エリスと男の会話を聞き流しながら洋館を熱心に見つめていたその時、突然銃声が鳴り響いた。
驚いたウィリアムはすぐにエリスへ視線を向けた。彼は銃を握っており、すぐ近くに男が倒れていた。
「指示に従えない部下は排除すると、あれほど言い聞かせただろうに」
エリスは冷たい声色でそう言い放ち、銃をしまった。生き絶えた男を気にも留めずに洋館へと歩き出す。ウィリアムは倒れている男を一瞥し、すぐにエリスのあとを追った。
エリスは洋館の扉についているドアノッカーを叩いた。
しばらく待っていると、ガチャリと扉が開き、中から白髪の男が出てきた。一見人間のように見えるが、色白い肌と燃えるような赤い目は明らかに異質だった。
吸血鬼だと、ウィリアムはすぐに気づいた。
「こんばんは。えっと、どちらさまでしょうか」
吸血鬼が声を発した瞬間、エリスは素早く銃を構え発砲した。弾丸は吸血鬼の胸にあたり、彼はその場に倒れこんだ。
エリスが吸血鬼に馬乗りになっている間、ウィリアムはカバンから銀の杭を取り出していた。それをエリスに渡せば、彼は腰に下げていたハンマーを取り出し、吸血鬼の心臓から数センチずれところに杭を打ち付け始めた。吸血鬼は叫び声をあげて、四肢を振り回しながら暴れた。
ウィリアムはエリスの手伝いをしなければと、あばれる吸血鬼の腕を無理やり押さえつけた。心臓を取り囲むように杭を六本打ち付ければ、吸血鬼は失神してぐったりとうなだれた。
「私が上半身を持つ。お前は足を持ってくれ」
二人は吸血鬼を持ち上げ、廊下にある柱の近くまで運んだ。
「こいつを柱に縛り付けろ」という指示にウィリアムは黙って頷いた。失敗しないよう緊張しながら、カバンに入っている縄を取り出す。柱にもたれかかるように吸血鬼を座らせ、そのまま縄でくくりつける。縛り終わっても吸血鬼は目を覚まさなかった。
作業を終えたウィリアムはエリスのもとへ駆け寄った。エリスは失神したままの吸血鬼をじっと見下ろし、何を思ったか、突然彼の右足に銃弾を打ち込んだ。激痛で意識が覚醒したのか、吸血鬼は目を見開きうめき声を上げた。
「下手に動くと杭が心臓にあたるぞ」
「……あなたは」
「知らなくていい。どうせすぐに何もかもわからなくなる」
エリスは吐き捨てるように言って、ウィリアムの名前を呼んだ。ウィリアムは肩を跳ね上げ彼を見上げた。エリスは目を合わせようとせず、吸血鬼のほうをじっと見つめていた。
「いいか、今日が最後のチャンスだ。お前が私の息子にふさわしいか、生きるに値する器か、すべてこの一回で決まる。私をがっかりさせるなよ」
エリスの言葉を聞いて、ウィリアムは準備してきた銃を手に取った。幼い両手で銃を持ち、吸血鬼に向かって構える。真剣な表情をしているが、その手はガタガタと震えていた。
しばらくウィリアムを見つめていたエリスは、彼の背後に立ちそっと耳打ちした。
「動機が欲しいならくれてやろう。お前の母親を殺したのは吸血鬼だ。赤ん坊だったお前を抱いたまま、吸血鬼に首を噛みちぎられたんだ。どうして殺されたと思う?ただの食事だよ。あいつらは空腹を満たすためにお前の母親を殺して血を貪った。どこに同情の余地がある?」
エリスは残酷な真実をウィリアムに語りかけた。ウィリアムは血走った目をかっと見開き、引き金に指をかけた。
「何をためらっているんだ。相手は人間を殺して喰らう化け物だぞ。罪悪感なんて持たなくていい。さあ、引き金を引くんだ」
我慢ならないのか、エリスは苛立った様子でウィリアムを急かした。追い詰められたウィリアムは荒い呼吸を繰り返し、全身を震わせた。
「はやくあの化け物を殺せ!」
頭上で父親の怒号が響く。ウィリアムはその声に突き動かされて引き金を引いた。
しかし銃弾は大きくそれ、吸血鬼ではなく柱に当たった。
ウィリアムは吸血鬼と目が合った瞬間に全身の力が抜けてしまい、がくりとその場に崩れ落ちた。真っ赤になった手から銃が落ちて床に転がる。ウィリアムが力の入らない足で立ちあがろうとした瞬間、エリスが思い切り彼の背中を踏みつけた。
「お前はどこまで私を失望させたら気がすむんだ。まともに話せもしない、銃を撃つことも、吸血鬼を殺すこともできない。この出来損ないが」
床に転がるウィリアムをエリスが容赦なく蹴り続ける。ウィリアムは反抗することなく両手で頭を覆っていた。エリスは怒り狂い、我が子に暴力を振い続けたのだった。
「やめるんだ」
吸血鬼の声を聞いて、エリスがぴたりと動きを止める。ウィリアムは痛みで表情を歪めながら顔を上げた。
視界に入ったのは必死な様相で訴えかける吸血鬼の姿だった。
「君はその子の父親なんだろう。どうしてそんな酷いことができる。その子を愛しているなら今すぐやめるんだ」
「……まさか化け物に説教されるなんてな」
エリスは嘲笑を浮かべ、ウィリアムの顔を蹴り上げた。口の中が切れてしまい、血と唾液が混ざった液体が唇からこぼれ落ちる。エリスは悶え苦しむウィリアムの髪を掴んで、無理やり顔を上げさせた。
必死に止めようとしているのか、吸血鬼は身を捩って縄から抜け出そうとしていた。
「いいか。愛っていうのは親が子どもを愛することじゃない。子どもが親を愛することだ。子どもは一生をかけて産んでくれた親に恩を返さないといけない。出来損ないをここまで育ててやったんだぞ。失った金も時間も返せないなら、せめて親の手足となって尽くすべきだ。強者が弱者を利用する、それの何がおかしい」
「違う。その子が君に従うのは、君が強いからじゃない。愛しているからだ。どれだけ邪険に扱われても、暴力を振るわれても、子どもは親に愛されたいと願ってしまう。子どもの愛に甘えている君のほうがよっぽど弱い存在だ」
「……私が弱いだと?」
吸血鬼の言葉を聞いた途端、ニヒルな笑顔を浮かべていたエリスから笑みが消えた。エリスは掴んでいたウィリアムの髪を離し、腰に刺していた金槌を手に取った。
「気が変わった。貴様は私が殺そう。簡単に死ねると思うな。全ての苦しみを与えてから殺してやる」
エリスが一歩ずつ吸血鬼に近づいていく。ウィリアムは全身の痛みに耐えながらなんとか動きだし、父親の足にしがみついた。歩みを止めたエリスは、ひどく冷たい眼差しで彼を見下ろした。
「親に歯向かってまで亜人の味方をするのか」
エリスは思い切り足を振るい拘束から逃れた。
引き離されたウィリアムは、激情に突き動かされるがまま、近くに落ちていた銃を拾い上げた。
「やっぱり失敗作だ。人間のなりそこないが生まれたんだ。この化け物め。亜人と同じ化け物なんて、私の息子じゃ――」
エリスの話し声を遮るように銃声が響いた。
一瞬の沈黙のあと、エリスがその場に倒れる。ウィリアムは息を止めてその光景を見つめていた。頭が真っ白のまま、銃を捨てて吸血鬼のもとへ歩み寄る。何も言わずに吸血鬼を縛っていた紐をとき、自由を与えた。
「……ありがとう。君のおかげで助かったよ」
吸血鬼はウィリアムを見上げて感謝を伝えた。
ウィリアムは何も言わずに、吸血鬼の胸に刺さった杭を一本ずつ抜いた。心臓のまわりにぽっかりとあいた穴は、恐ろしい速さで治癒していった。
「ひどい怪我だ。すぐに手当てしないと。そこで待っていてくれ」
傷がすべてふさがったのか、吸血鬼は途端に元気を取り戻し、俊敏に動き始めた。どこかに行ってしまった吸血鬼を見送り、ウィリアムは放心したままその場でおとなしく待った。
エリスの遺体を確認すれば、銃弾が脳天を貫通しており、即死のようだった。不思議なくらい心は穏やかで、死んだ父親を見降ろしてもなんの感情も湧いてこなかった。
しばらくすると足音が聞こえてきて、薬箱を持った吸血鬼が速足で駆け寄ってきた。
「家にある薬を手当たりしだい持ってきたよ。すぐに手当てを……実は私の薬じゃないんだ。友人が置いていったもので、薬のことはさっぱりわからない。でも大丈夫、きっとなんとかなるよ」
吸血鬼はカバンを開き、手あたり次第といった様子で中身を取り出した。あわただしい様子の吸血鬼をじっと見つめていたウィリアムは、彼に近づき薬箱の中を覗き込んだ。見覚えのある薬の名前が書いてあるラベルを見つけ、その小瓶を手に取る。小瓶に入っている液体を傷口にかけたウィリアムは、薬箱に入っていた包帯で器用に傷を覆った。
「君はすごいな。私よりもしっかりしている」
感心しているのか、吸血鬼は目を丸くして言った。ウィリアムはとっさに口を開いてそれを否定しようとしたが、ぎゅっと喉元が締め付けられるような感覚がして、声を詰まらせた。彼の様子を見ていた吸血鬼は、血で汚れた手のひらをおずおずと差し出した。
「文字で伝えてくれるかい?」
思わぬ提案にウィリアムは困惑した。差し出された手の平を指でなぞろうとしたが、父親の顔が脳裏をよぎり硬直してしまう。吸血鬼はウィリアムの心を見透かしたように微笑みかけた。
「話すことだけがコミュニケーションじゃないよ。伝わればどんな手段でもいいんだ」
吸血鬼の優しい声かけに、ウィリアムは勇気を振り絞った。吸血鬼の手のひらを指でなぞり、ゆっくりと文字を書く。彼はただ一言「ごめんなさい」と謝罪の言葉を伝えた。
「どうして謝るんだ。君はなにも悪くない。むしろお礼を言いたいくらいだ。私を守ってくれてありがとう」
吸血鬼の言葉を聞いた瞬間、ウィリアムの目から涙がこぼれ落ちてきた。拭っても拭っても涙は止まらず、声を出さずに泣くウィリアムを吸血鬼が抱きしめた。
「私がなんとかするよ。大丈夫、絶対に大丈夫だ」
吸血鬼は自分自身に言い聞かせるように何度も大丈夫と口にした。ウィリアムは抱きしめる吸血鬼の体が震えていることに気づいた。恐怖心が自分だけのものでないことを知り、自然と涙が止まった。
ふつふつと湧き上がってくる得体のしれない高揚感に突き動かされて、ウィリアムは吸血鬼の抱擁から抜け出した。何事もなかったかのように平静を装い、エリスの死体のそばにしゃがみこむ。足首につけていたホルダーからナイフを抜き取り、刃先を父親に向けた。
「何をするんだい」
吸血鬼からの問いかけに、ウィリアムは「解体」と文字を書いて答えた。ギョッとした顔で「解体なんてできないだろう。君はまだ子どもじゃないか」と吸血鬼は言った。ウィリアムは「教えてもらったからできる」と文字で伝えた。吸血鬼ははっとしたような表情をして口を一文字に結んだ。
しばらく黙り込んでいた彼は、腹を決めたように強い眼差しでウィリアムを見た。
「私にも解体の仕方を教えてくれるかい」
吸血鬼の問いかけにウィリアムは少し迷い、こくりと頷いた。ウィリアムは吸血鬼から目を逸らし、ナイフを強く握り直した。
物言わぬ屍となった父親を見て、これまでの酷い虐待の記憶が過ぎる。ウィリアムは止まらない記憶の連鎖を遮るために、ナイフを振り下ろした。




