プロローグ
頂点に近づくこと――ただひたすらにそれを追い求め、結果、報われない犠牲を払うことに嫌気がさし、自種族のみを貴ぶ自尊心で成り立つ世界に嫌気がさし、そして男は人と関わることを避けるため、森へ入った。
それでも人間との関係性は全くゼロというわけにはいかなかった。
食事は動物を狩ったり野生の果実や野菜を摘めば何とかなった。
住処も時間はかかったものの何とか住める小屋を建てることも出来た。
ただ、衣類ばかりは自分でどうにか出来るほどの器用さもなく、衣類の調達だけは近場の街まで足を伸ばす必要があり、それが男にとって唯一、憂鬱な時間だった。
別に裸で過ごすなり、動物の毛皮を纏うだけにするなりやりようはあった。
だが、ひょんなことから共に暮らすようになったエルフの少女がいる以上、そういうわけにはいかなかった。
少女が森の中で魔物に襲われていたところを助けたところ、行く当てもないということから共に暮らし始めることになった少女だったが、街に送られることだけは頑なに拒んだ。
慧族の街に放り出されたらエルフは生きていけない。
それが大きな理由だった。
この世界の人類の大半を占めているが故に他種族を下に見ている慧族の街で、エルフが暮らすのは悪感情の格好の的であり、そこに送られて生活しろというのは確かにハードルが高い。
ただ差別されるだけならまだしも、危害を加えられる可能性もある。
男自身も慧族ではあったが、男自身にそのような感情はないし、少女にも男に対して拒否感はない。
命を救った恩人という事実は少女にとって大きかったのかもしれない。
慧族の全てが他種族を認めていないかというと、そういうわけではないが、他種族をよく思っていない者が多いというのは事実だ。
そんなくだらない社会だからこそ、男もまた街を離れているのだから。
人を形作るのは魂であり、意志だ。
慧族だろうが、獣族だろうが、エルフ族だろうが、どんな種族であってもそれは変わらない。
それが男の意志だった。
少女との暮らしを積み重なる中で、自然と少女の世話も男がせねばならなくなり、一人森の中で暮らす自由は手放さざるを得なかったが、少女は何かと器用で出来ないことはすぐに覚えてこなすことが出来る程に要領がよかった。
それはバルトにとっても興味深く、いつしか少女の成長を見るのが楽しみになっていた。
試しに剣を教えてみれば、それも筋は悪くない。
子供故の力のなさはあるものの、ちょっとした魔物からの自衛は出来そうだった。
吸収力高く利発な少女だったが、自分の気持ちにもまた素直で、言い方を変えれば少し我儘ではあった。
しかし、素直なことは悪いことではない。
自身も相当な我儘だと自覚している故に、少女のその他者を思い遣りながら行う気持ちの表明は可愛いものだった。
そんな少女と生活を続けていくうちに、慧族の醜さで汚れた男のモノクロの世界は、少しずつ色付いていった。
日々の穏やかさに慣れ始めて来た頃、ある日薪を拾いに出掛けていた少女が死にかけの赤熊と銀豹の子どもを連れて帰ってきた。
赤熊も銀豹も中々お目にかかれない魔獣だ。
毛皮から肉から爪の先までその素材は傷がない程に高額で取り引きされる。
逆を言えば傷が少しあるだけで価値は大きく下がるが。
聞けば罠にかかっていたところを助けて来たらしい。
罠ということは、近場に人間がいたということになる。
二頭の手当を少女が必死に治癒魔法で治している様子を見ながら男は相棒の剣を手に取ると、小屋を出る。
「バルト酷い! この子達を放ってどこに行くの?」
バルトと呼ばれた男は少女を振り返る。
「俺がそいつらに出来る治療は飯を用意することくらいだろ。肉取ってくるから外に出るなよ」
その言葉に少女はバツが悪くなったのか、小声で詫びると治療を再開する。
この年で治癒魔法を扱えるのは流石エルフといったところだろうか。
バルトは魔法の才がからっきしだが、この少女は息をするように魔法を使う。
その才能は魔法を使えぬバルトから見ても桁違いであることがわかる。
故に扱いが非常に難しいとされる治癒魔法を少女が使うことに不安はない。
バルトは扉を閉めると、薄い雪が積もる地面に残された少女の足跡を辿りながら、自分の足跡で踏み消していく。
赤熊と銀豹のための肉はついでだ。
問題はその罠を仕掛けたであろう人間。
せっかく静かな場所を見つけたのだ。
荒らされてはたまったものではない。
「あれか」
木箱を少しいじった簡易の罠が二つ。蓋も開いている。
間違いないだろうが、あの二頭の衰弱の仕方からすると、設置した人間はしばらく来ていないのか。
とりあえず魔物がしたかのように乱暴に罠を破壊する。
放置され廃棄された罠ならそれで構わない。
しかし、この罠を当てにしている人間がいるとしたら、接触は避けたいところだった。
小屋に戻ろうと来た道を戻り掛けたその時、人間の声が微かに森に響いた。
「ちっ」
タイミングが悪すぎる。
雪で足跡がバレるため、このまま戻ることも出来ない。
「善良な奴であることを願うばかりだな」
その場で声が近付いてくるのを待っていると、木々の合間から三人組の男が現れた。
「おっと、なんだ兄ちゃん、ビビらせんなよ」
ガタイは良く、気さくな話し方だが、見た目は赤い毛皮と銀の毛皮を身に纏っているものの粗野でお世辞にも上品とは言えない。
「あ、それ、俺らの罠なんだが、兄ちゃんがやったのか?」
咎めるような調子はなく、事実を確認する口ぶり。
悪意はなさそうだった。
しかし――
「俺の縄張りを勝手に荒らすのはお前らか」
バルトはそう言い放つと剣を抜く。
馴れ合うつもりはない。見つかったのなら、二度と近寄りたくないと思わせなければならない。
「な、なんだてめぇ! やるってのか!」
取り巻きの男が応戦するかのように前に出るが、リーダー格のガタイの良い男がすぐに止めに入った。
「おい、やめろバカ。 そうかそうか、いやすまねぇな。まさかこんなところに人がいるなんて思ってねくてよ。剣を下ろしちゃくれねぇか」
慧族の人間にしてはまともそうだった。
バルトは少しだけ警戒心を解くと、剣を鞘に戻す。
「罠には何もかかってなかったか?」
男達の問いにバルトはどう答えるか一瞬迷ったが、余計なことを言う必要はなかった。
今は紳士的かもしれないが、希少な魔獣の子どもが二頭もかかっていたとなれば目の色が変わる可能性は大いにある。
「何も」
「……そうか、なら仕方ねぇ。帰るぞ、おめぇ達。兄ちゃんも悪かったな、ここにはもう来ねぇから」
手を出さずに済んだ。
もし向かってこようものなら自分達の生活を守るために戦わざるを得ない。
そうなれば命を奪うことも考えていたが、そこまでには至らなかったことにほっと胸を撫で下ろしながら、離れて行く男達の背が見えなくなるまで見送ると、バルトはあの二頭の食糧となりそうな肉を狩るべく、その場を離れた。
小屋に戻り、無事に手に入れた肉をくれてやると、赤熊も銀豹も元気に喰らいついた。
体調はもう大丈夫らしい。
満たされた二頭が胡座をかくバルトの脚上で寝息を立てる。
肉を与えたバルトを親とでも思っているのかもしれない。
「いいなぁバルト。私も治療してあげたのに。この子達、お母さん達とはぐれちゃったのかなぁ」
物欲しそうにバルトの正面にちょこんと座り、少女も二頭を撫でる。
こいつらの親は――とうっかり口にしそうになり、バルトはそのまま口をつぐんで二頭を撫でる。
推測だが、恐らくはさっきの毛皮を纏った慧族に――しかし、少女にそんなことを伝える必要はない。
「やっぱりやっておくべきだったか……胸糞悪ぃな」
「ん? なに?」
「何でもない。ちゃんと愛してやれよ」
「なにそれ、当たり前じゃない」
こうして新しい家族として赤熊と銀豹を迎えた二人には、更に色付いた平穏な日々が過ぎた。
赤熊と銀豹はそれぞれ仲は悪そうだったがバルトと少女には懐き、成獣になれば少女の護衛としての活躍も期待できる。
その光景を思い描き、バルトの頬は思わず緩んでいた。
しかし、その平穏は突然奪われることになる。
衣類を新調すべく、街に向かったバルトが戻ってきた時、バルトが目にしたものは、とても信じたくはない光景だった。
小屋の扉は開いており、中は争った形跡か、荒れている。
足跡を追って辿り着いた先には――目の前に広がる雪原に咲いた真紅の花。
よく見なくともわかるそれは無惨に血を流すエルフの少女。
その少女を守るように覆い被さっているのは仔豹と仔熊。
二頭とも同じように真っ白なキャンバスを赤く染めていて――
「嘘……だろ……」
白い大地に広がる大量の真紅は、少女達の命の灯火がすでに失われていることをバルトに思い知らせた。
大切な家族だった。
血の繋がりもなく、種族が異なろうとも、その一人と二頭は、愛しい家族だった。
愕然とする想いに膝をつきながらも、バルトの目にしたものは、その場を離れていく三人の男。
刹那――憎しみが全身に渦巻く。
この場所を嗅ぎつけることのできる三人組など、思いつく奴らは決まっていた。
「ん……あの時の兄ちゃんじゃねぇか。縄張りに入ってすまなかったが、悪ぃ虫は駆除しといてやったぜ」
悪い虫? 駆除?
「こんなところにエルフがいるなんてな。しかも、赤熊と銀豹のガキ手懐けやがって。エルフに懐いてなければ俺らが貰ってったんだがな」
「子どもであんな凶暴なんすよ、持って帰ったらどうなることやら。これくらいの怪我で済んでよかったっすよ」
「ハハ、でも傑作だったな、あのエルフ。最後までうるさかったな。バルト?が来てくれるって。泣きもせずに俺らに立ち向かってきてよ。エルフのガキが俺らに勝てるかっての。結局、そのバルト?って救世主様は来ずじまい。なんだってんだ」
「赤熊と銀豹と暮らしてて頭がおかしくなってるんすよ」
「まぁそもそもエルフなんてはじめからおかしな奴らだけどな」
男達の下卑た笑いと言葉がバルトの中を駆け巡り、脳裏には必死に抵抗していたのだろう少女の真っ直ぐな瞳がよぎる。
「それもそうっすね! でも、あのエルフ、大人になったら高く売れたかもしれなかったのに、もったいなくはなかったんすか?」
「そんな長い時間、エルフと一緒にいれるかよ。邪魔くさい。なら俺らのストレス解消に使った方がいいだろ。それにあのエルフが持ってたこの短剣だけでも高く売れるぜ」
何故あの時、仕留めておかなかったのか。
何故あの時、警戒を緩めてしまったのか。
慧族の人間には、嫌というほど幻滅してきたというのに。
バルトは立ち上がる。
絶望の最中にあろうとも、こいつらだけは。
こいつらだけはこのまま帰すわけにはいかない。
バルトは鞘に手をかけ、呼吸を整える。
吐いた白い息が怒りに震えている。
「なんだ。そのエルフ達、兄ちゃんのオモチャだったか? それなら――」
「もう黙れ、クズ共。お前達に言葉を話す資格も生きている価値もない」
「あぁ!? なんだと!!」
バルトは力強く踏み込み、全身を三人に向かって押し出し、駆けた。
疾風――そう表すに相応しい速度で。
「うわぁぁぁ!!」
三人のうちの一人の左腕が飛ぶ。
残りの二人は男の叫び声で、すぐそばに現れたバルトに気づく。
「て、てめぇ!? ぎゃあ!」
もう一人の右足が飛ぶ。
「お、おい、兄ちゃん! 悪かった! あんたのオモチャを勝手にやっちまって――」
「だから黙れと言ってるだろう」
リーダー格の男の口元が抉れ、男は声にならない声を上げて悶え転げる。
「ひぃっ! ひぃぃぃっ!!」
「たす、助けてくれ!」
壮絶な痛みにその場に蹲り、悲壮な表情で三人はバルトを見上げ、助けを乞う。
その言葉は最早バルトを止めるには足らな過ぎて遅過ぎた。
恐怖に塗れて溢れる想いほど、惨めなものはない。その恐怖、惨めさ、後悔、全てを抱えたまま、腐った魂ごと砕け散るといい。
「不条理には不条理を――」
バルトは高く跳び上がり、身体を捻る。
自由落下に身を任せつつ回転を加えていき、そして、渾身の一撃を振り下ろす。
――天墜剣舞。
轟音と凄まじい衝撃に地面は抉れ陥没し、土煙が晴れるとそこには肉片もあらず、ただ赤黒いシミが広がり、少女に渡してあった短剣が転がっていた。
バルトは少女達を振り返る。
絶望に包まれながら、無惨な姿を晒す彼女達の前で膝をつく。
手を翳せばほのかにまだ温もりはありながらも、確かに鼓動は止まっていた。
「こんなことが許されるのかよ……いるならなんとかしてくれよ……神なんだろ……こいつらは何も悪いことはしてねぇだろ……」
人々が信仰する神。全知全能なる神。
そんなものが本当にいるのならば、その権能を今こそ見せてほしい。
だが、当然のことながら何も起きることはない。
血が滲むほどに拳を握りしめ、神への怨嗟が止まらない。
言葉を一つ発するごとに、次から次へとバルトの胸の内に火が焚べられ、そして強く、強く燃え上がる。
「クソ……クソ……」
渦巻く昏き感情に支配され、そして、静寂に包まれる深い森の中、慟哭が木霊した。




