記録球(レコード・オーブ)
リオは、静かに歩いていた。
教室に戻る足取りは、いつもより重い。
理由はわかっている。視線、囁き、距離感──
全てが、彼を中心に“ズレ”始めていた。
(魔喰者……)
そう呼ばれる存在。自分の意思で魔法を“喰う”力。
それは人々の恐怖や畏怖を惹きつけ、無意識に“隔たり”を生む。
ドアを開けた瞬間、室内の空気がピンと張った。
誰もが黙り込む。誰もが、彼を見ている──
(知っている。もう、そういう目で見られるんだ)
それでも、リオは席に着いた。
「……おはよう」
その声に、返事はなかった。
午後の実技演習では、魔法障壁の展開訓練が行われていた。
一人一人が自分の魔力で防御結界を張り、講師の放つ軽魔術に耐えるという内容。
「次、アルヴェイン」
リオは無言で前に出た。
(防御結界……出力だけなら、問題ない。けど)
彼が魔力を展開しようとした瞬間、周囲の魔力がざわめいた。
“喰われるかもしれない”という集団の警戒が、空気を固くする。
(……ああ、もう、俺は“普通”に動くことすら許されないのか)
リオの掌が震える。魔力は制御されないまま、宙に溶けた。
その日の放課後。
リオは学院の裏手、立ち入り禁止区域に足を踏み入れていた。
朽ちた旧資料棟。その地下には、使われなくなった観測設備が残っているという噂があった。
彼はその最深部──錆びた装置の奥で、“それ”を見つけた。
球体。
淡い光を内包した、手のひら大の透明な球。
「これは……?」
触れた瞬間、意識が引きずり込まれる。
──闇の中。
声がする。誰かの記録。
叫び、懺悔、祈り、誓い。何千、何万という“想い”が流れ込んでくる。
《記録球──コード名:オーブNo.88。封印状態。再生不可》
その声は機械のようで、人のようでもあった。
《この記録は、閲覧資格を有する者にのみ開示される》
そして最後に、問いが響く。
《──お前は、“記録”に触れる覚悟があるか?》
「……っ!」
リオは飛び起きた。気づけば、球体は手の中にはなかった。
(夢……?)
だが、その掌には確かな感触が残っていた。
その夜。
セリアは寄宿舎の自室で、手紙を書いていた。
──差出人は不明、だが“記録球に近づいた”という報告が既に上がっていたのだ。
「やっぱり、リオ……君は、何かに引かれている」
静かに、灯火が揺れた。
そして窓の外。誰にも気づかれぬよう、一つの影が屋根の上を跳ねていた。
黒い外套に身を包んだ、監視者のような存在が。
(始まったか……)
夜の風が、その名を囁く。
“異端の魔喰者”
それが、本当に“始まった”のだと──