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10 二人目のお客様

「これはなんだ」

「今回は形を工夫してみたんだよ。林檎の形をしたアップルパイ、名案だろう?」

「なんでそれが三つあるんだ?」

「失敗は成功のもとって言うからね」


 キッチンのテーブルに並んでいるのは三つのアップルパイだった。二つは歪な形をしており、一つは綺麗な林檎の形をしていた。

 ウィリアムは大袈裟なため息をつき、失敗したアップルパイが乗っている皿を手に取った。彼がアップルパイを選んでいる間に、エルマーは一人分の紅茶を用意していた。二人はそれぞれ必要なものを持ってキッチンを出ていった。

 ウィリアムはアップルパイを片手に持ち替えて、コンサバトリーに続く扉の鍵を開けた。ガラス張りの温室には植物が置かれており、色とりどりの花を咲かせている。

 テーブルにアップルパイを置いたウィリアムは、ポケットからライターを取り出し、キャンドルに火をつけた。エルマーは持っていたトレイをテーブルにのせ、運んできた紅茶をウィリアムの前に置いた。

 ティータイムの準備を終えた二人は、それぞれ一人がけのソファーに腰掛けた。


「今日は曇り空だね。月も星も見えない。君の好きなハエ座も見えないんじゃないか?」

「ハエ座が好きなんて言ったことないだろ」


 ウィリアムはぶっきらぼうに呟き、アップルパイを食べ始めた。エルマーは困ったような笑みを浮かべていた。

 しばらく気まずい沈黙が続き、二人の間には静かな時間が流れていた。


「一つ聞きたいことがあるんだけど、君の様子がおかしいこととアニーさんの依頼はなにか関係があるのかい?」


 ウィリアムはアップルパイを食べ進めていた手を止めた。エルマーの鋭い問いかけに内心焦っていたが、動揺を顔には出さなかった。

 まるで彼の心のように、テーブルの上のキャンドルがゆらゆらと揺れていた。


「夜中にアップルパイ三つ焼くほうがおかしいだろ。俺は正常だ」

「冗談はやめてくれ。私は真剣な話をしているんだよ、ウィリアム。もうあれから二ヶ月経つのに君は一度も外へ出ていないじゃないか」


 エルマーは心配そうにウィリアムを見つめた。ウィリアムは彼の視線から逃れるように、夢中になってアップルパイを食べ進めた。


「百歩譲って、君が外出しないのはいい。自分の好きなようにすればいいと思うよ。でも私の外出を許してくれないのは困る」

「必要なものは買ってやってるし、料理にも映画鑑賞にも付き合ってやってるだろ。これ以上贅沢言うな」

「私が何をするかは私が決めるんだ。君の許可はいらない」

「じゃあ何も持たずに出かけてこい。お前のカバンの隠し場所は絶対に言わないからな」


 互いに一歩も譲らないまま言葉だけが積み重なっていく。

 怒りに満ちた顔でエルマーが口を開いた瞬間、ドアノッカーで扉を叩く音が聞こえてきた。客人が来たことを知らせる奇妙で不自然なリズムだった。

 いの一番に立ち上がったのはウィリアムだった。


「お客さんだ!」


 エルマーは少し遅れて立ち上がった。

 ウィリアムはエルマーの首根っこを掴み、立ち上がったばかりの彼を無理やり席に押し戻した。エルマーが混乱している間にそそくさと温室を出て、外から鍵をかける。閉じ込められたエルマーが内側から扉を叩いていたが、ウィリアムは無視して玄関に向かった。

 ドアチェーンをかけたまま少しだけ扉を開けた彼は、客人の顔も見ずにぼそぼそと話し始めたのだった。


「今日はやってない。営業再開は未定。さっさと帰れ」


 ウィリアムは一方的に言葉を投げつけて扉を閉めた。これで一安心かと思いきや、再び奇妙で不自然なリズムで扉が叩かれた。しつこい客人に苛立ちながらもう一度扉を開けて外を確認する。扉の前には誰もおらず、見慣れた景色が広がっていた。

 不可解な現象に首を傾げてドアを閉めようとしたその時「常連にその態度はどうなんだ?」と聞き覚えのある声がした。誰もいなかったはずなのにと思いつつもう一度外を確認すると、そこには悪魔の姿があった。ウィリアムは扉を一旦閉めてチェーンを外し、今度は勢いよく開け放った。

 家の前に堂々と立っていたのは赤髪の悪魔だった。


「気配を消すなよ、ガル」

「仕方ないだろ。悪魔の癖みたいなものなんだ。隠れて悪さをするのが仕事だからね」

「入るならさっさと入れ」

「ああ、そうさせてもらうよ」


 ウィリアムはガルを招き入れてすぐに鍵をしめた。しっかりチェーンもかけてから、何も言わずにダイニングへ向かう。

 テーブルにはナプキンやカトラリー、美しい花が挿された花瓶が置かれていた。ガルは案内を待たずに適当な席に座り、全くエスコートする気がなかったウィリアムは彼女の正面に座った。

 遠くからガラスを叩く音が絶え間なく聞こえていたが、ウィリアムは聞こえないふりをしたのだった。


「エルマーは?」

「あー、留守にしてる」

「じゃあこの音は?」

「野良猫でもいるんだろ、それか野良ユニコーン」


 ウィリアムは適当な嘘をついて足を組んだ。ガルは彼の冗談を笑い、まっすぐ伸びた髪を耳にかけた。


「ケーキと紅茶を注文したいんだが」

「今日のメニューはアップルパイかアップルパイかアップルパイだ」

「それじゃあアップルパイを貰おうかな」

「他に言うことあるだろ。なんでアップルパイしかないんだとか、それが客を迎える態度かとか」

「ここはエルマーの店であって君の店ではない。店員らしく振る舞う義務はないだろう?」


 掴みどころのないガルの返答に苛立ったウィリアムは、大袈裟なため息をついて背もたれにふんぞり返った。


「やっぱりお前のこと苦手だわ」

「同族嫌悪か?だったらお互い様だ」

「食い終わったらさっさと帰ってくれよ」


 ウィリアムは渋々席を立ってキッチンに向かった。残っていたアップルパイと、雑に淹れた紅茶をトレイに乗せてテーブルに運ぶ。

 背筋を伸ばして待っているガルには一切隙がなく、気味が悪いほどだった。


「お待たせしました。こちらアップルパイとダージリンティーです。アップルパイがリンゴの形をしているのは店主の気まぐれでございます」


 愛想笑いと芝居がかった口調でウィリアムは店員になりきった。彼の頑張りに対してガルは何の反応も示さなかった。静かにアップルパイを食べ始めた彼女は、悪魔らしくない柔らかな微笑みをこぼした。


「やっぱりエルマーのつくるケーキは美味しいな。彼が帰ってきたら最高だったと伝えておいてくれ」

「ああ、わかった」

「それから、君たちに依頼を頼みたいんだ」


 依頼という言葉に反応してウィリアムは顔を強張らせた。険しい表情を浮かべて足を組み替える。鋭い眼光で威圧しようと、眉間に皺を寄せてガルを睨みつけた。


「うちはケーキ屋だぞ?依頼なんて受け付けてない」

「それは君の意見だろう?エルマーならきっと手を貸してくれるはずだ。困っている相手を見過ごせない性格だからね」


 ガルは含みのある微笑を浮かべた。

 彼女がティーカップに口をつけた瞬間、がしゃんとガラスの割れるような音が響き渡った。何事かと二人は顔を見合わせ、音のした方に視線を向けた。

 騒がしい足音と共にやってきたのは、コンサバトリーを脱出したエルマーだった。


「やあエルマー、どこに行ってたんだい?」

「どこにも行ってない。閉じ込められてたんだ」


 エルマーはふらつきながら声を張り上げた。すぐに立ち上がったウィリアムは彼の身体を支え、近くの椅子に座らせた。エルマーから恨めしそうな視線が突き刺さってきたが、彼はそっぽを向いていた。


「何か言いたいことはあるかい」

「貧血だ、少し休め」

「誰のせいだと思ってるんだ」

「閉じ込めたのは悪かった。だからってガラスを割ることないだろ」

「私だってやればできるんだ。このくらい……」


 よほど体力を消耗していたのか、エルマーは背もたれに寄りかかったまま朦朧としていた。彼の指先はガラスで傷ついており、ところどころ出血していた。

 ウィリアムは罪悪感を感じながらぐしゃぐしゃと頭をかいた。どうするべきか考えていると、突然ガルが歩み寄ってきた。彼女はポケットから小瓶を取り出し、ウィリアムに差し出した。

 中には緑色の錠剤が入っていた。


「依頼を受けてくれるならお礼にこれをやろう。人間の血液によく似た成分の薬だ。これを飲めばすぐに傷も癒える。貰い物だから効果を保証することはできないけどね」

「……見るからに怪しい色してるけど」

「人間の血は入っていないから安心してくれ。必要なら定期的に持ってきてやってもいい」


 ウィリアムはじっとガルを見つめた。依頼を受ける危険性とエルマーの健康を天秤にかける。

 最終的に後者を選んだウィリアムは、小瓶を受け取り錠剤をエルマーの口に放り込んだ。エルマーがこくりとそれを飲み込めば、徐々に手の傷が治っていっていき、数分で彼は目を覚ましたのだった。


「今のはなんだい?飲んだだけで元気がみなぎってきたよ」

「人間の血液によく似た成分の薬だ。合法的に手に入れたものだから安心して飲んでくれ」


 ガルは得意げに言って席に戻った。そのまま黙々とアップルパイを食べ進めて、あっという間に平らげてしまった。

 ウィリアムとエルマーは席につき、改めてガルと向かい合った。彼女はナプキンで口を拭き、顔を上げた。炎のように赤い目が彼らの姿をしっかりとらえていた。


「君たちに依頼したいのはある事件についての調査だ。ここ数ヶ月の間に天使が七名殺害されている。その犯人を特定してほしい」

「どう考えても悪魔の仕業だろ」

「天使と悪魔は敵同士だが殺し合いはしない。むやみやたらに殺し合っていたらすぐに戦争へ発展してしまうだろ?許可なく殺害すると規則違反で罰せられる決まりがあるんだ、まあ、ルールがまともに機能しているかはわからいけどね」

「そもそも天使って死ぬのか?」

「もちろん。天使は熱に弱いんだ。炎に焼かれたら一瞬で身体が消滅する。聖水で消滅する悪魔と対になっているんだ。だから天使はこうやって自由に火を操ることもできない」


 ガルはぱちっと指を弾いて指先に小さな火を灯してみせた。悪魔が火を操ることなどとっくに知っていたウィリアムは特に驚かなかった。ガルはふっと息を拭いて指先の火を消し、真っ直ぐな目で二人を見つめた。


「私は人間が怪しいと思っているんだ」


 ガルは一際低い声で言った。

 彼女の言葉を聞いて、ウィリアムの脳内に「アーロン様の目的は亜人をこの世界から消し去ることです」という言葉がよぎった。天使や悪魔も亜人に分類されるため、オリヴィアの一件と関連している可能性があったのだ。


「街へ降りて調査してほしいんだ。一体誰が天使を殺し回っているのか、犯人を特定してくれさえすればいい。あとは私が処理する」

「断る」


 ウィリアムは迷わずに答えた。彼の即答に驚いたのか、エルマーはウィリアムを見上げていた。


「犯罪者がいる街に降りるのは危険だ。そんなに犯人を捕まえたいなら自分で調査しろよ」

「私は別の仕事を抱えていて手が離せないんだ。君たちしか頼れない」

「ウィリアム、ガルは困っているんだ。力を貸してあげよう」

「絶対にだめだ」


 ウィリアムは声を荒らげて言った。彼の怒声が気まずい静寂を生み出してしまう。

 静まり返った空間の中で、ガルは唐突に立ち上がり二人の元に歩み寄った。身構えるウィリアムやエルマーの前で、彼女は深々と頭を下げた。


「頼む、この通りだ」


 ガルが頭を下げる姿など初めて見たウィリアムは、彼女の必死さに困惑した。「そんなことしなくていい。顔を上げてくれ」とエルマーが言っても、ガルは決して顔を上げなかった。なぜそこまで事件を追いたいのか、ウィリアムには見当もつかなかった。

 しかし、彼女がここまでするのには何か理由があるのだと悟り、舌打ちをしてから立ち上がった。


「ああ、くそ、わかった。やればいいんだろやれば」


 ウィリアムが荒々しい口調で言えば、ガルは顔を上げて「ありがとう」と感謝を口にした。

 彼女に笑顔を向けられて居心地の悪さを感じたウィリアムは、二人に何も言わずに席を立った。急いで洗面所に向かい、鏡の前でため息をつく。

 自分の甘さに辟易としながら鏡に映った自分と対峙していていると、不意にオリヴィアを殺した瞬間の記憶が蘇った。引き金を引いた感触が指先に残っていて、忘れるために何度も手を洗った。


――やっぱり失敗作だ。

――人間のなりそこないが生まれたんだ。

――この化け物め。


 父親の怒号が頭の中に響く。ふと鏡に父親の姿が映ったような気がして振り返ったが、そこには誰もいなかった。心臓がばくばくと脈を打ち、冷や汗がこめかみを伝う。

 ウィリアムはすっかり恐怖心に支配されていた。


「大丈夫、大丈夫だ。初めてじゃない。一人殺してるんだ。一人でも二人でも一緒だろ」


 ウィリアムは呪文のようにぶつぶつと独り言を言った。気持ちが落ち着くまで手を洗い続けた彼は、ようやく水を止めて鏡を見た。

 鏡に映った自分と改めて向かい合ったウィリアムは、ひどい顔だと思わず嘲笑したのだった。


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