4 地底街
三人は真っ暗な夜の森を歩いていた。
ウィリアムは黒い傘を持ったまま、順番に両隣へ視線を向けた。左隣にはエルマーがおり、右隣にはランタンを持ったアニーがいる。アニーは明らかに夜の森を怖がっていて、怪しい物音がするたびに悲鳴を上げていた。
「あの、私たちはどこに向かっているんですか?ずいぶん森の中を歩いているような気がするんですけど」
「地底街です」
「地底街?」
「地下深くにある商店街ですよ。そこに知り合いの情報屋がいまして、ちょっと力を借りようかと」
「その地底街は、亜人の方がいく場所なんですか?」
「もちろん。この森には滅多に人間なんて来ませんから」
亜人を怖がっているのか、アニーは引ききつった笑みを浮かべた。ウィリアムは彼女の恐怖心を悟ったが、優しく励ますようなことはしなかった。
「種族を聞かれたらメドゥーサだって言い張れ。怪しまれても人間の血が流れてるなんて絶対に言うなよ。襲われても知らないぞ」
「襲うって、具体的にはなにを?」
「人間を食うのが好きなやつもいるし、皮を剥ぎたがるやつもいる」
アニーは引きつった笑みを浮かべたまま石のように固まった。その場に立ち止まってしまった彼女を見て、エルマーは慌てた様子で弁解し始めたのだった。
「私の知り合いはそんなことしませんし、なにかあっても私たちが守るので安心してください。ねえウィリアム」
「人間の脳みそは濃厚でうまいらしいぞ。特に若い脳みそは絶品だって聞いたな。食われたくなかったら亜人には近づくなよ」
「どうしてそういうことを言うんだ。怖がっているじゃないか」
「釘を刺しておかないとまずいだろ」
「もっと言い方ってものがあるだろう?言葉を選べないから君は友達が少ないんだよ」
「余計なお世話だ」
口論の末、ウィリアムは拗ねてそっぽを向いた。エルマーは「まったく」と呆れたように呟き、かぶっていた帽子を外した。
「怖くなったらこれで顔を隠しなさい」
エルマーはアニーに帽子を差し出した。彼女はそれを受け取り「ありがとうございます」と言って帽子をかぶった。
ウィリアムはなんとなく疎外感を感じ、苛立ちから舌打ちをしたのだった。
「さあ行きましょう、あの階段を降りればすぐですよ」
エルマーは三人の前に現れた洞穴を指さした。洞穴には地底街へと続く歪な階段があり、腐った木の看板まで立てられていた。三人はどこまでも続いていそうな長い螺旋階段を降り、地下の奥深くまで進んだ。
しばらく進むと三人の前に大きな鉄の扉が現れた。扉の前に槍を持ったスケルトンが二人立っており、エルマーは彼から見て左側に立っているスケルトンに声をかけた。
「やあレフ、調子はどうだい?」
「もちろん元気だよ、エルマーも元気そうで良かった」
エルマーがレフと軽い抱擁を交わした瞬間、スケルトンの全身の骨がバラバラになってしまった。床に散乱した骨を見てアニーは大きな悲鳴をあげた。
「すまない、力加減を間違えてしまったよ」
「大丈夫さ、ちょうど上腕骨がずれてたから組み直したいと思ってたんだ」
「そう言えばなくした骨は見つかったのかい?」
「それが見つからないんだよ。転んだ時に森のどこかで落としたのかも」
散らばった骨が勝手に動き出し元の形に戻っていく。人間ではあり得ない奇妙な現象を前に、アニーはあんぐりと口を開けたまま固まっていた。
「そこの帽子を被ったやつは誰だ?初めて見る顔だ」
扉の隣に立っていたもう一人のスケルトンがアニーを指差した。視線が彼女に集まり、和やかな空気が一変してしまった。
「こいつはメドゥーサだ。弱体化して力を失ってるから、薬屋に用があってきたんだ。通してくれ」
ウィリアムは息をするようにすらすらと嘘をついた。彼の言葉を怪しんでいるのか、スケルトンはウィリアムに歩み寄って、これでもかと言うほど顔を近づけた。
互いにガンを飛ばし合う二人の間には見えない火花が散っていた。
「それは大変だな。でもお前の言うことは信用できない」
「そうか。じゃあお前の頭をぶん殴るしかないな。その重たい頭蓋骨がなくなれば、もう少し柔軟に考えられるようになるだろ」
「俺を殺す気か?スケルトンは頭蓋骨を割られちゃおしまいなんだよ」
「死んだら骨を集めて犬の餌にしてやる」
「なんだと?」
「喧嘩はやめなさい」
エルマーは二人の間に割り込み喧嘩を仲裁しようとした。
しかし二人は鋭い眼光を向け合ったままだった。
「ライ、ウィリアムの言っていることは本当だよ。だから通してくれないかい?」
エルマーがスケルトンの名前を呼べば、彼はようやくウィリアムから離れた。「エルマーが言うなら仕方ないな」と、ライは吐き捨てるように言った。
ライとレフはそれぞれの持ち場に戻り、鉄の扉を押し開いてくれた。
エルマーは「ありがとう」と言って中に入っていき、その後ろにウィリアムとアニーが続いた。
暗い森とは対照的に地底街の中は明るく、活気に溢れていた。ドワーフが営む年季の入った本屋や、小人が運営するとても小さな花屋、セイレーンの魚屋など、個性的な店が立ち並んでいる。
アニーは興味深そうにあたりを見渡しており、ウィリアムは彼女を見守りながら隣を歩いていた。エルマーは行き交う亜人に声をかけられて、その一つ一つに愛想よく対応していた。
「エルマーさんってとても信頼されているんですね」
「この辺じゃ一番の古株だからな。あいつに逆らうやつはいない」
「そうなんですか?」
「ああ見えて千年生きてるんだぞ」
「なんだか吸血鬼らしくないですよね。もっと恐ろしい生き物だと思っていました」
「あいつは変わり者だからな」
「あの、どうしてウィリアムさんは森で暮らし始めたんですか。亜人を怖いとは思わなかったんですか」
唐突な質問に目を丸くしたウィリアムは「それは」と言いかけて黙り込んだ。視線の先には、楽しそうに情報屋の店主と話しているエルマーの姿があった。
「俺は人間の方がよっぽど怖かった」
ウィリアムはエルマーの笑顔を眺めながら物思いに耽っていた。
アニーが口を開いて何かを言いかけた瞬間、エルマーが二人に向かってぶんぶんと手を振ってきた。「こっちに来てくれ!」という呼びかけに従い、二人はエルマーの元に歩み寄ったのだった。
「兄貴!会いたかったっす!」
狼の耳が生えた獣人がウィリアムにきつく抱きついた。黒くて立派な尻尾がぶんぶんと揺れている。ウィリアムは暑苦しい抱擁を引き剥がそうと必死になった。
「紹介するよ、彼が情報屋のジャックだ。この森のことならなんでも知ってる」
「説明はいいからこいつをどうにかしてくれ、獣くさくなる」
「つれないなあ、でもそんなところもかっこいいっす!痺れるっす!」
ジャックは興奮冷めやらない様子でウィリアムの顔をベロベロと舐めた。行き過ぎたスキンシップにウィリアムは思わず顔をしかめた。
まるで大型犬のような行動をとる獣人を前にして、アニーは呆気に取られているようだった。
「とりあえず中に入っていいかな?聞きたいことがあるんだ」
「もちろん、さあどうぞどうぞ」
エルマーの言葉を聞いて、ジャックはウィリアムから即座に離れた。彼は店の扉を開けて三人を迎え入れた。
中は酒場になっており、客は誰もいないようだった。壁には所狭しと紙が貼られていて、行方不明になった亜人の情報を求む張り紙や、月の満ち欠けが書かれたカレンダーが壁にかけられていた。
カウンターの向こうに回り込んだジャックは「そこに座っていいっすよ」と近くの椅子を指差した。三人は言われた通りカウンター席に座った。
「飲み物はなにがいいっすか?」
「私はいらないよ」
「俺は水でいい」
「じゃあ、私も水でお願いします」
「みんな無欲っすね」
ジャックはヘラヘラと笑いながら二人分の水を用意した。それをウィリアムとエルマーに差し出し、アニーにはオレンジジュースの入ったグラスを用意した。
「お姉さんにはサービスするっす」
「あ、ありがとうございます」
ジャックは自分のグラスに炭酸水を注ぎ、一気に飲み干して盛大なげっぷをした。渋い顔をするウィリアムの隣で、エルマーは手帳とペンを取り出したのだった。
「さっそく本題に入らせてもらうよ。実はメドゥーサを探しているんだ」
エルマーはクレアについて知っている情報を事細かく説明した。ジャックは深く頷きながら話を聞き、何か考え込むように真上を向いた。
「家族を殺したメドゥーサに会うなんて危ないと思うっすけどね」
「だから私たちが同行するんだよ。一人で行かせられないからね。それで、何か情報はあるかな」
「もちろん、あるっすよ。湖の近くに鳥の石像が並んだ怪しい家があるらしいっす。もしかしたらメドゥーサが住んでいるかもしれないっすよ 」
「誰から聞いた話だい?」
「ノアさんから聞いたっす。うちに集まってくる情報はほとんどノアさんのやつなんで」
「ああ、そうだったね」
エルマーは一瞬だけ憂いを帯びた表情をして、何も言わずに席を立った。すぐに出発するのだと悟ったウィリアムは、残った水を一気に飲み干して立ち上がった。
「とりあえず湖に向かうよ、教えてくれてありがとう」
エルマーはカウンターに封筒を置いた。見るからに分厚い封筒を持って、ジャックはガタガタと震え始めた。
「こ、こんなに貰っていいんすか?」
「いつもお世話になっているからね」
「あざーっす!」
ジャックは深々とお辞儀をした。
ようやくオレンジジュースを飲み干したアニーを連れて、ウィリアムとエルマーは情報屋を出て行こうとした。ジャックが「あ、兄貴ちょっと待ってください!お別れのハグが済んでないっす!」と言ってウィリアムに抱きついたため、無意味な拘束時間が生まれたのだった。
店を後にした三人だったが「手帳とペンを忘れたから先に行っていてくれ」とエルマーが店に戻ってしまった。
取り残されたウィリアムとアニーの間になんとなく気まずい空気が流れる。これといった会話もなく、二人は賑わう地底街の様子を眺めていた。
「おい人間、こんなところで何やってんだ?」
背後から聞こえてきた声にウィリアムは振り返った。
近づいてきたのはニヒルな笑みを浮かべたケンタウロスだった。人間という言葉に反応したのか、アニーはガタガタと震え、周りの亜人もざわつき始めた。
ウィリアムは相手の顔を確認して、まるで何事もなかったかのように前を向いた。
「なんで無視するんだよ、お前のその耳はなんのためについてるんだ?」
ケンタウロスはわざわざ回り込んでウィリアムの正面にやってきた。「お前の声を聞くためじゃない」と言ってウィリアムがケンタウロスを睨みつける。
二人が鋭い眼光を向け合っていると、騒ぎを聞きつけた野次馬が集まってきた。
「見ないうちにでっかくなったな。この前まで兎の糞くらい小さかったのに」
「そっちは変わらないな、ディープ。馬面すぎてどっちが尻だかわかんなかった」
ウィリアムは相手の顔を指さして嘲笑した。周囲からくすくすと馬鹿にしたような笑い声が上がる。ディープは鬼の形相になり、ウィリアムの胸倉を掴んだ。
「人間風情が調子にのるな。さっさと街に帰れ。お前の居場所はここじゃねえぞ」
「どうかな、迷惑しかかけられない飲んだくれよりは、ここに貢献してるはずだけど」
「なんだと」
怒りが頂点に達したのか、ディープは殴りかかるように右手を振り上げた。ウィリアムはすかさず馬の足を払い、派手に彼を転ばせた。床に転がったディープの上に跨り、持っていた傘の先端を眼前に突きつけた。
「奥さんに逃げられたからってやけ酒は良くないぞ?」
「くそっ、今すぐそこをどきやがれ人間野郎、てめえが一番気色悪いんだよ、知ってるぜ、お前の父親がどんな奴だったか――」
ウィリアムは馬のしっぽを掴み、思い切り引っ張り上げた。ディープの野太い悲鳴が地底街に響き渡る。
ウィリアムはいっさい手加減しなかったが、野次馬の間をかき分けてくるエルマーの姿を見つけた途端、すぐに掴んでいたしっぽを離した。
「手荒なことをさせるな」
ウィリアムはディープの上から退いて、少し離れたところに立ち尽くしていたアニーに近づいた。アニーは明らかに怯えた様子だったが「行くぞ」と彼女の手を強引に掴んだ。そのまま何事もなかったかのような顔でエルマーに近づく。
何か言いたげな顔をしている彼の視線が突き刺さったが、ウィリアムは気づかないふりをしたのだった。




