追放されたエルフの令嬢は、隣国の王子に溺愛されながら白い結婚を迎える
その日、エルフの名門貴族・リシェリナ=エルヴィーラは、王都の社交界の中心で無惨に婚約を破棄された。
「僕は君とは結婚できない。君は冷たくて高慢だし、レーナのような優しい女性の方が僕には相応しい」
婚約者である王太子アルセインの言葉に、会場はざわついた。傍らには、リシェリナの侍女であった女――レーナが微笑んでいる。まさか、彼女がアルセインの愛人だったとは。
「……わかりました。では、正式に婚約を破棄しましょう。証人の前で」
リシェリナは静かにそう返すと、周囲に深々と礼をした。涙も流さなければ取り乱しもしない。ただ、その瞳は氷のように冷たかった。
彼女の背には、嘲笑と侮蔑が突き刺さる。「悪役令嬢め」「やっとお似合いの破滅ね」――そう囁かれながら、リシェリナは社交界から姿を消した。
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一ヶ月後、リシェリナは隣国アークレストの第三王子セドリック=ヴァルディスとの政略結婚の使者を受けた。
それは表向き「名門同士の縁談」だが、実質は「王国から厄介払いされた娘の処分先」としての意味合いが強かった。
「私を道具として扱うなら、せめて利用価値を証明してみせましょう」
リシェリナはそう言って、アークレストへと嫁いだ。
セドリック王子とは初対面。端正な顔立ちに鋭い眼差し、冷静で寡黙――しかしその瞳は、どこか優しさを宿していた。
「君は、好きでここに来たわけじゃないのだろう。それでも、ここで居場所を見つけてくれたら嬉しい」
契約結婚――互いの自由を尊重し、政略上の役目を果たす形での「白い結婚」。愛はない、はずだった。
しかし、リシェリナは知らなかった。この第三王子が、実はアークレスト王族の中でも随一の影響力と軍事力を持ち、「影の皇子」と呼ばれる存在であることを。
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一年後。王国では驚くべき出来事が起きた。
かつての王太子アルセインが婚約者レーナと結婚したが、その裏で不正会計と収賄が発覚。レーナが王宮の機密を売り渡していたという容疑も浮上する。
王国の評判は地に落ち、外交的孤立も始まった。
その裏で動いていたのは――リシェリナであった。
アークレスト王宮の中枢に入り、外交と諜報を駆使して、王国の不正を暴く証拠を静かに集め続けていたのだ。
「私を“悪役”と罵った貴族たち。王子と結託して私を辱めた者たち。皆、その代償を払ってもらいます」
そして、リシェリナの復讐が完成したその日。王国は、アークレストから正式な国交断絶と制裁の通告を受ける。
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「君は強い。でも、それでも僕の前では、もう無理をしなくていい」
セドリックは、静かにリシェリナの肩を抱いた。彼はすべてを知っていた。彼女の傷も、誇りも、復讐も。
そして、彼はただ傍に立ち、彼女を守る力を注いできたのだ。
「私などに、そんな――」
「君は僕の妻だ。契約なんてもう意味はない。君を愛している。心から」
その夜、初めて二人は同じ寝台に並んだ。白い結婚は終わりを迎え、代わりに真実の夫婦としての絆が生まれた。
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王国は王太子アルセインを廃嫡とし、レーナは国外追放。没落した彼らの名は、もう歴史にも残らない。
一方、リシェリナはアークレストで「賢妃」と呼ばれる存在になり、民からも慕われる存在へと変わっていった。
そしてセドリックは、彼女の傍から片時も離れず、誓いを守り続ける。
「君を守る。世界すべてを敵に回しても、君だけは、僕が」
リシェリナはそっと微笑んだ。かつての自分が信じられなかった「愛」が、今この胸に確かに存在している。
――これは、悪役令嬢と呼ばれたエルフの少女が、真の愛と自由を手に入れた物語。
ーーー
「リシェリナ様、王宮礼装の仮縫いが仕上がりました。鏡の前へどうぞ」
ドレッサーの前でリシェリナは、そっと深呼吸をした。薄緑の絹が波のように広がるドレス。その縁には、エルフの故郷でしか取れない聖銀糸で刺繍された精霊紋が光る。
「……こんなにも美しいものを、私が着ていいのかしら」
「もちろんです。妃殿下は、我らが未来を導く光ですから」
侍女の言葉にリシェリナは微笑む。あの日、婚約破棄され、嘲笑に晒された令嬢は、今やアークレスト第三王子の“真の”妻として、王宮の祝福を受けようとしていた。
形式上はすでに婚姻関係にあったが、それは政略の“白い契約”。けれど、今度こそ正式に、真実の愛をもってセドリックと結ばれる――それが今回の「再婚約式典」、そして「戴冠の祝祭」だ。
「……あなたに相応しい花嫁になりたいわ、セドリック」
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式の三日前、王宮に不穏な報せが届いた。
「旧王国側の貴族が、王都へ入り込もうとしているようです。元王太子・アルセイン派の残党も混ざっているとのこと」
報せを聞いたリシェリナの表情はわずかに曇る。
「私の結婚を妨害しようと?」
「もしくは、“懺悔”のふりをして、騒動を起こすつもりでしょう」
セドリックの言葉に、リシェリナは小さくうなずいた。
けれど、もう怯えたりしない。過去に囚われるのではなく、乗り越えて、愛する者の隣に立つと決めたのだから。
「来させてあげましょう。王国の残骸に、私がどれだけ幸せか、見せてあげる」
その瞳には、確かな自信と気高さが宿っていた。
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式当日。アークレスト王宮の大広間には、各国の貴族と精霊使いたちが集っていた。
その中心に、セドリック王子が立つ。漆黒の礼装に、金銀の双剣を腰に携えた姿は、まるで神話の英雄のようだった。
「……来たな」
彼の視線の先に、招かれざる客がいた。かつてリシェリナを裏切った王太子・アルセイン。その姿はすでに威厳を失い、虚ろな目をしていた。
「……謝罪しに来た……あれは、誤解だった。レーナも、もう……」
「帰れ。ここは、彼女の幸せだけが祝福される場所だ」
冷ややかにそう告げたのは、王子ではなく、女官長だった。
「彼女を“悪役”と罵った者に、この場に立つ資格などない」
徹底した護衛により、アルセインは静かに排除された。
――これで、すべてが終わった。
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祭壇の前で、リシェリナは白銀のドレスに身を包み、神聖なオークの冠を戴いていた。
アークレストでは、結婚は神と精霊、そして王家の名にかけて行うもの。リシェリナの祖国のエルフ文化と融合させた形式が、この場を荘厳に飾っていた。
「私は誓う。過去のしがらみではなく、君という“今”を愛し、君という“未来”を守ると」
セドリックの声は静かでありながら、圧倒的な存在感を放っていた。
「私も誓います。憎しみで築いた日々を超え、あなたと共に笑い、歩んでいくことを」
精霊の風が、二人の周囲を優しく包む。祝福の光が広がり、会場が拍手に包まれる。
これは、ただの王族の結婚ではない。過去を乗り越え、未来を紡ぐための、新しい「はじまり」だった。
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式のあと、王宮の庭でセドリックはリシェリナに一冊の小冊子を差し出した。
「……これは?」
「君を“悪役令嬢”と罵った貴族たちの発言記録、そして今では“あなたこそ正しき妃”と称える文書の数々。公文書として記録した」
「そんなもの、どうして……?」
「君に選択肢を渡したいからだ。復讐したければ、使えばいい。許したければ、燃やしてくれても構わない」
リシェリナは少しだけ悩み、そして微笑んだ。
「……ありがとう。けれど、これはもう必要ないわ。私は、あの人たちの罪の上ではなく、あなたと共にある幸福の上に立ちたい」
セドリックはその答えに満足げに笑い、そっと彼女の手を取った。
夜空には、精霊の光と焔のような星が降り注いでいた。
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王国で“悪役令嬢”と嘲られたエルフの少女は、今、真実の王子と結ばれ、堂々たる王妃として生きている。
彼女の瞳にはもう、憎しみも悲しみもない。ただ、愛する者と共に歩む確かな光だけが宿っていた。
「私の物語は、ここで終わらない。けれど、今日という一日は――永遠に記憶に刻むわ」
――そう。これは悪役令嬢の結婚式ではない。
これは、真実の愛を得た一人の女性の、新たなる人生の始まりなのだから。
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リシェリナは、自分の腹に手を当てて驚いたように目を見開いた。
冬の終わり。結婚式から半年が経ち、アークレスト王宮の一角で、彼女は静かに命の鼓動を感じていた。
「セドリック……この子が……私たちの……」
彼女の手をそっと重ねるように、背後から優しく抱きしめられた。
「わかる。君の中に、新しい命がいるんだな」
彼の声は震えていた。かつて冷静沈着だった影の王子は、妻と子の前では、ただのひとりの“父親”になっていた。
「……ありがとう。生きる意味をくれたのは、君だった。そして今、この子が……それをさらに強くしてくれた」
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妊娠の報せが公になると、王宮中が祝福に包まれた――はずだった。
だが、影ではざわつきも起きていた。
「エルフの血を引く王子?」「純粋な王家の血統が……」
「影の王子の立場が強まりすぎるのでは?」
セドリックの権勢を妬む一部の貴族たちが、再び蠢き始めたのだ。
その報せを受けたリシェリナは、深い森に身を隠すことを決意した。
「私がいることで、セドリックに火の粉が降るなら……少し距離を置いた方がいい」
セドリックは彼女の手を握ったまま、拒絶するように首を振った。
「そんなことはさせない。君を、そしてこの子を、必ず守ると誓った。それを揺るがせにはしない」
「でも……」
「僕には、君が必要なんだ。すべてを捨てても、守りたい」
その言葉に、リシェリナは微笑んだ。
「じゃあ……どこにも行かない。あなたと、共に戦う」
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事態が表面化したのは、出産のひと月前だった。
一部貴族が謀反を企て、王都の外で軍を挙げたのだ。王宮は緊張に包まれ、王族たちも非常警戒態勢となった。
そんな中でも、リシェリナは毅然としていた。
「陣痛が始まったら、その時がこの国の再誕よ」
侍女たちは目を丸くしたが、リシェリナは笑った。
――悪役令嬢と罵られた過去など、もう怖くはない。この命を抱えながらも、私はこの国の未来を守る母になるのだから。
セドリックは最前線へ赴くことになったが、出陣の朝、リシェリナの元を訪れた。
「僕が戻るまで、絶対に無理はするな。君が無事でいれば、それでいい」
そして、そっと唇を寄せると、腹に向かってささやいた。
「……父さんが帰ってくるまで、母さんを守ってくれ」
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出陣から五日目。リシェリナに陣痛が訪れた。
「奥方様!もう間もなくです!」
夜明けの王宮。精霊たちの光が、窓辺に集まる。エルフの血を引く者の出産には、自然の加護が訪れるとされていた。
その時、庭の方から蹄の音が聞こえた。
「戻ったわ、セドリックが」
彼は泥まみれの軍服のまま、寝殿に飛び込んだ。
「リシェリナ!」
「……もう……生まれるわ……」
彼女は汗に濡れながらも、彼の手を探し当てた。
「そばに……いて……」
「ああ、絶対に離れない」
そして――夜が明けるころ、一人の男の子がこの世に生を受けた。
「……産声……聞こえる……この子が……生きてる……」
リシェリナの頬を涙が伝った。
セドリックは小さな命を抱きしめ、深く、静かに誓った。
「……ありがとう、リシェリナ。君がこの子を産んでくれて、ありがとう」
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一ヶ月後、正式な命名式が行われた。
名は――「レオノルト=エルヴィーラ=ヴァルディス」。
勇気ある獅子の名と、母の誇り高き姓を併せ持つ、未来の王の名だった。
「……母上……?」
レオノルトが初めてリシェリナの指を握ったとき、彼女はそっと目を閉じた。
「私はもう、悪役なんかじゃない。あなたの母よ。誇りを持って生きる、“あなたの道しるべ”になるわ」
セドリックが傍らで微笑む。
「そして君が、僕のすべてだ。君がいなければ、僕は誰にもなれなかった」
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数年後、レオノルトは聡明な少年として成長し、両親を尊敬し慕う優しき心を持っていた。
「父上、母上は……本当に恋をして結婚したのですか?」
無邪気な問いに、セドリックとリシェリナは互いに見つめ合って笑った。
「最初は契約だったけれど……今は、心から愛しているわ」
「人生は、途中からでもやり直せる。君の母がそれを教えてくれたんだ」
精霊が舞い、庭に光が差す。
悪役令嬢と呼ばれたエルフの少女が、国を救い、愛を手にし、命を紡いだこの物語は――確かに、ここに続いている。