7.エドワード視点
イブリンは目を覚ますと家を出ようとした。そんなこと俺が許すはずがないのに。
「何の騒ぎだ」
「イブリン様が屋敷を出ると言って聞かないのです」
俺は華奢なイブリンの体をベッドに押し戻した。
「屋敷を出るのは元の君になってからだ。いらぬ事をして屋敷の者の手を煩わせるな」
俺の力に勝てるはずもなく、イブリンは諦めて静かにベッドの住人になった。
イブリンが目を覚ましてから、俺は心配で何度も彼女の寝室に顔を出した。
訝しむイブリンだったが今の所大人しくしてくれている。
ある日、マリアンが屋敷を訪れた。帰らせようかと思ったが、言いたいことがあると必死に言い募るから今回だけと屋敷の応接室へと招き入れた。
いつものマリアンと違い、なかなか話し始めない。しばらくするとようやく口を開く。
「イブリン様のお加減はいかがですか?」
「今のところは安定している」
「そう……ですか」
そして、また沈黙。
「マリアン。俺に何か言いたいことがあったのではないのか?」
マリアンはスカートを握りしめながら顔を上げた。
「私はエドワード様をお慕いしております」
突然の事に俺は面食らう。
「幼い頃よりずっとエドワード様が好きでした。ですがあなたは私ではなくイブリン様をお選びになった」
泣きそうな顔でマリアンは続けた。
「私は醜い嫉妬でイブリン様に意地の悪い事ばかりしてきました。私がこの屋敷に頻繁に出入りしていたのも、イブリン様への当てつけでした」
呆然とする俺をマリアンが見つめる。
「ほんの少しでも、私を好いて下さいますか?」
その言葉に俺は首を振った。
「マリアン。君をその様な目で見たことは一度もない。これからもだ。だから君の気持ちに答えられ無い。すまない」
マリアンはハンカチで目元を拭うと笑顔を見せた。
「私分かっておりました。どう頑張っても私はイブリン様に勝てるはずがないと」
マリアンは立ち上がった。
「今までありがとうございました、エドワード様」
そう言うとマリアンは屋敷から去っていった。
マリアンの告白に驚きつつ、今までの行動に合点がいく。しかし俺が愛する人はただ一人だけ。
仕事の話で屋敷を訪れたのか、トマスと階段ですれ違ったとき、彼に言われた。
「イブリン様は不器用な方です。どうか大切になさってください」
言われなくてもそうする。もうトマスへの醜い嫉妬心は湧かなかった。
イブリンの寝室を開けると、彼女はベッドの上で座っていた。
「何か御用でも?」
「いや、君が医師の言いつけを守っているか気になってな」
「子供じゃありませんわ。ご心配なさらずエドワード様」
「……そうか」
安心した俺は寝室を後にした。
イブリンもほとんど回復し、元気になったが俺はそんな彼女がまた無理をしないかと心配になり、東屋で二人だけの茶会を開いた。
「君は放っておいたら、すぐに仕事をしてしまうからな」
ケーキスタンドにはたくさんのケーキに焼き菓子にスコーン。俺も手を付けながら、ジッとイブリンの様子を伺っている。
「わたくしの顔に何かついてますか?」
「いいや」
俺は首を振る。いつもの棘のないイブリンが新鮮でつい魅入ってしまう。
会話がなくてもこんなに穏やかに過ごせることに俺は幸せを噛み締めていた。
茶会を毎日開く俺にイブリンが文句を言う。このままでは太ってしまうと。
「痩せすぎな君にはちょうどいい」
と言えば不機嫌な顔をする。その素直さに微笑ましくなった。
イブリンは俺を睨みつけながら尋ねてきた。
「わたくしは、いつになればこの家から出られるのですか?」
紅茶を飲んでいた俺の手が止まる。
「教会裁判所に出す必要書類がまだ纏まっていない」
そんなものは嘘だ。本当は書類すら書いていない。
「……そうですか。なるべく早くして下さいませ」
そう言った翌週にイブリンはまたもや尋ねるのだ。だからまた俺は嘘をつく。
「目撃証言者のリスト作成に手間取っている」
さらに翌週は「教会裁判所が返事を寄越さない」としらを切る。
「わたくしの方からも教会裁判所へ書簡を送りますわ」とイブリンが宣言するが、俺は内容に行き違いがあると余計に時間がかかると却下した。
ある日執事のフォスターが執務室で仕事をしていた俺に書類を寄越してきた。
それは軍の手配書だった。
備品調達や寄付の手配など多岐にわたる書類のサインはイブリンの名前だった。
「旦那様が戦地で安全に戦えるようにとイブリン様はハートフォード商会の売り上げを旦那様が戦地に行かれる度に、そうして手配されておられたのです」
全く知らなかった事実に愕然とする。総額だけでもかなりの金額だった。
「旦那様、イブリン様を愛しておられますか?」
「……当たり前だ」
「でしたら、そろそろ素直になってもよい頃合いです。イブリン様はずっと旦那様のお言葉をお待ちですよ」
フォスターに言われて俺は執務室から飛び出した。向かう先はイブリンの寝室。
階段を登っているとイブリンが走っているのが視界に入る。
「エドワード様!」
イブリンは叫ぶと何の迷いもなく俺の腕に飛び込んできた。
俺は驚きつつ、イブリンの体をしっかりと受け止めた。
「エドワード様! わたくしはとても愚かな女でした……。他者の言葉に惑わされ、真実を知るのが怖くてエドワード様がいつでも離縁できるようにと、姑息な真似をしていました。わたくしは、わたくしは……!」
俺はイブリンを抱いたまま階段を登る。そして彼女の寝室の扉を開くと、ベッドの周りに俺が書いたが渡すことができず、そっと底板の下に隠した紙片が散乱していた。思わず頬が熱くなる。
「……見つけたのか」
「見つけてしまいましたわ。エドワード様の大切なお言葉の数々を……」
俺はソファーにイブリンを座らせると、侍女に羽織るものを持って来させて肩にかけてやった。
「どこから話をすればいいか」
悩む俺にイブリンがおずおずと口を開く。
「今までのことは、わたくしの誤解から始まったことなのです」
「誤解?」
「えぇ。婚礼の儀の時に、とある伯爵夫人から聞かされたのです“エドワード様とマリアン様が昔婚約していた”と」
「なんだって? そんな事実は無かったぞ」
俺はそんなことを吹き込んだ奴を恨んだ。
「わたくしはそれを真に受けて、エドワード様がいつでもマリアン様のところに行けるよう、悪女になると決めたのです」
「……それが、あの派手な行動だったのか」
「えぇ。わたくしの悪評が立てばエドワード様から離婚を切り出しやすいと思ったのです」
俺はイブリンの思い込みの強さに唖然としつつ、そこまでして俺のことを思って行動してくれていた事に胸が熱くなる。
「もっと早くに聞いてくれたら良かったものを……」
「わたくしの不徳のいたすところです」
頭を下げるイブリンを俺は止めた。
「俺も悪かった。お前の言葉に耳を傾けず、傷つけるような事ばかり言ってきた。本当に済まない」
頭を下げるとイブリンが慌てた。
「おやめになってください! 元はわたくしが悪いのですから」
「いや、マリアンを好き勝手にさせていた俺にも責任がある」
その名を出した途端にイブリンの顔が曇る。
「その……マリアン様とは本当に幼馴染で?」
「当たり前だ。マリアンは幼い頃に父親を戦地で亡くしてな。家も近かったし親同士も仲が良かったから、俺はマリアンを慰める為に相手をするようになった」
遠い昔の様に感じる。俺は妹ができたようで嬉しかったのを覚えている。
「寂しかろうと、好き勝手にさせていたのが悪かった。奔放に育ったマリアンは、時に貴族のマナーを忘れることがあった」
俺は一旦口を閉じると、イブリンの艷やかな黒髪をひと束摘み上げた。
「マリアンは俺にとって我侭な妹の様な存在だった。それと……」
イブリンの髪が俺の手からするりと滑り落ちた。
「先日、告白されたが、もちろん断った」
イブリンの瞳が痛みを訴える。
「すべては俺のせいだ。雪の中で倒れていたお前を見た時……心臓が止まるかと思った」
イブリンの目をまっすぐ捉える。
「もう俺のそばから離れないでくれ」
「ですが、わたくしはもう離縁された身ですので――」
「あぁ、その事なんだが……」
騙し続けてきたことを、どう言い繕うか。
いや、下手な言い訳はやめよう。
イブリンが言葉を待つように俺の無骨な手に自分の手を重ねくれた。
「教会裁判所に離婚の書類は送っていない」
「え! それでは……」
「そうだ。俺達はまだ夫婦のままだ。それは嫌か?」
「嫌だなんて、そんなこと……!」
イブリンの瞳から大粒の涙が零れ落ちてくる。イブリンの泣く姿は見たくない。
「そんなに泣くな。君が泣くと、俺はどうすればいいのか分からなくなる」
イブリンの目元をハンカチで拭うが涙は止まらない。
「……悪女をやめてもいいのですか?」
「元より必要なかった」
「旦那様はこんな愚かなわたくしでも愛して下さいますか?」
「それを言うなら俺の方だ。君の真実を知らずにマリアンを好き勝手にさせた罰を受けなければならない」
イブリンが俺の頬を両手で包んだ。
「どんな罰でも……ですか?」
「二言はない」
「……でしたら」
イブリンはそっと身を乗り出すと、俺の唇に口づけを落とした。その柔らかな感触に夢中になる。
「これでは罰にならんぞ」
耳まで赤いイブリンが愛おしい。
「わたくしはこれで十分ですわ……」
「なら、君のしたいことを言ってくれ。何でもする」
「わたくしのしたいこと?」
「あぁ」
イブリンはソファーから立ち上がると、言い出しにくそうに指先を弄っている。
俺ははそんな愛らしい妻の姿を堪能している。
「あの、立っていただけますか?」
「わかった」
ソファーから立ち上がるとイブリンと向き合った。俺に比べれば、平均的な女性より背が高いイブリンですら子供のようだ。
「あの……わたくしの背中に手を回してください」
言われた通りイブリンの華奢な背に手を回す。
「次はなんだ?」
「そ、そのまま……わたくしを抱きしめてくださいませ」
イブリンの望むがままに俺はイブリンを抱きしめた。腕の中の温もりと柔らかさ、そして華奢な体に俺は力を込めると壊れてしまいそうだと思った。
「やはりこれでは罰というより褒美だな」
「エドワード様……わたくしこんなに幸せでは罰が当たってしまいますわ」
「なら君の罰を俺が引き受けよう」
俺たちは抱き合ったまま、互いの愛を確認していた。




