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4.


 

 

 意外な人物にイブリンとエドワードは出会った。

 

「エドワード様! やっぱりいらしてたのね!」

 

 向日葵がぱっと咲いたような笑顔で駆け寄ってきたのは、マリアンだった。

 その笑顔は真っ直ぐエドワードに向けられている。エドワードも、先ほどまでの硬い表情をやわらげ、穏やかな笑みを返していた。


 ――その笑顔の僅かでも私に向けて頂けたなら……そんな詮無いことをイブリンは考えてしまう。決して起こり得ないことを。

 

「エドワード様、まだお話が足りませんわ。あちらで続きをいたしましょう。――イブリン様も、よろしいですわよね?」


 それは伺いではなく断定だった。イブリンが「どうぞ」と口にしたとき、マリアンの唇がわずかに吊り上がったのは……気のせいだろうか。


 遠のく二人の後ろ姿を見送るイブリンは、マリアンがエドワードの腕に気安く触れるのを見てしまう。イブリンですら彼の腕に気安くなど触れたことは無いのに。

 抱いてはいけない醜い感情を、イブリンは必死に心の奥底へと押し込める。何故なら、本来ならエドワードとマリアンこそが夫婦であった筈なのだから。


 痛みを押し隠していると楽団が演奏の準備を始めている。ダンスの時間が迫っているが、エドワードはマリアンと話し込んだままだ。


 イブリンは突然、紳士たちに囲まれた。イブリンが既婚者であると知っているにも関わらず、彼らは我先にとダンスの初めての相手としてイブリンを求めてくる。


「イブリン様! ぜひ最初のダンスを!」


「いやいや、俺が先だ!」


「奥方、ぜひ一曲!」


 イブリンは思わず悪女の仮面を捨てて、夫エドワードに助けを呼びかけた。

 しかし、己の役割を思い出してイブリンは仮面をかぶり直して紳士達を魅了する。


(いいわ……踊ってあげる。存分に)


 毒の華は、社交界の真ん中で咲き誇るもの。


 ――夫がいるのに他の殿方と最初のダンスを踊っているわ。

 ――まぁ、なんてはしたない。あれが噂の社交界の毒の華ですわね。

 ――あれだけの美女なんだ、男なら誰でもお近づきになりたいもんさ

 ――そもそも夫は何をしている? 何もしていないどころか、別の淑女に夢中だ。


 そこかしこで囁かれる言葉にイブリンは耳を塞ぎたくなる。けれども悪女イブリンは社交の場の真ん中で毒の華になって、人々の記憶に植え付けるのだ。


 夫がいるのに見知らぬ男たちとダンスを気軽に踊る女。夫はそんな妻より貞淑な令嬢を選びたがっている。


 そう、それでいいのだ。まさにイブリンが思い描いていた展開ではないか。

 踊るイブリンの瞳が潤むのを誰も知らない。

 踊るイブリンの瞳がエドワードを求めていたなんて誰も知らない。


 知らなくていい、知られてはいけない。

 何故ならイブリンは悪女なのだから。




「今夜はお招きいただき、ありがとうございました。」


 イブリンが礼をする。夫エドワードも礼をした。


「このようなパーティーを催して下さり大変光栄でした。ありがとうございました」


 二人の言葉にクロウハースト伯爵夫人は満足げであった。

 そして二人は馬車に乗って帰路につく。


 ガス灯の明かりが窓の外を流れていくのをぼんやりと眺めながら、イブリンは嫌味を言う。


「マリアン嬢と随分と楽しそうにお話してらしたわね。あのように笑えるなんて、わたくし知りませんでしたわ」


 エドワードの表情は、氷のように無機質だった。


「貞淑な妻を娶ったはずが、最初のダンスで見知らぬ男と踊る、放埒な妻をいつの間にか娶ってしまったようだ」


 言葉の刃がイブリンを傷つける。

 イブリンはこの苦痛をいつまで味わい続ければいいのだろうと、手袋に包まれた手をきつく握りしめた。




 翌日のゴシップ誌は案の定、昨晩のクロウハースト伯爵夫人のパーティーの内容で盛り上がっていた。勿論、紙面の主役はイブリンと夫エドワード。


 朝食の席で平然とゴシップ誌を広げる妻に夫は軽蔑の表情を隠しもしない。

 しかし“ハートフォード商会のイブリン”としては、どんな些細な情報でも見逃せない。政治、経済、戦争、ゴシップ――商売の種はそこかしこで常に撒かれているのだ。

 そんなイブリンを見つめるエドワードだが、文句は言わない。二人の関係は冷え切っているのだから。


 そこで食堂に現れた執事がイブリンに告げた。

 

「グレイ様がお越しになりました。如何なさいますか?」


 イブリンは紙面を閉じて席を立った。それを注意したのはエドワードだった。


「まだ食事の途中だ」


 イブリンは皮肉げに笑む。


「わたくしと食事をするより、お一人でお食べになる方が美味しいのでは?」


 これにはエドワードも腹を立てたようだった。


「婚姻の儀の時の約束を忘れたか? “俺が戦地にいる時以外は、食事だけは必ず共にする”と誓ったのを」


 イブリンは驚きで思わずエドワードを見返した。その約束はとっくにエドワードは忘れているものだと思っていたからだ。

 だが真実、エドワードは約束を忘れていなかった。イブリンの胸に熱いものがこみ上げる。


「トマスには食事が終わるまで待っているよう、伝えてちょうだい」


 イブリンの言葉に頭を下げると執事は食堂を出ていった。


 再び席についたイブリンは食事を再開する。いつもならエドワードは軍人らしく早々と食事を済ませるのに、今朝に限ってなかなか食事を終えず、悠長に食事を堪能している。

 それほどまで自分に嫌がらせがしたいのか、嬉しさと悲しみが複雑に絡まり合う。

 だが仮初めの二人の時間でも、イブリンにとってはかけがえのないものなのだった。


 

 

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