3 .エドワード視点
服を着替えながら俺は溜息をつく。
あのおしゃべりな伯爵夫人と相対すると考えるだけで憂鬱になる。
「どうしても行かねばならんのか」
まるで駄々っ子のような主人に執事はすまし顔で「行かなければ我が家のあらぬ噂を立てられるだけですエドワード様」と言った。
溜息をまたつきながら、クラヴァットの位置を調整する。
この姿はイブリンの合格点を得られるだろうか。一部の隙もなく着こなしたテールコートは無骨な軍人エドワードとは真逆の洗練された紳士に見える。
階下に降りてイブリンを待つ。彼女の支度に時間がかかることは想定済みだ。
今日はどんな悪女に相応しいドレスを着てくるのか。
執事が俺の支度が終わったことを告げに二階に向かう。
すると二階からイブリンが降りてきた。
「遅い」
咄嗟にいつもの嫌味が口をついて出る。
「身軽な殿方と違って、女は時間がかかるものでしてよ旦那様」
階段を降りてきたイブリンは紫紺のハイネックのドレスを着ていたが、問題は胸元が丸見えになっているデザインだった。
こんなに胸元が開いていたら、イブリンが既婚者と知っていても男たちが群がるではないか。
エドワードは想像すると怒りがこみ上げた。
「下品なドレスだ」
不機嫌さを隠すことさえできない。苛立ちのまま、俺はイブリンをエスコートする。
場所に乗る時はドレスが汚れないように裾を持ってやる。イブリンはするりと馬車の中に入っていく。俺も馬車に乗ると、御者に指示を出して馬車を走らせた。
馬車の中は外の空気よりも冷たい。
口を開けばドレスについての嫌味が出てきそうで俺は我慢した。
そうして馬車はクロウハースト邸に到着した。
馬車から出るときもドレスの裾を持ち上げる。どんなにいけ好かないドレスでも、彼女が身に纏うものを汚すのはもっと嫌だ。
腕を差し出すとイブリンが小さく笑って俺の腕に手を置いた。
「なんだ」
「いいえ、わたくしをエスコートするのが苦痛でたまらない、といった風ですのでついおかしくて」
扇子でイブリンは口元を多いながらクスクス笑っている。
俺はいつもの癖で無意識に言葉の刃を投げつけた。
「忘れているのかもしれないが、俺も一応は紳士の端くれだからな。相手がどんな醜女でもエスコートしてやるさ」
イブリンは気にした様子もなく俺の腕にエスコートされている。
中に入ると我が家とは違い、そこかしこに調度品や絵画が飾ってある。派手なものばかりのそれらは正直、趣味がいいとは言えない。
そこへ女主人のクロウハースト伯爵夫人が声をかけてきた。
「まぁまぁ、よくぞお出で下さいましたわ。ご夫婦でいらして下さるとは思いもよりませんでしたわ。今宵は楽しんでらして」
クロウハースト伯爵夫人に礼をしながら言う。
「この度はお招きいただき光栄です。今夜を楽しみにしておりました」
「ありがとうミスター・エドワード。さぁ皆様、先の戦争でいくつもの勲功を挙げられたミスター・エドワードですわ。どうぞ大きな拍手をお送り下さいませ」
自分の役目は国を守り、民を守ること。こんな豪奢な夜会を開く貴族をも守っている自分に嫌気がさす時がある。
「ではわたくしはこの辺で。また後でお話を伺わせて下さいなイブリン」
クロウハースト伯爵夫人が忙しなく去っていく。
二人きりになったエドワードとイブリンの間に微かな緊張の糸が張られる。夫婦としては異質な空気だ。
するとそこへまた別の御夫人方がやってきた。
「イブリン様、お久しぶり。夜会にいらっしゃらないから退屈しておりましたの」
「殿方たちの話題は戦争や政治ばかりでしてよ」
「まぁ、華のないこと! でも今夜は違いますわね」
騒がしい三人にイブリンが笑みをたたえて話をする。
「わたくしも皆様とお会い出来て光栄ですわ」
しばらく女同士の会話が続く。こんなつまらない会話をするなら、俺と会話をすればいいのに、とエドワードは退屈さにあくびを噛み殺した。
姦しい三人が去っていくと、入れ違いに大柄な初老の紳士が駆け寄ってきた。
「おぉ! ブラックウェル大佐ではないか。此度の戦争で鬼神の如き活躍をしたと軍部から伺っておりますぞ」
既に退役した元軍人であるバルカス元中佐が大げさに自分を称えるのをエドワードは何の感慨もなく受け入れた。
酷く退屈な賞賛の数々に時折謙遜しつつ、早くこの時間が終わることを俺は願った。妻はきっと退屈さに辟易しているだろうと、ちらりと視線をやると、意外にもバルカス元中佐の話に耳を傾けていた。
あぁ、きっとハートフォード商会の商売に繋がるかもしれないと聞き入っているのだろう。勉強熱心な妻に俺は微かに苦笑した。