2 せんせいとの別れ――“書かない”私の10年間
――そして時は戻って、大学生活の話。
大学に入ってから、私は数年ぶりにあの小学校の担任の先生に手紙を出していた。
中学生のころはまだ携帯電話を持っていなかったし、連絡はもっぱら文通だったのだ。
大学に受かったこと、高校で文学賞をとったこと。久しぶりにお会いしたいこと。
それらをしたためた手紙がきっかけで、私と先生との楽しい文学ライフがまた戻ってきた。
一緒に食事に行ったり、初めて文学賞をとった小説を読んでもらったり。
「あんなに小さかったあなたがねえ……恋愛小説を書くなんて……ふふ、大人になっちゃって」
6歳の頃から知っている先生に、そんなふうに言われて何だか照れくさかったのを覚えている。
お互いに携帯電話を持っていたので、私たちのやり取りは手紙からメールへと変わっていった。
私たちの交流は、私が大学を卒業してもしばらく続く。
先生が出版した詩集を贈ってもらったり、先生にオススメされて短歌と俳句を新聞に送ったり、それが掲載されてレストランでお祝いされたり。
「今日はね、昔の教え子がやってるレストランに行きましょ」
そう言って連れて行ってもらったレストランは、ちょっと古いログハウスみたいな、暖かい木の香りがするステーキハウスだった。
私は、先生の教師生活最後の6年間を一緒に過ごした教え子だ。
きっと私が小学生になる前にたくさんの教え子との思い出があるんだろうな、と思った。
それが垣間見えると、なんだか先生をもっと知れた気がして嬉しかった。
そうして席に着くなり先生は、私に新聞の投稿文学欄を見せてきた。
そこには、見覚えのある短歌と、私の名前が記されている。
「じゃーん! もう新聞見た? 先生ねぇ、嬉しくて持ってきちゃったのよ」
先生は私の子供の頃の記憶とちっとも変わらない、優しい顔でくしゃっと笑った。
私が先生と初めて出会った6歳の頃より、だいぶおばあちゃんになっていたが、先生はあの日のまま私のことを褒めてくれる。
「先生ねぇ、絶対掲載されるって信じてた!
あなたの言葉はあなたのものだけじゃないと思うのよ。たくさんの人に、届けてあげて欲しいの。
書くことを――辞めないでね」
そして、私の手をぎゅっと握った。
眼差しは優しかったが、手を握る力は強い。
私は子供の時のようにこくり、と素直に頷いた。
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――だがある日、ぱったりとメールの返事が来なくなった。
期間を開けて何度か送る。
しかし、遂には宛先不明で返ってきてしまうようになった。
私は、昔の手紙を引っ張り出してきて、家に手紙を送ろうかと考えて――送ることが出来なかった。
先生は、私が小学校を卒業する時でもう60歳だったのだ。
もしかして、亡くなったのかもしれない――
そして、もしも私の手紙へ、彼女の家族が訃報の知らせを返してきたら――
現実を言葉で見てしまったら、逃げ場が無くなってしまうように感じた。
それから私は、もう手紙もメールも送るのを辞めた。
――今も、私のスマホにはあの時の先生からのメールが受信ボックスに入ったままだ。
メールに不慣れで、途中で送っちゃったり、変換が間違ってたりする、おばあちゃんって感じのメール。
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この頃から私は、仕事が上手くいかず生きることに精一杯で作品を書くこともなくなっていった。
何度も転職をして、どうにか周りの人みたいに『ちゃんとした人間』にならなきゃ、と他人の歩幅ばかり気にしていた。
――もう、読んで欲しい人もいない。
だから、作品なんか書いてないでちゃんと上手く生きなきゃ。みんなみたいに。
大人の世界の成功は、子供の時と同じようにはいかない。
何か書いて褒められるとか、言葉が綺麗だとか、独創的な世界があるとか、そんなんじゃない。
周りに合わせて、仕事でより良い数字を出して、出世して、社会で評価される。
――あーあ、もっと子供のうちから仕事に役立つ勉強をするんだった。資格取るとか。
文系モンスター、まじで会社の役に立たない。
そうして、成績が悪くて居づらくなるか、体を壊して退職の繰り返し。
その後も何度か転職して、5回目の転職でやっと安定した職場に巡り会えた。
休日出勤もないし、公休もちゃんと貰える。打刻しないで出勤しにこいなんて言われない。
幻だと思っていた有給だって本当に使える。
数字は求められるが、不可能な数字をギリギリで追わされることも無い。頑張ってればちゃんと達成できる。
1日の勤務時間は10時間あるが、その代わり週休3日制だ。
ちゃんと上手く生きよう、とがむしゃらに走ってきた。それがぱったりとなくなって、週の3日の休みを持て余すようにすらなった。
なんだか、心にぽっかりと穴が空いたみたいだった。
ふと、自分の人生を振り返った時に、やり残したような、大事な何かを置き去りにしてきたような感覚があった。
その時私の胸に、最後に会った時の先生の言葉がこだました。
『あなたの言葉はあなたのものだけじゃないと思うのよ。たくさんの人に、届けてあげて欲しいの。
書くことを――辞めないでね』
――そうして私はまた、筆を執った。
子供の頃沢山思い描いていた世界がある。まだ、言葉にしていない世界を、言葉にしようと思った。
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書かなくなるとあっという間に時間はすぎてしまう。
自分が年老いた時に、一生の心残りにならないように、書き続けなきゃいけない。
――誰か一人でも、私の言葉を見つけて、大事にしてくれる人がいたらいいな。
これから何年でもかけて、私はまた言葉を紡ぎ続ける。
いつか出会える、私の言葉を好きだと言ってくれる誰かのために。
たくさんの人に、届くように。
――私が最期に振り返った時、もうやり残したことは無いな! って笑えるように。